安否確認

一週間ほどブログを更新しなかったら餅をのどに詰まらせて死んでいるのではないかと心配された方数人から安否確認のメールを頂いた。ありがたいことである。持病の腰痛が出てきたものの至って元気です。明日はワクチン接種も受ける予定である。丸川五輪相のいう「一時的免疫」を付けてくる。なんだこの「一時的免疫」っていうのは・・・・・。子供だましはもうやめてほしい。いくら何でもこんな状況でオリンピックを決行するとは思わなかった。僕の予想は見事に外れた。「人類がコロナに打ち勝った証として五輪をやる」と言うのは「コロナが感染爆発しても動じることなく平気で五輪をやる」という意味だった。札幌は地下鉄の最終便は当たり前だが早まっている。東京では五輪期間中臨時列車も増発し首都圏21路線終電後も運行すると言う。でも政府からは観戦後は直帰するようお願いが出ている。意味が分からん・・・。
菅総理は空港を視察の上バブル方式で選手、関係者と一般客を完全に分離すると説明していたが映像を見る限り選手の隣を子供たちが通り、トイレ、ATM、自販機は使い放題、好きなところに座りマスクを外し飲食をしている。それですべて感染するとは思わないが少なくともその程度の水際作戦である。大会のルールブックにはコンビニにはいって良し、個室のレストランも良しとされている。もう穴だらけである。ワクチンの供給も間に合っていない。札幌の集団接種会場も職場の希望会場も募集中止である。東京も同様である。ゴールデンウィーク時期には供給不足になることは分かっていたが都議選の関係で伏せていたと言う事なのであろう。僕も学生時代は体育会系だったのでスポーツが嫌いなわけではない。だがいつから「運動選手」が「アスリート」と呼ばれ金の馬車に乗って登場する特権階級になったのだ。オリンピックは全く見る気はないが日本はかなりの数のメダルを獲得するであろうと思う。その代償は終了後の感染再拡大である。スポーツ選手以外にも頑張っている人は大勢いるのである。士農工商犬猫バンドマンたちである。

2021.7.1~2  三嶋大輝 SPECIAL GIFT

ここ数年来、東京を拠点にしている若手を招くことが、LBのひとつの柱となっている。この企画がなければ、彼らは見たことも聴いたこともない連中のままになっていた可能性が大いにある。三嶋の初演は2年半ほど前に過ぎないのだが、以降、彼はサイドマンとして抜かりなく出演機会をモノにして来ている。ただ今回は、三嶋の仕切りでライブを挙行することになっており、そこに課された条件は、現時点で想定される最高のメンバーを人選し、最高の演奏をすることだったという。そして我々は三嶋のギャンブルに巻き込まれていくことになったのである。
2021.7.1  PassioNate Renner 4
Nate Renner(g)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
この日は、当地でコンスタントに活躍するネイトのリーダー・カルテット。ネイトはJ・ホールがお好みらしいが、直接的な影響は感じられない。演奏家によっては先人の影響が割と露骨になっていることもあれば、表に出ることなく内的蓄えに留められていることもあるだろう。ネイトは後者に属しているので、彼独自のフィーリングから押し出されるフレーズがそれをよく物語っている。話しは飛ぶが、今はフュージョン絶頂期のようにギターでお客さんを呼ぶことが珍しくなった時代だと言える。それは逆に落ち着いてギターを聴くべき時代になっているのではないかとも思う。そうした時代だからこそネイトには一層のPassioNATEな活躍を期待する。演奏曲は「All Of You」、「Finding Our Feet」、「On A Misty Night」、「9th February~Mono Koko」、「The Way You Look Tonight」、「Moment’s Notice」。なお、柳沼は最近招聘されない匠平(西村)の後輩筋になるそうだ。明日も期待が膨らむ中々のプレイだ。
2021.7.2 三嶋大輝TRIO
加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
これが三嶋の真価が問われる注目のTRIOだ。聞けば月に一度のペースで演っているとのことである。言わば彼らは、気心の知れる域に入っているのだが、慣れによる予定調和は決して許されないことを覚悟した三嶋はリハに普段の倍ほど時間を費やしたらしい。それはこの日に賭ける三嶋の愚直なまでのメッセージであるが、それは実際のライブ・パフォーマンスの出来は全くは別のことである。筆者は三嶋が毎回ひと山越えてやって来るので、意識的にハードルを上げて聴いている。なおかつ今回は三嶋の統率力も注目して置かなければならない。ここで演奏曲を紹介する。「Time After Time」、「You Stepped Out Of Me」、「You’ve Changed」、「Martha’s’ Prize 」、「In The Still Of The Night」、「Nearness Of You」、「Cakewalk」、「Fly Me To The Moon」。“いる所にはいるものだ”、ピアノの加藤、まだ二十代半ばである。瑞々しさを湛えながらも臨機応変に攻勢をかけるところにはその才量を認めぬ訳にはいかない。そして前の日に肯定すべき片鱗を見せつけていた柳沼は、この日もケレン味のないタイトなプレイを披露しており、彼ら二人は三嶋の土台音に乗っかって清心な印象を刻んでいったのだった。唯一気がかりだったのは、気合の入りすぎによる勢い任せの大芝居だったが、そんな心配を見事に引っくり返してくれた。
店内にはもちろん川は流れていないが、三嶋はTRIOと客席の間にきっちり橋をかけていった。若きM・ヴィトウスに“限りなき探求“という作品がある。若き三嶋の奮闘に”限りなきThank You“を献上する。三嶋からSpecial Gift(大輝ん星)を貰ったのである。
(M・Flanagan)

Jazz紳士交遊録vol21 佐山雅弘

ラジオを付けると村上春樹が喋っていた。「今日最後の曲をかけます」選ばれたのは佐山の曲であった。佐山は三年前に亡くなっている。村上春樹が佐山の思い出を語っていた。村上春樹は作家になる前、国分寺でjazzの店をやっていた。米木のマンションの筋迎えである。佐山がまだ国立音大の学生だった頃よく店の顔を出していたそうだ。深夜のセッションでも先輩たちに気を使い積極的には弾かなかった。そしてまだあまりうまくなかったそうだ。
僕が佐山のバンドを初めて主催した時には十分すぎるほどピアノが旨かった。「thrill me」のアルバムが出た時だ。メンバーは米木康志、小山彰太のトリオだった。何かこのメンバーに違和感を感じた。フランス料理にくさやの干物とピータンがついてくる感じだ。これがバカボン鈴木、村上ポンタだとしっくりくる。佐山は前者二人に自分にはない感覚を補完してもらい音楽の領域を広げようとしていたのだと思う。実際その違和感が現実化し彰太さんは首になった。僕は米木に佐山がどれだけあなたを必要としているかを説きどうか辞めないでほしいと言った。その当時米木は佐山を「高性能オモチャ」と呼ぶことが有った。
二度目に来てもらったのは「gombo」のアルバムが出た時だ。この時は僕が道内五か所をブッキングし会社には長期休暇届けをだし全行程マネージャー代わりについて回った。メンバーも凄かった。井上俊彦、池田篤、米木康志、村上ポンタ。佐山を含めてもう3人鬼籍に入っている。ツァーに同行すると色々なことが見えてくる。音楽的進化の過程、選曲の妙、リハーサルの仕方、そして何より人間性。
僕は佐山と付き合ってミュージシャンで初めてサラリーマンをやっても十分やっていける人と感じた。人当たりも良いし頭も良い。勿論遅刻もしない。
村上春樹も佐山が大好きで佐山が店に来ると奥から出てきてよく談笑していた。佐山はどんな職業についても上手くやっていけるタイプ・・・と春樹さんも言っていたと米木から聞いた。
ツァーが終わってしばらくして米木から連絡があった。
「まだ、佐山に言っていないのだけれど俺、佐山の所辞めるよ」
残念であった。
付記
本山禎朗ソロアルバム、大口純一郎&米木康志duo「IKKI」若干在庫在ります。ご希望の方は郵送いたします。

ワンダフルライフ 是枝裕和著

是枝裕和は映画監督である。「万引き家族」でカンヌ映画祭グランプリを取っている。その監督の小説である。同名の映画もある。厳密に言うと小説の方のワンダフルライフは「小説ワンダフルライフ」がタイトルである。このこだわりが小説の成り立ちにも関係がある。小説が原作になって映画が製作されたのではない。映画の方が先なのである。かといって映像を文字に置き換えたのでもなく脚本を肉付けしたものでもない。僕は小説の方を先に読んで映画を見た。今の時点で思い出すのは映像の1シーンだったりするのだがそれが映像の方が勝っていると言う事ではない。映像と小説では表現する手法が違うと言う事なのである。監督も映画のモチーフを活字というフィールドに開放していく行為であったと述べている。
人は亡くなるとある施設に一度行く。そこで天国に行く前の1週間の間に「人生の中で大切な思い出」を一つ選ばなくてはならない。それをそこの職員が映画に再現して最終日に上映会が開かれる。死者はすべての事を忘れその思い出だけを心に天国に行く。その思い出を選ぶために死者は自分の人生を振り返ることになる。ある者は妻との平凡だが幸せだった日々を思い出し、ある者は少年時代に電車の運転手の後ろから見た風景の事を想い出す。ある男は毎日自分の女性遍歴を語り職員を辟易させる。だが最後に選んだ思い出は娘の結婚式だったりする。
映画ではこの役を由利徹が演じている。DVDにはカットされた由利徹の独白が収められているが思うにこれは由利徹の実体験で監督がフリーソロでしゃべらせている。
一週間で選びきれない者もいる。その人間はここの施設でほかの人間の思い出選びを助けることによって自分の人生と向かい合うのである。ここの職員は思い出を選びきれなかった人間なのである。
読み終わったとき自分は何を選ぶだろうと考えてみたが思い浮かぶことは結構つまらないことで感動的なものは皆無であった。だが自分の人生はその総体であると思っているので落ち込むことない。さすがに一つだけというのは厳しい。僕も死んだらここの職員になるはずである。
参考図書
「とりつくしま」東直子著
主題が「ワンダフルライフ」と並行調の関係にある。
こちらは死後一回だけ物として現生に帰ることができると言う話である。ある女性は野球をする息子のロージンバックとして甦る。息子はロージンバックで手の滑りを止めた後最後の一球を投げる。そして・・・・・
必ず泣けてきます。
いい話の後に恐縮だが思い出した話がある。山下洋輔さんのエッセイにも書かれているのだが、小山彰太さんからも同じ話を聞いたことが有る。山下トリオのツァー中バスを待つ間ぼーっとしていると自転車に乗った綺麗な女性が前を通り過ぎたのである。おもわず坂田さんが生まれ変わったら「あの自転車のサドルになりたい」と言ったそうである。

パンダと株価と天皇と

上野のパンダ、シンシンが双子の赤ちゃんを産んだ。パンダ、パンダ…♪ブルーハーツがテーマ曲を歌っている。二匹とも身長が10何センチかで体重も100何十グラムかである。ラジオでは具体的に二匹の身長体重を報道していた。そういえば懐妊の兆候があった時もにニュースになっていた。懐妊がニュースになるのはパンダとイギリス王室だけである。北海道では北大と旭川医大の学長の「解任」が問題になっている。それぞれの学長のパワハラの有無も取り沙汰されているが文科省の大学自治権侵害にもつながる重層的な構造の問題とみている。水脈は日本学術会議の任命問題と一緒である。
母パンダのシンシンはお産の疲れも残っているが24日出産後初めて餌を食べた。「心身」ともに健康であるらしい。はっきり言うがこんな詳しい情報いらなくねぇ・・・!!!
これもオリンピックと一緒で愛と感動と絆を我々に与えてくれるとマスコミが考えている証拠でもある。
パンダの出産で株式市場にも若干の影響があった。「パンダ関連株」を中心に買われたがアルゴリズムを刺激するまでには至らず、大商いにはならなかった。なんだこの「パンダ関連株」といのは・・・・。銘柄を見ると東天紅などの大手中華料理店など中国関連の会社である。
「風が吹くと桶屋が儲かる」あるいは「アメリカがクシャミをすると日本が風邪を引く」の論理である。株価など市民の経済実態とは全く関係ない指標であることがここでも証明される。
宮内庁の西村泰彦長官が24日、天皇陛下が新型コロナ感染状況を心配されているとした上で、「国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁を務めるオリンピック、パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか懸念されていると拝察している」と述べた。
これを「政治的発言で憲法違反だ」と言う言論人がいた。と言う事は五輪開催の当否は「政治問題」だと主張していることになる。陛下は「五輪開催の可否を論じることは科学の問題であって、政治問題ではない」と判断したからこそのお言葉ではないのか。
この発言に対する加藤官房長官の発言も酷い。
陛下の懸念は「宮内庁長官自身の考え」と切り捨て陛下が反論できないことをいいことに陛下と長官の人格を踏みにじっている。
本当に長官が天皇の威を借りて発言していると思っているなら今すぐ「懐妊」ではなく「解任」すればよいのである。
付記
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ライブ持続化CDR販売vol6 三嶋大輝

Jazzを聴き始めて半世紀、ミュージシャンとの人脈もでき呼びたいと思う人には来てもらえる関係性もできてきた。ただ若いミュージシャンは若い人に紹介してもらうのが手っ取り早い。
時には博打もうたなくてはならない。三嶋に万馬券に化けることを祈って有り金をつぎ込むのである。三嶋には時々来てもらってこちらのミュージシャンと親交を深めてもらっている。年も比較的近いので学生の指導もしてもらう。そして何より三嶋自身の成長ぶりを見るのが楽しみなのである。その三嶋に自信をもって紹介できる若手を連れて来いとオファーを出した。僕はスタイルに関しての好みはイチロー位主部範囲は広い。三嶋のセンスが問われている。ピアノの加藤もドラムの柳沼も全く面識はない。you tubeを利用することもないので音も聞いたことがない。人間を信用する以外にない。清水の舞台から飛び降りる気持ちで若手を呼ばないと若者たちの活動の場も広がらない。後は本人たちの精進の仕方次第である。札幌はまん延防止等特別措置法下にあって8時までの営業しかできない。三嶋もライブ自体出来るだけでうれしいと言っていた。その心意気を買って博打に参加していただきたい。下記の通りライブCDRを期間限定で販売する。売り上げは経費、ギャラに使わせていただく。ご協力をお願いします。
対象 7月1日Nate Renner Quartet、7月2日三嶋大輝trio分
料金 予約ライブチャージ代
購入方法 下記の口座に7月5迄お振込みください。
北洋銀行 札幌駅南口支店 普通 口座番号3624418 名義ヨシダ ナオシ
郵送致しますのでご住所もお知らせください。
家内手工業生産による受注生産になりますので多少お時間かかりますことを予めご了承ください。

殺しの烙印

1967年制作の日活映画。鈴木清順監督、宍戸錠主演のハードボイルド・アクション巨編と予告編には有った。見終わった後の感想を一言でいえば「ようわからん」である。分からない事とつまらない事とは別の事であることをはじめに言っておく。当時「ようわからん」と思った人間が少なくとももう一人いた。日活の社長である。この映画が原因で鈴木清順監督は日活を一方的に解雇され裁判沙汰になっている。この時期日本映画は黄金期の勢いを失い観客動員に苦慮していた。日活も吉永小百合、石原裕次郎の青春物からの方向転換先を模索していた。鈴木清順監督は独特の映像美でジム・ジャームッシュなどの信奉者もいるが一般受けは今いちだった。社長は監督にアクションとエロがある映画ならとっても良いと許可した。鈴木監督もその方針だけは守っている。内容は宍戸錠演ずる殺し屋がそのNO1の座をかけて仕事をこなすがある仕事に失敗してしまい組織から狙われその殺し屋と対峙するストーリーになっている。アクションシーンとエロシーンだけでなくカットが変わるたびの繋ぎに違和感があるのである。音楽的に言えば無理やり転調しているような・・・・。脚本が具留八郎となっているが一人の名前ではなく創作集団の総称でこの映画でも鈴木監督の依頼で数人で分業している。これがストーリーはあるけれども「良く分からん」の原因になっていると考える。鈴木監督はストーリーはあるのだから後は何やってもいいのだと言う思想の持ち主だ。この映画にもギャビン・ライアルの「深夜プラス1」へのオマージュもちりばめられていると聞いたが全く分からなかった。僕の大好きな「さらば愛しき女よ」などのハードボイルドとは全く異質なものを感じた。
「女を抱いてきたのかい・・・湯たんぽでも抱いてな」おもわず吹きだした。宍戸錠演ずる殺し屋は変わった性癖がある。ご飯が炊ける匂いで興奮するのである。この辺の感覚はブックレビューで紹介した浅井リュウ著「正欲」を呼んでいただけると判るかもしれない。二人の色っぽいお姉さんが登場する。おバカ系の小川真理子、神秘的な真理アンヌ。抱く前に「飯を炊け、飯を炊け」と繰り返すのである。映画のシーンにもパロマのガス炊飯器で飯を炊くシーンが何度か出てくるがスポンサーのパロマからもこんな映画ではガス炊飯器の売り上げが伸びないと苦情になったと聞く。パロマの宣伝担当もアホである。スポンサーになるのなら小津映画である。笠智衆と原節子の親子の食卓にガス炊飯器が有れば売り上げは倍増したはずである。共演者には南原宏治、玉川伊佐男という当時の名脇役が配されているが南廣と言う役者が出演してる。この俳優はjazz界とも縁がある。渡辺晋とシックスジョーンズと言う日本ジャズ黎明期のバンドのドラーマーであった。渡辺晋は渡辺貞夫が「ナベサダ」と呼ばれるようになったことに関係している。当時渡辺姓の著名なミュージシャンが3人いた。区別するのにそれぞれ「ナベサダ」「ナベシン」「ナベタツ」と呼ばれていた。ナベシンはナベプロの社長である。トリビアクイズのオマケついでに真理アンヌは臼庭潤の叔母さんにあたる。臼庭が亡くなってから知った。こんな色っぽい叔母さんがいることが僕にばれたら弄られるのが分かりきっているのでひた隠しにしたのだと思う。
ビデオにはデータベイス情報も付いていて製作費20,598,301。総配収27,154,000とある。これは流石に社長も怒るかもしれない。大手の居酒屋が休業要請で給付金を貰っていてもこれくらい稼げる。これを機に日活はロマンポルノ路線に大きく舵取りをする。この映画でも映倫対策できわどいシーンには鈴木清順監督の遊び心で白い矢印で隠すように編集し観客はその矢印を追う楽しみを満喫できるようになっていた。しかし封切の時は理財局の赤木ファイルのように黒塗りに加工されていた。
付記
盟友米木康志参加アルバム大口純一郎とのDUO「IKKI」を預かっている。長年一緒に演奏している関係性でしかできない領域で淡々とそして深い所で表現している
¥2500購入希望者には連絡いただければ郵送いたします。
コロナ禍でも米木は忙しいと聞く。こんな時期に忙しいのは医療関係者とウーバと米木だけである。
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コンウォールの現実

G7が開催されたイギリスの地方である。具体的な感染対策の情報は寡聞にて知らないが世界の要人が来たのであるから厳重な対策が取られていたものと理解している。政府関係者とマスコミ関係者が来て帰っただけなのにその後感染者が急増している。東京オリンピックにはその何十倍もの人間が来るのである。もう新興宗教のお題目と変わらない「安全・安心」を目指すと言われても到底信用する気にはなれない。
「安全」は基準、「安心」は内面の心理に基づく評価。「安心安全」と一つ屋根の下に同居するともう意味不明、思考が停止し相手の思うつぼである。
水際対策も国内行動規定も「ザル」だらけである。それもほとんど意図的である。
海外メディア関係者は14日間の隔離を経て国内行動できるという規定があるのだが、「特別の事由」を提出すれば隔離されずに即行動できる。選手の扱いはもっと緩い。三日間の待機で済むのだがその間普通に練習もできる。
ウガンダ選手からPCR検査陽性者がでた。成田空港で判明したのだが同僚8名は濃厚接触者扱いにはならず通常生活をしている。別に「穿った」目でウガンダ人を見ているわけではないことは言っておく。
「ザル」も「ザル」のりが良いだけの「大ざる」だ。
ザルで思い出したことが有る。
高校時代サッカーをやっていた。ポジションは今でいうデフェンダー、昔バックスと言っていた。よく相手方のフォワードに抜かれていたので「ザルバック」と呼ばれていた。その「ザルバック」の一翼を担っていたY山が「吉田『ザルバック』の『谷間の揺れ』読んだことあるか」と聞いてきた。Y山は胸の大きな女子マネージャーのTの事が気になって試合中も集中力を欠いていた。そして言いたかったのは「バルザック」の「谷間の百合」の事だ。
そんなことはどうでも良い。
札幌ではマラソンだけではなくサッカーの予選も行われるのである。人流が増えれば感染者数が増えるのは自明の事である。オリンピックだけは特別なのかと言いたい。
大通公園ではマラソンのゴール設営工事が進められていた。もう各国の国旗の掲揚のポールも立っている。これで「見に来るなよ」「見に来るなよ」と言われてもダチョウ倶楽部のように押してしまうのは目に見えている。
AVビデオを見せておいて「興奮するなよ」と言われても無理な相談である。
付記
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マンボNO5のNO5

どうでも良いことだがタイトルと回数が同じになった。頻繁にまん延防止等特別措置法に切り替わるからである。札幌は7月11日までである。2カ月半まともに営業できないと言う事になる。ビンボウ暇なしである。補償金は出るはずであるが残りの酸素も僅かである。息を止めて暮らすのも限界がある。ワクチンの接種券も来たが介護保険料やら各種督促状も来た。給付する方は遅れがちであるが督促状は米木のベースのように遅れることがない。東京でもまん防に切り替わった。
首相側近は「五輪で観客がいないと、 コロナ に負けた感じがする」と言い、有観客の五輪に道筋をつけたいようである。
五輪議論がいつのまにか「観客数」に収斂されてきた。独裁者然としたスガーリンがG7から帰ってきてからである。一気に本土決戦に突入だ。
「中止か開催か」が、「開催ありき」の「無観客か有観客か」にすり替わり、それがいつの間にか「観客の数」になって「1万人か定員の半分か」などの議論になっている。テレビ新聞も「果たして大丈夫か・・・・」と軽く疑問を呈するだけで免罪符を買い開催反対の論陣を張ることはない。分科会の尾身茂会長も「開催するのであれば無観客が望ましい・・・」他いくつかの提言を行っている。踏み込んだ提言と評価する向きもあるが政権から「まあ、ガス抜きもさせてやらんと・・・」という思惑も見える。
「戦争するなら核兵器不使用が望ましい」この学者の指摘はこの程度と考える。学者としての矜持があるなら堂々と論陣を張り受け入れられなければ辞表を叩きつけるぐらいの覚悟を持つべきである。国民の命が掛かっているのである。
山崎雅弘氏の意見を紹介しておく。
『仮にこのまま東京五輪の開催を強行しても、感染拡大が起きるか否かとは別問題で「国民の命と健康に責任を持つ総理大臣が、それよりも自分の政治的利益を優先した事実」は何も変わらないし消えない。国民の命と健康を賭けのチップにしている罪の重さは、免責されない。菅首相は人道的な罪を犯している。』
付記
明日21日からは8時閉店でライブのある日だけは店を開ける。自粛疲れが出た方はご連絡ください。24時間体制で対応可能である。
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「彼女は頭が悪いから」 姫野カオルコ著

20日までの休業期間に読もうと思ってごっそり買ってきた中の一冊である。この作家は初めて知った。誰か信頼できる人が勧めていたからだと思うのだがそれが誰かは忘れてしまった。音楽でも本でも信頼できる人がいれば素直にその人の進めてくれたものを聴いたり読んだりする。僕はそういう風にしている。当たりはずれはあるがそれは自分の能力が届かなかったからかもしれないと作者に当たらなくても済む。あくまで信頼できる人のお勧めの場合である。
この小説は500ページ以上あるのでつまらなかったら2日間無駄にすることになる。いや・・面白かった。だが読後嫌な感じが残る小説なのである。2016年東大生5人が女子大生に強制猥褻行為のかどで逮捕されると言う事件があった。その後のネット情報の反応を機に書かれた。だが事件のノベライズでもないしノンフィクションでもない。小説でしか表現できない領域でこの事件の核心を問題提起している。ここに過激な性的描写は出てこない。だから事件は無かったと言っても良い。東大生も悪ふざけの領域として無罪を主張する。その親たちも上流階級の人間である。その女子大生を東大生を狙う性悪女としかとらえていない。格差社会がはっきり見えてくる。ある飲み会に美咲は誘われる。少しの期間付き合った東大生「つばさ」も来るからだ。美咲はその日つばさに一言だけ伝えて別れようと思っていた。二次会で学生のマンションに行く。ネットには「酒飲んで男の家に行ったら了解したことでしよう」とのコメントが流れる。勘違い女として世間から誹謗中傷される。美咲は「ネタ枠」で呼ばれたのである。宴会を盛り上げる役目である。その用語が痛い。東大生の親たちは示談に持ち込もうとする。美咲の出した条件はただ一点だけである。それはここには書かない。
ある犯罪が起きる。真実を見出そうと報道あるいは裁判が起こされる。だがそこには不可解なもの、闇の部分が必ずある。小説にはそこに言及できる力がある。
篠田節子は次のように総括する
「性的興味の対象である女性に加えられた性暴力」ではなく「モノとみなされた下位の者の心身に対して振るわれた遊びとしての暴力」