米木とレヴィナス

レヴィナスというフランスの哲学者がいる。あまりにも難解ですぐ投げ出したのが10年ほど前。でも解説に書いてあった「何が書いてあるのかよくわからなかったけれど、これは私が読まなくてはいけないのだという事は切実に分かった」と書いてある解説が気にかかっていた。最近二か月ほどかかって何とか読み終えた。相変わらずほとんどわからない。わからないのによく読めるねと言うかもしれないが、これができるのである。この人は信用できると身体的に感じた時にである。「ここには私が理解すべき人間の英知が書き込まれている。人として理解しなければならないことがこれが理解できないうちは私はちゃんとした人間になれない」とその解説者は30年前に思ったのだそうだ。あれ、同じような経験があると思った。
ベーシストの米木康志を聴くようになって三十数年。今でもよくわからないところがある。強力なビート感と無駄なことは一切しないでサウンドを支えることに専念しているのは僕にでも分かる。でもソロになった時の恐山のいたこの口上の様なフレーズは何でああなるのかはまだ分からない。学生に聞いてみたことがある。「米木のベース、どう思うの」そのベーシストは僕が何回も米木を呼んでいることを知っているので恐る恐る口を開いた。「マスター怒るかもしれませんが、一曲目と二曲目のソロが同じように聞こえました」僕は小声で「俺は30年同じように聞こえているよ。」と言ったらその学生は安心して飲みだした。
勿論僕にも好きなフレーズ見たいなものはあってそのフレーズを聞けば興奮してパブロフの犬の様にいつでも吠えだす。でも興奮したくても毎日は風俗には行かないのと一緒で新しいツボは他人に見つけてもらわなければわからない。だから、分からないものを読み続け、見続け聞き続けている。僕にとって米木はレヴィナスです。