鹿のソロピアノライブ。感想は言うようにしている。シカトすることはない。その帰り夜食に緑のタヌキを買った。その日また狐を見かけた。赤い狐ではなく狐色の狐である。頻度が多い。一度カラスに虐められている狐を助けたことが有る。だが御礼に赤い狐が一年分届くということはなかった。深夜であったのでカラスに面が割れることはなかった。家の非常梯子にカラスの巣を作られそれを撤去したことが有る。棒で突いている時からその家主のカラスであろう者が喧騒に叫び出した。20羽は集まった。さながらヒッチコックの映画「鳥」の様な不気味さであった。その翌日からカラスの嫌がらせが始まった。ベランダ、階段が糞だらけになる日々がしばらく続いた。電線に5,6羽止まりこちらにガンを飛ばしてくることもあった。追い払うために「バイバイ ブラックバード」をかけるが効果はない。幸いまだ熊に遭遇したことはない。札幌でも市街地に熊が出没しているがこれは或る問題を提起していると考える。狐を頻繁に見かけるのも同じ理由である。札幌の場合緑が豊かなので個体数も多いがそれを賄うだけの餌も里山で完結していた。だが今年は餌不足なのである。それで市街地に出没しはじめた。札幌市の政策は棲み分けが主であり電気柵をめぐらしそれを超えてこない限りそれ以上の方策は取らない様である。専門家は言う。人間が生活圏で熊を目にすること自体危険状態である・・・と。全国で熊の増加率が一番多いのは秋田県である。それは離農率と比例する。人間が開墾し畑を管理していた時期は水際で熊を駆除も含めて引き止めていた。その土地を人間が放置するようになると里山は荒れだした。個体数は増えだしそれを養うだけの餌が獲得できなければ人里に降りてくることとなる。高度成長期、木材の需要が拡大し日本の里山は殆ど禿山状態になった。それ以前は毛皮の需要、食肉としての需要もあった。その時期は熊の個体数も減ったという。農業政策の変化により農業で食べていけない人が離農し都市に住み始めると棲み分けができていた地域でもその境界線が曖昧になり事故に発展している。熊を殺すのは可愛そうという意見も聞くが我々は牛も豚も殺して食べているのである。いい子ぶるのは辞めたい。県名は忘れてしまったが東北で昨年の死亡者が交通事故より熊の被害で亡くなった人の数が多かった県が有った。たかだか数人の差と言わないほうが良い。熊の被害に遭遇する確率は交通事故の確率の1/1000位である。熊も資本主義の被害者ではある。熊は見えたが熊はいないとする論理。・・・・その裏に何か重要なことが隠されている。そういう意味でユダヤ問題と共通するものがある。
