ローバータ・フラッグ

炉端焼きの店で火力が強くて大漁旗が焦げている店があるよね。これが日の丸だと罰せられるかもしれないのだって・・・・・
こんばんは、はらいちでーす
「火事場泥棒」 どさくさ紛れはいかんね
「送り狼」安心させといてパクッと言うやつね
「当て逃げ」バレなきゃ御の字というやつね
「やり逃げ」いるいる。酔わせておいてご馳走様と観音様に手を合わせるやつね。
「デレイドスチール」だいぶ離れてきたけど、タイミングをずらして次の塁を盗むやつ。
「パッシングデミニッシュ」もうわからなくなってきたけど、大事なコードに行く前の経過音に和音付けするやつね。注意してないと判らないよね
この猫の手だけではなく、ムカデの足も借りたいほど忙しいときに「日の丸の国旗を壊したり汚したりした者に罰則を課す刑法改正」に時間とエネルギーを注ぐ勢力がある。下村博文、高市早苗らの日本会議系国会議員たちである。馬鹿も休み休みにして欲しい。全力を尽くして医療機関への支援策を議論すべきと思う。
この連中が語る「国を守る」の「国」は国民でなく国家の権威だとよくわかる。
1989年の米最高裁の判例がある。その中でブレナン判事は良いことを言っている。「国旗はこれを侮蔑する者さえも保護するのだ。国旗を燃やす自由でさえ認められるときにその国旗の理想は実現されている」というとても凄まじい自由主義を高らかに宣言している。この点ではまだまだアメリカには敵わない。
村上春樹の短編小説に「蛍」と言うのがある。正体不明の財団が運営している寮で生活している主人公の物語である。その寮は君が代と共に国旗掲揚をする儀式で一日が始まる。村上春樹の言葉を無断借用する。
『どうして夜の間に国旗が仕舞い込まれてしまうのか僕には良く分からなかった。夜なかにだって国家はちゃんと存在しているし多くの人々は働いている。そのような人々が国旗の庇護を受ける事ができないのはどうしても不公平であるような気がした。でもそれは別に大したことではないのかもしれない・・・・・以下略』
村上春樹はさらっと国旗に象徴される国家の共同幻想の事を述べている。
この小説を読んだときある事件を思い出した。高校一年の事である。宿泊研修と言う名目で大雪青年の家に連れて行かれた。そこの一日も君が代と国旗掲揚で始まった。翌日全生徒の非常招集が掛かった。国旗を隠した輩がいると言う事であった。今返却すれば不問に付すと言う条件が出たが名乗り出たものはいなかったはずである。
翌朝何事もなかったように国旗が掲揚された。
ギターリストは替えの弦を持ち歩ているし青年の家は替えの国旗は用意していると言う事である。