腹立ち日記vol17

国会が閉会された。与党が上程した法案が成立し会期延長の必要なしとのことだ。「桜」問題は何一つ解明されていない。隠蔽、改竄、廃棄のオンパレード。問題がいろいろ噴出して焦点がボケて来たのも事実だが細かいことはもういい。この内閣がまだ支持されているということに愕然とする。発足時の支持理由として「他に適当な人がいないから」が多かった。いくら何でもこの理由はもう当てはまらないでしょう。とにかくこの人以外にしなくてはいけない。日本の民主主義は終わる。

jazz紳士交遊録vol6

梅津さんの3daysが終わった。梅津さんの音楽の全貌を知ろうと思ったら3日間では足りない。アケタの店での恒例になっていた梅津和時大仕事は15日間にもわたる。日替わりで親交のあるミュージシャンが押し寄せる。
片山広明から忌野清志郎までありとあらゆるジャンルの人が来る。
梅津さんとは知り合ったのは古いが回数は多くはない。シャクシャインで1回。板橋さんのグループで一回。その時は僕が全道ブッキングして会社を休み1週間ついて回った。札幌のビードロというライブハウスが閉店するときのことだ。確か37年前だ。地元のグループに乗って演奏してくれた。曲もそのグループのレパートリーでjazzの王道を行くような曲で梅津さんがそういう曲だけをやるという方がむしろ珍しかった。後で店主に聞いたのだがノーギャラで来てくれたらしい。演奏は尖っているが人柄は温厚で人格者で社会的意識も高い。そういうこともあって昨年から秋の梅津和時小仕事が恒例化になってきている。
梅津さんは海外から帰ってきたその日にも都内でライブをやる人だ。完全に自己管理ができていると思いきや昨年は飛行機の時間を間違えて乗り遅れた。そういうところも人間臭くていい。

腹立ち日記vol16

桜を見る会の問題について一言。公選法違反、公金横領、公文書毀棄罪に抵触するかもしれない問題が噴出している。新しい事実について一つ一つ立件していくのは難しい問題なのかもしれない。ただ庶民感覚で言わしてもらうなら「もう・・・いい加減にせえや」である。
「個別の問題については説明は差し控えさせていただく」だの
「丁寧な説明をさせていただく」だの矛盾する言動が交互に出てくる時間稼ぎの4バース。しっかりテーマを聴かせてほしい。
こんな為政者に真綿で首を絞められるような生活を強いられているかと思うと本当に嘆かわしい。心の片隅に血盟団事件の井上日召が宿るのである。

2019.11.22-23 梅津ワールドがやって来た ヤァ!ヤァ!ヤァ!

11.22 梅津和時withEKB+1
梅津和時(as)碓井佑二(g)池田伊陽(g)秋田祐二(b)大山淳(ds) 
 “KIKI bandの曲を中心に演奏する予定”というのが、当店ライブスケジュールの触れ込みであった。早速、1曲目に碓井のカッティングに乗ってKIKI bandの曲がピックアップされた。ではあるが、2曲目はB・マーリーの「I shot the sheriff」、3曲目はC・ミンガス「Good by pork by hat」、4曲目は我々の耳にとって本家よりJ・コッカーの熱唱で強烈な印象のある「With a little help from my friends」ということになって行った。この流れはEKB+1サイドに配慮したものか?それはどうでもよろしい。セカンドに入ると早川さん(b)の曲が2曲演奏された。「ジョ・パシフィック・ストレス」、「ジュマイナ」である。筆者がこれまで聴いてきたFork、Rock、Jazz他が詰まっているデータベースに検索かけると、難なくK・クリムゾンにヒットした。このライブはクリムゾン・サウンドのように目まぐるしい変化の中で進行していく仕掛けなのだ。中ほどに碓井のバラード「フード・ファイターズ」が採り上げられた。しっとりと懐かしい感じの旋律に24のマックス・ヴァリューはかつてフード・センターズという名前であったのを思い出した。いよいよ演たけなわに向かう。R・カークの名曲「レディース・ブルース」をたっぷり聴かせ込んで、最後は梅津さんの「発端は破局」という元も子もない恐ろしいタイトルの曲、日本を拠点にしている多国籍ミュージシャン梅津さんの力感あふれるブルージーな演奏でフィニッシュした。この日のツイン・ギター、碓井が弾きたい盛りの一方、それを一巡している池田は持ち味で臨んでいる様子があり、そこも楽しめるものであった。LBブログの導きにより余計なひと言。桜の下で退化している精神よ、音楽はプログレしているのだよ。
11.23 梅津和時with田中朋子G
梅津和時(as、cl、Vo)田中朋子(key)岡本広(g)秋田祐二(b)大山淳(ds) 
この日はカウントが入る前の一言二言をリハにするスリリングな仕儀。1曲目は田中の難曲「ジャックと豆の木」、1発OK。2曲目も田中の「VEGA」、何度も聴いているがClに持ち替えた梅津さんが曲の新たな一面を引き出す。3曲目は「西陽のあたる部屋」。梅津さんがアフリカを訪れていた時の話。R・ワークマンとの共演が叶いそうな流れの時、ワークマンが“そんなTeke 5みたいなのやらない”と暗雲。梅津さんから“獄中のN・マンデラが西陽の向こうの新世界に辿り着く渇望を5拍子の曲にした”旨を説明してGOサインが出たという実話が紹介された。人間のエネルギーの極限を問う演奏だ。4曲目は梅津さんの「ウエスタン・ピカル」。西部劇とクレズマを合体させて集落の祭りに仕立てたようなハチャメチャ感が冴えわたる。セカンド1曲目は、田中の「レクイエム」。この曲を聴くと心の遣り場を失う。ある人物のことが思い浮かぶからだ。梅津さんは演奏しながら素晴らしい曲だと思ったと告白した。2曲目は梅津さんの「東北」。仙台出身の梅津さんが3.11の風化に警鐘を鳴らす。穏やかだが力強い肉声で歌い上げる。2曲続けての“グサッ”を堪えるのは苦労する。3曲目は暗殺されたブラジルの環境保護活動家に捧げた「シーコ・メンデスの歌」。最終曲は「いつだっていい加減」、だが演奏はシリアスの極み。アンコールは「ぶどう園の住人」。“ぶどう園”とはかつて東京某所に存在した集合住宅。部屋に鍵を掛けない住人達、解放区ならではの大らかな悲喜を綴った曲だっタータタ、タタタッター。
世界中の音楽とともに進化する梅津さんを語るのは難しい。だからこの二日間に限定した話に纏めるのが賢明だと判断した、と言い訳しておく。初日と二日目はガラリと違う雰囲気であったが、この人はなんと生命力を感じさせる音を出すのだろうという印象を以て結びたい。なお標題は、今回の梅津ワールドの選曲とメロに〇ートルズがやって来たのでヤァ!ヤァ!ヤァ!
(M・Flanagan)

jazz紳士交遊録vol4

僕は「赤い糸」で結ばれるという現象を信じるタイプである。昨日、松島が帰り今日はセッション。この日は僕にとって伝票整理したり、HPのスケジュールを更新する事務作業の日であった。
最初に客がピアニストの井上祐一であった。東京では松島とも演奏する同世代の演奏家である。lazyでも2年前に松島と共演してもらった。幸い今日のセッションは参加者が少なく、井上のピアノをたっぷりと聞く事が出来た。学生の頃から知っているが若いころはビ・バップ一筋、ほかの要素を入れることを毛嫌いしている感があった。50歳過ぎて演奏は一回りも、二回りも大きくなっている。そして、まず人間味が出てきた。しばらくぶりという事でもあるのでお土産を持ってセッションに来た。僕はお土産に弱い。お土産を持ってくる奴に悪いやつはいない・・・・と思いたい。
近況をざっと聞いた。一昨日向井滋春と演奏したという事である。最近またレコードがきける環境になった。何千枚もある中からトニー木庭と言うドラマーのリーダーアルバムを引っ張り出してきた。トニー木庭のドラムは向井グルプで一度だけ聞いたことがある。まだ10代であった。圧倒的なエネルギーと切れのいいリズムに打ちのめされた。こんな縁もあるのである。
井上は大友義夫さんは体調せいかツァーに行かなくなったとも言っていた。前回の交遊録で書いた[left alone]の大友さんである。
大友さんには申し訳ないが1週間で2回も思い出すことは20年ほどなかった。
まだ「赤い糸」で結ばれた人が出てくるかもしれない。今日は新調した下着で店に行こうと思う。

2019.11.15 松島啓之4 

松島啓之(tp)本山禎朗(p)柳 真也(b)伊藤宏樹(ds)
 ジャズ喫茶に通っていたころを思い出す。店側は特定の楽器編成に偏らないことを選択基準にしていたので、色々な演奏に接することが出来た。レコード店でも見かけないものも結構かかっていた。その記憶をぼんやり纏めると、管楽器は華だなぁということになるかも知れない。レコちゃん(レコードを選ぶバイトさん)が持ってきたものを、店主がその適否を決定するのだが、ああいう光景は懐かしいものだ。広範な盤選択の中でバップは暗黙のリクエストを受けるかのように、ターンテーブルに乗っていた。誰かが音楽には二種類あって、“聴いたことのある音楽”と“聴いたことのない音楽”だと言っていた。この分類は、あることに関しての体験や知見があったかどうかの区分に過ぎず、音楽の分類である必要はない。ジャズ喫茶の客は満足度を高めようと“また聴きたい”あるいは“聴いたことが無いのを聴きたい”という動機で、足を運ぶ回数を重ねていくことになるので、先の変な分類に当てはまる一面もある。前置きが長くなったが、ご存知のとおり今日演奏する松島は何度も来演しているが、それは回を重ねるに値する演奏をしてきたことの証左である。そして何といってもバップ感溢れる演奏が彼の聴きどころだ。バップというのは、リズムやコード進行の細分化等々で解説されるが、音楽的定義や分析は専門家に任せるとして、筆者風情には音から汗がほとばしり出る音楽であるというだけで事足りる。その世界を目の前で体現してくれるのが松島なのである。当夜も今日的バップを熱帯的に味わうことができたのであった。演奏曲は、松島の「ジャスト・ビコーズ」、「マイルス・アヘッド」、ガレスピー「And then she stepped」、「Peace」、B・パウエル「Oblivion」、ミュージカルBye, Bye Birdieから「A lot of livin’ to do」、松島「トレジャー」、P・チェンバースの「Ease it」、松島「リトル・ソング」、ドーハム「Lotus Blossom」、「オール・ザ・シングス・ユーアー」。この傑出したトランペッターの共演者の今日について一言。ここのところ本山の充実ぶりには目を見張る。“いよいよ来たな”と声を掛けたくなる演奏だ。柳の得意分野は外交である。成る程、どこのどんな相手にもケチのつく対応はしない。嘘っ気のない伊藤は今日も火中の栗を率先して拾いに行く気合がフル回転だ。
 ジャイアント・バッパーの熱い16文キック炸裂。松島や、なう松島や、いい松島や。三景Very・Much.
(M・Flanagan)

jazz紳士交遊録vol3

長いイントロから始まる。角川映画で「キャバレー」と言うのがあって野村宏伸が主役のsaxプレイヤーを演じていた。テーマ曲が「left alone」で野村が吹くシーンがあった。運指がでたらめでがっかりした記憶がある。「愛情物語」の主役タイロン・パワーはピアニストの役をするにあたって一年間他の仕事を一切入れずピアノの練習に励んだという。それが役作りに生きている。ピアノを弾くシーンではそのままの音を使えるレベルであったが、サントラではカーメン・キチャバレロが吹き替えをやっている。「キャバレー」では勿論吹き替えで大友義夫が吹いている。大友義夫は僕がライブハウスで聴いた最初の東京のプレイヤーであった。艶やかなアルトの音色で「男が女を愛する時」は死ぬほど聞いた。
先週峰厚介さんに来て貰っていた。若々しい演奏で有ったが年齢を重ねないと表現できない何かもあって素晴らしかった。峰さんは若いころalt saxを吹いていてマル・ウォルドロンとアルバムも残している。勿論「leftlone」も演奏している。随分前峰さんと「キャバレー」の話になった。本家本元とやっている人のところへ話がいかなかったのか聞いてみた。
「僕の所へ来たよ。断ったら大友君のところへ行ったんだよ」
やっぱりと思った。
峰さんは愛する臼庭潤の師匠でもある。時々洒落を言う。
右手をぶらぶらさせて「こういうトランペッター知ってる?」と聞く。僕はすぐわかったが何人か外すと嬉しそうに目を細めて言うのである。「フレディ・ハバード・・・・・・・震える手ハバード」
峰さんが言うから笑うのである。
レパートリーに「アール・デコ」と言う曲がある。作曲者はオーネット・コールマンの盟友、ドンチェリーだ。共演者に聞いたのであるが。これを峰さんは「ドンサクランボ作曲。アールデコ」と紹介する時があるらしい。あまりにもそのままなので何も言えなくなる。
洒落は臼庭にちゃんと習うべきだったかもしれない。

jazz紳士交遊録vol2

昨日からtpの松島啓之に来てもらっている。北海道は2日前まで穏やかな天候が続いていた。ところが昨日から真冬並みの寒波が訪れ暴風警報がでた。幸い飛行機は定時に到着しライブ初日はつつがなく終わった。冬の嵐である。札幌には偽の「嵐」も来ていてホテルが取れなかった。一週間前やっとキャンセル待ちで松島の部屋を確保できた。毎回「嵐」には泣かされる。早く活動休止してほしい。
何故かトランペッターとは縁がなかった。だいたいトランペッター自体少ない。一流は数えるほどだ。池田篤に相談した。松島を薦められた。プレイは知っている。問題は人柄だ。危険負担して来てもらっても嫌な奴だったら打ち上げが楽しくない。池田曰「暗くどっぷり飲むタイプです」という事だった。実際会うと暗いと言うより穏やかと言った方が適切かと思う。
松島のことを説明するのに「熱帯jazz楽団」や「ルパンティック6」の名前を出さざるを得ないのだが普段やっている音楽はど真ん中の直球勝負と言った種類である。トランぺットがjazzを牽引していたあのハードバップ全盛の手に汗握る音楽の直系である。
東京のミュージシャンには時々お願いして学生ともやってもらっている。学生の人気投票では松島が一番人気である。その偉ぶらない人柄の故だ。大きな声では言えないが最低人気はT也だ。理由は「怖いです」だ。まあ。しょうがないか・・・・・
一に松島、ニに・ロッソと言う位置は僕の中でしばらく動きそうもない。
まだライブ三日ある。ぜひ松島のビューンと言う剛速球を体感してほしい。

jazz紳士交遊録

あと一か月半で令和元年が終わるが30年前は平成元年が終わるころでもあった。ラジオをつけると平成元年のヒット曲の特集をやっていた。ほとんど知らない曲であったがプリンセス・プリンセスの「ダイアモンド」だけは知っていた。プリプリがデビューする一年前だと思う。僕はブッキングした板橋文夫Gと全道を1週間ほど旅したことがある。ベースは伊野信義さんであった。グラスなどを割った時に使う定番フレーズ。
「私弁償します」
「いいの、いいの、ブライアン・イーノ信義」の井野信義さんである。
伊野さんは実に真摯な人柄で打ち上げの所謂芸事の話は苦手だと言っていた。
メンバーとは離れた所で静かに飲んでいる井野さんに音楽的な質問をいくつかぶつけたことを覚えている。
井野さんの高校の後輩にあたる渡辺加津美のハーモニセンス。
そして当時ジャーナリズム界では評判の良かったJJ.spirits(峰厚介、佐藤充彦、井野信義、富樫雅彦)の僕の印象。
どの曲も忙しく聴こえ、ゆったりした感じがない。井野さんはこの素人めが・・・・・とは言わず説明してくれた。峰さん以外は皆リズムが早いという事であった。伊野さんは「俺は早いけど、トーサ(充彦さん)はもっと早いんだよ」と言っていた。100M走でピストルがなる前にもう5メートルくらい走っている感じだ。
話はどういう経緯でプリプリの話になったのかは覚えていない。デビュー半年前にベーシスト候補をマネージャーが連れてきて「この子を半年で弾けるようにしてください」と言われたそうである。どのレベルで弾けるというかは相手に預けて取り敢えず教えたそうである。結果は武道館コンサートまでの順風満帆の活動でになった。
半年で驚いてはいけない。若井俊也はベースを弾き始めて3ヶ月でプロになっていたし村上ポンタさんはドラムを買って二週間後には「赤い鳥」のオーディションを受けに行った
ツァーの終わりに井野さんはミンガスのあるレコードを探していると言っていた。
僕はカセットに録音して送ってあげた。まだyou tubeなどない時代である。丁寧な返信ハガキが来た。

2019.11.9 峰 厚介 Mr.Monster

峰厚介(ts)中島弘恵(p)秋田祐二(b)小山彰太(ds)
 峰さんは昨年の年明け以来だ。その日のことを思い出しながら、今後どれくらい、峰さんの生に接することが出来るのだろうかという思いに駆られ、手に取るまま数枚のアルバムを聴いた。ささやかに助走付けをしてから会場に向かった。これまでギリギリまでスコア・チェックするといった厳しい演奏姿勢の峰さんを何度か目撃してきたが、この日のレジェンドは柔和な雰囲気を漂わせていた。時間を押すことなく開演を迎えた。おおよその流れに沿ってみよう。1回目はW・ショーターの逸品「LIMBO」にて開始、中島の「セカンド・ステップ」は次に踏み出す一歩というよりは二の足を踏むとした方が相応しいような曲想。次は峰さんのオリジナル2曲。公演先をひっそり去る時の心情のような「アフター・ザ・チェック・アウト」。聴く側は哀愁のバラッドにチェック・イン。昨年リリースしたアルバムのタイトル曲「バンブー・グローヴ」、パワフルな魅力にぐいぐい引き込まれる。これぞワンホーン・カルテットの醍醐味。2回目は、最近休筆から復活を遂げた時事評論家がタイトルを付けたという中島の「ガンボズ・ステップ」、S・リバースのメロディアスな佳曲「Beatrice」、彰太さんの「月とスッポンティニアスな夢」はタイトルとは逆に深海を彷徨してるような不思議な曲。最後は中島の「スリー・ヒルズ」で、終局の聴かせどころに巻き込んでいった。アンコールはD・チェリーの「Art・Deco」。
峰さんは十代から夜の営業の生バンド需要がある世界で身をもって腕を磨いてきた人だ。そういう出自は、今では縮小過程に入っているのだと思う。現代という時代は、ネットで幾らでも音楽情報を手にすることができるので、土埃をかぶらなくても、ソコソコの考古学者になれるかも知れないような怪しい陰が貼り付いている。とはいえ、最近の台頭著しい若手ミュージシャンたちは、そうした懸念を払拭してくれていることも知っている。彼らは、峰さんをはじめとする偉人たちの描いてきた軌跡をきちんと視野に収めているのだろう。それにしても、ワイルドさありデリケートさあり、そこを自在に往還する風格は、わが国JAZZの覇権を握る演奏家の威容そのものだ。当然の帰結と云おうか、峰ウチでは済まされず、バッサリやられたことのこの快感。今なお湧き出すエナジーによって、Mr.Monsterは今日も峰ブランドをクリエイティヴに更新し続けているのである。
(M・Flanagan)