銀座の時計店で白昼堂々の強盗事件が有った。容疑者4人は既に逮捕されている。事件の背景、4人の少年たちの生い立ちなどはまだわかっていない。社会的問題を内包する事件なのかもしれないがどうでもいいことで気になることが有る。箸休め的に書いておきたい。サラリーマン時代勤務地が銀座であったことが有るのでこの時計店の場所は分かる。通り合わせた通行人が撮ったとみられる動画を見た。仮面を被った犯人グループがバールのようなものでショーケースを叩き割り商品をズタ袋のようなものに詰めている。被っている仮面がS.マックイーン主演の「華麗なる賭け」に似ていた。映画での犯人はS.マックイーンが集めた人間でそれぞれは面識がない。銀座の犯人たちも当初お互いに面識はないと言っていたが一人を除き知人であった。ショーケースを割って強奪するシーンはルイ・マル監督作品、J.Pベルモンド主演で「パリの大泥棒」という名作に似ている。「泥棒は証拠を残さないほうが良いが俺はそういう姑息なことはしない」みたいなセリフがある。ケースを割る時も家のドアーを壊すときもバールの様な物を使っている。主犯格はこの2本の映画を見たのかもしれない。そんなことないやろ・・・と言われるかもしれない。「確かに事実はない。だが可能性は否定できない」・・・維新の梅村みずほ議員から教えてもらった。
どうでもいい事の本質に入る。立川志の輔の新作落語に「バールの様な物」というネタが有る。窃盗空き巣などでドアが壊されたり金庫がこじ開けられたりするとき使われる道具は必ず「バールの様な物」なのである。この「のようなもの」とはどういう時に使われるかという問題だ。鯛の様な味の蒲鉾・・・鯛の味の様な鯛・・だとおかしい。グリコ事件でもあった。狐の様な目をした犯人・・・狐の目をした狐・・そんなのあたりまえだという話になる。と言う事は「…のようなもの」という表現はそのものではない時に使われる。だからバールのようなものはバールではないことになる。その予備知識をもってこの事件動画を見る。ショーケースを割っている道具は誰が見てもバールである。
道新の記事では車の中から被害品の腕時計や強盗で使われたとみられるバールのような物が押収されたとある。落語の中で与太郎がご隠居に聞く。何故バールのような物何ですかね・・・隠居は答える。「見ていなかったからじゃない」
この記事を書いた記者も動画を見ていないらしい。
付記
この落語の落ちは与太郎風の主人公が奥さんから頻繁に行くスナックのママと出来ているのでは詰め寄られる。「あのママは貴方の愛人だね・・・」絶体絶命である。「のようなもの」はそのもではないと隠居から教わった与太郎は「いや、違う愛人の様なものだ」と答えてしまう。お後がよろしいようで