2018.5.11 北島PTA

北島佳乃子(p) 若井俊也(b)山田玲(ds)
 昨秋このトリオを初めて聴いて手応えを感じていた。北島の予想を大きく上回る力強さ、山田のはち切れんばかりのプレイ、若井の抜かりないサポートによって上々のパフォーマンスになっていたことを付け加えておく。それでは二度目のライブに行ってくるとしよう。
1曲目の北島作「ブラッキー・スナッピー」は中々ご機嫌な曲だ。ブレーキーのメッセンジャーズから管を抜けば多分こんな演奏になるだろうと思わせるファンキーな快演。2曲目の「フー・ケアーズ」(ガーシュイン)をここではテンポを上げて演奏したので曲の雰囲気を変えてしまう仕立てとなった。3曲目の「オンリー・トラスト・ユア・ハート」はベニー・カーターの上品な曲だ。こういう曲に歌の人は手を出したくなるんだろうな。4曲目はバラード「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、この場にいなかった人にも聴かせてやりたい。1st最後はアップテンポの「ユアーズ・イズ・マイ・ハート・アローン」、若井と山田の緊張をほぐす掛けあいに会場は頬を緩ませた。2ndの1曲目はガレスピー「ティン・ティン・デオ」前半の熱を冷めさせない良好な保温状態の滑り出し。2曲目はT・ジョーンズの「レディー・ラック」。LBライブではこの曲を結構耳にするので東京の人気曲なのだろうか。3曲目はB・ハリスがその人に捧げた「ナシメント」では本家ハリスとはまた一味違ったぬくもりのある演奏となっていた。次の4曲目は北島の「ネイティブ・プレイス」。これは遠い故郷に思いを馳せながら書いたのかと思いきや、故郷にいながら故郷を綴ったものだという。このジョージア・オン・マイ・マインドの福岡版は旋律も演奏も心に響くものだった。最後はパーカーの「ムース・ザ・ムーチェ」をベースとしていると思われるが、モンクやら何やらが入れ代わり立ち代わり出て来るので勝手に「バップまぜまぜ」と命名した。言わずもがなのお祭り気分。アンコールは打って変わってピアノが音の気配りを追求した「ノー・グレーター・ラブ」だった。が、ドラムスの煽りで白熱のインタープレイに突入した後、名残惜しそうにテーマに戻っていったのだった。
 冒頭のとおりこのトリオを聴くのは二度目となる。“北島PTA”とはもちろん保護者と教員の集まり、ではなく“北島Piano・Trio・Again”のことだ。90年代だったと思うが“ジャズ維新”という動きがあった。ひとまず今回の北島PTAを“快演隊”とでも言っておこう。
(M・Flanagan)

2018.4.27 超絶技巧DUO

魚坂明未(p) 楠井五月(b)
 最近のBROGにおいて、宣伝文句の難しさが吐露されている。この二人には“超絶技巧DUO”と銘打ったものの、どう受け取られるのか躊躇の感をぬぐえない様子が伝えられている。そうではあっても、“これが最後のLIVE!”と言いながら、その後も延々と活動している騙しよりも正直で良いのではないか。本論に戻して、今回も“LB・プレゼンツ・今後を担う若手シリーズ”の一環として招聘されたDUOである。ピアノの魚返については、昨秋『. Push(ドット・プシュ)』で初演を果たしていたが、その時は機を逸したので筆者には初聴きである。ベースの楠井については菊池太光(p)とのDUOで二度聴いているが、この時も超絶技巧の隅から隅まで突き付けられた格好であった。さて、この両者は普段Ds.の石若駿が入ったトリオで活動していて、DUOはLBが初というのも値打ちものである。選曲はスタンダードおよび隠れスタンダードそしてオリジナルという構成である。初期のスタンダーズに名演が残されている「イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー」、このDUOではバップ感が抑えられたD・ガレスピーの「アイ・ウェイテド・フォー・ユー」、魚返のアルバムから「スティープ・スロープ」という中々の佳曲、いいタイミングで豪快にブルースする「ウォーキン」、続いて魚返の曲で「そばに離れて」という現実的には不可能な所作の題名ではあるが演奏に捩じれた感じはない逸品。次も彼の出来立てでタイトル待ちの曲。彼の曲には優れて端正さを感ずるが、その素材に演奏家として手を加えていくプロセスを楽しんでいるかのようなのである。次はミュージカルから「ストーミー・ウェザー」、荒れた天気に巻き込まれたというよりは窓から外を眺めながら物思いに耽っているような演奏。これもミュージカルからマイルスやロリンズで有名な「飾りのついた四輪馬車」で心が和んでしまいました。品のある歌もの「ブラックベリー・ウィンター」を情感たっぷりに挟んで、最後は魚返作の「エンブレイシング・ラダー」で、直訳は“梯子を抱きしめて”という瓦職人の姿しか思い浮かばないような不思議なタイトルだが、演奏の方はというと一切ハシゴを外すことのない両者のまさに“超絶技巧DUO”という宣伝文句に相応しく全開する凄まじい一級品。50年前にキースとペデルセンがDUOをしていたらこんな感じになったかも。アンコールはドット・プシュに魚返が提供した「パート・ワン」、心地よく寄り添ってくる旋律の曲を終わりに持ってきて鮮やか。
魚返は既に高い完成域に位置していると思われ、改めて聴いて見たいと思わせるに十分な逸材と受け止めた。一方の雄、楠井を言い表すのは難しい。フィギアスケートにはトリプル・ルッソとか素人の動体視力では回転数が分からないなりに、着地が決まって湧きかえることがある。楠井の演奏もそうした感じがする。ところで、今節、直前まで魚返をオガエリと読むことを知らなかった。何れにせよ、我が国若手ピアノの筆頭出世魚としてLBの生けすにかくまって置きたいところだ。
(M・Flanagan)

2018.4.13 13周年 Vol.3 ハクエイ・キム 楽団ひとり

 長かった今年の13周年記念の最後は、根強いファンを持つピアノのハクエイ・キムだ。彼は4度目の出演になるだろうか?直近では昨年の秋にトリオ編成の“トライソニーク”でそのスケールの大きさに度肝を抜かれたところが記憶に新しい。今回は彼の新作『レゾナンス』リリース全国ツアーの後半に位置しており、十分練られた状態で彼のオリジナリティーに耳を傾けることができる筈だ。では、そろそろソロ・ライブのレポートをしよう。 
1曲目はインプロヴィゼーション、音を探りながら少しずつ輪郭があからさまになる様子はキースを彷彿させるものだが、いつの間にか「ボディー&ソウル」にリレーする。LPレコード片面一杯々々の長尺演奏。3曲目はオリジナルの「コーヒー・カップ」、音数の多い部分ではカップからコーヒーがこぼれた。次からシンセサイザーが駆使されていくが、アナログ使用のほうが面白いとコメントされたものの素人には理解不能、曲名は分からないがプラネタリウムを音に変換したようなサウンドが繰り広げられて行く。1st.最後の曲はデトロイト・ジャズ・フェスに前述の“トライソニーク”で出演した時に、モーター・シティーと呼ばれるこの街の今を曲にした「ザ・ストリーツ・オブ・デトロイト」、終盤のハード・ワークは凄い! 2nd.の1曲目はオーストラリアの国民的な曲とされる「ワルツィング・マルチダ」。聴いたことがあるのに思い出せない曲は沢山あるが、この曲は聴いたことがなくても聴いたことがあるように思わせてくれる。2曲目、3曲目はスタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」、「ムーン・リバー」と続くが、特に、後者はシンセ効果がハマっていて“ティファニーの朝食”は宇宙の彼方。4曲目はアコースティックとシンセで両攻めのプログレ系「合奏(ザ・コンサート)」。こういうサウンドには根っから血が騒ぐと見える、誰もいなければ一日中こんな演奏をしているに違いない。最後の曲はアコースティックのみの「テイク・ファイブ」で、曲名を聞くと咄嗟にP・デズモンドの音色を思い出す面々も多いだろうが、ハクエイ・バージョンは今まで聴いたことがない。序盤では低音部と中・高音部が一騎打ちして強い緊張感が生み出され、中盤からは左右の手が目まぐるしく鍵盤を高速滑走しスリル満点。将にハクエイ的イマジネーションを尽くした超絶プレイで、他に類例をみない特異な演奏と言ってよいだろう。どよめきが湧き、それが収まらない中アンコールは「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」、シンセが重量音を発するオルガンのように絡む荘厳な演奏で締め括られた。聴衆は普段にはない貴重な音楽体験をしたのではないかと思われる。
ハクエイによれば、シンセは良き相棒だそうである。アコースティクとシンセを使えば、先の曲にもあったとおり複数楽器による“合奏(ザ・コンサート)”になる。しかし、それはハクエイのみの“楽団ひとり”としか言いようがないのである。なお、本文は遠く彼の地で“ひとり”勉学に励む完全無欠の岡本ショータ君に捧ぐ。
(M・Flanagan)

2018.4.6-7 13周年Vol.3  LOUDスリーRockにしみいるLUNAの声

LUNA (Vo)竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
 “一年に一度LUNAにRockを歌ってもらう日本中ここだけの企画”も3回目になる。これまでを振り返ると、個人的には1980年以降のモノは殆ど知らないが、そんなハンディは不滅のRockが蹴散らしてしまったというところである。Rock史に残る名曲の祭典に引き込まれるのには明確な理由がある。筆者がそれらを始めて聴いた時は、クラプトンもジミー・ペイジもまだ20代で、あの日のあの音と部分的に覚えているあの歌詞は脳裏に刷り込まれていて、老朽化の著しい我がハード・ディスクから消え去らないからである。無理矢理な線引きではあるが、JAZZが演奏主義であるとすれば、ROCKはオリジナル主義であると言える。従って、ROCKではトラディショナル・ソング等を除いて殆どそのバンドの自作曲しかやらない。そうではあるが、バンドが解散しても誰彼問わず長らく歌われ演奏され、そして聴き継がれていく不滅の名曲がある。それら名曲の同窓会が外ならぬこの企画である。
 さて、Rockの名曲はアタマだけですぐわかる曲が多く、今回選曲されたツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」、「ステアウェイ・トゥ・ヘブン」、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「ホンキー・トンク・ウイメン」、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」などはその最たるものであり、襲いかかって来るその瞬間が堪らない魅力でもある。今回のLIVEで一番喝采を浴びたのは「プラウド・メアリー」、ということで意見が一致するだろう。最初の1コーラスをスロー・テンポで流した後、一気に倍テンに突入し、リズムセクションのヴィヴィッドで息の合ったバック・コーラスに乗ってシャウトしまくるLUNAは圧倒的、しかもその容貌が“怪女in熟女”のティナ・ターナー風だったことによって鮮明な記憶として残り続けそうだ。他には「メルセデス・ベンツ」(これはLUNAの素晴らしいVocal-solo)、「ムーブ・オーバー」、「リトル・ウイング」、「ファイアー」、「レディー・マーマレイド」、「リデンプション・ソング」、更に誰かのブルース曲やインストでBeatlesの曲等、趣向満載の2日間であった。3回目ともなると以前にまして4者のバランスが良く学習効果も申し分なし。不発弾なしの竹村一哲、選曲ごとにベースを使い分ける念の入れようの秋田、勢い余って1弦がプツンの碓井、まるでジャズシンガーのようなLUNA、わぉ!札幌は時ならぬ春の寒波に見舞われていたが、この程度のものはLUNA+Loud3による桁違いの熱気の相手ではない。 
効き目のないサプリは何錠飲んでも若返らないが、LB製薬のLUNAコーワは一夜にして身心を若き日に引き戻してくれる。そうした心境を見透かすように最後の最後にボブ・ディランの名曲「Forever young」でLiveの幕が下ろされた。我々普通人は10年後にこう思っているに違いない。青春とは言わないまでも“せめて10年戻ってやり直したい”と。人生は大体こんなもんである。そこで筆者は会心の決意をしてみせよう。10年後は“10年前のようにRockのLUNAを聴いてやる!”。何だか、これ嘘っぽいナ。
(M・Flanagan)

2018.3.16 13周年Vol.2 田中奈緒子trio

田中奈緒子(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
 何やら外が騒がしい。我が国において“jazz”は“改ざん音楽”と訳さなければならないようである。お互い裏で成り立つ闇社会だから笑えない。都合悪くなるとメンバーに責任転嫁するバンマスもいそうだから青ざめる。まぁ、カルロス・序文はこのくらいにしておこう。
さあ、13周年Vol.2は、LBの密使若井の推薦するピアニスト田中の初登場である。これまでの若井の人選経緯からただ者ではないに違いない。早速、流れの沿って進めてみよう。1曲目は「ス・ワンダフル」、かなり凝ったアレンジで、一聴、原曲と結びつかないユニークなものである。2曲目はドナルド・ブラウンなる人の「ワルツ・フォー・モンク」というモンクを想起させないモンクに捧げられた面白い曲。この2曲までの印象速報としては、小気味いいいが少し小ぢんまりしている感じで、この後や如何に?の思いを持つ。すると俄かに田中も13周年の雰囲気に慣れてきた風である。3曲目、スタンダードの「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」当たりから思い切りが良くなってきた。4曲目のオリジナル「アプリシエイション」になると若井が狙っている渾然一体のインタープレイが展開され、若井と気っ風のよい西村に乗っかって田中の持ち味もはっきり捕まえられてきた。5曲目はアップ・テンポの「ニュー・ヨーク・アティテュード」というK・バロンの曲である。敬愛する演奏家の曲に彼女のスピード感がよく似合っていた。2nd.の最初はシダー・ウォルトンの「ハインド・サイト」という曲だった。彼女によればこの曲はN・Yではスタンダードのように演奏されているらしい。印象としてはバップ後期のスリルとエレガンスがカップリングされたような曲だ。面白いのは次の「プレリュード・トゥ・ア・キス」、聴き馴染んだテンポより相当速く、この前奏曲に対応できる接吻はイタリア映画に出て来る開放的な庶民の男女だけだろう。3曲目のD・ピアソンの「イズ・ザット・ソー?」の段階になると田中の資質全開になって来ているのが分かる。次は4曲目あたりの指定席であるバラード、「ボディー&ソウル」だったが端正にまとめられていた。一度バラード中心のライブを聴いて見たいものだ。多分、田中が今日やりたかった曲を最後にぶっつけてきたのだろう、オリジナルの「ミュータント・タートルズ」、これはアップ・テンポの曲。演奏家が楽しめているかどうかを聴き手は結構正確に見ている。田中と若井・西村、生き生きした演奏とは華と根の部分が絶妙に繋がっていなければならない。それによって総力をあげた演奏になるのだ。アンコールは「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」で余すとこなく終了。一夜聴いた結果として、田中の全貌とは言わないまでもその才気の片鱗は十分伝わってきた。田中は客の反応をしっかり心に納めて東京に向かったはずである。
因みに江戸の後期に起こったのはシーボルト事件だが、この13周年においては田中菜緒子の“She Vol.2事件”ということにしておく。
(M・Flanagan)

13周年ライブ 酔いに負けた当方見聞録

2018.3.2 石井彰(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
 この季節は鬼門だ。13周年の幕開けは数年に1度の暴風雪、空の欠航と陸の運休の連鎖となってしまった。石井・米木両氏は函館で足止めを喰いながらも、ブリザードと戦いながら車で8時間かけて13周年の金曜日に札幌着と相なったとのことである。
それではではライブへ。1曲目は「ユー・アー・マイ・エブリシング」、この曲は管による押しで艶が出るイメージが強く残っているが、ピアノが主導すると俄然品が強調されるように生まれ変わっていた。2曲目の「ワルツ・ステップ」は富樫雅彦さんの曲で初めて聴いた。実に可愛らしい感じで、富樫さんてこんな曲を書くのかと意外に思った。3曲目はジョビンの「ワンス・アイ・ラブド」、魔術師の曲をしなやかに仕上げ、心が温められる。4曲目は「アイ・ラブ・ユー」、本田さんにこの曲を収録した同名のアルバムがあるが、両者のニュアンスの違いが楽しめてニンマリ。1st.は旅の疲れを全く感じさせない流石の演奏。2nd.は石井という個性がいよいよ全開の様相を呈していく。1曲目の「黒いオルフェ」は誰もやったことのないスローな演奏で曲のニュアンスが完全に作り変えられていた。2曲目は場面転換を図るようなミディアムテンポの「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォア」、そして3曲目は「ブルー・イン・グリーン」、グリーンに潜むブルーの怪しい謎が忍び寄って来る。“これは名演だ”と思わず声を出してしまった。次の最終曲は、メロディーが哀感を帯びていることと音から哀愁が滲んでくることは全く違うことを知らしめてくれた。曲はヘイデンの「ラ・パッショナーラ」。アンコールは「イフ・ユー・クッド・シー・ミ・ナウ」、抜いた感じだか隙間が見当たらない。“遅くならいくらでも遅く弾ける”。これは石井の言葉である。
2018.3.3 池田篤(as)石井彰(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
 今回の天候異変に巻き込まれた池田が1日遅れで合流したカルテット。池田は以前も2daysが1dayに切り替わったことがあるが、倍の濃度で喝采を博したのを思い出す。
演奏曲を列挙する。H・モブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、池田が辛島さんに捧げた「ヒズ・ウェイ・オブ・ライフ」、C・ヘイデンの「エレン・デイビッド」、スタンダード「アイ・ラブ・ユー」、石井の「スリーピング・ボーイズ」、池田自身を穏やかに投影したバラード「フレイム・オブ・ピース」、スタンダード「アイ・リメンバー・エイプリル」、アンコールは「アイ・キャン・ノット・ゲット・スターテッド」。池田は体調があまり良くないと伝えられていたが、一ことで言うと演奏はどれもが素晴らしいということに尽きる。いつも音楽者としての主語で演奏し続ける稀有の鬼才に心が揺さぶられる思いがした。
2018.3.5 田中朋子(p)岡本広(g) 米木康志(b)
 13年というより、遥か前から交流のある田中と岡本、そこに土台の米木が加わるSUM約200才のトリオだ。開演前に、記念行事に敬意を表してスタンダード中心に選曲すると聞いていたので珠玉の名曲集を楽しむこととした。晴れて選ばれたのは「アローン・トゥギャザー」、「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「ヴェガ」、「ケアフル」、「コルコバード」、「ラウンド・ミッドナイト」、「ウィッチ・クラフト」そして「ローンズ」。札幌の宝石こと田中のピアノは体力的絶頂期のようによく鳴り輝きを放っていたように思うが、これは決して気のせいではない。そして忘れ物の常習犯岡本は、ギタリスト魂だけは忘れていないことを見事に証明。ドラムレスなので米木のナマ音がズドンズドン、もの凄いベースが聴けた。
 冒頭に記したとおり冬の猛威に絡まれる旅を経て、13周年Vol.1は盛況裏に進行し終了した。後世の人々はこの苦難の果てを北方見聞録と言うのだろう。最近は若手の台頭に触れることが多くなっていたが、やはりアニバーサリー企画は順当に経験豊富な本格路線が奏功したと思う。本当は当方いろいろ見聞したことを忠実に記録しようと意気込んでいたが、飲み過ぎて忘却に足を取られてしまった。札幌在住者にとっても冬は危険だ。
 (M・Flanagan)

2018.2.16 松島 With Rising -Sons 

松島啓之(tp)本山禎朗(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
 数年前までなら、トランペットの雄、松島に若手が胸を借りる位の受け止め方になっていたろう。それ自体間違いではないとしても、昨今のLiveのトレンドから推し量ると躍進する次世代の主役たちとの共演と捉える方が当を得ている。今やベテランに差し掛かっている松島も二十代の時点で際立つ完成度の作品をリリースしており、それを思うとこの世代によって日本Jazzの屋台骨の組み直し準備が着々と進められているという感慨を持つ。やや硬直化していた私的磁石の方向先を彼ら若い連中がそれを矯正しようとしてくれている。一応、これくらいのことを確認しながら、松島カルテットに耳を傾けるとする。1曲目は松島作「ジャスト・ビコーズ」という曲、重量感のある演奏だったが、松島は音色だけで説き伏せてしまい、我々の耳を大いに喜ばせてくれる。次の「マイルス・アヘッド」はすう~っと心に入って来て気持ち良くなるウォームな演奏。次もマイルスがやっていた「イン・ユア・オウン・スウィー・ト・ウェイ」、出来ればミュートでやって欲しかったなぁというのは少々我が儘か。次は「マイ・アイディアル」、この曲はかつてよく聴いたK・ドーハムの演奏を思い浮かべながら、あの時のように楽しませて貰った。1ステ最後は「イッツ・ユー・オア・ノーワン」、親しみ易いアップ・テンポのメロディ-を楽しんでいる4人の一体感が心地よく、結束していく共同体の仕上がり具合が伝わってきた。
2ステは松島の「ブルース・ライク・ディス」で開始、中休みで一呼吸付いた後のこの音色で再び至福。2曲目の「スリーピング・ダンサー・スリープ・オン」はJ・メッセンジャーズに在籍していた時のW・ショーターの曲で、初めて聴いたが耳慣れて聴こえたのは曲も演奏も一級品だったからだろう。3曲目はサド・ジョーンズの賑やかな「レディー・ラック」、若井と西村を大きくフィーチャーされた演奏となった。この両者は定期的に共演しており、息の合い具合は上々、ソロも聴き応え十分だ。ここでバラードの「エンブレイサブル・ユー」、この控えめな味わいは陰の名演と言えるものだ。最終曲は一転、一時代を制圧した「ビ・バップ」、迸る音から汗が噴き出してくる快演、この場にガレスピーがいたら腰を振って踊り出しそう。アンコールは華やかな演奏空簡にゆっくり幕を下ろす「ライク・サムエワン・イン・ラブ」にて余韻を残す。
 最後に一言。若井はプレイの柔軟さに加え懐が随分深くなっていると感じた。西村のアクセントの付け方は個性的、それにしてもこの男は活きがよく、こうでなければならない。本山は東京勢と凌ぎを削って来ただけあって、全曲に亘っての的確なサポートに加えノリがよく十分聴き応えあるものであった。Rising-Sun Of Rising-Sons。
 (M・Flanagan)

2018.2.10  欠航、災い転じて福となす

荒武裕一郎(p)山田丈造(tp)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
 標題が語るとおり東京からの予約便が欠航となった。このため、荒武と三嶋は別便への切り替えを余儀なくされ、開演には間に合わないというハプニングに見舞われた。これは移動に憑きもののリスクなので仕様がない。そこで編み出されたのが、デュオ、謎の余興、カルテット演奏のユニークな三部構成である。第1部はトランペットとドラムスのデュオである。周知のとおり山田と竹村は発芽を早くした若者だが、今やこれからのジャズ・シーンを牽引する実力者へと成長を遂げている。昨今のレポートで折々に触れているが、若手ミュージシャンの著しい台頭ぶりには目を見張るものがある。その意味で両者のデュオが実現にいたったことは、幸運な拾い物と捉えるべきなのだ。演奏曲は「ロータス・ブロッサム」、「ウェル・ユー・ニードント」、「リフレクションズ」。彼らの演奏には勢いを持続したまま、着実に表現の幅を広げている頼もしさが溢れていた。瑞々しいマグマのうごめきだ。つなぎの第2部はLBマスターとインテリジェンスはあるが機転の効かないO君との親子漫談がジャズ・クイズ形式で進行。微笑ましくも二人のアドリブ・レベルの違いが露呈し、逆に笑えた一幕であった。なお、突発性の奇問を制した勝者にはライブ招待権が付与された。さて、開演前から荒武と三嶋の移動状況が、いま三陸上空(らしい)、新千歳着、札幌駅着といったようにタイムリーにアナウンスされたが、ついに店のドアが開いたときは、待に待った割れんばかりの拍手が出迎えたのだった。どよめきが収まらぬうちに第3部が始まる。1曲目「ビューティフル・ラブ」、2曲目「トリステ」。これだけで初聴きとなる荒武の傑出した才量に圧倒された。3曲目は彼が敬愛してやまない本田竹廣さんの「シー・ロード」、本田さんのアーシーでダイナミックな精神の延長上を疾走した。4曲目は岩手県を訪れた時にそこに流れる“閉伊(へい)川”をモチーフとした同名のタイトル曲で、これはベースとのデュオで演奏された。曲想からゆったり流れている川の情景を説いてきかせる逸品。最後は「夕焼け」というオリジナル。曲名から和のフレーバーなものかと思いきや、ラテン系のエネルギシュかつノリノリの曲で、カリブ海のサンセットは欠航禍にトドメを刺す大熱演であった。アンコールはピアノソロで、これも本田さんの「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ」。この情熱の上をリリカルさが漂う演奏によって、荒武は限られた時間の中で伝えようとしたことを伝え切ったのだ。
この店には東京からのミュージシャンが頻繁にやって来る。今日も東京にはまだ見ぬ素晴らしいミュージシャンがいるものだとつくづく思い知らされた。東京は23区ではなく、そろそろ音楽的区画変更によりここを離れの24区目としてもいいんじぁないか。変則の一夜を貴重なものに導いていった4人の熱意を感じながらそう思った。災い転じて福となす。まだまだこれは序章である。本田イズムの透徹した継承者荒武は必ずや全貌を引っさげて再び登場するに違いないのだ。
(M・Flanagan)

2018.1.20 見失われた二十指

楠井五月(b)菊地太光(p)
このDUOが初登場したのは昨年の秋だった。かつてゲイリー・バートンが4本のマレットを自在に操って世に出た時、“テクニックのお化け”と称されていたが、この両者もお化け族に分類されるかも知れない。さて、今日はどうか。前回と同様に理屈抜きに浮き浮きするものであった。“浮き”だけに、LB釣堀店は糸を垂らせば忽ちスイングにヒット、大賑わいの様相だ。しかし、これでは客に全部持っていかれる。警戒心が働く中、処どころバラードを放してある仕掛けであった。演奏の様子から、多分この二人は決め事を最小限に止めている。それでいて、両者の息はスリリングにピッタリ、こうなりゃ気分はバウンスの連続だ。それでは、いくつかショート解説をしながら演奏曲を紹介する。ベーシスト:サム・ジョーンズの「ブルース・フォー・エイモス」を皮切りに、高速の「ジャスト・フレンズ」、ここで一旦場を鎮めるように「ブラック・オルフェ」、「ユー・アー・マイ・ハーツ・ディライト」、「ポルカ・ドッツ&ムーン・ビームス」、これもサム・ジョーンズの「セブン・マインズ」、オリジナル譜面の1か所1音を変えるだけで違うものが創り出されるとコメントのあった「オール・ザ・シングス・ユー・アー」は実験的ではあるが得体のしれぬ実験音楽ではない。いいタイミングでの正調「ライク・サムワン・イン・ラブ」、辛島文雄さんの「クワイアット・モーメント」からいつの間にか「ナイト&デイ」に切り替わっていく進行はこのLiveでハイライトをなす長尺演奏、そのモノトーンな雰囲気から色彩を誘いだしたのが「オーバー・ザ・レインボウ」だった。一転して最後はC・ブラウンの演奏で有名な「ダフード」で、どう見積もっても一発免停だ。割れんばかりの喝采が続く中、ブルースに始まったLiveのアンコールは「ブルース」に終わった。バブル崩壊後の我が国は“失われた20年”と云われた。このLiveは崩壊の対極にあるが、余りのスピードに動体視力が付いて行けず“見失われた二十指”と名付けてみた。この日の“腹立たない日記”には「ここ数年、若い世代の今やれることを目一杯やろうという勢いが凄まじい。この清々しさにはシニア世代の者も心うたれる。」と書かれてあった。(邪悪なものどもに対する怒りのソロ・インプロビゼーションに浸りたい向きはブログ本編“腹立ち日記”をご覧あれ。)
終演後、楠井が使用していたベースはジャズ研の青年から借用しとものだと知った。来場していたその青年は「このベースがこんなに鳴ることは二度とないと思います」と呟いていた。現実は残酷だが、彼は幸せな思いをしていたに違いない。
(M・Flanagan)

2018.1.4 ジャズ・モンスター新春ライブ

峰厚介(ts)中島弘恵(p)
昨年、両者は東京にてDUOを中心に顔合わせを果している。その模様については知る由もないが、今日、その一端は確かめられそうだ。恐れ多くも峰さんは何びとも頭を高くできない先の大将軍であるが、幸いにも我々は、過去に幾つかのコンボで峰さんのLBライブを体験している。DUOは確か初めてのように思うが、この形式が創り上げる演奏には一滴の音も漏らしたくないと思わせる緊張感によって、多数の軍勢何するものぞの魔力が潜んでいる。今回のライブは、聴く機会が余りないテナーであること、演奏家が峰さんであること、そしてDUOであることの3点セットで満たされており、LBの初売りはサイズ違いが紛れ込んでいない福袋である。
その峰さん袋から取りい出したる品々、何とも衰え知らずの伸びやかな「レッツ・クール・ワン」、菊地雅章さんとのDUOでもやっていた艶と枯れを往来する峰さん作の「アイ・リメンバー・ゴコー」、冬の寒さが融けっちまうぞ「サマー・ナイト」、今日の中島を象徴する「The・next・step」、この油断ならぬ“ほのぼのさ”は峰さんにしか成し得ないバラードの「アフター・ザ・チェック・アウト」、等々が演奏された。我思うにこれはジャズ・モンスターの業績展示会のようなライブだ。頷きっぱなしのさ中にそれは起こった。目頭を除き全身が凍った。「ひまわり」だ。演奏が段々と映画のサウンド・トラックになり画面には峰さんに師事した臼庭潤の演奏姿や笑い顔が次々と走り去っていった。少し取り乱した瞬間だが恥じらいはない。LBマスターも同じような感慨を持ったらしい。目撃者によると、脱帽したはずみで思わず地肌をさらけ出したそうな。
ここで共演の中島について触れておく。中島は奔放さを持ち味とする演奏家である。奔放さゆえの自然な成り行きで、彼女には一定の型を欲する側より拒否する側により強い力が作用していたように思う。だが、近ごろはそうした力関係に意地を張らずにThe・next・stepを見出し始めているのではないか。飛び飛びにではあるが、それなりの年月に亘って彼女の演奏を聴いてきたが、ここのところ微妙な変化を感じている。例えばソロ活動が多いピアノ奏者は、共演者がいても往々に弾き過ぎになる傾向に陥りがちだが、このライブでは彼女流の奔放さを失うことなく抑制と強調が程よくバランスされている印象を受けた。この抑制は新芽の気品かもしれない。その背景には、昨年来の峰さんとの共演という一大事があり、そのことが刺激的に経験値を跳ね上げていることは想像に難くない。これからも彼女の特異な個性を注視していきたいものだ。
いま初笑い取りの制限時間が迫り焦りを感じている。で、筆者未加入は「中島後援会」、ススキノのThe・next・stopは「中島公園かい?」。年始に免じて駄作に神のご加護を。
(M・Flanagan)