チャーリーパーカー・プレイズ・ボサノバ

チャーリーパーカー・プレイズ・ボサノバ
あれ、そんなレコードあったかな・・・と思った人はjazzのリスナーとしては上級である。コルトレーンの命日は正確に言えるがパーカーだと曖昧になる。そういう意味でパーカーのボサノバ物もあったかもしれないと思うのである。
メンバーはアントニオ・カルロス・ジョビン(p)ジミー・レイニー(g)ジミー・ギャリソン(b)ロイ・ヘインズ(ds)収録曲はワンス・アイ・ラヴド、コルコバード、ジンジ、ジャスト・フレンド他。人選も選曲も興味深い。ライナーノーツは村上春樹が書いている。ここまで書くと気づく人がいるだろうと思う。
そんなタイトルのLPは存在しない。未発表の音源が見つかりそのjazz批評を書くという体の小説である。村上春樹は実際jazz喫茶を営業していたこともあるのでjazzには詳しい。僕はこの小説のタイトルを見た時何となく構成の察しがついた。念のために言っておくがそのことがこの小説の評価を下げることには全くならない。僕はその文章を読んでいて実際音が聴こえてきた。
小説の中ではもう一段仕掛けが有って、主人公がその批評を書いた後ニューヨークに行く。立ち寄ったレコード店に「チャーリーパーカー・プレイズ・ボサノバ」のレコードが実際に有ったのである。主人公は誰かの悪ふざけと思い買わなかったがどうにも気にかかり翌日レコード店にもう一度足を運ぶ。だがそのレコードはない。店主に聞くがそんなレコード仕入れた記憶はないとにべもない。「ペリーコモ シングス ジミー・ヘンドリクス」ならあるよ・・・と言われる。おちょくられているのである。僕はこういう軽口が大好きだ。
タイトルだけなら何でもありだ
「スタン・ゲッツ プレイス Pファンク」
「マイルス・ディビス ニニロッソに捧ぐ」一にマイルス。二にロッソ。三、四がなくて・・・
「ジェフ・ベック アンプラグド禁じられた遊び」
「LUNA sings 昭和歌謡」あっ、これは実際の在る。9月1日。詳細後日。
村上春樹のアイデアに先越されたという感じ。
余談
僕は村上春樹の大ファンである。それを知っている米木は村上春樹が最初に店を出した国分寺の「ピーターキャット」跡に連れて行ってくれたことが有る。暫く立ちつくし感慨にふけった。その一番隅のカウンターで「風の歌を聴け」を書いていたのである。主人公の友人で「ネズミ」と言う人物が出てくる。これには実在のモデルがいることを米木から聞いた。米木は村上春樹本人から聞いたらしい。日本のjazzに相当詳しい人なら名前を知っているかもしれないが名前は伏せておく。
参考図書
「一人称単数」村上春樹の最新短編集
「チャーリーパーカー・プレイズ・ボサノバ」が読める。

腹立ち日記vol32 香港

8月10日香港の民主化運動のリーダー周庭氏が香港国家安全維持法違反の疑いで逮捕された。雨傘運動でごく普通な合法的なデモ活動をしていただけである。最悪の場合は無期懲役になる。他岸の火事だと思ってはいけない。札幌でもそういう兆候をにおわせる火種があった。安倍総理の演説にヤジを飛ばしただけで道警に排除された。
自民党は憲法改正を目論んでいる。
この草案通りの国になれば日本も香港と同じようなことになる。香港のことを他人事だと思ってる余裕はない。現在も憲法に保障された臨時国会召集の要望が出ているにも無視し続けている。そういう政権に憲法改正を語る資格はない。
余談
一度だけ返還前の香港に行ったことが有る。会社の支店が有って案内してもらうことも可能であったが自分の土地勘だけで豚の頭や鶏のぶら下がっている路地を歩き回った。庶民の熱気を肌で感じた。それは生活の活気であったが自由の波動でもあったのだと思う。

ヘビメタ

一応ロックの洗礼を受けている世代である。Lツェペリンの3枚目のアルバムくらいまでは良く聴いていた。その後急速にjazzに軸足を移していったのでヘビメタの知識はほとんどない。あるトークショウで「ヘビメタは人生である」と言うプログラムを聞いた。メインのゲストは評論家と言うよりも「オタク」と呼んだほうがピンとくるキャラクターであった。話が滅法面白い。
ヘビィメタル、スラッシュメタル、グランジ、オルタネイティブ、デスメタル、ブラッメタル。
メタルのジャンルであるがロックの進化の歴史でもある。Jazzよりも社会の動きに敏感である。ロックはいつからメタルになったのか。きっかけになったグループは知っている。ブラックサバスだ。トニー・アイオミという左利きのギターリストが率いるハードロックバンドであった。リーダーであったボーカル、オジー・オズボーンは自分で作ったごループであったのにも関わらず首になった。そこで作ったグループがジューダス・プリースト。メタルの夜明けと言う事になっている。O・オズボーンはなぜこういうサウンドを思いついたきっかけはと言うと映画館の前を通りかかった時に人が大勢並んでいた事に起因する。映画の種類はホラー映画でなぜこんな怖いものをお金出して見るのであろうかと思ったらしい。だがこの怖い音を音楽に持ち込んだら受けるかもしれないと考えた。なかなかの商売人である。実際ヘビメタのCDはメガヒットが多い。87年ヘビメタにとってはバブル絶頂期である。ガンズ アンド ローゼス、デフレパード、ホワイトスネイクの三枚のアルバムが3800万枚売れた。印税を計算してみよう。一枚2000円として・・・電卓の桁数が足りない、あとは自分でやってください。とにかくお金持ちである。持続化給付金の申請はしなくても良さそうだ。こんなに売れてもグラミーショウにヘビメタ部門がなかった。初年度はハードロックとヘビーメタルが一緒になった部門が一個だけあって誰もがメタリカが受賞すると思っていた。本人たちも受賞グループ名が告げられ時半分椅子を立ち上がりかけた。
「受賞グループはジェスロ・タル」誰だ・・・そいつらはと言う事になった。
僕は知っている。Jazz プレイャーのR・カークに影響を受けたフルート奏者I・アンダーソンが率いるプログレ、ジャズ色も感じさせるいいグループであった。だがグラミー賞のメタル部門で受賞するなどとは努々思わずI・アンダーソンは家で中継を見ていた。この選定は物議を醸しだし部門が分かれたヘビメタ部門で翌年メタリカは晴れて受賞できたと言う事だ。
僕はヘビメタと言うのは若い時のエネルギーで聴きある年になったらAORのような音楽に宗旨替えし穏やかな生き方にシフトしていくものと思っていたら全く違うと知った。ヘビメタフアンは浮気をしない。一生聴き続ける生き方を選ぶ人が多い。マニアの人の暗いイメージと全くそぐわないがおしどりのような生活だ。リターントゥフォーエバーが好きになったり、Jコルトレーンに戻ったりするjazzフアンには耳の痛い言葉である。そこで最初の名言「ヘビメタは生き方である」だ。その日のゲスト寺脇慎吾の名言である。
メタルにも色々な種類がある。何から聞けばいいのか分からない・・・良くある初心者の悩みだ。寺脇はこう答える。
「カレーを食べる時と一緒です」いきなり辛さ8倍の舌が痺れて脂汗出るようなものはやめたほうがいい。最初は辛さ2倍くらいから始めるとよい。寺脇はアイアンメイデンを勧める。
僕はアイアンメイデンが辛さ2倍くらいかどうかは全く分からないがデスメタルは辛さ8倍くらいだと予想がつく。とにかく速い、でかい、何言ってるのか全く分からない。最初の早いだけが吉野家に似ている。
ドラムのレガートがルルルルルルルルルルルrと聞こえる。ボーカルは人間を威嚇するヒグマのような野太い音でデルガタ ダデアダダダッダアアクァックァツtデンンン ブヒブヒ オッパイオッパイと何を言っているのかは全く分からない。歌詞に感情を込めるなど言う作法は平安時代の貴族の所作だと思っている節がある。
ヘビメタには使っていけない音階があるらしい。それはキリスト教の戒律に支配されている恐怖映画、(オーメンを思い浮かべると判りやすい)に端を発した音楽なのでマイナースケールは御法度と言う事らしい。これは検証に値するがヴァン・ヘレンやI・マルムスティーンを聴き続けるのは流石に辛い。誰か調べてほしい。色々な人物像も紹介されていたが、知らない人のエピソードはピンとこない。一人だけ知っている人がいた。ガンズのDアクセルだ。兎に角遅刻魔だ。コンサートを平気で2時間3時間遅らせる。詩を書き曲も作りアクションもカッコいい、文字通りこの人がいないと始まらない。誰も何も言えない。付き合いはステージの上だけという末期のスマップの活動状況と似ている。
遅刻の話だがどの業界にも遅刻魔はいるものだ。僕が知っているのはピアニストのOさんだけだがAブレーキーだと話が面白い。DアクセルとAブレーキーどちらが先に目的地に着くか・・・ブレーキ踏みすぎてアクセルの勝ち・・と思うのが素人の赤坂さ。アクセルとブレーキ一緒に踏むようなGO TOキャンペーンでどこにもつかず引き分けが正解。
日本独自のヘビメタジャンルがあることも知った。嬢メタルというらしい。キャバクラ嬢のいで立ちでやるガールズバンドの事である。今のご時世この種のバンドは流石に活動できないであろう。何せ「キャバクラ」と「ライブ」の二大悪の要素が入っている。
余談
高校の同級生でいまだにヘビメタのバンドをやっている奴がいる。オヤジバンドコンテストで全国優勝をしたことが有る。年賀状に毎年ライブ聴きに来てとある。二度ほど行った。オランダの何とかと言うグループのコピーバンドらしいが元ネタを知らない。10年ほど前僕の店でクラス会をやったことが有る。余興に僕と二人でジャズとヘビメタの間を取ってビートルズをやった
参考図書
「ロックミュージックの社会学」南田勝也
ロックを成立させロックであることを決定づける価値観の体系を説明している。
「ブリティシュロック」林浩平
ニーチェ、ハイデッカーの哲学が提示するもっと音楽を楽しむための思想としてのブリティシュロック
「ジャンルって何だろう」みつとみ俊郎
地図に国境線が書いてあるから国境があると考える人はいない。だが国境は厳然としてある。音楽の世界に国境線を引いたらどなるのであろうか・・・

腹立ち日記vol31イマジン

クラスターの出る店が羨ましいほど人が来ない。閑古鳥が鳴く元気もない。応仁の乱以後最大の暇さ加減でjazzバーきってのヒマジンである。
近くのツルハドラッグにごみ袋を買いに行った。人は来なくともごみは出るから不思議だ。うがい薬の棚を見た。イソジンが売り切れだ。
想像してご覧・・イソジンがない世界を・・・issojin no heaven ♪
大阪の吉村知事がイソジンはコロナウイルスの治療薬として有効だと発言したかららしい。
問題は二つある。まずポピヨンヨードを含むうがい薬はイソジン以外にも色々あるのに大阪市に本社があるシオノギ製薬のイソジンばっかり強調して売りつけようとしたことである。もう一つはヨードがある病気には弊害があるにもかかわらず、そして治療薬、予防薬と発言したにも関わらず、そのこと自体は「誤解」としながらもある種の有効性に関しては撤回しないのである。裏コードはシオノギ製薬が「こども未来支援」というプロジェクトで大阪市と業務提携をしているからだ。安倍総理の仲間内で一儲けしましょうや・・という発想と同じである。
吉村知事のやっている感の演出は上手い。毎日のようにマスコミに顔を売り維新の会の支持率上昇に貢献している。この人が将来の総理候補に挙がるようになった。デューク冗談ではすまなくなっている「危険な関係のブルース」状態だ。
国民よ、そして忙しくないミュージシャンよ。時には非凡にならなくてはならない。
ヒマジンno 平凡

日本映画探訪記その5 女優とアイドル

女優とアイドルは映画のタイトルではない。角川映画で原田知世と薬師丸ひろ子交互を見て気が付いたことが有る。アイドルが演技をすれば女優になるもではないということである。両方に関わった大林宣彦監督が述べている。
「アイドル風にやっていれば、器用に見えて大人っぽく見えるのです。小器用に見えて現代風のリアリティが出るんですよね。アイドルタレントと言うのは、器用じゃないといけない。女優と言うのは本来不器用な存在だ、だから日常的なレベルで見ると、器用な人のほうが、いい演技をやっているように見えるし、女優風にやると不器用な子は下手なのがそのまま出て見えちゃう」
テレビとの関係でこうも述べている。
「テレビでは最初から綺麗で可愛くないとチャンネルを変えられてしまう。最初から綺麗で可愛いことが必要でそうするとその少女が二時間たってもちっとも変わらないから、それでは物語の魅力の一つが失われているんですよね。すると登場人物が何をやるかと言うとアクションやパフォーマンスに終始する」
薬師丸ひろ子は「セーラー服と機関銃」のエンディングでは妙に艶めかしいのである。二時間の中で成長している。セーラー服に赤いパンプスで街中を歩くだけであるが子分の若頭だった渡瀬恒彦を失った気怠さに満ちている。最後はマリリン・モンローの「7年目の浮気」の有名なシーン地下から吹き上げてく風でスカートがめくりあがるがマリリリン・モンローほど見せっぷりは良くない。「探偵物語」でも松田優作と共演し映画の終わりにはちょっとだけ大人になっている。最後のキスシーンは薬師丸の事務所からクレームが入ったが成り行きで若い二人に任せましょうと言う事になったらしい。「Wの悲劇」では役柄が舞台女優と言う事で鬼より怖い蜷川幸雄の指導を受けている。「学芸会じゃないんだぞ」と実際怒鳴られたら背筋が凍る。それでも最後は蜷川先生に少しは良くなったと褒められている。ここまで薬師丸ひろ子はアイドルから女優に少しずつ変身しているように思える。あれ、何となく薬師丸ひろ子のフアンぽくなっている自分がいる。
最後に言いたいことは映画の事ではない。10年ほど前になるasの池田篤にある札幌のミュージシャンの印象を聞いた。
「XX君は上手く聴かそうとしています」
大林監督のアイドルと女優の話を読んでふと思い出した。

参考図書
「僕の映画人生」大林宣彦

腹立ち日記vol30 短編集

1. 156位セネガル、157位中央アフリカ、158位ウガンダ、159位日本、160位カメルーン。FIFAのランキングかと思ったが違うらしい。人口比のPCR検査数である。アフリカ諸国には悪いが実施能力が追い付いていないと言っても低すぎでしょう。
2. アベノマスクの為に国民一人当たり500円負担したことになるらしい。着用している人は一人しか見たことがない。見栄だけのマスクに税金として自分で負担しているのである。なか卯のうどんを食べたほうがましである。 
3. マスクはもう結構ですと言っているのに介護施設を中心に8000万枚まだ配るとのことだ。全く無駄になるとは言わないがもっとやることあるでしょうと言いたい。希望する施設だけにすると余ってしまうとのことだ。昔一度だけ来たことが有る押し売りを思い出した。
4. 歌手の弘田三枝子が亡くなった。代表曲の「バケーション」は知っている。「ワケーション」は誰の曲だ・・・。菅官房長官プロデュース・・・全く余計なことをする。旅行しながら働く・・・日本人の勤勉さに付け込んでいる。早速弊害が出た。人口5000人の離島与論島に36人のクラスターが出た。島の病院はもう機能していない。

AV女優

わたし、薬物が好きな人なの。もう大人だから、さすがにシンナーは恥ずかしくてやめちゃったけど、今でももし目の前にポンとシンナー置かれたらやっちゃうね。気持ちいいんだ他にコカインとか覚醒剤とか色々試してみたよ。私ねセックスの時どうもあそこがヒリヒリしていたくなっちゃうの。でも覚醒剤をあそこにすり込むと熱を持ったみたいにポンポンと熱くなってすっごい気持ちいいんだよ。あっ、これ全部昔の話ね。・・・・・
有森麗。推定20歳
AV女優42人にインタビューしたノンフィクション「AV女優」永沢光雄著の一部抜粋である。一番穏やかな部分を選んだつもりである。だがこれなどは単なる序章で人目を気にしながら読むような個所もあるし眩暈がしそうな表現もある。しおりの位置からしてまだ全部読んでいない、未読コーナーに平済みになっていた。この本がある本に紹介されているのを目にした。尚且つこの本を授業に使った先生がいる。先生の名は高橋源一郎。読むと言う行為はどういうことかを問うのである。
学生の中には怒る人間、後ろめたい感覚にとらわれる人間もいたようだ。学生にとってはほとんど同世代の少女が全く違った世界で生きていることに衝撃を覚える。そして様々な問題を投げつけられる。この文章はインタビューから文章を起こしたものである。難しい表現も読めない漢字もない。文章としては理解できる。プルーストやサルトルのように何を言っているのかさっぱりわからないと言う事はない。ただ考えさせられる。源一郎先生はそれが良い文章だと言う。
ここでの女優たちは饒舌であり溌溂としている。逆説的な意味で純粋無垢なのである。それを引き出したのは永沢光雄の力なのだ。
読んだ後で違う人間になっているような文章を読めと源一郎先生はおっしゃる。
参考文献
「『読む』ってどんなこと」高橋源一郎著
「国語入試問題必勝法」清水義範著
国語の参考書ではない。我々が学生の頃受けた国語教育のパロデイ小説。

嫌いな言葉

中島義道と言う偏屈な哲学者が書いている「私の嫌いな10の言葉」と言う本がある。この中に僕の嫌いな言葉は入っていない。この先生は「いつから自分は自分になったのだろうか」と言うようなことを何十年も考えている人である。一般的な人からは「めんどくさい」と思われる人である。僕が嫌いな言葉はその「面倒くさい」である。
3.1415926・・・・・例えば円周率は3でいいと教えた時期がある。円周率の本質的意味合いがそがれてしまう。少なくとも3.・・・・にしなくてはいけない。面倒くさくとも。人間だれしも得意分野の話であっても分からない領域がある。意見の違いを認め合いつつ違う視点を探るという行為は面倒くさい行為である。特に芸術家は音を出せばわかる、筆のタッチで分かる、アスリートであれば走れば判ると感性の分野あるいは肉体的分野に逃げ込んで話を終わらせようとする。はっきり言って駄々っ子である。そういう時それまでの時間が無駄に感じ徒労感が募るのである。
ライブハウスとはいえ演奏がないときは一飲み屋である。誰もが弁士の資格がある。時々俺(私)の意見を認めないのか・・・・と絡まれる。発言の機会は保証する。だが同意するかどうかはこちらの問題だ。
異物であっても排除はしない。民主主義の鉄則である。民主主義は面倒くさいものである。
多数決は民主主義の本質はついていない。

腹立ち日記vol29 連休

今日7月23日から4連休である。あれ、こんな時期に連休あったのかなと体に馴染まない。24日はオリンピックの開会式の予定でスポーツの日と言う源氏名がついている。半年前はまだオリンピックやろうとしていたのだ。指導層の見識の無さがここでも露呈している。先日も森喜朗会長が「今やめると違約金が発生する」と発言している。アスリートありきの発想はない。僕はコロナ禍が有ろうがなかろうがオリンピック招致には反対である。福島復興の象徴としてのオリンピック・・・・。あの時期汚染水は海に垂れ流し、生活基盤の復興事業は遅々として進んでいない。安倍総理の完全にコントロールされていると言うセリがいかに空々しく聞こえたことか。ラジオを聴いていると朝から山下IOC代表のコメントが流れていた。モスクワオリンピックに日本が不参加を決めた時自分はどれだけ残念な思いをしたかを考えると選手たちにはぜひ参加させたいと言う。山下選手は最高の柔道家ではあったが組織のトップに立つと金メダルの数しか頭になくなり国民目線で思考することができなくなる。NHKの論説委員が中止ありきで議論するのは拙いと後方支援をする意見をはく。そしてアスリートが開催されると信じて今もトレーニングに励んでいるとコメントする。この循環コードが1日中流れている。感染者数が過去最多の日にである。
NHKは完全に政府広報である。
この連休に合わせてGO TOキャンペーンが開始された。不要不急の外出を自粛するようにと言いながら旅行には行けと言う。ブレーキとアクセルを同時に踏むようでもあり便秘薬と下痢止めを両方も飲まされているようでもある。その旅行にも心得がある。4人家族の場合と言う例が載っていた。旅行中の会話はできるだけ避ける。食事はできるだけ部屋でとるようにする。風呂は大浴場ではなく内風呂で済ます。買い物はホテル、旅館内で済ます等々・・・・。こんな旅行楽しいのだろうか。エロビデオは見ていいが決して興奮しないでくださいと言われているようなものだ。
このキャンペーン東京発着の旅行は除外になった。キャンセル料は国が代理店に払うことで落ち着いた。よく考えると腑に落ちない。外出を自粛している人がいる。あるいは旅行に行く余裕などない人もいる。かたや旅行に行くと言う人がいる。その経費やキャンセル料を税金で負担する。キャンセルなど電話一本。メール1通である。どうやって証明させるのであろうか。我々の給付金には死ぬほど面倒くさい書類を提出させるのに代理店には言いなりか。このこと自体国民を分断することにはならないのか。

ミックスナッツ

柔和な顔の人がいるものだ。何となく幸を運んできてくれそうな・・・・。僕の身近には三人いた。店の近くのコンビニの店員さん、八百屋の元気のいいお姉さん、道新の集金のお母さん。原田知世でなくとも、薬師丸ひろ子でなくとも心を和ませてくれる人は身近にいるものだ。今回は道新の集金のお母さん。角川映画には出ていないがキャリア30年のベテランで先月引退した。少し腰は曲がっているが雨の日も雪の日も自転車で元気に集金に回っている。86歳になったと言う。昔は朝早くに来て何度もチャイムを鳴らされて、それで目が覚めてしまい苦情を言ったこともあった。今では僕の生活パターンに合わせた時間帯に来てくれる。それでも毎回遠慮がちに「起こさなかったかい」と聞いてくる。毎月少し立ち話をする。
住んでいるのは僕のご近所で一人暮らし。北海道中部地震の時も一人で乗り切った。近くに身内はいるかと聞いたことが有る。市内に姪娘さんがいるらしいが「迷惑はかけられない」と顔に屈託がない。僕は何かあったら来てねと言ってある。毎年期変わりに販促品なのであろう、ファイターズの選手名鑑と家計簿はいらないかと聞かれる。野球には全く興味はないし店の帳簿だって適当につけているなどと余計なことは言わず必要な人にあげてと言う事にしている。
最後の月自動引き落としの依頼書を持ってきた。僕は「お母さんが元気に集金に来るのを楽しみに新聞取っているのでやめようかなあと思っている」と言った。本心である。今の時代ネットでも読める。
「旦那さん、嬉しい事言ってくれるねぇ」と顔をほころばせた。
「30年間ご苦労さん」と言って緑茶のセットを渡した。お母さんはこんなことしないでと遠慮したが文字通りつまらないものである。受け取ってもらった。
月は変わって日曜日の昼下がり。チャイムが鳴った。電気もガスも払った。新聞の集金は終わった。国保の督促は日曜には来ない。怖いものはない。開けると道新のお母さんであった。
「昨日で全部の集金が終わったよ。長い間有難う」とわざわざ報告に来てくれた。
口に合うかどうかわからないけど・・・・と言ってミックスナッツ手渡された。
毎日少し齧ってお母さんの健康を願っている。