2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
井上祐一(p) 粟谷巧(b)田村陽介(ds)
 今年に入ってからピアノトリオが面白い。2月のキム・ハクエイ・トリオはスタンダードに新鮮な解釈が試みられており飽きを寄せ付けなかった。今月(3月)の11周年での大石学トリオは自己の美学を追求する強固な姿勢に感服した。今回の井上祐一トリオはジャズのエッセンスをバップとその継承に見出していることがストレートに伝わってきて、つぶやくとすれば、“ああ、こういうのっていいなぁ”ということになる。バップは、録音仕様で云うとモノラルな感じで、近年の高音質とは無縁の格好よさがある。筆者がジャズを聴き始めたころのピアノトリオとは、ビル・エバンスではなくバド・パウエルだった。何やら毒気が充満しているが、あちこちで新たな音楽の芽が吹き出している様子を想像することができる。あの時代は再現できない熱気に溢れていて、にスリル満点だ。ここで余談だがH・シルバに“ピース”という名曲中の名曲がある。この曲を聴くと熱いシルバと一致しない思いが募り、どうしてもこの違和感から自由になれない。
 ところで、あの時代・バップの時代とはよく言うが、実はよく分からない。手掛かりとして、ダンスと切り離せなかったスイング時代から脱出するエネルギー噴出の時代と考えれば少し楽になる。このトリオの演奏曲を紹介しよう。「ヤードバード・スイーツ」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」、「ウッディン・ユー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「ブルー・モンク」、「スリー・タイマー」(MCによれば、パーカー、モンク、マイルス風を詰め合わせたオリジナル)、「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、映画“ラウンド・ミッドナイト”で演奏された「ワン・ナイト・ウィズ・フランシス」、「ティー・フォー・トゥ」「スター・ダスト」。楽しいライブだった。
 今回はバップ本流を聴くことができた。B・ディランの曲で、K・ジャレットも演奏していた『マイ・バック・ペイジ』という曲がある。つられて私個人のバップ・紙片を読み直すことになった。
(M・Flanagan)

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4
2016.3.2 大石学(p) LUNA(Vo) DUO
数年前にLBでDUOライブを果たしたことのあるこの両者は、それぞれ毎年札幌にやって来る。筆者は、LBでの大石は殆ど、LUNAの時はすべて聴いている。このことは自慢であったが、最近は幾分プレッシャーになっている。開演前、LUNAから前回のレポートを読み直したと聞かされた。残念ながらHP消失のため筆者自身断片的にしか覚えていないが、選曲のすれ違いを書いたと記憶している。ミュージシャンの選曲と客の聴きたい曲の微笑ましい不一致だ。今回は「ペシャワール」を聴きたかったお客さんハズレ。
このDUOの開始は、大石のソロからLUNAが加わる構成で、大石のソロは多分オリジナルだと思われる。1日が12時間しか刻まない重たい冬のイメージだ。最後の方で僅かに陽が差し、床板がそれを拾っていた。LUNA登場。舌を噛みそうになる高速発音に舌を巻いた「Joy・spring」。本人が空想に舞う「夜空のかけら」。圧巻のヴォイス・コントロール「エブリシング・ハプン・トゥ・ミー」。お馴染み「マイ・フェィバリット・シングス」に映画のフォントラップ・ファミリーが浮かんだ。そしてゴスペル風の曲で1部終了。後半は大石のソロに続き、しっとりうっとりの「マイファニー・バレンタイン」。吉田美奈子作「時よ」でどんどん時を駆け抜け、個人用タイトル「百年の恋」までたどり着いたが、この曲を今しばらくは忘れられない。最後の2曲は完璧に読みが的中。「ナチュラル」そして「諸行無常」だ。自然発生のStanding・ovation、こちらはLUNAの読みが的中しただろうか。彼女は丁度半年後の9月、11.5周年記念に再び来るので宣伝しておく。
2016.3.3 Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
近年の大石は歌ものやSOLO 、DUOが中心と決めつけていたので、このトリオのCDを聴いた時はかなり新鮮な感じがした。そして本日。「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、大石オリジナルの「ポインテッド・デザート」、「クワイアット・ラバーズ」、「ネブラ」などJust-tioと過去の作品収録曲を交えてピック・アップされていた。後半は、大石オリジナルと思われる曲の後、オフのLUNAが来ていて2曲飛び入り、「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」と札幌スタンダードの「ローンズ」、ボーナス・トラックが花を添えたことは喜ばしい。再びトリオの世界に戻ると、「ウェルス」、「フラスカキャッチ」、「ピース」、「マイ・ワン&オンリー・ラブ」と一気に畳みかけて行った。いつも思うのだが大石の低音部の使い方は重層的で素晴らしい。札幌初登場のドラマー則武は、出過ぎないことを自意識の核にしている印象で外連味がない。名曲「ピース」を初めて聴いたのは、およそ10年前大石・米木・原のトリオによるライブで、その後何度か聴いているが、この曲には大石の感受性が究極まで掘り下げられた魔物がいて、聴く者を釘付けにしてしまう。これが心に来ない人はきっと間違った生涯を送るのではないか。
 先日、テレビに出ていた僧侶の話によれば、仏教の信仰には“信仰しない”という概念が含まれており、他の宗教と比較して際立った特異性があるとのことだった。音楽(演奏)も感動する・感動しないを含んでいるとして、11周年は見事に感動の側に振れたが、ここには何ら特異性はない。一呼吸おいて余興が始まりそうになった。余韻に逃げられないよう慌てて店を出た。
2016.3.4 鈴木央紹(ts)with Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
「?」「?」「?」曲名が思いつかぬ3曲の後、ガレスピーの「グルーヴィン・ハイ」であっという間に前半終了。思索的エモーションの強い大石と淀みないエモーションが怖い鈴木の双頭カルテット、非常に貴重な組み合わせだ。こういう編成の大石を想像しづらかったが、管とやる時のあり方を完全消化していることが分かった。抑える所と露わに絡む所がダイナミズムを発生させ、絶妙のスイング感を提供する。鈴木は直前まで大石がリーダーと思っていたらしく、どう乗っかるかを考えていたようだが、本人がリーダーと知らされ咄嗟にアイディアが湧いていたようだ。横道にそれるが、昨年の10周年はリーダーが入れ替わり立ち代わりのリレーゆえバトンを落とすハプニングもあったが、今年は秩序意識が高い中で進行した。後半もレギュラー・ユニットさながらの演奏が展開された。「マイルス・アヘッド」のなんと心地のよいことか。10日ほど前に仕上がったという大石作「レター・フロム・トゥモロウ」を終えた後、鈴木は“こういう美しく正当な進行の曲だから演奏中に頭に入ってしまった”と言っていた。難曲を難曲に聞こえさせない超実力者の鈴木ですら、奇抜なコード進行の曲は必ずしも歓迎していないことを知って少し安心した。佳境に向かって演奏されたミンガスの「デューク・エリントン」に捧げた曲では作者の分厚い曲想に酔が回ってしまった。常時LBの指定席が用意されている米木さんは、勿論、アニバーサリーの固定ミュージシャンである。異論を蹴散らして言うと鈴木と大石のバランスを絶妙に仕組くんだのは米木さんだ。LBではミュージシャンが幾つかの名言を残しているが、ある高名なドラマーが言った「米木さんがいれば何とでもなる」というのもその一つだ。シンプルだが真実を言い当てている。来場者の多くがLBはミュージシャンと客との距離が近いと言う。ついに世界有数のライブ・ハウスの仲間入りをしたか?今回ライブを聴いたのは3月の2、3、4、そしてDUO・TRIO・QUORTET。大石学2・3・4。
(M・Flanagan)

メビウスの鳥

2月2日蜂谷真紀(voice,p)ユーグ・バンサン(cello)小山彰太(ds)
完全インプロの2ステージと言うとしり込みする人が多いかもしれない。だがそのプリミティブなサウンドは音楽がまだ形式を獲得する前の祝祭的な喜びに満ち溢れている。蜂谷のvoiceは世界をそしてあらゆる時代を自由に駆け巡る。その言葉は聴いたことのないどこかの言語に聞こえる。小山も言っていたが山下洋輔trio時代の坂田明が開発したハナモゲラ語とも違う。メロディーに合った音韻が瞬間的に選ばれている。まだ言語が生まれる前の音が意味を持つ瞬間を再現しているのかもしれない。ユーグのエレクトリックチェロはクラシック、ロック、民族音楽のあらゆる要素をもって蜂谷のvoiceを捕まえようとする。その捕り物を小山のドラムが祝福する。
お客さんは少なかったが僕が心づくしの事をすると打ち上げで蜂谷がお返しをしたいということで弾き語りでI’ll
Be seeing youを歌っくれた。お洒落な店で歌姫的なことは全く経験がないということであったが凡百な歌い手が足元にも及ばない歌唱力であった。ユーグもユーモアセンスのあるフランス人でトム・コーラを聴いてから音楽観が変わったと言う。ジミ・ヘンみたいな瞬間があったというと喜んでいた。東京での蜂谷のレギュラーグループは松島、類家の2tp,珠也のドラム、ベースは失念したが面白そうな組み合わせだ。だが呼ぶまでは僕も根性はない。東京まで聴きに言った方が安上がりだ。今回のライブで2回日になるが小山から蜂谷を紹介されたときどういう人と聞いた。
「明るい,気違いかな」が答えで、実際その通りであった。ユーグにはお前の発音はなかなかいいとポメラニアン。
「また会おう」と約束をした。それまでにはジャン・ギャバンの物まねをできるようにするぞ!

ライブ短評

1月20日、21日松島啓之quartet
松島啓之(tp)南山雅樹(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
松島は伝統に根ざした一流のインプロバィザーであることには間違いない。米木と珠也をバックにどこまで違う領域まで行ってくれるかが聴き所だ。松島のプレイは何時にもましてキレがあってスピード感がある。そういう気持ちにさせる米木と珠也はほんとうにすごい。世界有数のリズムセクションだと思っている。はっきりいって曲はもう関係ないので省略。当日隣の席に小山彰太さんがいて珠也の凄さを生で解説してくれる。「珠也のレガートはスティクとシンバルが同時になっている。すごいな」禅問答に近いが解かる人には解かるのであろうな・・・・・。拍手したときに右手が鳴っているか左手が鳴っているかは僕にはわからない。

1月26日室内梨央g
梨央は社会人のボーカルだが音程もよくないしリズムもよくない。声量もない。ボーカルにとってヘレン・ケラーのような三重苦を背負っているが妙に印象に残る。祇園精舎の鐘の声ではないが何か儚いのだ。秋の終わりに一鳴して一生を終えるマツムシのようだ。どうか進化などしないでそのまま歌ってください。お客さんで「もっとアクションをつけて体で表現して・・・」みたいなことをおっしゃっている人もいたが辞めた方がいい。ブスの厚化粧になる。

1月27日奥野義典quartet
奥野義典(as)板谷大(p)柳昌也(b)舘山健二(ds)
前回同様全曲ミンガスの曲になった。もう、カルビいりませんと言う位油っこい選曲。4人とも札幌の名だたる職業音楽家、水も漏らさぬ演奏だった。だがふとミンガスの曲をミンガスサウンドでないもので聴きたいと思わせる何かがあった。

1月30日
中島弘恵(p)大久保太郎(b)
この日の選曲はタンゴとjazzが半々くらいだった。弘恵のピアノは切れがいいのでタンゴに向いているとは前から思っていた。タンゴのを表現するのにも色々な手法があるのであろうが、僕はピアソラの様にjazz的は手法があるものにより惹かれるので曲の再現だけで終わられるとちょっと拍子抜けになるときがある。

お導き

甘利大臣が辞職した日、店は久々の通常営業だった。八時過ぎ一人のお客さんが来店した。今月は9割がライブになってしまったのでライブ目当てのお客さんかと思い「今日はライブない日ですがかまいませんか」とことわった。「ええ構いません」といい席に着く前に奥のスピーカの方に歩いていった。時々いるオーディオマニアでスピーカーの機種でも見に行ったのだと思った。壁に貼ってある臼庭の写真を見て「同級生なんです」という。
ええ!とおもった。まあゆっくり話しましょうといって臼庭のライブ音源をかけた。Sさんは期限付きの札幌出張で今春には札幌を離れる。家もlazyのご近所で何度となく前を通っていたらしい。久しぶりで臼庭のライブを見に行こうと思って調べているうちに臼庭が亡くなっている事を知った。いろいろ調べていくうちにlazyにたどりついたということだ。ご幼少の臼庭の話を聴けるかと思い牛さんに連絡すると来るという。そうこうしている内に10年ぶりで札幌に帰ってきた常連キャノンボールも来て臼庭の話で盛り上がる。僕らが知っている豪快だが繊細で真面目だがひょうきんな人柄は中学のときからだという。仲間内では小松政夫に似ているといわれていたらし。そういえば昔ディズニーランドで小松政夫に会ったということで嬉しそうに2ショットの写真を送ってきたことがあった。その写真も披露した。その時は小松政夫もディズニーランドに行くんだと軽い衝撃を覚えたことを思い出した。高校時代にも何かのコンテストで最優秀賞をもらったらしい。音楽仲間内でも図抜けた存在であった。このことは時々忘れがちであるが今音楽の一線で活躍している人は皆ご幼少の頃から図抜けた存在であるものだ。だが臼庭にはそう感じさせない人柄の何かがある。山野big bandコンテストで最優秀ソロイストをとったことがあると聴いた時も思わず「嘘だろう」といってしまった。池田篤がとったのは知っているし当然とるだろうなと思う。臼庭がlazyでよく聴かせてくれたご当地引用フレーズは山野のコンテスト向きではないからだ。本田珠也も言っていたが「そういう事やるのはここだけでなないのか」と・・・・・・・・・。昨年臼庭のメモリアルコンサートで珠也のMC「天才、臼庭潤」と言うせりふが気になっている。臼庭の音を聴きながらこういう時臼庭ならこういう駄洒落いうだろうというなと実際名作ができたのだが一晩経つと全く覚えていないのは残念だ。
Sさんも言っていたが「遇然の巡り会わせというのはそんなにそんなにはないです。自分は二回目です」と言っておられた。Sさんが休みで、店がライブなしの通常営業、常連二人が来れる日に臼庭が引き合わせてくれたのだと思う。こういうことがあるから暇な店でもやめられない。今日は何かいいことがあるかもしれない。占いを見たら金運がいい。そういえば予約が一人入っている。
庶民の金銭感覚とはそういうものです。甘利さん。

反省の弁

反省の弁
一月も終わろうとしているのにこんなせりふも恥ずかしいのだが「あけましておめでとうございます」おお、恥ずかし。今年は年賀状も出さず、HP上の年始の挨拶もできずに終わってしまった。年末にかけて原因不明の水漏れ事故に悩まされレコードを避難させたり、溢れる水をかき出す日々でありました。カウンターにバケツを置いてライブをこなしたこともあった。解決したのが大晦日のことであり何とか正月は寂しいながらも雑煮を食べ、水難事故以外の初夢を見ることができた。そんなことにかまけているうち通信関係のトラブルでまたHPが更新できなくなり一部のお客さんからはとうとうlazyも終わったらしいという噂も流れた。ご安心ください。こちとらjazz界のゾンビなので死ぬことはありません。舞い戻ってくるぜ。ゾンビがくるりと輪を描いた。
閑話休題
トンビで思い出したのだが村上春樹の「ダンス、ダンス、ダンス、」でイルカホテルの窓から外を眺めていると鳶が飛んでいる描写があった。英語版ではただbird、フランス版では鳶を意味するmilanになっていた。ということはアメリカでは鳶は一般的な鳥ではなくフランスでは一般的だということになる。それとmilanはイタリアのミラノのスペルでもある。鳶と関係あるのだろうかという疑問もわくがこういうことを調べると時間がどんどんなくなる。知っている人がいたら教えてください。
本題に戻る。
昨年も親しいミュージシャンが何人かなくなり、その代償ではないがめったに合えない友人と常連の人も交えて再会を果たせた。長くやっていることへのご褒美なのだと思う。
今年もやりたい音楽をやれる環境を整えそれを聴きたい人に、あるいはまだ聴いたことのない人に届ける触媒為らんと努力したいと思っている。多少体力も落ちて、髪も白くなってきたがまだまだ誰かのため何かをする気概だけは残っている。ご指導、ご鞭撻、ご贈収賄よろしくお願いいたします。

2015.11.13 Eri the greatest 大野エリ(vo)若井優也(p)

2015.11.13 Eri the greatest
大野エリ(vo)若井優也(p)
  Live at Lazybirdでのエリさんは、毎回キャリアの集大成のような実力を見せつけてきたが、今回は極め付けというか、期待以上の期待を更に飛び越した感じだ。彼女のトータルな力量が余すことなく伝わってくる。壮麗なヴォイスが会場を呑みこんでいく。その流れに浸るだけで、他はいらない。ジュリーではないが、時の過行くままにこの身を任せてしまった。“前回も良かったけど今回はもっと良かった”というライブ後の感想は、満足の度合いを端的に示すバロメータである。それは前回の評価を低めるものではなく、今回ますます手応えを感じたということであり、ライブはいつもそうあって欲しい。その日その日ライブに足を運ぶお客さんは、何らかの狙い目を付けてやって来るので、それぞれに満足を持ち帰りたいのだ。
エリさんは中盤ぐらいまで会場が盛り上がっていないように思っていたらしいが、威圧感すら漂うような歌唱に一同聴き惚れていたというのが真実だ。そして呪縛が解けていく後半は大盛り上がりになって行ったのだった。この日は若井とのデュオだが、ニュー・リリースの“How my heart sings”には、ベースのバスター・ウィリアムスとドラムスのアル・フォスターというレジェンドが加わっている。その中から「アイム・オールド・ファッションド」、「コンファメーション」それにアルバム・タイトルから「ハウ・マイ・ハート・シングス」がピック・アップされていた。このほか「ジャスト・イン・タイム」、「ブルー・イン・グリーン」、「ワン・ノート・サンバ」、「イン・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」などエリすぐりの全15曲。ときめきを運ぶその声は今も耳に残る。随分前になるが、モハメド・アリの伝記的映画に付けられた題名は、“アリ・ザ・グレーテスト”だったが、来場者ひとり一人の“How my heart sings”に対応するのは“Eri the greatest ”だ。
(M・Flanagan)
 

2015.10.16-17 リスペクト・イン・ジャズ

池田篤(as、ss)本山禎朗(p)北垣響(b)伊藤宏樹(ds)
いま池田は尊い活動を行っている。共演歴が長く、また、多くの影響を受けてきた辛島文雄さんの闘病生活を支援するため、2013~2014でのピット・イン・ライブを1枚にまとめたCDを自主制作し、この購入を広く呼びかけている。既に1000枚を突破せんとし、更にオーダーが増えているという。筆者も手に入れたが素晴らし演奏が詰め込まれている。詳細は池田篤のウェブサイトで確認のうえ是非とも協力して頂きたい。標題は池田に敬意を表し、ジャズ批評家の油井正一氏による昔のラジオ番組「アスペクト・イン・ジャズ」から拝借した。
 さて、池田は3月に続き今年2度目の登場になる。前回はバンマス・ジャックに巻き込まれながらも堂々と人質を務め、懐の深さを見せつけたのが記憶に新しい。今回はメンバー構成から言って、事件と事故の両面ともその可能性がなく、安心特約付きライブだ。ここで池田聴き歴をまとめると、何でもできる池田の時代から池田にしかできない池田の時代になったという感慨に尽きる。近年の楽しみは二つあるが、一つはバラードでの胸中から滲んでくる音、もう一つはあたかも後ろにオーケストラがいるかのような圧倒的なドライブ感だ。
演奏曲を羅列してみよう。モブレーの佳曲「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、不思議な天才ショーターの「ユナイテッド」、池田が影響を受けたというC・マクファーソンの「ナイト・アイズ」、同じくJ・マクリーンの「マイナー・マーチ」、歴史的名演を持つ「ラバー・マン」、ショーターの友人が書いたという「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しいという意味らしい)、黒い情念マルの「ソウル・アイズ」、選曲される王者モンクの「ティンクル・ティンクル」、池田のみが演奏を許されている「フレイム・オブ・ピース」、3月にリクエストしたのが奏功したか分からないがスリル満点の「インプレッションズ」、怪しさ漂うバラード「ダーン・ザット・ドリーム」、最早我らのナツメロ「パッション・ダンス」、辛島さんに捧げた直訳風タイトル「スパイシー・アイランド」は未開が覆うモンスターな島の物語だ。最後はブルース、イントロで池田は「ドナ・リー」やら「ホット・ハウス」やら「コンファメーション」やらを散りばめた長尺ソロで場内制圧、その終息と同時にルーズなテーマに突入。このくだけた極楽とともに幕がおりた。また、バック陣の奮闘ぶりも好ましく、彼ら多量の発汗によって立派な“ほっちゃれ”になっていたようだ。
 余話一つ。LBには付属施設としてジャズ幼稚舎という家柄を問わないバンドがある。諸事情から札幌を離れた連中が心の故郷と慕うLBに時折顔を出す。この二日の間、カナダからマークが3年ぶりにサプライズ来場、首都圏からサックス主任S名とスランプ対策係長H瀬、その他行方不明中の人物も姿を現していたようだ。そこに数名の固定メンバーが出迎えていた。いい光景ではないか。
(M・Flanagan)

2015.9.25 スズキの四人駆動

2015.9.25 スズキの四人駆動
鈴木央紹(ts)南山雅樹(p)北垣響(b)竹村一哲(ds)
昨年の鈴木のレギュラー・カルテットによるライブは、非の打ちどころのない見事なものだったが、その完成度の高さに少し割り切れなさを覚えたとレポートした。それは、多くのファンの思いを代表するものではないが、何でもできてしまうが故に計算済みに聞こえることに対しての印象からだ。そうした昨年のことを思い起こしながら、今回のイレギュラー・カルテットを聴いた。相当楽しめたというのが率直な感想だ。勿論、その立役者は鈴木である。湯水のごとく湧き出るその創造性に、いつしかS・ゲッツを思い浮かべていた。彼の圧倒的タレントは我が国のレベルの高さを立証するものである。加えてリズム・セクションも気心知れた連中で固められており、自らの持ち分をぶつけて鈴木と向き合う姿勢は非常に好感が持てるものであった。本日ここに、スズキの四人駆動が足回り抜群なことを晴れ晴れと認識した次第である。レギュラーとイレギュラー問題については、別の機会に回すことにするとして、当分の間、余計なことは言わない方が得策と判断した。演奏曲は「チチ」、「アイム・オンリー・スマイリング」、「タイム・フォー・ラブ」、「エンブレイサブル・ユー」、「パブリシティー」、「フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」など。なお、鈴木は来年3月のLB11周年記念ライブに大物の一角として出演を果たすそうである。天災は忘れたころに、天才は忘れる前にやって来る。
(M・Flanagan)

清水くるみ(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)

2015.9.18-19  Cool-me or heat-me 

 くるみさんは、多様な音楽経歴の持ち主だが、札幌おいてその名はZEKのピアニストというに尽きる。ZEKはツェッペリンの曲のみ演奏するバンドだが、ロック・スピリトをジャズ変換させる猛烈なエネルギーによって、特異な魅力を獲得していることはご存知のとおりだ。今回は“珠抜き”につき、ZEKにはないsomething elseを期待している。そこで気になるドラマーだが、ドラムがなければ絶滅危惧種と言われている伊藤が起用されたことは興味深い。また、あらかじめ情報としては、スタンダード及びその周辺曲が採り上げられるとのことだった。オープニングは「ハンプス・ブルース」、これは“Hampton Hews trio”に収録されている曲で、私事で恐縮だがジャケット写真を待ち受け画面に拝借しているので意外なところで納得。「プレリュード・トゥ・ア・キス」のあと、くるみさんが、決意表明のように予定していなかった「サーチ・フォー・ピース」(リアル・マッコイ)を演奏すると宣言。我が国がルール放棄したこの日に対する1個人としての抗議が込められていた。ファラオ・サンダースの「プリンス・オブ・ピース」も同じ思いが意識化されていたのだろう。それにしてもピアノが飛び切り鳴っている。「タンジ゙ェリン」、「ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」、「ノーバディー・ノウズ・ザ・トラブル・アイブ・シーン」、「酒とバラの日々」、「ラッシュ・ライフ」。旋律をたじろがせるかのように鳴り響いている。どういう訳か最後の方で“月”に因んだ曲を演奏すると前置きがあり、「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」、この曲は軽妙で洒落た演奏しか聴いたことがなかったが、くるみさんのは天体的衝突のようなハード・ジャズだった。続いて、菜のは~なばたけぇに、曲名「おぼろ月夜」を思い出すのに苦労した。そしてR・カークの「レイディーズ・ブルース」を以て二日間に幕。
やたらに鳴るくるみさんの音が気になっていたので、感覚解説の達人米木さんにZEKの時とは違った力強さを感ずる旨を伝えたところ、“くるみさん気持ち良くやってるね”、巨匠らしいまとめだ。ある時は大人心に冷静さを授け、またある時は熱くダイナミックな演奏が提供された。Cool-me or heat-me。快心の演奏に触れた清々しさ、清水くるみさんを改めて認識するのにZEKKOUのライブだった。一つ加える。入魂の演奏をした伊藤に心から拍手を贈りたい。
(M・Flanagan)