After the rain (M・ルグラン作)

降りやまぬ雨はない。
コロナ禍もいずれ終わる。ペストもチフスもサーズもマーズも一応一回終わった。誰もがコロナ騒動が一日も早く終わればいいと思っている。だが前の生活と同じでいいかどうかは別問題である。今回の事で色々なことが浮き彫りにされた。夜の街と昼の街が区別され、富裕層と弱者が分断され大企業と中小企業が分断され、白人と黒人が分断されアメリカと中国どちらにつくか迫られる。こんなご時世にも中間マージンを抜いて稼ぐ会社があり、そこに勤めることが一流市民の証だと思っている人間がいてその人間が日常生活で自分に都合が良いシステムを再生産していく。香港の事を対岸の火事と思ってはいけない。小さな火種は日本でも起きている。自粛がほとんど命令になり、そこに罰則まで課すという議論が当たり前のようにされたりする。「安倍辞めろ」とヤジを飛ばしただけで道警に排除されたりする。魚は頭から腐る。人間の社会も同様である。洪水が起こればラジオからは一日中「命を守る行為」を促し三密だのソーシャルデスタンスだのを教育勅語のように復唱させられる。小池都知事などは自粛から自衛にと究極の自己責任を唱え出している。国の役目は国民をどう食べさせるかであり行政は市民を守るために税金を集めている。個人でできることには限界がある。
まだ感染者が増加している中で着地点を想像することは難しいかもしれないが思い描いていない社会にならないように意識だけは持っていたい。
カミュが「ペスト」の中でパオロ・ジョルダーノが「コロナ時代の僕らの」あとがきで言っている。人間は忘れやすい。・・・・・・
G・オゥエルの「1984」の世界は限りなく現実に近い。