政治報道とjazz批評

菅総理の国会答弁を聞いていると7年8カ月の間一日二回官房長官会見をこなしてきたとは到底思えない。支離滅裂である。特に蓮舫議員の質疑の時は酷かった。91歳の母親と聞いていた。その母親に「総理困っているね、大変だね」と言われてしまった。
はっきり言ってこの弁舌ではプーチンや習近平と渡り合えるとは思えない。日本人として恥ずかしい。モントルージャズフェスティバルに僕のテンプクtrioが行くようなものだ。この答弁能力は番記者の出来レース的な会見を許してきた政治記者たちの責任と思うのである。
人事については答えを控える。
相手(国、企業、個人)のあることなので控える。
外交上、軍事上の機密にかかわるので控える。
仮定の話にはお答えを控える。
個別、具体の案件についてはコメントを控える。
捜査中/訴追の恐れがあるので控える・・・
いつからこんなⅡ―Ⅴフレーズが流行しだしたのだ。全く議論が深まらない。歯止めをかけなかったマスコミの責任である。訊かれた事にはちゃんと答えてほしい。それがトニックに解決することだ。政治記者の追及が手緩かったのだ。モリカケ・桜他数々の疑惑を言い逃れさせてしまった。
NHKのニュースでは総理のしどろもどろの映像は見事にカットされている。総理と閣僚の無能さと野党の鋭い追及は見せないように編集されている。できれば国会中継そのものを放映したくないはずだ。かつて国会中継をカットして一高校生のドラフト会見を放映していた。公共放送の資格なしだ。
政治報道の劣化が政治の劣化を招く。
同様の事が音楽にも起こる。こき下ろすだけでなく持ち上げるだけではない物言いがあるはずである。それが批評の地平線である。