After you’ve gone

この曲名を聞くと想い出すのはルイ・アームストロングの歌声だが今回はにっちもサッチモ行かなくなった枝野幸男氏が立憲民主党の代表を辞める事に思いを馳せた。政権交代の可能性もあった衆議院選挙で議席数を減らしてしまった責任を取る形になった。連合の圧力が掛かり共産党との連携がいまいち上手く機能しなかった。最後は「どうした枝野」と言いたい場面がいくつかあった。だが立憲民主党を立ち上げた時の大演説は今でも覚えている。あの思いを継いでくれる代表が選ばれてくれることを願っている。維新と手を組むのは絶対にやめてほしい。公明党が公約にした「18歳以下に10万円の給付金」の法案を無理くり通そうとしている。二つの理由で反対である。公明党は連立与党である。こんな法案やる気になれば臨時国会を開きいつでもできたことである。敢て選挙公約にした。戦国時代の手柄を立てた者への報奨金と変わりがない。そして「独り者」への税金と言う側面が見えるのである。
政府はマイナンバーカードの普及に躍起になっている。コロナ感染拡大への経済対策と位置付けているが必要性も合理性も乏しい。差し出す情報によってポイントが付くらしい。カード取得、所蔵LP枚数の登録、健康保険証として利用、預金口座との紐づけ・・・レベルが上がるほど支給額が積み増しになると言う。こうなるとおひねりの多寡によって脱ぎっぷりが変わる温泉街のストリッパーと変わりない。信用できない大人に付いて行ってはいけませんと母親にきつく言われていた。今でも守っている。中国の民衆監視体制に費やしている費用は国防費に匹敵する金額になっている。日本もその一歩を踏み出している。

選挙戦watching 4

政権交代は無理かと思っていたが予想以上に厳しい数字であった。
比例票は「自民+公明+維新=3500万票」、「立民+共産+れいわ+社民+国民=2141万票」。従来通り、概ね3:2。この比率はそんなに変わることない。そして投票率5割台である。ここが変わらないと永久に政権交代はない。石原伸晃氏が落選した東京では投票率61%であった。投票率が上がれば風が吹く。共闘が旨く行って投票率が高い地域は野党勝利あるいは善戦と言う結果になっている。枝野代表が連合に脅されてへっぴり腰になってしまったのが今後の野党共闘に影を落とすことになりそうである。マスコミでは野党共闘が失敗であったというデマが頻繁に流されている。地域によっては成果が出ている。市民レベルの共闘も選挙期間中にいくつか実現した。共闘を怖がっているのは自民党だからである。このマスコミのていたらく。若年層の投票率が30%その40%が自民党支持と言う数字が出ている。これだけ仲間内に利益を誘導する政治が続くとそれを拒否するより上級国民の階層に入り楽した方が賢いと思うからであろう。それが続くと確実に国民の質は落ちる。選挙のたびごとに自分はいかにマイノリティかと言う事を思い知らされる。尚且つジャズと言うマイノリティの音楽にもどっぷりつかってしまった。下下下の与太郎状態であるがなんとか生き延びている。

2021.10.29-30  壺阪健登3 スリリング・イズ・ヒア

壺阪健登(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
壺阪も毎年の顔になってきた。ブッキング基準については知らないが、少なくとも聴く気をそそることが真ん中あたりに位置しているだろうことは容易に想像がつく。では聴く気をそそるとはどういうことだろう。私たちには、日頃の煩わしい用向きから離れたいときに、気分を鎮めたり発散させようとしたりといった心理が働く。そこに音楽が待ち構えていることもあるだろう。けれども人がどのようなシチュエーションにいても、音楽はそれとは独自して成立している。そうとは言え、個々人のシチュエーションが音楽に潤いを期待するのは勝手な話だとしても、それを許容できることは音楽自体が決して敗北しない理由の一つであろう。どしてこんな問答を持ち出したのかと言えば、多くの音楽家が“何故音楽を演るのか”という問いに“音楽が好きだから”という平凡な答え以外は案外何も見いだせていないらしいことによる。“それが好きだから”という答えは平凡だが、音楽家もリスナーもそれを肯定的に受け入れているようにみえるのは、どう振り回しても否定しようがないからとしか言い様がない。平凡こそ長持ちの秘訣なのだろう。前置きが長くなってしまった。それでは本編へ。今日のメンバーはブッキングに相応しい聴く気をそそる連中といっていい。彼らは定期的に演奏してはいないが、夫々の個性についてはこれまでのLBライブで確認済みだ。壺阪についてはK・ジャレットを連想するとの声が聞かれる。筆者もその一人であるが、とりわけ長めのエンディングに向かってグルーブを引き出す構成力において、実際に教えを請うたような感じすらする。そこに壺阪がいまやっておきたいことがあり、その意思は十分伝わって来るのである。ドラムスの西村はやや間隔をおいての出番となったが、久しぶりの彼は、持ち前の男盛りの勢いを堅持しながら、繊細さが一回り磨かれていたように思う。時の鼓動が彼をして着実に前進せしめているのだろう。そして若井俊也だ。初めて聴いた時に感じた可能性から時を経たいま、このベーシストの手腕は計り知れない域に達している。ドライバーを何本持っているか知らないが、甘いネジの絞めどころが見つからない。このトリオの要たる若井はもはや予測より遥かに早く王道を歩んでいる。ここで迷いながら架空の話をするが、ライブ教習所のテキストには冒頭こう書かれている。安全運転は最大の法規違反である、と。先に平凡は長持ちの秘訣と言ったが、一発勝負のライブ演奏にそれは当てはまらない。彼らの生演はそれを証明しつつ走り過ぎて行った。演奏曲は「Tones For Joan’s Bones」、「Good Morning Heartacke」、「Mirror,Mirror」、「Little Girl Blue」、「Up On Cripple Creak」、「Come Rain Or Come Shine」、「Morning Morgan Town」「Delaunay’s Dilemma」、「Smoke Get’s In Your Eyes」、「Bye Ya」、「East Of The Sun」、「Boplicity」、「I Could Write A Book」、「It’s Easy To Remember」、「U.M.M.A」、「Of Course,Of Course」、「For Heaven’s Sake」、「Four in one」、「Shainy Stockings」。スタンダードからR・ロバートソン、J・ミッチェルまで壺阪の選曲マジックがこのライブに一層花を添えた。JAZZ無党派層の筆者はウグイス嬢になり代って連呼しよう、「壺阪、壺阪健登をお願いします」。
寒さ深まる当節はスプリングにあらずだ。標題は彼らの白熱パフォーマンスを讚え“スリリング・イズ・ヒア”とした。
(M・Flanagan)

選挙戦watching3

ライブ前の時間なので詳しいことは書けない。甘利明 幹事長の選挙演説である。
「私は日本を率いてるという自負があります。私がいなければ日本が立ち行かないという自負もあります。でもそれを共有してるのはごく一部です。経済界は全員わかってますよ。関係官界もわかってますよ。優秀な教授陣は全部わかってますよ。でも世の中の人はほとんど分かってないんです」
この発言をどう判断するか。審判を下してほしい。

選挙戦watching 2

10月6日までは自民党単独過半数か・・・との見出しが大手新聞の一面を飾っていた。ああいう記事が出ると選挙に行く気がしなくなる人が出る。僕も落胆した有権者の一人だ。一昨日のNHK7時のニュースでは選挙関係は主なニュースの6項目の4番目であった。昨日7日は主なニュースの6項目から選挙関係が無くなっていた。日本の将来を決める重大事項のはずなのに国民の関心を呼ばないように番組編成がされている。NHKは政府広報と化している。ところが潮目が変わってきている。新聞報道も野党善戦の記事が多くみられるようになった。アンケート調査のサンプル抽出方法に各社が疑問を持ったのではないかと思っている。2,3割あると考えられている不動票の行方が繁栄されづらいからである。麻生副総理の温暖化で北海道のコメが旨くなった・・発言には呆れる。大物自民党議員山崎拓氏が辻元清美候補の応援演説をしたことで自民党内でも物議をかもしている。各地で自発的な野党共闘が生まれている。流れが変わってきている。自民党は共産党を叩くしかない戦術である。投票率が上がれば勝てる希望がある。
僕は支持政党をもたない。ただ最低民主主義を守る人に日本の将来を決めてほしいと思うのである。
追記
今日から壼阪健登と若井俊也も来てメインイベントの二日間である。昨日は西村匠平が学生に交じって素晴らしい演奏をしてくれた。内容とは裏腹に集客は厳しいものがある。是非トピュク欄もご覧の上ご支援を賜りたい。

ライブ持続化CDR販売vol9 壼阪健登

緊急事態宣言は解除になり通常営業が可能となったが冷え切った男女関係のように客足は元には戻らない。そんな中、通常営業最初の大催しが壼阪トリオをメインにする7daysになる。休業補償金を原資とし経済を回すべく月一回の博打興行を敢行している。そうは言ってもいずれ弾は尽きる。ワクチンを打つつもりで早めのご支援を賜りたい。
壼阪を初めて聞いたのはまだ慶応の学生時代だ。今まで若くて上手いプレイヤーは何人も聴いている。壼阪の場合は鉱山でダイヤモンドの原石を採掘していたらティファニーですぐにでも販売できるダイヤの指輪が出てきたという感じであった。こういう経験は35年前初めて池田篤を聴いた時以来だ。兎に角音色が美しい。その美しい音色でアイラーの「ゴースト」をやったりする。アンジェリーナジョリーがスパイになってアクションシーンを演ずるようなものである。その一端でも聴いていただければと思うのである。バックも若井俊也、西村匠平と若手の腕ききをそろえている。
対象 10月29日,30日壼阪健登trio
料金 予約ライブチャージ代
購入方法 下記の口座にお振込みください。
北洋銀行 札幌駅南口支店 普通 口座番号3624418 名義ヨシダ ナオシ
郵送致しますのでご住所もお知らせください。
家内手工業生産による受注生産になりますので多少お時間かかりますことを予めご了承ください。

選挙戦watching1

これだけ負の材料が出そろっているのに自民党単独過半数の選挙予想が出ている。正直言って驚いている。セシルテイラーplays bossa nova未発表音源見つかる・・・位衝撃的である。
参院静岡補選に野党が競り勝ったが勝ち方が良くない。投票率が45%と極めて低い。通常低投票率は自民に有利に働くが静岡県の場合は特殊要素が働いている。他県の事なので詳しいことは良く分からないが元々連合が強い上に知事が野党候補を支援し組織力で勝った。立憲民主と言うより国民民主の力で勝ったと言う事らしい。野党共闘の機運が高まり政権交代の熱気が高まったわけではない。
だいたい枝野代表の行動がおかしい。結党した時のあの大演説の思いはどこへ行った。連合の顔色を伺っているようでは風は起きない。自党の当選者数を微増させることにしか興味がない様に見える。志位委員長と山本太郎代表と3人で接戦区の応援に行き大きなうねりを起こしてほしい。投票率を上げ無党派層を取り込まなくては勝てない。
明日から若井俊也、西村匠平、壼阪健登ら若いミュージシャンが1週間色々なセットで演奏してくれる。ライブには来てほしいが選挙にも行ってほしい。日本の将来が掛かっている。

選挙と報道

半世紀前巨人が全盛期だった頃、他チームのフアンから半分やっかみの恨み節が漏れていた。
「巨人は10人で試合をしている」と言うのだ。10人目は審判だ。王がバッターボックスに入っている。ストライクともボールとも判断付かないきわどい球が来る。王は見逃す。審判は一瞬迷った挙句「ボール」とコールする。あの選球眼の良い王が見逃すのだからボールのはずである。と言う落ちである。
前回のNHK日曜討論で令和新選の山本太郎氏が消費税減税は可能であるという説明をしていた。法人税減税額と消費税が殆ど同額であるというクリップボードを提示した時カメラが切り替わりそれを写さないカットに変わった。山本太郎氏はそれに気づき体の向きを変え側面のカメラにボードを提示し「ちゃんと映してください」と要望した。その数字は自民党が隠しておきたい数字だったからだ。自民党は審判NHKもチームに入れ10人で野球をしている。
島根選挙区の話である。この選挙区は元官房長官長老自民党・細田博之氏VS立憲・亀井亜紀子(あきこ)氏の一騎打ちだったはずだった。ここに主婦で無所属の新人亀井彰子(あきこ)氏が突然立候補した。新人亀井彰子氏は300万円の供託金を支払い、選挙後半戦になっても第一声がない。立憲亀井あきこ氏は記名方法を「あきこ」から「亜紀子」に変えざるをえなかった。同姓同名の場合「亀井あきこ」表記分は比例配分されるからだ。明かに選挙妨害である。
これはロシアで行われた選挙妨害と同じで民主主義国家から後退している証拠でもある。ロシアサンクトブルク市議会選では同じ名前の人間が3人立候補し顔まで似ているおまけがついている。
Dappiと言うアカウントは個人を装っている。しかし自民党の金が流れている法人組織であり今回の選挙前にも河合夫妻の贈収賄事件の世論操作にも関与していたことが分かってきた。国会の代表質問でも取り上げられていた。ところがDappiなる言葉は大手新聞、テレビには全く取り上げられることがない。政権与党が「汚い世論操作」をしていた事実が次々と明るみに出ている時、「選挙に悪影響が出るといけないから報道を控える」という態度は、本末転倒である。多分年配の方はDappiなどと言う用語は知らないで選挙に行くはずである。選挙後のバラエティ番組化した選挙速報はいいから現在の問題点をちゃんと国民に知らしめる報道をしてほしい。
「タカ&トシ」もギャグを変えなくてはならない。「欧米か」ではなく「ロシアか」の方が相応しい。
公約が与野党の「ばらまき合戦」という報道もあるが意味合いが違う。例えば公明党の「18歳以下の子供のいる家庭に10万円支給」という公約がある。公約の中身の是非はさておく。なぜ今なのかである。野党の公約なら話は分かる。公明党は連立与党の一翼を担っている。何時でも施策はできたはずである。それは票を金で買う行為に等しい。
キャバクラに行くとする。60分飲み放題である。55分くらいたつと手を取って太ももに乗せてくれる。そして耳元でささやくのである。「ねえ、延長してくれない」むせるような香水の香りに幻惑されながら思うのである。「なぜ今なのだ、入店した時、太ももくらい触らせてくれてもいいのではないか」と・・・・
そろそろ大人に「 Dappi脱皮」しなくてはならない。

ま・く・ら

「談志が死んだ」という回文があるが今回は柳家小三治である。一落語ファンとしては残念である。残念ではあるがあまり寂しくはない。辛気臭くなっても噺家に失礼な気がする。談志は落語とは「業の肯定である」と一言で要約してしまった。死と言う現実も和田アキ子流に「笑って許して・・」で済ましても怒られない気がするのである。ある時布団に入ってから眠りに入るまでの時間がもったいないと思うようになった。年取って命根性が汚くなったせいである。まず本は論外である。電気がついていると寝むれないし、昼、嫌になるほど読んでいる。目は休ませなければならない。音楽も寝つきが悪い。ロックは勿論だめだがジャズも気になって眠れない。良く分からないクラッシックは寝るためにはジャズより有効だ。フランス語の朗読も向学心が頭をもたげてくると頭がさえてくる。そこで落語に行きついた。テンポの速くない滑稽話がよい。柳家小さんの「将棋の殿様」とか古今亭志ん生の「寝床」なんかを聴いているといつの間にやら笑いながら寝ている。時々こういう風に死ねたらなあ・・・と思うのである。
ここまでがまくらである。柳家小三治はまくら話の名人でもあった。僕が生で落語を聴いた唯一の師匠が柳家小三治である。山下洋輔トリオとのコラボと言う凄い企画であった。小三治が話す。それに反応して、たぶん反応しているのだと思う。トリオの演奏がある。その演奏を話でひろう。・・・その繰り返しでことは進行する。まくらの話は今でも覚えている。バイクに乗ってツアーした時の話であった。小三治はバイクも音楽にも詳しい。勿論正当な古典落語をちゃんと聞かせる高座も務めるが先のような企画や自分で歌を披露しながらの高座と言う新しい試みにも挑戦する師匠でもあった。
ジャズミュージシャンには落語フアンが多い。小山彰太さん、林栄一さんなど。なぜ多いのか考えてみたい。落語も同じ「禁酒番屋」であっても演者によって全く違う。お客さんの反応で高座の出来が変わるなどジャズと共通する要素が多い。山下洋輔さんのように落語の「寿限無」を曲にしてしまった例もある

落語家による推薦著作
「ま・く・ら」柳家小三治
多彩なまくら話を一冊にまとめた本。落語を聴くように読める。
「談志が死んだ」立川談四楼
談志門下には筆の立つ師匠が多い。談志が死んだ時の顛末を弟子の談四楼が小説にしてしまった。談志の戒名は「立川雲黒齊家元勝手居士」うんこ臭いと読む。
「現在落語論」立川吉笑
若手落語家が現代における芸能の生き残りをかけて落語とは何かを問い直した論考
「落語的学問のすすめ」桂文珍
関西大学での講義をまとめた本。こういう講義なら絶対眠くならない。試験は創作落語を作ってもらう事。それを文珍が演じて笑いが多ければ「優」

2021.10.13  大口・林4 Jazz Advancing

大口純一郎(p)林 栄一(as)秋田祐二(b)伊藤宏樹(ds)
いきない脱線しよう。先ごろ亡くなったR・ストーンズのチャーリー・ワッツは自称“ジャズをこよなく愛するロックドラマー”だ。彼は少年時代にジャズに魅せられたものの、家にドラムを買える余裕がなく、そこで彼はバンジョーを改造してスネア代わりに練習を積んだという逸話がある。そういう出自をことさら美化するつもりはないが、後に名声を博するか否かに拘らず、おそらく50年のキャリアを重ねる演奏家の中にはそれに類する体験者がいると思われる。飽くまで想像でしかないが、演奏を聴いていていると林さんにもそういうことがあったのではないかという気になる。林さんのライブに接した機会は決して多くはないのだが、林さんに付き纏うイメージは長らく変わっていない。それは一貫してアンダーグラウンド感が漂っているような印象である。いわば公のルールでは裁くことの出来ない天賦の資質と言ってもいい。この日も演奏から演奏外の何か得体の知れないものを感じていた。筆者にとってそれが林さんなのである。一方の大口さんにもそれを感ずるのだが、溢れだす閃きは両者に共通していてもその質感には差異があり、それを直に味わうことはライブの重要な面白みである。それにしてもこの方たちのエネルギーはどこから湧き出してくるのか。数多くの音楽データが蓄積されているお二人の筈だが、おそらく“今日はこれまで以上にベストな演奏をする”、そういう演奏覚悟のようなものがエネルギーの出どころではないかと思えるのだが、どうだろうか。まぁ巨匠評は二の足を踏むもので、本文は欠員レポーターのトラとしてチャーリー・ワッツに援護して貰った次第である。演奏曲は「Goodbye pork pie hat」、「Four in one」、「You don’t know what love is」、「回想(林)」、「Better get hit in your soul」、「New moon(大口)」、「What is this thing called love」、「ノー・シーズ(林)」そしてアンコールはブラジルもの。上昇しながら構築する曲も、横へ横へと流れていく曲も独自性に溢れていたと思うのであるが、おしなべてタフな演奏の連続だった。従って、ベースもドラムスも心身ともに運動性量が限界に達していたのではないかと思われる。上手いこと言えないが、おどろおどろしさに咲くファンタジーがこのライブだ。
 実はこのライブ、カニBAND北海道ツアーの谷間に嵌め込まれた唯一のカルテット企画である。そこに惹かれて来られた人もいたようであるが、分かるような気がする。
ところで「Jazz Advancing」とはいまなお前進して止まない御大に捧げた標題である。その出典はセシル・テイラーの「Jazz Advance」だ。芸術家の家計簿は知名度ほどにはアドヴァンスしていないんだろうな(泣)。
(M・Flanagan)