2017.6.23-24 なるぴあの~ 大石染みる初夏の夜に・・・

2017.6.23-24 なるぴあの~ 大石染みる初夏の夜に・・・
大石 学(p) 米木康志(b) 
 この二人は継続的に共演を重ねているので、傑出した緊密感と安定感が維持されていることは周知のことだ。欲張りな我々は更にプラス・アルファをねだりに来た。2年前はトリオだったが、今回はデュオに凝縮されている。ここには良否で片付けられない際どい一線が引かれている。ドラムスが入るとサウンドの広がりを得ることができる一方、神の見えざる手にかかってピアノとベースの自由度に制限が掛けられてしまうのだ。だからこの2日間のチケットは、ひとまずデュオという自由席を取ったことになる。
 何度か聴いていて思う。大石はどういうピアニストに思われているのだろうか?と。この問いは、抒情的とか耽美的とかという意味合いとは別に、彼が誰にも似ていない独自のピアニズムを持ち合わせていると感ずるところから出て来ている。オリジナル曲についても同様で“これが大石の世界”と、彼の感性を伝える曲想で貫かれていて揺るぎない。答えは分からないが、元々ブルース・ソウルその他色々やっていて、そのノリを一旦中和させるために後追いでクラッシックを取り入れる勝負に出たという特異なプロセスが少なからず今日の基礎をなしていると想像できる。だが、こんなことを考えなくても、ライブはそれ自体として楽しめるのであり、十分楽しむことが出来たのだった。多くの曲は、静謐なピアノのイントロから始まるが、一旦ベースが絡み始めるともう止めようがない。例によってピアノの音は抜群の切れ味で、仕掛け満載のフレーズが湧き出してきて退屈している暇はない。片や米木さんはZEKのツアーを東京で終え、連日の仕事の最後に本田竹廣さんを偲ぶライブ(峰厚介、板橋文夫、本田珠也、守屋美由貴)に参加、その翌日がLB2Daysという過密日程のただ中にいたそうであるが、太く新鮮な生音に疲労感など全くない。そればかりか、阿吽の呼吸だけで済まそうとしない演奏姿勢に驚異を感ずる。これは米木さんに一線級からのオファーが絶えない理由でもある。軽口をたたけば、ベースがなければ試合にならないのは野球ばかりではないということだ。結局、我々は大石・米木デュオという最高の自由席に座ることが出来たが、普段味わえないものを味わったという意味で、料理人が足を運ぶ料理屋に招かれたような最高に贅沢な気分になったのだった。演奏曲は、「ワルツ」、「ウイズ」、「ラウンド・ミッドナイト」、「雨音」、「ワンダー・ワールド」、「エブリシング・アイ・ラブ」、「ボニー・ブルー」、「アリス・イン・ワンダーランド」、「アイ・ソート・アバウト・ユー」、「アイム・ユアーズ」、「アット・レスト」、「E・S(エリック・サティ)」、「クワイアット・ラバーズ」、「インディアン・サマー」、「ヨペク&アマシア」、「空」、「シリウス」、「アローン・トゥゲザー」など、そして2日目のアンコールは何度聴いても感動を呼ぶ大石の名曲「ピース」で締めくくられた。
多くのライブハウスにとってピアノは必需楽器になっている。ここLBにおいても同様である。この1台には何人ものピアノ奏者がその響きを残してきた。随分前のことになるが、大石のライブ終了後に、「このピアノがこんなに鳴るとは思わなかった」旨を本人に伝えたところ、「もっと鳴らせるよ」という言葉が返って来た。この時の会話を思い出しながら、古典に全く素養のない筆者の思いつきによる大石の枕詞が「なるぴあの~」だ。深み欠く~!!
(M・Flanagan)

2017.6.9  毎度の“私記・即・絶句” 

清水くるみ(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
 ZEKのライブは4度目くらいになるだろうか?過去のレポート(私記)はHPブレーク・ダウン事件により今は確かめようがない。しかし、ZEKを“絶句”と置き換えるのは世間で多用されていて照れくさいが、毎度の演奏クオリティーに免じて見逃してもらおう。ZEKは、もちろん再現バンドである筈はなく、完全に自立した演奏集団として活動しているが、このあたりの経緯に興味があれば、結成10年を機にリリースされたCD『ZEK !』のメンバーによる解説を一読することをお勧めする。『何故、ツェッペリンなのか?』という国民的疑問にも解が示されている。
 今回の2Days、残念ながらショパンの事情で初日しか聴くことができなかった。しかし、この一夜に限っても特徴的だったのは、三人の中で唯一人、生ツェッペリンを観ているにも拘らず、その時の演奏を記憶に留めていない米木さんが以前と比較して大きくフィーチャーされていたことだ。3年くらい前からエレベがしっくり来るようになったという米木さんのベースは、言うなれば“構えの大きさ”が際立っており、並外れたグルーブを仕組んでいたと言ってよい。くるみさんからは横揺れ動作と共に奔放さが引き出され、珠也が高笑いの肉声を発っする。こういう時の心理状態がどのようなものか個別に確認してみたくなるわい(笑)。ZEKの聴きどころは、演奏曲によって異なるが大まかに言って最初は探り合いが続くので調和より緊張感の方が優先され、そして何時しか三者の待ち合わせ場所が定まる、後は各自が一体的にメートルを上げながら絶頂過程に突入して行くところである。これを受け入れた瞬間こそ、我ら会場がZEKを共有した瞬間である。聴き応えのあるJAZZとはそういうものだ。演奏曲は、「フレンズ」、「ユー・シュック・ミー」、「フール・イン・ザ・レイン」、「ホワット・イズ・アンド・ホット・シュッド・ネバー・ビー」、「オーバー・ザヒル・アンド・ファー・アウエイ」、「カシミール」、「イミグラント・ソング」、「ロックン・ロール」。特に最後の3曲の一気の流れには、熱狂的に震えた。
 かねがね、本レポートの読者はせいぜい10人くらいと想定しているので、行儀悪いが周辺余話を記しておきたい。それは、2年ぶりにバンクーバーから来札したにも関わらず旅程の都合でZEKを聴き逃したMARKの不運、そしてLBに縁のあるG郎、S名、H瀬ら永遠に微妙な「フレンズ」と再会できた幸運である。
(M・Flanagan)

2017.5.12-13  JAZZ緩みなきもの

本田珠也(ds)守谷美由貴(as)須川崇志(b)石田衛(p)
本田珠也はわが国屈指の多忙なMusicianである。その彼はLBの年間計画に欠かせない演奏家として毎年ブッキングされており、それだけも讃辞に値すると思っている。例年は重鎮との共演を堪能させて貰っているが、今回は世代を下げた気鋭の布陣であることが興味をそそる。と、知った風なことを言ったものの、筆者はこのバンドについて詳しくない。ネットで予備情報を仕入れる手もあるが、即席の手掛かりは返って邪魔な縛りになるので、情報過疎の方がいいと決め込んでいる。そんな訳で、この度、守谷と須川を初めて聴く。それは、ちょっとした異変の始まりでもあった。守屋は華奢な(失礼)感じの外見とは裏腹に、数曲提供された自身の曲想は骨太である。演奏もそれに同調するかのように奔放で思い切りの良さがあり、バラードでの歌わせ方も自らのものだ。ここで筆者の予断でもある今どき流行りの女流サックスという思い込みは崩壊、気付くのが遅れれば人類の半分を敵に回すところであった。外見に限れば須川もやっと外泊許可を得た入院患者のような細身であるが、音の芯は屈することの無い硬質さがあり、又、技巧の超絶さも兼ね備えていて、ジャズ本流のみならず実験的音楽も消化済といった聴きどころ満載のベーシストだ。ピアノの石田は一度聴いて辣腕ぶりが耳に残っているが、今回も華麗に引き締まったソロに加え、スキのない絶妙のバッキンングは聴き逃すべからずであった。こうした個性の群れを率いているのが珠也である。群れと言っても、彼は野生の動物集団のリーダーと違って、強権的に仕切ることをしない。本田珠也の音楽は、約束事を最小限に留めながら、その場で最大限の音楽創りを決行するところに真髄がある。この音楽には、標準拍子であろうが変拍子であろうがあまり関係ない。父・竹廣氏が残したメッセージ、「地に響くように!」=DOWN・TO・EARTHがあるのみなのだ。今回、珠也のドラムソロから感じたことを付け加えたい。それは、音が音から脱出して生き物のように動いていた、ということである。
演奏曲は、「ハーベスト・ムーン*」、守屋のイニシャルと思われる「M’s ジレンマ*」、「リップリング」(竹廣氏)、「タック・ボックス*」、「クール・アイズ」(竹廣氏)、「ノー・モア・ブルース」(ACJ)、「ワンス・アッポンナ・タイム*」、「スフィンクス」(O・コールマン)、「ブルー・プラン」(峰さん)、「ラブ・アンド・マリッジ」(j・v・ヒューゼン)、「ディープ・リバー」(ゴスペル)、「レッド・カーペット」(A・ペッパー)、「ファースト・アウェイ*」、かつて臼庭と死ぬほど練習したという「ソング・オブ・ザ・ジェット」(ACJ)、珠也の祖父が作曲し、感動極まる演奏となった「宮古高校校歌」など。(*印は守屋のオリジナル)
5月ライブ・スケジュールに、『本田珠也の一番やりたいグループ、“一切の緩みなし”』とコメントが付されていたことと、2日とも演奏されたのはオーネット・コールマンの曲だったことを足して2で割った結果、標題を「JAZZ緩みなきもの」とさせて頂いた。
札幌で一番キレイな店(珠也の弁)で再び、DOWN・TO・EARTHを聴く日が楽しみだ。
(M・Flanagan)

2017.3.31-4.1  Another Standards

若井俊也(b)赤坂拓也(p)西村匠平(ds)
LBの直近blogは「四月は残酷な月だ」というTSエリオットの詩集「荒地」の引用から書き始められている。4月とは3月のリバウンドが襲う放心の月という主旨である。偶然にも今回のライブは3月と4月をまたぐ日程となっていた。若井に限るとここ数年来聴く機会に恵まれており、その可能性に強く惹かれているが、赤坂と西村そしてこのトリオは初めてだ。
何の予備情報もなく聴き始めることになった。最初は確かC・ポーターの曲だったと思うが、瞬時に感じたのはバランスの良さだ。これは彼らが等しく昭和の終期に誕生しているという同世代的共鳴によるものではない。三者対等のインタープレイを追求する意識が明確に内在化されているからだ。聞くところによると、彼らは必ず後日反省会を行っているという。ピアノ・トリオの自己検証を重要な音楽活動としているのだ。語れば理屈っぽくなるが、そうした真摯な姿勢がサウンドに転化されていることが確かめられる。彼らは腕の立つ連中であるが、引き出しの多様さに依拠せず、むしろ感性の赴くままに演奏する方向に進むことを狙っているのではないかと思う。そこにしか無いグルーブ感を筆者は受け取ることができた。演奏曲は、「サマー・ナイト」「ハウ・マイ・ハート・シングス」「ローンズ」「コルコバード」「エブリシング・マスト・チェンジ」「アイ・ミーン・ユー」「ベリー・アーリー」「リトル・サンフラワー」「オレンジ・ワズ・ザ・カラー・オブ・ハー・ドレス」「ジス・ワンズ・フォー・バド」「フォーカス・セカス」など。ピアノが唸り声を出さないという意味で、“Another Standards”と云っておく。
結局、“残酷さ”は後退し、ご機嫌な“I remember April”をゲット。4月1日、嘘はない。
(M・Flanagan)
あああ

2017.3.10-11  LUNA 特許申請のラウドな行方

2017.3.10-11  LUNA 特許申請のラウドな行方
LUNA (Vo)with 一哲Loud3竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
 2016年7月、店主自ら業界の掟破りなROCK・LIVEを企てたところ、これが思わぬ反響を巻き起こしたのだった。この現象は潜在的にロック・ファンの多さを物語るものではあるが、実際はローカル・ニュースでLUNAのロック乱入事件として話題を集めたことによる。そしてこの一件が、世間の好奇心を誘うとともに特許申請という前代未聞の展開につながって行くのだ。今回のライブ2日間は、『ジャズの店』レイジーバード開店12周年記念のファイナルであり、なお且つ、特許申請の第2次審査と位置づけられている。
 では、2夜まとめて審査会場へ、いざ。長いギター・ソロから静かにベースが絡み、“いったい何やるんだ?とその時、“ガ・ガ・ガ・ガッ”に対し“ウォー” 名曲中の名曲「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」、初めて聴いたブロンディーのメロディアスな「マリア」、これを待っていたのだ「ホンキー・トンク・ウイメン」(2日目はtp山田丈造が飛び入り)、ジャニスのブッちぎり3連発「ムーブ・オーバー」、「クライ・ベイビー」、「メルセデス・ベンツ」、ZEP「ホール・ロッタ・ラブ」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンもの「リトル・ウィング」、「ファイアー」、B・ディランの枯れゆく人生エレジー「フォエバー・ヤング」、そこからヤング・ジェネレーションへの劇的な再生を賭けた「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、この辺でLUNAはエネルギーの大量消費に耐えられず充電バラードを挿入、「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメン)と「オープン・アームス」(ジャーニー)。そしてダブル天国の1曲目はLUNAの師範級リコーダ゙入り「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、2曲目は「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」、日本語の良さが際立つ「イッツ・ノット・ア・スポットライト」、「朝日のあたる家」、もう2、3曲あったかも知れない。特許申請に対する審査基準は(1)ミュジシャンの暴発度、(2)客席の騒乱度、僅か二つのラウ度である。(1)については前回を上回るものであったとの認識で一致。(2)については信頼筋ではないが、“イェー回数”100回超が過半数割れしたとの報告が寄せられている。審査員からはこの克服が指摘されたそうだが、願わくば筆者の喉のガラガラを行間から聞きとって欲しい。なお、選曲に当たって、一部のファンが密かに事前にリクエストするといったインサイダー取引が横行したらしいので、ROCK的透明性を強く求める声もあったようである。
 今回のライブには、我らが臼庭潤の幼馴染みである岩本氏が横浜から駆けつけておられた。2日にわたって場内の火に油を注いだのは、“どんぐりの竹輪パン”を爆食いした彼の功績によるところ大であることを付け加えておきたい。この9月LUNAは副業のジャズで道内ツアーを行うらしい。そんなことよりROCK最終審査のラウドな日を早く決めてくれぇぃ!
(M・Flanagan)

2017.3.2 12周年キム・ハクエイ北海道トリオ

キム・ハクエイ(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
ここ10年ほどは、雑誌はもとよりCDも滅多に購入していない。例外的にライブだけは楽もうと言ったところなので、時折、ミュージシャンが行商的に持ち込んだCDを弾みで買うことがある程度だ。こうした事情もあってキム・ハクエイの音を初めて聴いたのは、筆者の情報源であるLBライブにおいてであり、昨年2月のことだった。その印象は“不思議な新鮮さ”だったのを思い出す。それは、これまで聴いたことのない音があったという意味合いである。これにくすぐられると再び聴いてみようかという気になってしまうのが善良なる悪い癖である。この日の演奏曲(*印はハクエイ作品)は、「ジョーンズ嬢に会ったかい」、「*コールド・エンジン」、「オールサ・ザ・シングス・ユー・アー」、「ブルー・イン・グリーン~ソーラー」、「*ニュー・タウン」、「*デレイド・ソリューション」、「*ホワイト・フォレスト」など。ハクエイのオリジナルに特徴的なのは独自のエキゾチズムが横溢していることだ。“不思議な新鮮さ”と先述したのはこのことを指している。不遇の鬼才レニー・トリスターノを思わせる地を這うような長いフレーズも神秘性を漂わす効果を高めている。かつて未知との遭遇という映画があったが、そのJAZZ版を欲している人には個性豊かなキム・ハクエイがお薦めだ。12周年の初日を終えて、彼のピアノをより多くの人に聴いて貰うためにも、この先もライブの機会があることを願う。因みに、北海道トリオとは三人とも北海道育ちという事実に基づいている。
2017.3.3 12周年鈴木央紹With北海道トリオ
鈴木央紹(ts)キム・ハクエイ(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
2日目は大物が一枚加わったカルテット編成。その鈴木は11周年にも客演しているほかLBでは(ということは我が国の音楽シーンでは)上席Musicianに君臨している。例によって鈴木は平然と演奏している。この光景に騙されないためには、目を閉じて聴く必要がある。すると素通りできない難所が連続していることが分かってくる。これが世にいう鈴木の高度進行というヤツだ。余談になるが、ピアノのハンク・ジョーンズが頭の中に譜面2千曲ぐらいが入っていると言っていたが、鈴木は歌謡曲を含めると1万曲くらいは知っているとあっさり風に豪語していた。真偽の程はともかく、殆ど耳がデータ・ベース化していて、本当かも知れないと思わせるところがこの人物の恐ろしいところだ。鈴木とハクエイは共演歴があるらしいので、互いの演奏の筋は読めていると思われるが、実際聴いてみると過去の延長というよりは現時点の真向う勝負となっており、ライブ=正に生きた音楽の醍醐味を感ずる。演奏曲は、前日演奏したハクエイのオリジナルから数曲ピック・アップ、唯一曲名が紹介された懐かしいC・ロイドの「フォレスト・フラワー」、イントロから長いアドリブが繰り広げられ最後にテーマが顔を覗かせる「アイ・ディドゥント・ノー・ホワット・タイム・イット・ワズ」、極上のバーラード「アイ・ソート・アバウト・ユー」、一番の聴きどころとなった鈴木の演奏力が全開する最終曲(曲名を思い出せない!)等々。そしてアンコールはLBで「いも美も心も」と翻訳されている名曲「Body&Soul」。
今年の記念ライブでLBは「12」を単位の基礎とする鉛筆のように一区切りをつけた。芯の先がますます尖鋭になっていくことを期待して止まない。
(M・Flanagan)

2016.12.23-24  LUNA  Christmas-Live

LUNA(vo)小山彰太(ds)、23日田中朋子(p)、24日南山雅樹(p)
 この日札幌は半世紀ぶりとなる大雪に見舞われ交通網は大混乱となってしまった。主役二人が来られないとすると、ピアノとドラムスのDUOか奇襲攻撃用トラ・トラ・トラ部隊導入で繕うかの何れかしかない。不安気に会場口にたどり着くと、本日のライブ案内に“欠航により米木参加出来ず”の張り紙。LUNAだけが着いているとしたらは妙なことだ。彼女はこの2日間のために来ると聞いていたが、数日前から周辺で小遣い稼ぎしていたのではないか?しかし、この容疑はあっという間に晴れていった。前日のうちに陸路列車を乗り継いで、鍵の効き目も不確かな函館は場末の宿で一泊、やっとの思いで札幌入りしたとのことだ。歌を聴く前から聞くも涙の物語があったのだ。苦節8年、レイジーバードのファースト・レディーに躍り出るや、今年4度目のライブに賭けた女の情念こそLUNAから枕もとに差し出された贈り物であった。筆者はこの贈り物を“マルコポーロの紅茶”と呼んでみたくなった。理由は分からない。
年の瀬模様を散りばめた今回の選曲は「アメイジング・グレイス~マイ・フェイバリット・シングス」、「ラブ・フォー・セイル」、「ルビー・マイ・ディア」、「リメンバー」(注:寒い冬に元彼とバッタリ、今夜どう?に躊躇する心理を描いたオリジナル・サスペンス)、「ブルー・クリスマス」、「ハンド・イン・ハンド」、「ユウー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」、「アビス」、「トゥ・フォー・ザ・ロード」、「ア・チャイルド・イズ・ボーン」、「アイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト」、「ギブ・ミー・ザ・シンプル・ライフ」、「ヒアズ・トゥ・ライフ」、「プレリュード・トゥ・ア・キス」、「ブリジス」、「淋しい女」、「ハレルヤ」「(カッチーニの)アヴェ・マリア」、「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」。そして、両日とも「諸行無常」の響きあり。曲数が多いこともあって個々に触れる力量がない。いまや、「LUNAのライブはいつも楽しい」が定着している。強引にまとめると、熱い歌と熱い客、“水割りの氷がいつもより早く溶けるのだの法則”が的中したライブだった。今回はあわやホワイトアウト・クリスマスになりかけたところだったが、LUNA奮闘記によって、無事、今年の暮を済ますライブとなった。暮れ済ますライブ、Christmas-Live。Wow!
たまにはレイジーバードの宣伝をしよう、3月10日頃LUNA再上陸が決定。何でも「大暴れスプリング・ライブ」という噂だ。「Live for sale」、仮予約殺到、残りわずか20数席。
(M・Flanagan)

2016.12.2-3 「IT‘S YOU.池田篤」

2016.12.2-3 「IT‘S YOU.池田篤」
池田篤(sax)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
 一旦雪が解けたとはいえ冷気に震える札幌。ところが、僅かドア1枚を隔てた池田2Daysの空間は、灯油ストーブですら嗚咽する熱気を提供してくれたのだった。池田は年2回のペースで来演しているが、近年は毎回が全盛期の様相を呈している。周知のとおり、その突出した技量から若くして我が国のジャズ・シーンに登場した池田だが、今や天賦の才を絶やすことなく、そして人間池田篤としての音楽に到達していると言ってよい。演奏家の最難関とされる“自分の音を出せること”、その領域に踏み込んだ者は、最早、新たに付け加えるものを必要としていないのだろう。演奏しているその姿から、長年かけて引き寄せた“まだ見ぬ音”との格闘のドラマを眺め返しながら、現在を出し切っているように感ずるのだ。
 相当前のことになるが、池田がリー・コニッツを好んでいることを直接聞いたことがある。
今回のMCでそれは思っていた以上のことだと知った。池田がNYにいたころ(多分‘90年頃と推測する)、住まいが近く道ですれ違うこともあったらしいが、鬼才に中々声を掛けるに至らなかったという。大きく時を経て2年ほど前、東京で対話する機会に恵まれたそうだ。その終わりに記念写真を申し入れたところ、“今日は疲れている”とのことで惜しくも実現しなかったらしい。そのコニッツに“It’s you.”という曲があり、彼からそう言われたと仮定して作った曲が「Is it me?」だそうである。出だしから完全にコニッツ風の曲想に笑みがこぼれるが、演奏は“音追求の鬼“と言われるコニッツ然としたものであった。
池田は、毎年、琉球最南端の島に家族旅行するとのことだ。今年持ち帰った愛称“まきちゃん”という貝に捧げた「巻き貝」という曲、ほのぼのしつつも音の芯が見え隠れする。そして池田の最重要曲「フレイム・オブ・ピース」、毎回演奏してくれるので冷静に比較したいが、いつも今回が一番感動的という結果になる。熟して止まないということだろう。両日とも闘病中の辛島さんの回復を願う「スパイシー・アイランド」が演奏された。心の師への思いが乗り移った異様な完成度が胸を打つ。最後の最後に長尺のアルト独奏があり「インプレッションズ」に突入した。コルトレーンのファンには申し訳ないが、池田の演奏の方が筆者のフェイバリットだ。共演者について書き添えると、別ルートで合流したベースの若井は伝統の上に新しい個性を乗っけていて、相変わらず可能性満点だ。地元選出の2人も力を引き出されて全力で格闘している様は立派なものであった。その他の演奏曲は、「デルージ」、「ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲイン」、「セントラル・パーク・ウエスト」、「Yes or No」、「フォーリャス・セーカス」など。当然の帰結で締めておこう。一択問題「Is it me?」のアンサーは、勿論“It’s you.池田篤”だ。
 かつてススキノにあったライブ・ハウスでリー・コニッツのライブを聴いたことがある。その時、幸運にも筆者はツーショットを得ることができた。今も大切な一枚だが、流石にそれを池田には伝えられなかった。 
(M・Flanagan)

2016.10.6-7 大口純一郎ミッション・インビジブル

大口純一郎(p)米木康志(b)本田珠也(b)
今回のライブは、大口の最新アルバム・リリース全国ツアーの最後にあたるので、トリオも客も気合十分という好条件だ。そんな中で初めっからちょっとした驚きに出くわした。プロが三者ドンピシャのタイミングで入るというのは普通のことの筈だが、1曲目、W・ショーターの作品「サミット」での入りの瞬間、ドンピシャのタイミングにもレベルの違いがあることに気付づかされたのだ。“ああ、こう言うことなんだ”と呟いていた。これは正規軍トリオの力量を余すことなく見せつけるものであって、この一瞬が2日間を支配していたと言って過言ではなかった。その後は、安心してスリルの連続に乗っかればよかったのである。市井の人間関係は時とともに質的緩慢の日々に埋もれるものだが、このトリオは劣化の逆側で勝負していることが直に伝わってくる。
演奏曲は「インビテーション」、「アイ・ウントゥ・トーク・アバウト・ユー」、「ゼア・ウイル・ネバー・ビー・アナザー・ユー」、「タイム・リメンバードゥ」、「レッツ・コール・ジス」、「イマジン(イメージ)」、「ニンニクのスープ」(大口)、「ミスター・シングス」、「ラメント」、「モーメント・ノーティス」、「ニュー・ムーン」(大口)、「ベリー・スペシアル」(エリントン)、「マイルス・アヘッド」、「ジョーンズ嬢に会ったかい」、「ラウンド・ミッドナイト」など。
“インビジブル(Invisible)“とは大口トリオの新作アルバムである。そこには、『見えざる世界(Invisible)との対話。美しい「暗号」に満ちたジャズの新たな道標ここにあり・・・』と評者によって書き添えられているが、筆者にとっても、この“インビジブル(Invisible)“とは音という振動を耳から心に届ける使命(ミッション)を託された使節団の演奏を意味する。化粧の上手さで見える世界を渡り歩く夫人を”美人ぶる“と云うが、これとは大違いである。兎にも角にも、わが国最高峰のライブであったことは疑いようがない。
大口トリオの前後に触れておく。前の日(10/5)は、田中朋子スペシアル・カルテット(田中、岡本、米木、本田)のライブが催された。演奏曲は「ベイジャ・フロー」、「ジャックと豆の木」、「デイ・ドリーム」、「ハッケン・サック」、「ウイッチ・クラフト」、「ヴェガ」、「カレイドスコープ」、「レクイエム」。とりわけ、岡本の停電何するものぞのスリリングな演奏が印象的だった。最終目(10/8)は、大口・米木に高野雅絵によるボーカル・トリオのライブ。曲は「スパルタカス愛のテーマ」、「ジンジ」、「ルビー・マイ・ディア」、「死んだ男の残したものは」、「泣いて笑って」、「ソ・メニー・スターズ」、「マイ・ハート・ビロングス・ダディ」、「カム・トゥギャザー」、「ピース」、「ブリッジス」、「スマイル」。完璧なバックにシンガー自身も酔いしれ、盆と正月の合体のように緊張と満足に包まれていたようであった。密度濃い4日間に疲れと秋の寒さはどこへやら。
(M・Flanagan)

2016.8.19 チコ本田 ソングス・トゥ・ソウル

チコ本田(vo)和泉聡(G)高瀬順(p)米木康志(b) 
レイジー・バードの乱心からか、ここのところボーカルが席巻している。このシリーズの要所々々は押さえて来た積りだが、本日お招きしたチコさんのライブは長年延び延びになっていた経緯もあり、気は早いが今回を以て早くも年内のボーカル締めくくりとなりそうだ。重鎮チコさん故にこちらも重度の構えが必要になる。その上“適当に聴き流すんじゃねぇぞ!”、日本一多忙なドラマーの声が聞こえてきそうで増々圧が高まる。
全体的にロック系やブルース系が採り上げられている曲の布陣であったが、どれもがチコさんの圧倒的パフォーマンスに釘付けにされるものであった。中でもCCR(クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル)の「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」、G線上のアリアを素材にしたプロコル・ハルムの「青い影」、J・ザビヌルの「マーシー・オン・ミー(マーシー・マーシー・マーシー)」はチコさんの今日を余すことなく伝えるものといってよいものだ。古めの曲が引き出す郷愁すら出る幕を失っていた。そして、急きょ予定にない選曲となったのが「Purple rain」。「パープル・レイン~パープル・レイン・・・」の連呼は異様に胸に突き刺さり、プリンセス・チコさんのこの瞬間は私達の永遠になると確信する。このほかスタンダードの「フールズ・ラッシュ・イン」、ベッシー・スミスで有名な「ノーバディ・ノウズ・ホエン・ユア・ダウン・アンド・アウト」、まばゆい「サニー」、“浅川マキ”バージョンの「イッツ・ナット・ア・スポットライト」、シャンソン歌手ジルベール・ベコーの「レット・イット・ビー・ミー」、ゴスペルの「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」、本田竹広さん晩年の作品で小室等氏が詞をつけた「Save・our・soul」。アンコールはてんやわんやに「ブン・ブン・ブン」。筆者はこの感動に言葉は追い付けないと諦めた。言い逃れのために、サイドメンに関して逸話を添える。ピアノの高瀬はチコさんとの共演で初めてジャズの世界に足を踏み入れたということだ。因みに小学生の2年間ほど札幌に在住していたとのこと。ギターの和泉、イフェクターを駆使して大技・小技を縦横無尽に繰り広げたが、絶えず歌っているのには参った。因みに彼はあの臼庭潤が率いたJAZZ-ROOTSのメンバーで、その時はまだ二十歳くらいの頃だったという。米木さんによれば、元々チコさんとの共演が縁で本田さんと出会ったということである。“みんな逆だと思ってるんだよね”と突け加えて頂いた。因みに長年米木さんと仕事を続けている我が国のトップ・ボーカリストで7月にLBでライブを行ったあの人が、チコさんの歌には感動を禁じ得ないと漏らしていたらしいのだ。
永遠の1曲をテーマにした「ソング・トゥ・ソウル」というTV番組がある。ハートに秘められた声帯から滲み出すチコさんの歌は時に嗚咽のようであり時に優しい。今日出会った全ての曲を『ソングス・トゥ・ソウル』と言わせていただく。
(M・Flanagan)