八代亜紀がなくなった。テレビを見ないので闘病生活をしていることも知らなかった。なにより僕と年がそんなに変らないことに驚く。時々古舘賢治に昭和歌謡を歌ってもらう企画をlazy で催しているが昭和歌謡と言えば第一に出てくるのが八代亜紀である。歌に情の深さを感ずるのである。ジヤズを聴いて55年くらいになる。ドナ・リーはうろ覚えであるが「なみだ恋」「舟歌」は歌詞がスラスラ出てくる。デビューは1971年テイチクレコードであるがテイチクは歌謡曲で儲け、それを売れないジャズのアルバム制作に投資してくれていた。初期の森山威夫、古沢良次郎はテイチクからアルバムを発表している。八代亜紀の「なみだ恋」「舟歌」はミリオンセラーを記録し間接的に第2次日本ジャズブームを後押ししてくれたことになる。だから僕は八代亜紀に足を向けて寝ていない。北枕はいけないと母親に教えられた。八代亜紀は懐が深い。厚化粧のイメージがついて回りよくお笑いの世界でいじられていた。陽水の「リバーサイドホテル」の替え歌で「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われていたが化粧品のCMに素顔ででて「ざまを見ろ」言ったそうである。ライブでこの歌詞で歌ったこともある。ツービート時代のたけしには「笑うと顔にひびが入る」といじられていた。偶然聞いたラジオ番組でこの辺のことを笑い飛ばしながら話していた。一度だけ八代亜紀のライブを聴いたことがある。函館でのイベントでバックは大石学、米木康志、セシル・モンロー、片山弘明という編成でアレンジは全編大石がしたと打ち上げで聞いた。八代亜紀は「舟歌」など自分の持ち曲の他に「you’d so nice come home to」などのスタンダードも歌っていた。もともとクラブ歌手をしていたので下手なジャズシンガーより上手い。声質もヘレン・メリルに似ている。ニューヨーク公演を行ったときヘレンメリルが来たとラジオ番組で話していた。ジャズへのとっかかりはジュリー・ロンドンであるらしい。函館のイベント主催者と話す機会があった。ギャラ的に大変ではなかったかと聞いた。趣旨を理解し零が一個違う金額で来てくれたという。懐が深い。大スターになった後も出身地に恩返しをしたいと熊本地震の時などいろいろなチャリティーやボランティア活動もしていた。半世紀近く前になる。初めてライブハウスTAROを探し新宿をさまよっていた時口をついて出てきた曲が「なみだ恋」であった。
夜の新宿、裏通り、肩を寄せ合う通り雨、誰を恨んで濡れるのか、会えば切ない別れがつらい。忍び合う恋、涙恋
合掌
八代亜紀に捧ぐ駄洒落
ジュラ紀、白亜紀、八代亜紀