延命措置

「臨時国会開催が見送られた。野党反発」と新聞に記事が載った。まず新聞のこのスタンスが問題なのである。衆参両院いずれかの4分の1以上の要求で内閣は臨時国会の召集を決定しなければならない。憲法上の義務であって見送る自由は政府にはない。マスコミこの行為は憲法違反であると論陣を張らなくてはいけない。
加藤官房長官の答弁である。
「召集時期については憲法で具体に何ら触れられておらず、内閣に委ねられている」詭弁である。「法律の専門家の解釈は適切な準備期間ののち開催しなければならない。」とのことである。当たり前だのクラッカーである。
国会でコロナ対策の不備を追及されて支持率を下落させることを嫌っての方針である・
そしてこの場に及んでの内閣改造である。二階幹事長をおろし総裁選での岸田候補との争点をぼかす。閣僚ポストは総裁選での支持を餌に振舞われるであろう。仔細に渡って安倍元総理に相談していると言う事だ。自分の延命措置しか考えていない。僕が映画監督で延命装置がエクモであったなら「すいません。次使う人が待ってますから、外しま~す、おやすみなさい」と職務を遂行する医師の涼しげな顔のアップで終わらせる。

パラリンピック

現在もパラリンピックの報道がかまびすしく行われている。オリンピックだろうがパラリンピックだろうが医療資源をそちらに割かれると言う意味で開催反対である。人流を抑えることが感染拡大には有効と信じているのでその意味でも反対である。教育的見地から学校観戦が一部行われているが教育的意義があるとして感染リスクと秤に欠けりゃ~義理が重たいこの世の世界~と言う事でやはり反対である。ところがパラリンピック反対と声を上げるとある種の居心地の悪さを感ずるのはどうしてだろうか。その疑問にヒントを与えてくれる知人のブログがある。全文掲載する。まずは読んでいただきたい。
以下Sさんの文章
障害者はチャレンジャー?
「パラリンピックの報道で障害者のことがわかるようになった」という声が聞こえてくることがある。これには苦笑する障害者も少なくないだろう。たしかに、障害・障害者に関する話題が、一般の話題に混ざって、メディアで取り上げられるようになってきたのはここ数年のこと。パラリンピックの関連報道によって、一般の人たちにとって、障害者がそれほど遠い存在でないと感じるきっかけになったことは確かである。しかし、これをもって「障害者への理解が進んだ」と考えるのは、拙速すぎるというものだ。
「障害者」というこの表現をめぐって、日本では「害」という字を問題視してひらがなで表記するなどの動きがある。英語圏でも以前は「disabled」=「~~ができない人」という表現だったものを「challenged」=「挑戦する人」と{前向きに}表現するようになってきている。ある時、この話題をめぐって「障害者は、そんなにいつでも何かに挑戦していなければダメなの?そんなにいつもいつも頑張ってられないよ。」と知人が言った。まったくその通り!すぐに手を抜きたがる私も、両手を挙げて同意する!しかし、パラリンピックの報道で、障害者のことがわかってきた」という人たちの多くは、まさに、このチャレンジのすがたをとらえて言っているのだろう。
パラリンピックで活躍しているアスリートたちは、障害者の中でも、卓越した運動能力を有する極限られた人たちである。病気や事故などによって障害者となり、失意のうちにあった人の中には、障害者スポーツとの出会いによって再び元気を取り戻し、さらにパラリンピックによって目標を得ることができた人経ちがいる。また、先天性の障害を持ちながらもスポーツが好きで、努力を重ねて力を伸ばしてきた人たちもいる。しかし、障害者の誰もがスポーツ好きとは限らず、まして、「メダル」ともなると脚光を浴びることができるのは実に稀有なことである。考えてみれば、これは一般社会も同様なはずである。にもかかわらず、この障害者スポーツの祭典では、オリンピックとはまた少し違った「感動」「チャレンジ→障害克服物語」がメディアの力によって用意され、どんどん膨らまされていく。そして、大半の障害者は、この辺りに違和感を感じている。これはもちろん、アスリートたち自身に責任があるというものではない。いや、むしろ、アスリートの中にも、メディアの一連の報道には、複雑な思いを抱いている人がいるかもしれない。
アスリート一人一人の、この日までの努力は、はかり知れないものがある。私はやはり、各自、これまでの力を存分に発揮してほしいと願っている。それでもなおこの問題にこだわるのは、アスリートたちのチャレンジ→障害克服物語に光を当て、突き詰めていくと、その先に見えてくるものは何か。2016年に起きた相模原事件はその一つである。「役に立つ⇔役に立たない」という物差し、「障害者は不幸を作るだけ」という主張…。この事件には、まだまだ計り知れないところがある。パラリンピックとこの事件を並べることは、あまりにも論理の飛躍があると思われるかもしれない。しかし、各人が持つ「障害者観」の在り方として、これを切り離すことはできないと思う。今はまず、このことを、各自意識の一角においてほしいと思う。
以上
この文章を書いたSさんは目が不自由である。Lazyにも時々来てくれる。その時は24条の改札まで送り迎えをする。たかだか10分の送り迎えで普段は気にもならない横断歩道の段差が気になったりする。そんなことで身障者の気持ちが分かったなどとは思わない。人は誰であれ例外的な存在だ。障害者であれ健常者であれ善人もいるし悪人もいる。努力家もいるし怠け者もいる。禿げもいるしふさふさもいる。パラリンピックの報道のされ方を見ていると『共生社会』をうたい文句にはしているがその向こうに違う枠組みが見えてくる。あることに共感できる集団だけが優遇される社会だ。少数者のうちの特別な少数者、ここではパラアスリートを持ち上げることによって結果的に少数者を排除することを覆い隠しているのではないのか。例外的な少数者を排除することでその集団の統一性を高めることが社会の進歩だと考える集団がいる。

Jazz紳士交遊録vol23 セシル・モンロー

10年前の事である。臼庭潤が亡くなって落胆しているところにセシルの訃報が入った。子供と千葉の海に行っていた。ボードから落ちた子供を助けに行って自分が溺れてしまった。セシルは泳げないのである。ここにアメリカの悲しい歴史の一端がある。人種差別が今より露骨だった頃黒人はプールには入れない。だから泳げない黒人が多い。
セシルは本当に気のいい奴であり日本人より気を使う奴でもあった。初めてセシルに来てもらったのは鈴木チンさんのグループで井上俊彦、秋山一将、内田浩誠がメンバーだった。40年ほど前の事である。このグループでも3人が鬼籍に入っている。福井良さんの里帰りライブも何度か主催したがその時のドラムもセシルだった。ベースは藤崎洋一。この人も亡くなったと聞いた。藤崎は野球界では有名人だ。東海大相模が甲子園で春夏連覇したときの4番でキャプテン。3番は今巨人の監督原辰徳、5番は日ハムにいた津末だ。当然プロから声がかかったがそれを蹴って福居良トリオに加入した。おお、もったいない。井上俊彦のグループでも来てもらったことが有った。この時ちょっとした事件が起きた。メンバーの入りの日がばらばらであった。道に不案内なセシルを迎えに行く予定になっていた男がチケットの売上金をもって雲隠れしてしまった。会場だけは知っていたセシルは千歳から自力でたどり着いた。僕と井上は良く着いたとセシルに抱きついたのを覚えている。ベースの米木と二人で来てもらって岡本広とよくやってもらった。「ケアフル」というジム・ホールのオリジナルがある。岡本の十八番だ。セシルがファンク風の8ビートを叩き出した。米木も呼応する。二人の紡ぎだすビートが素晴らしくて岡本がテーマに入らず聴き惚れてしまった。ここに池田篤も入れて札幌近郊をミニツアーしたことが有った。恵庭でのことである。モンクの「エビデンス」が候補に挙がった。セシルはこの曲を知らなかった。大雑把に言えばメロディーのリズムだけ全員で合わすような形で曲が始まる。米木が「セシル、普通でいいよ(レガート刻め)」と言ったがセシルは「頑張ってやってみる」と言った。池田がテーマを吹く。コンマ何秒か遅れてセシルの腕がシンバルに伸びてくる。餌をとる時のカメレオンの舌のようにすばしっこい。音だけ聞いていると判らないのだが見ていると究極の後出しじゃんけんの様で妙におかしかった。池田は何十年たってもその事を覚えていてエビデンスをやるたびにセシルのすばしこかった腕の動きを真似して見せる。フレディ・ウェイツの話を想い出した。ニュヨーク時代のセシルのドラムの先生である。
「あいつは習いに来た時、ジャズはほとんど知らなかったよ」
セシルは何を叩いても根底にファンクの香りがする。それがセシルの持ち味と思っている。
晩年は臼庭、津村、米木と一緒に田中朋子クインテットをよくやってもらった。Lazy での最高の演奏の一つになっている。「ギブ、サム、ラヴィング」で8ビートを本当に楽しそうに叩いているセシルの顔が思い浮かぶ。
Hey men ,you know・・・me?
この短い文節だけでもセシルが話すとラップに聴こえる。
時として「平面湯吞」と駄洒落を言っているようにも聞こえる。

村上RADIO

村上RADIO
日曜の夜村上春樹がデスクジョッキーをしているラジオ番組がある。春樹さんはジヤズは勿論の事ロック、クラッシックにも造詣が深い。毎週何をかけて何を喋るのか楽しみにしている。
7時ラジオのスイッチを入れる。いきなりカントリーロック調の曲がかかる。MCは入らない。今夜はこういう志向なのだ・・・・。MCないってマイルスみたいでかっこいいなあ。二曲目になる。ノンストップである。ああ今日はLPの片面全部一気にかけるつもりだな。こんなこと許されるのは春樹さんだからだろうな。・・・・春樹さんこんな音楽趣味なかったような気がするけどなあ・・・だけどこのバンド誰なんだろう。60年代から70年代の音に聞こえる。ルーツはニッテイ・グリッティ・ダートバンドと同じようだけど。ブルースハープはリー・オスカーに近い節回しだな・・・。バンジョーはブルーグラス長年やって来た人のフインガリングだなあ・・ライ・クーダーがやりそうなことでもあるけど絶対違うな・・・・。春樹さん早くしゃべってくれないかああ・・・
そのうちウトウトして寝てしまった。気が付くと女性アナウンサーが喋っている。「XXFMの試験放送を北20条東X丁目よりお送りしました。聴こえづらいときはアンテナを・・・調整してください。」うちの近所からの放送だ。ラジオがなくても聴こえそうな距離だ。それにしても微妙な周波数の違いであった。やっぱり春樹さんの選曲ではなかった。一回聞き逃してしまった。それにしても誰の演奏だったのか気にかかる。
翌日の新聞に「村上春樹ラジオ番組で菅総理を扱き下ろす」との記事が載っていた。
コロナ終息の兆しが見えてきたと言う発言に対するコメントだ
「聞く耳は持たないが目は良いようだ」

女帝 小池百合子 石井妙子著

小池百合子写真集なるものを見かけたことが有る。都知事になったころではなかったかと思う。当時人気絶頂とはいえ酔狂な物を出したものだなあと思っていた。兎に角目立つことが大好物の方だ。都知事になってからのパフォーマンスを列挙すると医療従事者を応援すると言ってブルーインパルスを飛ばす、「ステイホーム」という犬の「待て」を都民に押し付ける。コロナかるたで感染対策のやってる感を押し上げる。東京アラートと言って都庁を赤く染める。リオオリンピックの閉会式で極道の妻のように凛々しい和服姿で五輪旗を受け取る。
マスコミが求めるものは何でも提供してくれる。そしてそれによって出世の階段を一気に上り詰めていった。どんな人物なのか興味を持つ。そしてそれに答えてくれる本を見つけた。
「女帝 小池百合子」
昔、ニュースキャスターであったことは知っていたが番組は見たことはない。当時のテレビ東京の中川順に気に入られて抜擢された。カイロ大卒業という経歴、大きな目と「中の上」と言った容姿、ゴルフ、カラオケ、気の利いた受け答え・・・それが相まって道が開かれていく。
専門知識など全くないのだが度胸だけでやりこなす。弁舌も流暢だが中身はほとんどない今の都知事としての資質の原型がもうこの時に出来上がっている。時の権力者に取り入るのが天才的に上手い。細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎、財界ではオリックスの宮内義彦。小沢一郎にはゲッペルスになれると持ち上げられている。国会議員時代何をやっていたのかよく知らなかった。「クールビズ」も小池百合子の発案だった。そういえば昔半袖のスーツと言う奇天烈なものがあった。トヨタの社長や先の宮内義彦らも嬉々としてモデルを引き受けた。環境相時代水俣訴訟の責任者であった。マスコミがいるときは被害者と一緒に泣いて見せ、いなくなると爪を磨きながら陳情を聞いたと言う。
百人以上の関係者の証言を拾い集め小池百合子と言う彫刻を形作っていく。カイロ時代、一緒に暮らしていた早川玲子(仮名)の証言は謎の多いカイロ時代の生活の一部を教えてくれる。大学に通っている様子はなく、アラビア語も小学生レベルと言う事だ。大学を卒業するのも無理なレベルでましてや主席卒業など夢の又夢のはずである。
ところが「待てば海路の日和あり」大臣になってしまった。その時早川玲子は身の危険を感じたと言う。
権力者を手玉に取るが色恋沙汰はほとんど聞かない。ところがある著名人と恋仲だったと聞いて驚いた。そしてそのことが今の地位に微妙に影響している。相手の名は伏せる。ここからは有料サイトだ。ひょっとしたら知らないのは僕だけなのかもしれないが・・・・。
昨日も渋谷にはワクチン接種を希望する若者が列をなした。打たないのではなく打てない若者が多いと言う事がはっきりした。このキャンペーン費用7.5億である。
今もマスコミ向けにやっている感をアピールしている。そういう本性がこの本を読むと良く分かる。面白いです。
石井妙子の著作に「原節子の真実」がある。こちらも面白いがその中に原節子がゲッペルスと写っている写真がある。日独防共協定の関係で制作した国策映画の制作時期のものだ。小沢一郎がゲッペルスになれると言った言葉を思い出す。

Speak like a child

ハンコックには申し訳ないが共通一次の英訳ではないので思いきって意訳を試みる。
「糞ガキのように喋ろ」
喋ってみる
「さもしい顔して貰える物は貰おう。弱者のフリして得しよう。そんな国民ばかりじゃ国は滅びる。人様に迷惑かけない社会へ。もう一度、日本を奴らから取り戻そう」
自民党総裁選に出馬する高市早苗元総務大臣のスピーチである。クソガキ以下である。「ガキの使いか」…来賓の安倍晋三が涼しい顔して座っている。今年のスイングジャーナル暴言部門人気投票1位の最右翼でもある。
税金を自分たちの金と勘違いしている。国民への施策や福祉は施しでは断じてない。この一年半「国民と国民の生活を守る」というⅡⅤフレーズを何度と聞いた。嘘っぱちであるとはっきりわかる発言である。
基本から確認する。税金は我々国民のお金である。それを適正に配分するのが政府の役割である。神棚に手を合わせて持続化給付金の再支給を待っているわけではない。
今の総理も酷いが、高市早苗候補も酷い、岸田文雄元政調会長も典型的風見鶏である。こちらは贅沢を言っているわけではない。フィレステーキフォァグラ添えを食べたいのではない。普通の白飯と胡瓜の浅漬けで良い。それくらいの人材居ないのか。

秋日和

秋日和
小津安二郎監督作品は全部VHSで持っている。いや…持っていた。BSで小津監督生誕100年記念の特集があった時録画したものだ。ところがビデオデッキが老朽化しテープを咥え込んだまま動かなくなること数台・・・そのたびに中古屋をめぐりブルーレイではなくデッキを買い求めていた。VHSテープはレコード以上に嵩張る。ある時期絶対これ以上増やさないと決めたことが有った。どうしてもダビングしたい時は在庫のテープで一番見ないと思われるものを潰していった。だから現在ある在庫は珠玉の何百本かになっている。「秋日和」もその中の一本になる。偶然であるがこの映画を見終わって新聞をめくっているとプロデューサーの山内静夫の訃報があった。小津映画の製作を手掛けた人物である。そしてこの映画の原作者、小説家里見弴の息子でもある。だが原作の映画化ではなく、主な登場人物を決めたら小説と脚本が同時スタートすると言う手法を取っている。だから映画と小説は全く違った内容になっている。「秋日和」は1960年公開の作品である。日米安保条約改定をめぐって日本中が揺れ動いていた時期に制作された。時代の空気を感じさせる大島渚監督の「日本の夜と霧」もこの年の映画だ。「秋日和」にはこうした喧騒な痕跡は全く見られない。一部の批評家からはもはや存在しない平穏な社会を描いた作品と扱き下ろされもした。だが小津の日本的なものは国民からは支持された。今は社会の上位者になっている大学の同期3人と亡くなった同期の未亡人とその娘の関係性を軸に話は進む。古い世代と若い世代、女性と男性の相互影響を通じて過去の日本の関係性と言ったものを追求している。具体的に言うと未亡人(原節子)の娘(司葉子)の縁談を寄ってたかって纏めようとする。娘は24歳である。まだそういう気はないと断る。すると同期3人組は母親が一人になるのを気遣っているのではと先走りする。そういう事であれば未亡人を先に再婚させようと考える。全く余計なお世話としか言いようがない。じわっと可笑しさがこみあげてくる。3人のうち一人は奥さんに先立たれている。「そうだ、お前が一緒になれ」と2人はけしかける。最初は親友の奥さんを後添いにするなど不謹慎と断っていたのだが何せ未亡人は原節子・・・品があって美人・・・段々その気になっていく。原節子は娘の大反対もあってひとり身を通すことを同期に告げる。そこまで人生決めなくても・・と思うのである。ここに小津監督の実人生が反映されていると感ずる。小津監督は生涯独身で通した。そして監督が亡くなると原節子は銀幕を去りほとんど隠遁生活といって良い生涯を全うした。何かそこに大人のエロティシズムを感じるのである。小津監督の映画には笠智衆や原節子他同じ俳優が頻繁に出て主題も似通っていたりするので時々どの映画であったのか混同することが有る。司葉子は丸の内界隈のOLである。小津の映画に出てくる会社のシーンはどの映画も人工的な印象で「会社はこうじゃないな・・」とツッコミを入れたくなるくらい違和感がある。
小津はワンカットで長いシーンを取ることはほとんどない。あるシーンの音を次のシーンにつなげたりするカットを使う。マイルスのテープを編集するテオ・マセオの様だ。
映画の出来に全く関係ない話だが気が付いたことが有る。司葉子の縁談がまとまり原節子と最後の親子旅行に行くシーンがある。義理の兄の笠智衆が経営する旅館に泊まる。その旅館のロゴは僕が20年務めた会社のロゴであった。アップで3度ほど出てくる。この時代の映画はエンドロールがないので協賛会社名は出てこないが多分電通の口利きのはずである。

乱暴怒りのアフガン

アメリカのアフガニスタン撤退の仕方が乱暴者極まりない。食べ放題の焼き肉屋で食い散らかしていくお馬鹿男子の様である。
アフガン情勢を語るだけの知見も情報も無いがアメリカのアフガン統治失敗は「あること」が旨く行き過ぎたことの弊害であると考える。「あること」とは日本の占領統治である。日本は原爆を投下されても喜んでアメリカの支配を受け入れた。この従順さが世界基準だと勘違いした。まずベトナムで間違う。あんな小国があれほどまでに抵抗するとは考えなかった。ベトナムはまず中国、フランス、そして大東亜共栄圏を謳った日本に侵略され異民族支配へのアレルギーがある。その事を過小評価した。日本以外では失敗続きの理由を考えるうえで天皇制を存続させたことが重要と考える。天皇に対する従順さをアメリカへの従順さに移行させる行為がものの見事にはまったため、以後日本の国民性・民族性を深く研究して戦争の準備をした作業を手抜きしている。太平洋戦争時は「菊と刀」の著作を残したルース・ベネディクトを中心に占領後の青写真を想定して戦争に突入した。ブッシュ元大統領の写真をしばらくぶりに見た。もともとこの人が正義のカウボーイ気取りで始めた戦争である。もうそんなことは大体の人が忘れている。
後一般論だが大事なものを戦闘で奪われるとその喪失感を憎悪で穴埋めしその憎悪が血肉化し自己の存在意義にまでなり和平の道が遠のくことになる。

2021.8.20 松島&山穰5 ウルトラQ

松島啓之(tp)山田穰(as)本山禎朗(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
ウルトラQとは、怪獣系の草分けと思って頂いても結構であるが、素朴にウルトラ“Q”uintetのことである。それはさておき、ご存知のとおり松島は定期的な出演枠を持つtpのトップ・ランナーである。そして今回は継続的に共演を続ける山穰入りという願ってもない贅沢な編成だ。LBでの山穰は7、8年ほど前のLiveを最後に少し遠ざかっている。従って、待ち望まれた再登場である。思い起こすと山穰と言えば若き‘90年代を駆け抜けた花形プレイヤーという印象が強過ぎて、個人的には演奏家としての全体像が明快にならない。職業評論家なら豊富な情報を背景に俯瞰的に論ずるのだが、素人のライヴ・レポートというものは、限られた聴音体験しか持ち駒がないので、そこは割り切るより他ない。そうではあるが地方都市にいて、“これは是非聴きたい”と気がはやるLiveに足を運び、それが僅かずつ積み重ねれられた位置で、Liveの素晴らしさを伝えたいと願うことに徒労感はない。少し勿体ぶった物言いになったが、これも行動抑制下のストレスによるものと容赦願いたい。まずはおおよその流れを紹介しようと思う。最初の数分でこの日の全貌が掴めた気がした。自明のことだが、演奏が終わるまで全貌が分かる筈ないのだが、時として“今日は行っちまうな”と確信することが、時おり起きるのだ。松島の「Back to Dream」で幕を開けたのだが、2管で立ち上げ、松島のソロへ突入した、彼は音一発でライブの醍醐味をぶっつけて来る。こっちに向かって突き抜けてくるのだ。そして山穰のソロ、彼はどのような局面でもロジカルに演奏を発展させるタイプと思っていたが、やや感情を前に出す展開に持って行っているような印象を受けた。そしてそれが何ともこっち(胸)にくるのだ。この様子は最後の最後まで継続して行ったのである。開演が導く快演の連鎖というべきか。最初の数分に予期したことが的中したのは、勘が冴えていたのではなく成るべくして成ったに過ぎない。2曲目はガレスピーの名曲「Con・Alma」、松島のワン・ホーンによる「Skylark」、N・アダレー「Tea met(と聞こえた)」、柳を大きくフィーチャーしたP・チェンバースの「Ease It」、松島作「Treasure」、山ジョーのワン・ホーンによる「My Foolish Heart」、音の深みを握りしめて離さない雰囲気が充満していて、説得力に溢れていた。バラードと言えば内省的味わいを噛みしめるのをイメージするが、その佇まいを保ちながら情感が注がれていく様に喉元から変な唸り音が出てしまった。制限時間一杯に選曲されたのはお馴染みの「Lotus Blossom」、ウルトラ“Q”uintetの百花繚乱サウンド、中でも山穰のソロは圧巻だ。鳴り止まぬ拍手が残業命令となって「I’ve never been in love before」に突入した。迫り来る閉店時間と忍び寄る国防婦人会の見回りに最高度の緊張感が走る。だが、事なきを得て無事終演した。いつまでも拍手は鳴り止まなかった。これは忘れられないLiveになりそうだ。記憶に納められた財産は減価しないからである。振り向けばドアの前に“立ち見”のお客さんがいて、ドアーズの“Touch Me”を思い出してしまった。
晴れないモヤモヤがまとわり付いて久しいが、それを吹っ飛ばすLiveが終了した。禁酒法の適用下でウーロンを含みながら、ふと思い出したことがある。Tpのクラーク・テリーがエリントンをこう評していた。『彼は人生も音楽も常に生成過程におきたいんだ』。
(M・Flanagan)

So what

So what
D
昨年の一月初旬の事である。身近で初めてコロナの感染者Xが出た。あるライブにお客さんとして来ていた。その事実を知ったのは数日後、それも直接は関係のない人間からであった。こういう情報はすぐ伝わり、悪意はないもののなぜ発表しないと言うような言われ方もした。直後のライブは2,3回中止にし自分とミュージシャン2名はPCR検査を受けに行った。9割は連絡のつくお客さんであったのでその旨連絡した。Xはlazyの前日に言った店には自分で連絡したことを知って憤慨した。その後しばらくしてXから入院してライブを穴開けたことを詫びるメールが来た。感染したことを非難する気は毛頭ない。だが詫びるポイントが違うのでなぜ連絡をくれなかったのかを聞いた。保健所の判断でlazyにいた日は濃厚接触者に該当しないし、知らせる知らせないかは個人の権利であると言った。Xは学生である。行政はどこかで基準を作って白黒をつけるが世の中杓子定規に動くわけではないことを説明し納得してもらった。濃厚接触者の基準があるのである。当たり前の話だが。
E♭
百貨店大手伊勢丹が社員、出入りの業者にPCR検査をしないように指示を出した。検査をせざるを得なくなった場合は結果が出る2日前から会社を休むよう指示を出していた。先の濃厚接触者の定義とかかわる。濃厚接触者が出た場合はその職場は封鎖せざるを得ない。その法の目をくぐる措置と言える。だがこの問題は一企業の問題ではないと思っている。現在過去最高の感染者数である。だがPCR検査数は伸びていないのである。これは初期の頃からの政府の政策であり、感染者数を低く抑え込むための統計操作である。と言う事は感染者数の割合はもっと多いはずである。無自覚感染者が白昼堂々闊歩して感染を拡大させている。最近のクラスターが出る職域、領域が変わってきている。学校、塾、百貨店、北海道で言えばアイスホッケーの試合。「夜の街」のクラスター頻度は落ち目になっている。だからライブは安全ですと言う気はさらさらない。ただ政府のゲームセンターのモグラたたきのようなまん防延長対策には流石に辟易している。
ニュージーランドでは一度収まったが感染者がでた。一人出ただけで3日間のロックダウンである。感染経路を徹底的に調査し封じ込めるためだ。ジャシンダ首相にお願いされれば法的整備などなくとも3日間ぐらいは我慢する。臭いにおいは元から立たなきゃダメ・・・というトイレの消臭剤の手法が一番効くのである。
こういう状況なのに明後日の松島&山譲2daysは満席である。こういう日に限って道の時短調査員が来そうな悪い予感がする。言い訳は考えてある。
「お酒は出していませんね」
マイルスのように「so what」って言ってみたいものである。