政治と音楽

今回の参議院選で音楽と政治の関係について考えさせられる事案がいくつかあった。さやという参政党候補が当選した。肩書がシンガーソングキャースターとあった。それ以前は演歌歌手をやっていた事は他の筋から知っていた。この人物経済政策は三橋貴明、防衛政策は田母神俊雄のパクリである。他の分野も影響を受けた人の丸コピーである。素直と言えば聞こえが良いが中身が空っぽなのである。それは演説を聞けばわかる。良識のある演歌歌手には申し訳ないがどうせ頭の悪い演歌歌手がどこかの大物人物に後押しされて引っ張り上げられたのだと思っていた。最近ジャズシンガーであったことを知った。操り人形とはいえ差別主義者にジャズなど歌ってほしくないのである。ジャズがここまでに至る歴史が改竄される悪夢が頭をよぎる。ビリー・ホリディの「ストレンジフルーツ」の歌詞を今一度読み直してほしい。
大江千里という以前シンガーソングライターだった人間がいる。そこそこヒットしていたことだけは知っている。どうでも良いことだが顔がジャズピアニスト佐山雅弘と似ていた。大江がジャズピアニストに転向したことも知っていた。職業選択は個人の自由とは言えタワマンに住んでいた者が6畳一間風呂なしのアパートに引っ越してくるようなものだ。大江がSNSで平野雨龍という極右思想の持主の女性候補を持ち上げる発言をしていた。「彼女の発言の真意がわかるまで日本人は数年かかるだろう・・」はっきり言うが真意は1分でわかる。平野雨龍は参政党以上の差別主義者である。大江はニューヨークに住んでいた。そこで逆差別された事は十分考えられる。だからと言って短絡的に差別主義に傾倒するのはいかにも薄っぺらい。ジャズを心ざす者は差別との戦いの中から生まれた音楽であった思い出す必要がある。
私事であるが今年の秋マイルスバンドに所属していたケイ赤城トリオの話しがあった。条件があわず実現しなかった。ドラムが吉良創太である。今回東京都から立候補して当選した吉良よし子という参議院議員がいる。コロナ期国会で菅総理に質問した「私にはジャズドラマーの弟がいます。総理はライブハウスの状況をご存じですか」という内容であった。
SNS上で吉良よし子が「ジャズとはどういう音楽ですか」と問われた時の答えが実に的確であった。
ジャズに関わってきた人間にはアル中、シャブ中、米泥棒、不倫好き、あらゆる社会不適合者が含まれている。だがこれらは個人的に落ちていく人間である。これらを排除していたら聴く音楽はなくなってしまう。だが構造的に差別、排除に寄与する人間の音楽はその事実が分かった時点で僕は聴かなくなる。身近にそういう人間がいない事を祈る。