失われた鉄路

今道内のJR赤字路線が廃線にするかどうかが議論の的になっているが1969年まで札幌市内を私鉄が走っていたことを知っている人は尺貫法で自分の体重を言える人だ。11月17日の道新に定山渓鉄道のことが載っていた。その定鉄の豊平駅の近くに中学1年まで住んでいたので懐かしく写真を見た。市電も今の国道36号線を定鉄の豊平駅まで伸びてきて1967年の写真には医大病院行きの市電が写っている。その奥に大きな看板に「トンボ鉛筆」と書いてある文房具屋も写っている。そこでHBの鉛筆を一本単位で勝ったのを覚えている。定鉄にはお世話になった。十五島公園への炊事遠足。ここは上のダムで放水すると水嵩が況して危険という事でよくサイレンが鳴っていた。今考えればそんな危険なところでカレーライスを作った。8割カレーで2割が豚汁だった。ハンバーグなど見たことも食べたこともない時代の話だ。何故かジンギスカンは禁止だった。ジンギスカンは炊事でないという当局のお達しであった。藤野沢へのスキー遠足も定鉄だ。駅からスキー場まで結構の距離をスキーかっいで尚且つスキー靴で登って行った。考えたら家からスキー靴で集合場所・・・・東札幌駅まで歩いて行った。30分の道のりだ。スキー場に行ってから履き替えるという習慣はなかったし学校からも言われていたのかもしれない。勿論リフトなどないし有っても乗せてはくれなかっただろう。ロッヂはあるが子供はトイレの時だけ使用可で食事も外で取った。吹雪くことだってある。そういう時は南極大陸のユンケル皇帝ペンギンのようにずっと耐えるのである。そうなるとスキー遠足と言うよりも軍事教練に近い。50年以上たっても覚えている。定山渓温泉に行くときも定鉄だ。祖父がまだ生きている頃はまだ大家族制の名残が残っていて親戚中が温泉に集まった。スバル360と言う国産の車が初めて出たころで車など持っている人などほとんどいない。豊平峡ダムがまだないころ温泉街から山奥に5キロくらい入ったところに炭酸水が湧き出ている場所があった。中学生の時部活の一環でハイキングという事でそこまで行ったことがある。ハイキングと言うには少々ハードであったが、三ツ矢サイダーが飲み放題という事で頑張った。砂糖やら何種類ものカバヤの粉ジュースを入れて腹がパンパンになるまで炭酸水をもみ続けた。帰りには何本もの水筒に入れて持ち帰ったがほとんど気が抜けて徒労に終わってしまった。定鉄はもともと沿線の豊羽鉱山の鉱物輸送のために開業した鉄道である。その後市民の足となり、車時代の到来で渋滞を巻き起こす軌道の改善を求められ廃業に至った昭和史そのものの鉄道であった。定鉄の写真数枚で貧乏であったが温かみもあった昭和を思い出す。来年は年号が変わる又昭和が遠くなる。