2018.10.13  イン・マイ・オウン・スウィート・ウェイ

清水くるみ(p) 米木康志(b) 
 くるみさんと米木さんと言えば、直ちに思い起こされるのはZEKだ。その次にLBで何度か組まれているピアノ・トリオだ。しかし、両者のDUOは初めてではないだろうか。DUO好きの者にとっては聴き逃せない。試合開始前からくるみさんの強烈アタックと後ろ壁から三歩前に位置する米木さんの地を這う音が聞こえて来るようだ。ドラムレスについては、以前、ギターの岡本さんが実感を込めて「ドラムが居ないと自由度が高まるが、居ないことによってドラムの有難みに気付かされる」と言っていた。この発言は非常に分かり易い。状況次第だが、ひねくれ者の耳にはドラムが居て欲しい時と、敢えて居なくてもいいように思うことがある。ここでは、それだけドラムは重要な役割を担っているとだけ言っておくに止める。では、順を追って簡単にこの日の流れを紹介しよう。最初はくるみさんお気に入りと思われる「ハンプス・ブルース」、のっけから彼女の重たくなり過ぎないブルース・フィーリングをじっくり堪能した。続いては本田竹廣さんのアレンジに基づく「ヒア・ザット・レイニー・デイ」で、竹廣さんのオーラが乗り移っていた。この日は出かけて来る前に竹廣さんのLP2枚聴いていたので余計に感慨深い。最近は聴き返すことがなくなったミュージシャンが結構いる。この人ファラオ・サンダースもその内の一人だが、ここで演奏された「ヒーリング・ソング」は軽快な中にも彼の黒光りを確認できるものだった。くるみさんのオリジナル「ソミソミド」は黒鍵乱用防止曲で面白い。F・ハバード「ウイズアウト・ア・ソング」では両者の丁々発止にフレディ-の熱気が打ち込まれていた。くるみさん自身過去にやった記憶がないという「ワルツ・フォー・デビー」だが、タイトな中に寄り添うくつろぎ感は流石。DUOの妙味が凝縮された「エヴィデンス」には満載の聴きどころに息を呑んだ。急に迷いが出て選んだのは「コンファメーション」。高速ドライブで駆け抜けた。静謐な「ラッシュ・ライフ」、ご主人の渋谷さん同様エリントンへの敬意を感じる。エリントン絡みでミンガスの「デューク・エリントンズ・サウンドド・オブ・ラブ」、そして「レイン・ソング」。ツェッペリンの曲をZEK以外で聴くのは初めてだ。更にウッドベースというのも貴重だ。タマ込められずとも空砲ならず!なお、既発の「ZEK!」は、ほぼSold・outの好評ぶりらしく、目下、第2弾を製作中とのことだ。前作にないあの曲この曲が入っている2枚組らしいので、ボランティア営業をしておきたい。
 開演前の予感どおり、野郎どもを凌ぐくるみさんの力強さと一部では何だか分からない凄さと評されている米木さんのナマ音の快感に誘われるまま、イン・マイ・オウン・スウィート・ウェイにたどり着かせて貰った。ここは戦ならずとも快く白旗を揚げるしかない。ところで“戦争は始めたいときに始められるが、終わらせたいときに終わらせられない”と指摘した先人がいた。キナ臭いのをやめて“戦争”を“ライブ”と置き換えてみてはどうか?ライブの終わらせられない余韻に酔いしれながら、帰り路は満天下でシリウスの光を浴びて、実に足元がよろけてしまった。
(M・Flanagan)

2018.9.21 荒武カルテット+α

荒武裕一朗(p)山田丈造(tp)三島大輝(b)竹村一哲(ds)
 このカルテットによる初ライブがセットされたのは今年の2月、しかし荒天の影響で荒武と三島の到着が遅れ、1ステは珍しい山田と竹村のDUO、2ステがカルテットの変則進行となった。その時だけでも荒武の力量は十分伝わってきたが、心のどこかで生煮え感を引きずってしまったのも事実だ。それから半年余りの今回は、前ノリでやって来るという気合の入れようで、ここに全貌が明らかにされていくところとなった。
選曲はオリジナル、スタンダード系、知る人ぞ知る曲を三面等価に配した構成となっていた。まずは、オリジナルだが、目まぐるしき人生のような「トーキング・ジャンクション」、河川が放つ大らかさと抵抗しがたさの「閉伊川」、叙情とノリノリ感を融和させた「夕焼け」は騙されたもの勝ちのような曲。いずれも奇をてらわない荒武等身大の演奏で、彼のオリジナリティーを強く印象付けた。
スタンダードは「ザット・オールド・フィーリング」、「アイ・フォール・イン・ラブ・トゥー・イージリー」、「サマー・サンバ」、「ザ・グッド・ライフ」が採り上げられた。後世に残されている名曲はビギナーからプロまで世界中で演奏され尽くされており、演奏家のイマジネーションがなければ、one of themに吸収される危険性が極めて高い。そこにハットさせられる流れがあるかどうかが天下の分け目ともいえる。筆者は荒武を掴まえ切ってはいないが、彼のアーシー・アーシー・アーシーな個性は見逃していない。そして知る人ぞ知る曲は本田竹廣さんものである。本田さんを心底リスペクトしている荒武の演奏には至る所に竹廣さんの影響が横溢している。だが、荒武の野心は竹廣さんの追随者に終わることなく、自己実現を果すことだ。人は誰の影響も受けないことはあり得ないが、彼はパウエル派でもエバンス派でも竹廣派でもないARATAKEを目指しているのだろう。演奏曲は「シーロード」「ウィンド・サーフィイン」。いいピアニストだ。
竹村一哲の攻防兼備なプレイ、演奏に浸りきっている三島大輝の大器ぶり、どれもがライブに大きく貢献していた。ここで、もう一つ語って置かなければならないことがある。山田丈造である。彼は、早くから注目を浴びて来た若者の一人であり折に触れ聴いてきたが、このライブにおいて彼は飛躍的に完成度を高めていることを我々に見せつけたと言って良い。バラードを含め全曲にわたって圧巻の演奏だった。「荒武カルテット+α」とは?「荒丈カルテット」のことだ。
(M・Flanagan)

2018.9.7 LUNA 10年ライブ

 LUNA(vo)菅原昇二(tb)南山雅樹(p)小山彰太(ds)
早いものでLUNAの初登場から10年を数えることになった。輝かしくもこの間、彼女において髪型やT形、ファンの数などエブリシングがチェンジしてきた。本人のMCからも10年の年月を噛みしめている様子が窺われたが、この日は激烈な地震の直後という状況が状況だけに、選曲の多くを差し替えたとのことだった。最初の3曲は「サマータイム」、「セプテンバー・ソング」、「ジス・オータム」といったこの時期を移ろわせるような練られた構成。次の曲からが今回のことを強く意識したのではないかと想像する。復興と再生のオリジナル「ペシャワール」、沈痛な面持ちの「ロスト・イン・ザ・スターズ」、以下いろいろな願いが込められた「オン・ア・クリアー・デイ」、「Re:レクイエム」、「ウイ・ウィル・ミート・アゲイン」、「ハレルヤ」、「ファースト・ソング」、「ハンド・イン・ハンド」そして「諸行無常」。アンコールは先ごろ他界したA・フランクリンの「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」を思いのたけの敬愛を込めて熱唱した。異様なシチュエーションのライブたったが、LUNAの魅力となっている高音域がいつもに増して切なくも心に浸みてきたのは筆者だけだっただろうか。
(M・Flanagan)

三連単

2018.6.23 本山禎朗special trio
本山禎朗(p)米木康志(b)西村匠平(ds)
 このトリオは、憧れのベイシスト米木との共演を切望していた西村匠平の念願が叶ったという意味でspecialである。また中央には西村と同齢の本山が配されることとなった。これは今後のジャズ界を背負うだろう若手と、背負って来たそして今なお背負い続けている実力者の共同事業だ。東京のジャズシーンで名を成した演奏家は、野生動物並みの生き残り戦を乗り越えてきた人たちである。彼らと共演すると地域を主戦場としている演奏家は、普段になく力が引き出されるとよく言われる。地域が東京の後塵を拝するために存在しているのではないことを証明するために、札幌の若手ミュージシャンに同士よって夫々の力を引き出し合う陣形を組んで欲しいと願っている。本山を含め、何人かは既に願いを託されるところに来ているのだ。演奏曲は「ローラ」、「リプシー」、「ワルツ・フォー・ルース」、「マッシュルーム・キッド」、「バプリシチィー」、「アウト・オブ・ドリーム」、「星影のステラ」、「サテン・ドール」その他Wショーター、Rカークの作品。
  この日は月曜日にも関わらず、西村の念願がここでも叶ったのか“押すな押すな”の盛況。これを横文字に置き換えると「Don’t Push」。西村、これでいいよな!
2018.6.27  松原衣里 爆発ボイス
松原衣里(vo)南山雅樹(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
 松原、2年ぶりのステージとなる。前回、初聴きの印象は、何といってもその声量だ。その野太い声質を聴いたら、チェット・ベイカーなら背を向けてしまうのではないか。“関西の実力派シンガー”といわれると大体は“コテコテ感”が咄嗟のイメージになるだろう。だが筆者的には、ロバータ・フラックが関西のおばちゃんだったら松原のような個性になると思う。潤う情緒とパワーの一体性においてである。また聴く機会があると思うので、その時は堂々たる優しさを兼ね備えた爆発ボイスを一聴あれ。Killing me softly~な気分になれること請け合いだ。曲は「I just found out about love to you」、「It never entered my mind」、「Day by day」、「Come rain or come shine」、「It don’t mean a thing」、「Lullaby of Birdland」、「My little baby」、「Just in time」「Yesterday」、「エリ’s blues」、「My funny valentine」。
2018.7.3 ザ・グレイテスト 中本マリ
中本マリ(vo)大口純一郎(p)米木康志(b)
マリさんクラスになると、歌が人生そのものである。人生が歌わせていると言ってもいい。多くの者は年とともに勢いを失う宿命にあるが、マリさんには黄昏に浸る晩年のような様子は窺われない。訊いてみたのだが、今現在の自分として最も声を出せるのだという。そのことを裏打ちするように、ライブでは殆どナマ声で歌っていた。バックもナマ音なので場内は人間のみの気配に包まれていた。全編、マリさんがイニシアチブを握って進行していくのだが、後ろの的確かつ自由なサポートも見事中の見事だ。札幌の重鎮ピアニストが聴きに来ていて“涙が止まらない”と言っていた。他言は無用、この一言をザ・グレイテスト中本マリのライブ・レポートの結論とする。曲は「Star dust」、「On green dolphin street」、「Days of Wine & Roses」、「I got it bad and that ain’t good」、「I could write a book」、「セントルイスから来た人」、「Skylark」、「Autumn leaves」、「This autumn」、「My favorite things」、「Georgia on my mind」「Sunflower」、「Just friends」、「feeling good」、「Love for sale」。
これは筆者が気づいている以上の素晴らしいライブだったのではないか?それが何なのか?このライブを電気の要らない無人島に持って行って“ナマ”で確かめたいものだ。
(M・Flanagan)

2018.6.15  今日も深い川は静かに流れる

大石 学(p) 米木康志(b) 
 このDUOはLB6月の風物詩のようなものになっている。聴衆を代表して言わせていただくが、何度聴いても心を動かされるというのが実感だ。よく優れたジャズマンを称して“名手”と表現することがある。この両者はそれだけでは言い足りなく、更に彼らを特徴づける何かが潜んでいると思わせられる。残念ながらそれを感ずることができるのは、聴いた者の特権と言わねばならない。ここ数年、大石は自主製作CDを数多く録っている。その一部しか聴いていないので詳しくは分からないが、これだけの作品を残すということはピアノによる徹底した自己追求の記録を一滴たりとも漏らしたくないということなのだろう。つまり、大石は彼の流儀において自身とピアノを一致させようとする究極のハードワークに挑んでいるのだ。オリジナル曲中心のソロ作品が多いのもそれを裏付けていると言えよう。一方の米木は長きに亘り聴き続けているが、この人は幾多の難局をロジックで克服しようとしたのではなく、飽くまで“感ずること”によって突破してきたのではないか。あの大きなグルーブ感は、“感ずること”がストックされた音楽現場からしか生起しようがないと思えてならないからだ。後ろで演奏しながら不動の地位を得ているミュージシャンは、危ない言い方だが、“感ずること”を生業とする輝かしい病を持っているに違いないのだ。演奏曲は、ピアノ・ソロの「レイン」、かつて日野元彦さんと録音しながらお蔵入りになっていたという「クレッセント」、米木のオリジナル「シリウス」、大石のオリジナル5曲「コンテニアス・レイン」、「雨音」、「メモリーズ」、「リリー~ワイン・カントリー」、スタンダードの「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」、H・シルヴァー「Peace」。アンコールはシルヴァーと同名の大石不朽の名曲「Peace」で21世紀に警告を発したのだった。
最近は立会いで変化する横綱もいて、勝ち星のためなら上に君臨する者の品格そっちのけの取り口が散見される。これは単に横綱が取った相撲に過ぎず横綱相撲とは言わない。この国には“深い川は静かに流れる”という言い回しがある。思慮ある者は小細工などせず悠然としているという意味で使われる。深い米木と静かに流れる大石。我々の日々において謙虚さに徹することは甚だ難しいが、このDUOにはいつも謙虚に耳を傾けることが出来るので助けられる。それにしても“雨模様”の曲名が多かったが、大石と雨の浅からぬ関係を聞いてみたいものだ。
翌日は、ボーカルの高野雅絵を迎えてのトリオ演奏。曲は、「Girl Talk」、「塀の上で」、「When the world turns blue」、「One day I’ll fly away」、「Come together」、「スパルタカス愛のテーマ」「Waltz  for Debby」、「Both sides now」、「泣いて笑って」、「Bridges」、「What a wonderful world」。筆者は珍しく愛聴していたA・オディのせいもあって、長らくボーカルものは歌を聴き込むことだと思っていた。それは間違えではないにせよ、そのままでは楽しみの半分を失うことになる。そのことにハッキリ気付いてからそう長くは経っていない。後ろがどれ程にか前に音の色合いをつけ、メリハリを提供しつつ、歌を輝きの中心におびき寄せていくか、決してこのプロセスを聴き落としてはならない。これはボーカルが操られる存在だと言おうとするものではなく、ボーカルの最大限の良さを引き出すには後ろの手腕が決定的な役割を担っていると言いたいのだ。バッキング最高峰の大石と米木を従え、高野は“この素晴らしき世界”を体感しながら、彼女自身ベストの出来に仕上げていた。だが、明日からはそう上手くは行くまいよ(笑)。
(M・Flanagan)

2018.6.8 本田珠也トリオ/「珠冴える」

守谷美由紀(as)須川崇志(b)本田珠也(ds)
 今回のライブは「SECOND COUNTRY」発表に伴う北海道ツアーの最終直前でのもので、このアルバム・タイトルにもなっている曲は本田竹曠さんの“浄土”に収録されている。
本田珠也は継続的に幾つかのバンドに関わって演奏活動を行っているが、このトリオには本音中の本音を注いでいるように思われる。ライナー・ノーツの概要として、一つにはこれからの世代が様々な取組みを行っていることに対し、その多くを必ずしも好意的には見ておらず、むしろ、只管汗を掻きもっと腰の座ったものを見出していくべきだと喝破していること、いま一つは借り物ではない自らの精神的風土たる“和ジャズ”の体現である。ツアー用の広告に大きく書かれている『破壊と叙情』とは、このことを指しているのだろう。1回目はアルバムからの曲がズラリ。1曲目は「ハーベスト・ムーン」、この曲は収穫のメルクマールである中秋の刈入期を素材にしている。量より収穫の質を主張する守谷のオリジナル。2曲目も守谷の「M’sジレンマ」、張り詰めた「ギクシャク感」を味わっては?とこの曲は訴えている。なお、Mとは守谷のMではないらしい。3曲目も守谷のバラード「むかしむかし」。郷里の淡い原風景に色彩を付けていく須川の控えめなサポートが素晴らしい、その地には緩やかな川が流れているに違いない。4曲目は珠也の手による「キー・マン」。彼はこのトリオのために書き下ろしたのではないだろうか、三者のバランスが見事だ。2回目の最初はA・ペッパーの「レッド・カー」。苦境の人生を送ったペッパーは晩年、厳然たる演奏を残しているが、守谷のペッパー観を垣間見せるタイトな演奏だ。2曲目のアルバム・タイトル「SECOND COUNTRY」と3曲目の「宮古高校校歌」は一つの連続性において聴くべきだ。とかくソロに関心が向きがちな珠也の演奏だが、ここでのバッキングは壮絶。竹曠さんのDOUN TO EARTH精神が息づく。“和ジャズ”を極めることがインターナショナルな次元に道を付けるのだ。4曲目は、LBと珠也と臼庭のバミューダ・トライアングルから「アンチ・カリプソ」に点火。危険な選曲とヤバイ演奏の同時爆発に目が眩んでしまった。追加曲はゴスペルのスローな「ディープ・リバー」から超高速「オルフェのサンバ」へと快心の流れで終了した。付記しておくが、須川には耳慣れない展開が随所にありいつも新しい印象を受けている。また、神経が埋め込まれているようなアルコも出色だ。リードの守屋だが、彼女の演奏をおよそ1年前に聴いている。アルトが席巻する今日ではあるが、表現の奥行において守屋は一頭地を抜いたレベルにあると思う。今後も伸びしろに叙情の音を託して欲しいと願う。
珠也はピアノレス・カルテットの「TAMAXILLE/タマザイル」というバンドを率いている。それに因んでこのピアノレス・トリオの方は「珠冴える」とさせてもらった。
なお、翌日は札幌で堅実に活躍している田中朋子さんと岡本さんがトリオと合流したSpecial-QuintetのLive。朋子さんのオリジナルを交えた演奏曲は「アローン・トゥギャザー」「アイ・ミーン・ユー」「ヴェガ」「道草」「ジャックと豆の木」「アイル・キープ・ラビング・ユー」「祝!」「レディース・ブルース」。詳細は割愛させていただくが、朋子さんも岡本さんもそしてトリオも完全燃焼の様相を呈していた。熱気の渦に包まれていたフルハウスの会場も至高のひと時に酔いしれていたことを報告しておきたい。
(M・Flanagan)

2018.6.1 “あにやん“ はからんや

清水末寿(ts)田中朋子(p)瀬尾高志(b)小山彰太(ds)
 正直にいうと、清水末寿という名も“あにやん”と親しみを込めて呼ばれていることも知らなかった。聴く機会の少ないテナーサックスのライブということが、興味の全てであった。初めて拝見したその姿はかなりの年齢と思われ、よって今日は手堅くスタンダード中心の円熟ライブになるのだろと予想していた。1曲目はS・リバースの割と知られた「ベアトリス」であったが、その太く勢いのある音が先の予想を早くもぐらつかせ始めた。2曲目はD・マレイの「カレ・エストラ」。明るく軽快なメロディーを明るく重量感のある演奏に仕上げていた。3曲目は朋子さんの「潮流」。この曲はGroovyレーベルの世界遺産「サクララン」に収められている。ライブで聴くのは相当久し振りで感慨深い。なお、“あにやん”はこの曲名を「恐竜」に聴き間違いしていたそうな。4曲目は「よさこい節」。“あにやん”は東京を離れ長く広島を拠点に活躍されているとのことだが、出身は高知なのだそうだ。その「よさこい節」、前半はこの民謡の正調からスタートするが、途中から“あにやん”のアイデンテーが曲に襲い掛かり、土佐の酒呑み衆の果てしないバトルへと変貌していく。それを待ち構えていたショータさんが和太鼓の地鳴りのごとく大宴会を揺さぶり続けていったのだった。このアイディアに最敬礼。2回目の最初は朋子さんの「ジャックと豆の木」。タイイングの合わせづらい難所がこの曲の魅力である。頭の僅かなズレも何のその、“あにやん”はソロに入ると事も無げに吹きまくったのだった。2曲目はベース井野さんのO・コールマンが書きそうな「ディー・ディー」。演奏もフリーな感じだが“あにやん”は懐が深い。この人は至る処で経験値を加算していったことが窺える。ライブのまとめはブルース2曲、R・カークの「レディース・ブルース」とエルヴィンの「E・Jブルース」。ブルースはその形式のシンンプルさ故に危険でもある。隣席の年配男性が呟く。「こんなブルースをやってみたいものだ」。そう言わせるぐらい濃厚なブルースであった。アンコールは名物ショータさんのハモニカ付き「ファースト・ソング」。相変わらず全力投球の瀬尾の力演と珍しく鍵盤ハモニカを駆使して彩を添えた朋子さんのことを付け加えておく。
 思いもかけぬ素晴らしいテナーを聴かせていただいた。楽器を志した時の意気込みが今なお維持されている人だと思った。予想が覆った時に“あにはからんや”という言い回しがある。“あにやん”に敬意を込めて今回の標題とした。 
(M・Flanagan)

2018.5.11 北島PTA

北島佳乃子(p) 若井俊也(b)山田玲(ds)
 昨秋このトリオを初めて聴いて手応えを感じていた。北島の予想を大きく上回る力強さ、山田のはち切れんばかりのプレイ、若井の抜かりないサポートによって上々のパフォーマンスになっていたことを付け加えておく。それでは二度目のライブに行ってくるとしよう。
1曲目の北島作「ブラッキー・スナッピー」は中々ご機嫌な曲だ。ブレーキーのメッセンジャーズから管を抜けば多分こんな演奏になるだろうと思わせるファンキーな快演。2曲目の「フー・ケアーズ」(ガーシュイン)をここではテンポを上げて演奏したので曲の雰囲気を変えてしまう仕立てとなった。3曲目の「オンリー・トラスト・ユア・ハート」はベニー・カーターの上品な曲だ。こういう曲に歌の人は手を出したくなるんだろうな。4曲目はバラード「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、この場にいなかった人にも聴かせてやりたい。1st最後はアップテンポの「ユアーズ・イズ・マイ・ハート・アローン」、若井と山田の緊張をほぐす掛けあいに会場は頬を緩ませた。2ndの1曲目はガレスピー「ティン・ティン・デオ」前半の熱を冷めさせない良好な保温状態の滑り出し。2曲目はT・ジョーンズの「レディー・ラック」。LBライブではこの曲を結構耳にするので東京の人気曲なのだろうか。3曲目はB・ハリスがその人に捧げた「ナシメント」では本家ハリスとはまた一味違ったぬくもりのある演奏となっていた。次の4曲目は北島の「ネイティブ・プレイス」。これは遠い故郷に思いを馳せながら書いたのかと思いきや、故郷にいながら故郷を綴ったものだという。このジョージア・オン・マイ・マインドの福岡版は旋律も演奏も心に響くものだった。最後はパーカーの「ムース・ザ・ムーチェ」をベースとしていると思われるが、モンクやら何やらが入れ代わり立ち代わり出て来るので勝手に「バップまぜまぜ」と命名した。言わずもがなのお祭り気分。アンコールは打って変わってピアノが音の気配りを追求した「ノー・グレーター・ラブ」だった。が、ドラムスの煽りで白熱のインタープレイに突入した後、名残惜しそうにテーマに戻っていったのだった。
 冒頭のとおりこのトリオを聴くのは二度目となる。“北島PTA”とはもちろん保護者と教員の集まり、ではなく“北島Piano・Trio・Again”のことだ。90年代だったと思うが“ジャズ維新”という動きがあった。ひとまず今回の北島PTAを“快演隊”とでも言っておこう。
(M・Flanagan)

2018.4.27 超絶技巧DUO

魚坂明未(p) 楠井五月(b)
 最近のBROGにおいて、宣伝文句の難しさが吐露されている。この二人には“超絶技巧DUO”と銘打ったものの、どう受け取られるのか躊躇の感をぬぐえない様子が伝えられている。そうではあっても、“これが最後のLIVE!”と言いながら、その後も延々と活動している騙しよりも正直で良いのではないか。本論に戻して、今回も“LB・プレゼンツ・今後を担う若手シリーズ”の一環として招聘されたDUOである。ピアノの魚返については、昨秋『. Push(ドット・プシュ)』で初演を果たしていたが、その時は機を逸したので筆者には初聴きである。ベースの楠井については菊池太光(p)とのDUOで二度聴いているが、この時も超絶技巧の隅から隅まで突き付けられた格好であった。さて、この両者は普段Ds.の石若駿が入ったトリオで活動していて、DUOはLBが初というのも値打ちものである。選曲はスタンダードおよび隠れスタンダードそしてオリジナルという構成である。初期のスタンダーズに名演が残されている「イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー」、このDUOではバップ感が抑えられたD・ガレスピーの「アイ・ウェイテド・フォー・ユー」、魚返のアルバムから「スティープ・スロープ」という中々の佳曲、いいタイミングで豪快にブルースする「ウォーキン」、続いて魚返の曲で「そばに離れて」という現実的には不可能な所作の題名ではあるが演奏に捩じれた感じはない逸品。次も彼の出来立てでタイトル待ちの曲。彼の曲には優れて端正さを感ずるが、その素材に演奏家として手を加えていくプロセスを楽しんでいるかのようなのである。次はミュージカルから「ストーミー・ウェザー」、荒れた天気に巻き込まれたというよりは窓から外を眺めながら物思いに耽っているような演奏。これもミュージカルからマイルスやロリンズで有名な「飾りのついた四輪馬車」で心が和んでしまいました。品のある歌もの「ブラックベリー・ウィンター」を情感たっぷりに挟んで、最後は魚返作の「エンブレイシング・ラダー」で、直訳は“梯子を抱きしめて”という瓦職人の姿しか思い浮かばないような不思議なタイトルだが、演奏の方はというと一切ハシゴを外すことのない両者のまさに“超絶技巧DUO”という宣伝文句に相応しく全開する凄まじい一級品。50年前にキースとペデルセンがDUOをしていたらこんな感じになったかも。アンコールはドット・プシュに魚返が提供した「パート・ワン」、心地よく寄り添ってくる旋律の曲を終わりに持ってきて鮮やか。
魚返は既に高い完成域に位置していると思われ、改めて聴いて見たいと思わせるに十分な逸材と受け止めた。一方の雄、楠井を言い表すのは難しい。フィギアスケートにはトリプル・ルッソとか素人の動体視力では回転数が分からないなりに、着地が決まって湧きかえることがある。楠井の演奏もそうした感じがする。ところで、今節、直前まで魚返をオガエリと読むことを知らなかった。何れにせよ、我が国若手ピアノの筆頭出世魚としてLBの生けすにかくまって置きたいところだ。
(M・Flanagan)

2018.4.13 13周年 Vol.3 ハクエイ・キム 楽団ひとり

 長かった今年の13周年記念の最後は、根強いファンを持つピアノのハクエイ・キムだ。彼は4度目の出演になるだろうか?直近では昨年の秋にトリオ編成の“トライソニーク”でそのスケールの大きさに度肝を抜かれたところが記憶に新しい。今回は彼の新作『レゾナンス』リリース全国ツアーの後半に位置しており、十分練られた状態で彼のオリジナリティーに耳を傾けることができる筈だ。では、そろそろソロ・ライブのレポートをしよう。 
1曲目はインプロヴィゼーション、音を探りながら少しずつ輪郭があからさまになる様子はキースを彷彿させるものだが、いつの間にか「ボディー&ソウル」にリレーする。LPレコード片面一杯々々の長尺演奏。3曲目はオリジナルの「コーヒー・カップ」、音数の多い部分ではカップからコーヒーがこぼれた。次からシンセサイザーが駆使されていくが、アナログ使用のほうが面白いとコメントされたものの素人には理解不能、曲名は分からないがプラネタリウムを音に変換したようなサウンドが繰り広げられて行く。1st.最後の曲はデトロイト・ジャズ・フェスに前述の“トライソニーク”で出演した時に、モーター・シティーと呼ばれるこの街の今を曲にした「ザ・ストリーツ・オブ・デトロイト」、終盤のハード・ワークは凄い! 2nd.の1曲目はオーストラリアの国民的な曲とされる「ワルツィング・マルチダ」。聴いたことがあるのに思い出せない曲は沢山あるが、この曲は聴いたことがなくても聴いたことがあるように思わせてくれる。2曲目、3曲目はスタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」、「ムーン・リバー」と続くが、特に、後者はシンセ効果がハマっていて“ティファニーの朝食”は宇宙の彼方。4曲目はアコースティックとシンセで両攻めのプログレ系「合奏(ザ・コンサート)」。こういうサウンドには根っから血が騒ぐと見える、誰もいなければ一日中こんな演奏をしているに違いない。最後の曲はアコースティックのみの「テイク・ファイブ」で、曲名を聞くと咄嗟にP・デズモンドの音色を思い出す面々も多いだろうが、ハクエイ・バージョンは今まで聴いたことがない。序盤では低音部と中・高音部が一騎打ちして強い緊張感が生み出され、中盤からは左右の手が目まぐるしく鍵盤を高速滑走しスリル満点。将にハクエイ的イマジネーションを尽くした超絶プレイで、他に類例をみない特異な演奏と言ってよいだろう。どよめきが湧き、それが収まらない中アンコールは「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」、シンセが重量音を発するオルガンのように絡む荘厳な演奏で締め括られた。聴衆は普段にはない貴重な音楽体験をしたのではないかと思われる。
ハクエイによれば、シンセは良き相棒だそうである。アコースティクとシンセを使えば、先の曲にもあったとおり複数楽器による“合奏(ザ・コンサート)”になる。しかし、それはハクエイのみの“楽団ひとり”としか言いようがないのである。なお、本文は遠く彼の地で“ひとり”勉学に励む完全無欠の岡本ショータ君に捧ぐ。
(M・Flanagan)