名盤・迷盤・想い出盤
このアルバムを聴くのは久し振りぶりだった。年を取ると5年や6年は”久し振り”とは言わない。二桁に突入してしまうのだ。気が付くと疎遠気味になっていたこのアルバムを何故取り出して来たかというと、古い話になるが、ジャズに熱心でなかったある人物がこの『Super Nova』を凄いと言って、夢中になって聴いていたのを思い出したことによる。これは殆んど怪奇なことなので覚えている。この企画に乗っかったお蔭で、ジャケットの引っ張り引っ込めの動作が以前より増えた。すると内容とは直接関係のない「あの日あの時」的な事柄どもがちゃっかり息を吹き返すことがある。”ある人物”の件もそれに該当する。それはともあれ、今このアルバムについて何か申し上げねばならず、早速苦境に追い込まれている。ショーターについては、60年代のマイルス・クインテットやそれと並行してリリースしていたリーダー盤を聴く機会は結構あり、またライブでもこの人の名曲が演奏されことが少なくないので、その意味で”久し振り”さは全くない。では苦境に追い込まれるのは何故なのか。よく彼は「黒魔術的」と評されるが、筆者は「黒魔術」なるものを知らないし、ショーターの神秘性を高めるための修飾ぐらいにしか思っていない。敢えて言えば、他の誰も持ち合わせていない作風を生み出す主(ぬし)らしいことは間違いないという感じだ。”他の誰も持ち合わせていない”とは独創的ということだが、筆者はその独創性の出どころに恣意的に思い巡らそうとしている。この『Super Nova』が録音されたのは1969年である。世界中で既成の価値観を問い直すムーブメントが起こる混沌とした時代と言われている。その混沌とした時代の共通語として例えば”ラジカル”という言葉があったように思うが、それの象徴的一語もやがて流行語化の道を辿ると、その生命力が失われてしまう以外に行先はなくなってしまうように思う。いまその混沌の時代とショーターの関係に遮二無二焦点を合わせようとしているのだが、その時代はショーターが影響されたとされるコルトレーンの没後2年ぐらいのことである。漠たる思いだが、彼はコルトレーン的なるものを更に先鋭化しようとは思わなかったに違いないのだが、このことはコルトレーンに見切りをつけたということを意味するものではない。様々なジャズに接していると、自身の表現力に磨きをかけ続け、そして人々に感動を送り続ける才人に出会うことができる。その中には時代を動かすことのできる能力を併せ持った才人がいる。ショーターはその一人であろう。彼の感性は古着(伝統)を着こなしながら、同時にそれをニュー・モード(変革)に連結させる離れ業をやってのけている。どうやら筆者が言いたいのは、普通であれば人が時代に多くを制約されてしまうところ、ショーターの場合は彼自身の手によって時代を補正したのではないかということらしい。いま普段使わない脳を煽ったせいで、我がアダムス・アップル周辺がカラカラに乾いてきた。これ以上なす術がないので、『Super Nova』について何んか言っておこう。この作品はブラジル色が立ち込めているが、1曲目の標題曲はショーターの激情的演奏に加え、ドラムスとギターが緊急事態の発生を告知するようで、聴く者を一種の焦りに包み込む演奏となっている。『Super Nova』にハマル者はこの曲で必殺状態にされるのだと思う。また、3曲目にジョビンの名曲「DINDI」が配されているが、歌のMaria Bookerが最後には泣き出してしまう異様な瞬間がある。後にショーターとこの人は結ばれるという話だ。これは公然と泣き落としに成功したハチの一刺しと言うべき名演中の迷演である。今回ショーターのことを考えていて筆者の盤面がスリ減ってきそうになっている。暫くはショーターからスーパー野放しになっていたいものだ。
(JAZZ放談員)
Master’s comment notice
このアルバムは聴く人の感性を試す。1曲めのショーターのたたみかけるようなソプラノと奔放なバックの動きをこの人たち何してるのだろうと指をくわえて聴いていた。新しい・・・でもそれを的確に言い当てる事が出来ない知的脆弱さを感じていた。だがここに出てくる”ある人物”の様にすんなり受け付けられる人もいる。聴く側にある種の分断を産むアルバムである。
カテゴリー: ディスクレビュー by牛さん
『The New Miles Davis Quintet』
名盤・迷盤・想い出盤
このアルバム『The New Miles Davis Quintet』と聞いてすぐにピンと来ないかも知れない。通称「小川のマイルス」と言われているようだ。近づいてみると、ジャケットは全面ブルー(グリーンもある)を基調に木々と鬱蒼とした茂みに挟まれて静かに川が流れていて、中央に白ヌキで大きくMILESと描かれているシンプルなものだ。ああ、あれか”ということになっただろうか。名盤を冠するなら、他にいいのが有るだろうという声が聞こえてくる。だが、「カインド・オブ・ブルー」のような隙の見当たらない金字塔は語り尽くされている。従って、迂闊なことを言おうものなら、突っ込まれる。それが理由で避けた訳ではない。このアルバムが世間的にどのような評価となっているか分からないが、1955年録音のこの作品は、何かの始まりを予感させる雰囲気が漂っていて、興味深さでは上位に来て然るべきという思いがある。これは、マラソン・セッションにとして実を結ぶことになるQuintetの記念すべき第一作であり、後の成果に結実する原型がここにある。因みにメンバーにはコルトレーンが参加していて注目されるが、何やらマイルス邸に居候させてもらっている身のようで、遠慮したのか特に際立つものはないように思う。この段階では後に自己を確立し、行くところまで行ってしまう彼を覗い知ることは出来ない。ところでいつ頃からマイルスが「帝王」と言われるようになったか知らないが、このアルバムを聴いていると、「帝王」とまで言わなくとも自身の演るべきことの狙いは明確になっていて、ハード・バップ期の熱弁を振るうような賑わいに満ちたサウンドとは明らかに一線を画している。彼は掘り下げるという行為に労を割くことは、音楽家の基礎的ミッションと生涯考えていたに違いないのだが、その野心的な気性とは対照的に練り込まれた品格溢れる作品を積み重ねていく。このアルバムはマイルスが50年代の自画像に確信をもって絵筆を入れようとする記念碑的な一作といえるだろう。どれも粒揃いの演奏が繰り広げられているが、中でも「There Is No Greater Love」はマイルスならではの稀有な解釈と言える。謙虚な気持ちで向き合える味わい深いアルバムとして選定させていただいた。
(JAZZ放談員)
Master’s comment notice
この時期のマイルスは徹頭徹尾「歌」に拘っている。どう頑張ってもガレスピーの技術に追い付かなかったマイルスが技術と生産力の均衡点を見つけた時期でもある。マラソンセッションはどのアルバムも素晴らしいがこのアルバムを持ってくるあたり牛さんの包丁さばきの見せどころである。旬であれば秋刀魚でもマグロと同等の旨さを引き出すようにさばいて見せましょう・・・と言う事である
Art Blakey & J・M『Saint Germain』
名盤・迷盤・想い出盤
この『Saint Germain』は、ジャズ・メッセンジャーズの中でで初めて入手したと記憶している。周知のとおりこのコンボはメンバーの変遷を繰り返しながら息の長い活動を継続し、多くの名作を残している。アート・ブレイキーはドラマーとしての名声ばかりではなく、新たな才能の発掘によって演奏鮮度を堅持しながら時代を乗り越えてきたと腰の据わった大物だ。とりわけ1950年代の中後期は白熱そのものである。よく言われるように、ブレイキーはメンバーを纏める面でのリーダーとして存在し、音楽コンセプトは他のメンバーに託している。本作ではその役割をベニー・ゴルソンに充てている。このコンボの前にはホレス・シルバーが、後にはウエイン・ショーターがそれを担っていたのだが、明らかに白熱の質が異なっているのが分かる。それぞれの代ごとに引きも切らぬ名演が残されているにも関わらず、何故このアルバムを選定したのか。その理由は「モーニン」が入っていだけでこのアルバムを手に入れ、何度も聴いた過去の思い出にせかされたからだ。恥ずかしいことに、その時点では「モーニン」を朝の「モーニング」のことだと思っていた。娘ならぬ”モーニング息子”だったのである。それはさて置き、このアルバムには100発100中の勢いで飛躍を遂げているリー・モーガンが入っている。彼はブレイキー親分の煽りに一歩も引かず渡り合っていて、その天才ぶりを如何なく発揮している。ここで彼に焦点を合わせると長話になりそうだ。いずれモーガンのアルバムを採り上げることもありそうなので、今回は彼について控えることにする。実は筆者がこのアルバムの最大の聴きどころにしていたのがピアノのボビー・ティモンズである。この人の醸し出すファンキーなノリは呆れんばかりだ。唯でさえ熱いこのコンボが、ティモンズによって更にそのメーターを上げているのだ。筆者はこのアルバムを回すと、早くティモンズのソロが来てほしいという気分になる。こういう聴き方は変則的に思われるかも知れないが、私たちは聴きどころを探しながら聴くという欲求から離れることは出来ない。。ボビー・ティモンズというピアニストは、革新的な功績を残すようなことはなかったにせよ、自分を出し切るということにおいて、賞賛されるべき演奏家だと思う。数ある「モーニン」の中でこのアルバムのパフォーマンスがベストだ思う。また、収録されている他の曲も引けを取らない出来栄えである。加えてバッチリ捉えられている会場の雰囲気も申し分なく、ライブ盤としての値打ちも大ホールものに競り負けない一級品である。ブレイキー御大にあまり触れずじまいになってしまったので、その代わり数年前の話しにズーム・インしてみよう。LBライブに訪れていた原大力に、ドラム上達志願者が「どんなトレーニングをしたら良いでしょうか?」、原曰く「アート・ブレイキーを聴き込めよ」。原はジャズのそしてジャズ・ドラムのエッセンスについて、自身の体験をもとに一言添えたのだろう。
(JAZZ放談員)
Master’s comment notice
僕はA.ブレイキーのライブを聴いたのは一度だけであるがブレイキーがいなかったら日本でこんなにjazzが隆盛することは無かったのではと思っている。このアルバムの時代は「蕎麦屋の出前も口ずさむモーニン」というキャッチコピーをよく聞いた。ブレイキーのバンドは若手の登竜門でもありいつの時代も溌溂としているがこの時期は黄金期である。パリで受けに受けているのが伝わってくる。ティモンズが素晴らしくて失神者が出たというエピソードを聴いたことが有る。groovyを引き継ぎ「モーニン」のリクエストを受けた時初めてもっていないことに気が付いた。レコード店に買いに行った時店長から「盤痛めたのですか・・・」と聞かれ「すり減ったので2枚目・・・」とか言ってカッコつけたことを思い出す。
Thelonious Monk『Plays Duke Ellington』
名盤・迷盤・想い出盤
それはジャズを聴き始めた頃のことだ。”モンクの最高傑作”の呼び名に釣られて購入したのは「Brilliant Corners」だった。最初にタイトル曲が来ている。これは無理だと思った記憶がある。何だか大量の片栗粉を混ぜ込んだ色の濃い料理を出されて、「えっ、これ、最高級なの!」と面食らったような感じだったと思う。それから暫くモンクの空白期間が続くことになって行った。そのブランクの間、他の色々なものを聴いていたのだが幸いしてか、多少は懐が深くなったのだろうか、次第にモンクに対する抵抗感が薄れ、面白味を以て向き合うことができるようになったのである。従って、今でもモンク初聴きで夢中になれる人には一目も二目も置くのだ。ここまでは筆者の体験的モンクのあらましである。さて、モンクが作曲したのは五十数曲らしいのだが、それが本当だとすると、名曲創作率が異常に高いように思う。そしてその個性ゆえ曲名を思い出せなくてもモンクの曲だと察しがつく。これは至って稀なことである。そんなモンクの曲は異例の頻度でライブでも演奏されている。それはコール・ポーターやジェローム・カーンなどの巨匠を凌ぐものがある。そうした巨匠たちの楽曲が演奏されるのとモンクのそれとは、異なる印象があると感じている。ある演奏家においてモンクの曲を演るとモンク風に聴こえ、他の作者の曲を演るとモンク色が一掃される場合があり、何故そう言うことが起こるのかと考え込むことがある。曲の個性を引き出しているから当然とも言えるし、曲に屈しているとも言えるからだ。また、それとは別に一群の演奏家においてはモンクの曲であるか否かに関わらず、一貫して自己表現として咀嚼されていることが確かめられる場合もある。筆者がモンクを聴いていて思うのは、彼は管楽器奏者の息継ぎを鍵盤に乗り移らせるかのように、彼自身の呼吸を音に変換しているように聴こえることだ。そこに異様な時間感覚の下地がありそうだ。呼吸というのは意識しなくても自然に繰り返されるとはいえ、絶えず詰まったり荒くなったり安定したり不規則の連鎖となるのが普通だ。そういう不規則な身体世界を音楽という精神世界に反映させたのが”モンクス・ミュージック”の核心なのではないか。幻聴と言われると元も子もないが、彼の音から人の気配が感じられるのだ。モンクのことを考えると袋小路への切符を持たされてしまう。だから困り果てる前に、ちゃっかり人の手を借りることにする。ジャズに限らず音楽に深い造詣のある村上春樹氏は、作家になる条件は自分のボイスが見つけられるかどうかに懸かっていて、それが見つけられれば後は何とでもなるというような主旨のことを確か述べていた。このことは今回のアルバム「Plays Duke Ellington」を選定したことと無関係ではない。何故ならこのアルバムは文字通りエリントン楽曲集であるが、余すことなくモンクス・ボイスの演奏集になっているからだ。なお、自曲を含まないモンクのアルバムはこれだけらしいので、貴重盤としての価値を備えている1枚だ。”ふぅ~う”という呼吸音に包まれつつFine。
(JAZZ放談員)
master’s comment notice
僕も同じような「Brilliant Corners」体験が有る。限られた小遣いでレコードを買うとなると厳選せざるを得ない。かと言って知識はない。有名な批評家先生のアドバイスに従わざるを得ない。どの批評家もモンクと言えば最初に「Brilliant Corners」を挙げる。まだjazz聴き始めの頃にこれを聴いた。秋刀魚の塩焼きしか食べたことがない人間がくさやを食べた時の印象に近い。暫く封印火山にした。初心者にモンクを勧めるとしたら僕も「Plays Duke Ellington」を選択する。モンクは自分の文体でエリントンという主題を表現している。牛さんが村上春樹の言葉を紹介している。村上春樹の発言は「文体」を探す道のりであったと思う。村上春樹は処女作「風の歌を聴け」を英語で書きそれを日本語に訳して作品にしている。翻訳小説特有の乾いた感触が有るのはそのためである。そうして徐々に文体を獲得していった。モンクもミントンズハウスでC・クリスチャンとセッションしている時期は音数の多くないバド・パウエルのようである。その後音数を減らしリズムを顕著にし固有の文体を獲得していった。
Max Roach&Clifford Brown『IN CONCERT』
名盤・迷盤・想い出盤
前2回の2枚はレイジーにおいて見つけ損ねたというコメントが加えられていた。本コーナーは多少の連携プレーも必要であろうという良心を働らかせ、容易に引っ張り出せそうな1枚を選定することにした。そこで白羽の矢を立てたのがMax Roach&Clifford Brown『IN CONCERT』である。これが即座に見つからなかったら、定番フレーズのチャーリー閉店ものだ。話が空転しそうなので本論に向かおう。よくあるJAZZ名盤100選などというランキングものに、ブラウニーが漏れることはないだろう。今回は「Study In Brown」や例のヘレン・メリルも考えたが、本作を割って入らせることにした。ブラウニーは若くして他界したので残された音源は多くはないが、どれも名演揃いと言えるので悩ましいが、本作を選択したのは筆者にとって忘れられない1枚という一点による。それは最初に購入した5枚の中に入っているからだ。とかくJAZZは難しいと言われ、筆者も漏れることなくその一人であった。そういう先入観を解きほぐしてくれたのがこの作品だった。「JAZZってこんな感じなんだ」と印象づけられ、この時を起点に細々ではあるが長く聴き続ける心支度が出来上がったのだと思う。ここに収められている「JOR-DU」、「I Can’t Get Started」、「Tenderly」その他の曲は本作によって知った。A面とB面とではサックス、ピアノ、ベースはメンバーが異なっているが、それに構う必要なくブラウニー1発で聴くことができる。天は二物を与えずというが、ブラウニーはそれに背いたことと引き換えに不慮の事故に遭ったと言うと無理があるのだが、そうも思いたくもなることには無理はないだろう。ブラウニーの演奏は想像力に溢れ、端正でしかもエネルギッシュだ。なおかつ本作はライブ盤なので臨場感もたっぷりだ。稀にブラウニーを好まない人がいるらしいのだが、おそらく彼の演奏に邪気がやや不足していると感じている人たちである。筆者はこれを支持しようとは思っていない。ブラウニーと薬物の関係は全く知らないが、この演奏が録音されたのは1954年であるから、時代が毒づいていたのであって、ブラウニーはそうした時代の空気をよそに超然と演奏していただけではないのか。音楽においては古い日付の演奏が後の時代のものより鮮度を保ち続けているものがある。この演奏もそれに含まれる。実感を以て言うならば、本作はJAZZの入門盤として最適であるとともに、いま聴いても輝きを失うことのない生涯盤でもある。このアルバム・タイトル「In Concert」は、本当は「Max Roach All Stars With Clifford Brown」だ。だが、筆者はブラウニーのアルバムとして聴いている。多分これからもそうなるだろう。多くのJAZZファンの心の中は果てることなく”I Remember Clifford”なのだと確信している。
(JAZZ放談員)
master’s comment notice
好きなミュージシャンは・・と聞かれたならマイルス・デイヴィスと答えるが質問が好きなトランぺッターは・・・・であったならクリフォード・ブラウンと答えるだろう。暖かく太い音色・・・マイルスの対極にある。牛さんは邪気がないと表現しているが僕は疾走するクリフオード・ブラウンのtpを聴いていると完璧なフォームで走るぽっちゃりした穢れを知らぬ女子陸上部員の中距離の走りを想い出すのである。
タモリのギャクを紹介しておく。アメリカ人から「Do you remember Pearl Harbor」と聞かれたので
「I remember Crifford」と答えたという
Jack Dejhonette『Special Edition』
名盤・迷盤・想い出盤
前回の投稿「Tales Of Another」に対するMaster’s Comment Noticeに、偶然かつ幸運なことにジャック・ディジョネットの ピアノ演奏を目の当たりにすることができたという話があった。今回はその美話にCallされたつもりでResponseしたい。ディジョネットには「Piano Album」というキーボードに専念した立派なアルバム(b:E・ゴメス、ds:F・ウェイツ)があるほどの腕の持ち主であるが、それはややレア感があるので、ここではこれまでに受けたインパクトを優先し『Special Edition』を選択することにした。この10年ぐらいの間だろう、わが国では野放図に「異次元」という言葉が飛び交っている。そこにには一方的に期待感が押し込められているようである。しかし「異次元」とは、低次元を含む概念な筈である。少し理屈っぽいことを言ってしまったが、これは今回紹介する『Special Edition』が間違いなく「高次元」のアルバムだと確信していることへの弾み付けとして言っておきたかったのだ。この録音は1979年となっている。ディジョネットは’60年代に頭角をを現したドラマーであるが、筆者がこの人のリーダー・アルバムを手にしたのはこの作品が初めてであった。この頃の時代はオーソドックスなものから、オール電化もの、フリー系その他が等しく混在し、JAZZのストライク・ゾーンがかなり広くなっていたように思う。一面では多様なものが活性化していたのであり、他面では方向性がよく見えない様相を呈していたと言えるのかも知れない。この認識に大きな誤りが無いとすれば、今回選択した作品は当時の彷徨えるジャズ・シーンのど真ん中に投げこまれた、正に『Special Edition』だったと思う。この時の鮮烈な印象は月並みだが新たな”JAZZ来るべきもの”だったように思う。アルバムの中を簡単にうろついてみよう。E・ドルフィーに捧げた「One For Eric」から始まる。アップ・ダウンの構成が見事に決まっている。2曲目は「Zoot Suite」(ズート組曲)という曲だ。筆者の浅い知識では、ズート・シムズとの関係を連想するしかなかったが、何か釈然としないものが払拭されずにいた。そこで不勉強な態度を改め、辞書を引いてみた。すると「Zoot Suit」というのがあったではないか。その辞書によれば、1940~1950年代に流行したダブダブのスーツと解説されていた。ファッション通ではない筆者は呟いた。「おぅ、スーツ(Suit)と組曲(Suite)を絡めているではないか」。長らく立ち込めていた不可解な雲を突き破って突然晴れ間が差してきた瞬間だった。曲想はダブダブをイメージさせながらも演奏は全くダブダブになっていない。ここでの構成も文句なしに見事だ。このB面には「Central Park West」、「India」が採り上げられており、コルトレーンへの敬意が込められている。これはZootと違って想像するに容易だ。端的に言って、このアルバムにはJAZZ演奏の「動と静」がギッシリ詰まっている。未だ聴いていない人は我が耳で確認してみて頂きたい。筆者はこのアルバム以降、ディジョネットの新譜は欠かさず揃えることにした。どれも聴き応えのあるものばかりだ。1980年代の出会い頭にぶつかった相手が『Special Edition』だったのは実に貴重なことだったのであり、今日の耳に繋がっている。
余談になるが、まだ東京で活動されていた小山彰太さんが札幌に客演した随分前のことだ。ディジョネットについて訊いてみたことがある。彰太さんは確かこう言った。「あの人はルーズなプレイもゴキゲンだし、何よりここぞという時は1発で仕止めるんだよナ」。数年前にUターンされてからの翔太さんにその時の話をしてみたところ、そんな昔のこと覚えていなかった。彰太さんがカサブランカのハンフリー・ボガートになった瞬間だった。今一度、幹線道路に戻ろう。J・ディジョネットはこのアルバムでチョコッと例のキーボードを演奏している。この『Special Edition』を聴いているとディジョネットはプレイヤーとしてのみならず、音楽クリエイターとしての「異次元」の域にあると印象づけられる。勿論、百パー肯定的な意味合いにおいてである。これは歴史的なアルバムとして位置づけられるべき1枚である。
(JAZZ放談員)
maser’s comment notice
何か牛さんと交換日記をしているようで楽しい。このアルバムに参加している二人のサックスプレイャーについて触れておかなければならない。tsデビット・マレイ,asアサー・プライス。この時代次世代を担うプレィヤーとして嘱望されていた。二人とも伝統に根ざしつつフリーまで駆け抜けたプレイャーで有った。デジョネットの目の付け所が素晴らしい。
私事だがこのアルバムも見当たらない。2枚続けてである。有る疑惑が湧く。珠也が来るとレコード棚を物色する。珍しいアルバムが有ると「くれ」という。こちらも最早物欲はない。愛聴盤以外は進呈している。だがこのアルバムは進呈した記憶はない。これを読んでいたら返してほしい。濡れ衣だったら謝るが・・・(笑)
Gary Peacock「Tales Of Another」
名盤・迷盤・想い出盤
このレコードの日本盤タイトルは『ピーコック=キース=ディジョネット”ECM”』というものである。知られてるとおりECMというのはレーベル名称である。リリース当時このレーベルはジャズ的な泥臭さをを却下した透明感のある録音を特徴の一つとし、キース・ジャレットのソロを含む諸作を発表して、話題になっていたドイツ発の振興勢力であった。日本盤が「Tales Of Another」を無許可でこのタイトルにしたのなら反則であり、許可を得ていたのなら販促である。ただ、ゲイリーの意向は問われなかった可能性はあると思う。この辺りは後味が良くないが、内容は全く別である。筆者はキースの三枚組『ソロ・コンサート』を気に入っていて、その延長でこのアルバムを買い求めたと記憶している。キースの天才を疑う者はいないと思うが、’70年代に率いていたアメリカン・カルテットでは、メンバーの自由を優先させていたのか、リーダーとしての統率に無頓着であったのか分からないが、集団をまとめる面での天才は少し怪しいように思う。今回紹介する「Tales Of Another」は、リーダーがゲイリー・ピーコックであるところを注視しておくとよい。しつこく言うと、キース仕切りではないことによって、三者の対等な関係を極限まで引き上げることが可能となったのと思わざるを得ない。かくして尋常ならざる緊張感が、最後まで途切れることのない作品が出現してしまったのだと言えよう。このトリオは後に稀にみる長期活動を行うことになるスタンダーズへと結実して行く。スタンダーズの作品は秀逸なもの揃いであるが、筆者はこの「Tales Of Another」を上位に置く。更にこのアルバムを想い出深くしているのは、新譜をリアル・タイムで聴き始めた時期と重なっていることだ。何せ所持枚数が少なかったので記憶に鮮やかだ。今回取り出してみると、相当聴き込んだとみえてチリチリが結構入っている。チリチリ・バンバンと言っちゃ失礼か。デジタル製品は不老であるが、アナログは我とともに年を取っているのだと思う。さあ纏めよう、このアルバムには収められていなが、”It’s Easy To Remember(思い出すのはた易いことだよ)”というスタンダード曲がある。その曲の歌詞の中でこれに続くのは”But So Hard To Forget”(だけど忘れるのは難しいことさ)となっている。これは、そんなアルバムの1枚である。
(Jazz放談員)
master’s comment notice
前回取り上げてくれた「money jungle」をライブ終了後かけていた。遠目にジヤケットを見たミュージシャンが「monkey jungle」と言った。「このアルバム知らんのかい」とツッコミを入れたくなるが間違いとしてはかなり面白い。密林と言えば猿である・・・・。恥ずかしそうに終電で帰っていった。引き止めなかった。去る者は追わずである。
今回の「Tales Of Another」聴き直そうと捜したがゲーリーの所にもキースの所にもない。groovyからlazyに引っ越しする時何処かに紛れたのだ。こうなると多分一生聴けないことになりそうだ。ここに張りつめている緊張感の源泉はG・ピーッコックがA・アイラーと録音した「spiritual unity」ではなかったのかと思っている。フリーでやった緊張感をインで表現したらこうなるのでは・・・・
何年前の事かは忘れたがK・ジャレットトリオのコンサートの後今は無きビードロというライブハウスに行った。そこにG・ピーコックとJ・デジョネットが来た。二人でキースの奏法について話していた。デジョネットがピアノを弾いてゲーリーに意見を聞いていた。並みのプロよりピアノがうまい。
DUKE ELLINGTON『Money Jungle』
名盤・迷盤・想い出盤
前回はベイシーを採り上げたので、ここはエリントンをスルーしてしまうのは恐れ多い。2回続けてBIG BANDというのも、楽団維持費が大変なのでここは小編成モノにすることにした。何と言ってもエリントンはオーケストラによる音源が圧倒的多数だ。従って、このピアノ・トリオは迷盤ではなく貴重盤と言うのが適切だ。サイドがC・ミンガス(b)とM・ローチ(ds)となっていいるだけで、どう考えても真っ先に骨太サウンドを想像するだろう。ところが、今回の『Money Jungle』を引っ張り出したとき、あろうことか値上げラッシュの密林に幽閉されている昨今の我が身を思ってしまった。切実ではあるがこういう時に、自身の小モノぶりを思い知らされる。さて、1曲目からタイトル曲になっている。金銭欲は人間と切り離せないとして、ここでエリントンは 限度を超えると二束三文の人間になっちまうぞと強く警告しているように聴こえる。最初に言うことを言っちまった後は、只管アルバムとして完成度を高めることに徹している。進むにつれBIG BANDの時とは一味違ったピアニストとしてのエリントンの偉人ぶりが確かめられる。そこに対峙するミンガスは一歩も引かない。このベーシストから感じられる露骨でありながら練られた力強さは他に類例をみないように思う。一方、ここでのローチは思ったより抑制的だ。このアルバムではエリントンがニラミを効かせていたためか、さほど好戦的になっておらず、それが逆にガチャガチャになるのを回避できていて好結果を生んでいるように思う。今回聴いていて二つの曲について、レイジー・ライブとの関連で思い出したことがあった。一つは”アフリカの花”という曲で、演奏家は忘れたがこの曲と思って聴いていたら”Never Let Me Go”だった。よくあることだ。ついでの話をすると、ライブで曲名が紹介されずに演奏に入ってしまった時、しばしば曲を思い出せずに振り回されてしまうことがある。これは非常に歯がゆい状態だ。それを克服するために聴くことに専念できるよう、集中力を絶やしてはならないと強がっている。本当は年齢的な記憶力低下(思い出せない症候群)への言い逃れをしているだけだとしても。さて、思い出したことのもう一つは”Wig Wise”という曲。かれこれ10年も前のことだろう、大口さんと米木さんのデュオでこの曲が演奏されたことがある。その時は「二人だけでこんなにグルーブ‼」と恐れをなしたものである。私たちは体感したことを頼りに、時空を越えてレコードやライブや個人の様々なものがリンクすることを楽しんでいるのだろう。こうして行ったり来りしているが、決して堂々巡りしている訳ではない。なお、この『Money Jungle』には、「Worm Valley」、「Caravan」、「Solitude」なども収められており、退屈へのビザは発給されない。
(JAZZ放談員)
Master’s comment notice
エリントンの前に出ると皆子供に見える・・・と言った評論家がいた。このアルバムを聴くとそう思わないでもない。いい意味での音楽家父長制を感ずる。
Count Basie『Basie In London』
名盤・迷盤・想い出盤
Big Bandものは滅多に聴かない。その理由は嫌いだからではない。アンプのボリュームを一つ二つ上げないとそのダイナミズムが伝わってこないからだ。到底一般住宅の手に負えない。加えてこうした環境問題とBig Bandを生で聴く機会が乏しいのが主たる理由になるだろう。しかし、宝の持ち腐れも勿体ないというもの。今回”Duke”にしようか迷った挙句、”Count”にした。家庭用の標準ボリームを少し上向きにして『Basie In London』に臨んでみた。いきなり来るではないか。カンサス・ジャズを特徴づけるリフ・アンサンブル満載の「Jumpin’ At The Wood Side」だ。この1曲だけでも一枚持っている価値はある。よくベイシーのピアノは最小音数の最大スイングと言われる。これはO・ピーターソンのように音数を駆使して豪快にスイングする演奏家と対照的にみえる。一体どういうことなんだろう。私たちは”ひと手間かける”という言い方をすることがある。”増やす”行為を惜しまなければ、料理がワン・ランク・アップするというような時にだ。ピーターソンはそれを演っているのだと思う。であれば、ベイシーの演奏の説明が付きにくくなる。この際、考え方をひっくり返しみよう。ベイシーにとって”ひと手間かける”とは”増やす”ことではなく”減らす”ことに向き合うことなのではではないかと。ベイシーはそうやって自らのピアノ演奏に余白を生み出し、その余白に他のメンバーを入り込ませて、思う存分彼らの演奏力を引き出せるよう、バンド・リーダーとしての構想力を働かせていたのではないだろうか。このオーケストラのエキサイティングな演奏の原動力はやはりベイシーなのだ。アルバムの話しに戻ろう。ここにはスリルばかりではなく、くつろぎもある。その立役者がミスター・リズムことフレディー・グリーンのギターだ。この刻みの何と心地のよいことか。もう一つ、3曲ほどジョー・ウイリアムスの熱唱が収められている。この人はその後のソウル・ミュージックなどジャンルを越えてボーカル界に影響を与えたのではないかと思わせるが、どうだろうか。最後に恐縮だが私的な話をさせていただく。40年前の1983年5月20日に札幌にやって来たベイシー・オーケストラを観に行くという貴重な機会があった。手元にあるその時のパンフレットに日時が記載してある。高齢のベイシーが、ステージの袖からピアノの位置までミニ・バイクに乗って移動するユーモラスな姿を思い出す。そして遠くからではあったが、皆さんがよく知るベイシーの笑顔をこの目に焼き付けた。その後1年を経ずしてご本人は天に召された。。ベイシー爺さんのあの笑顔は、筆者の重要無形文化財となっている。
(Jazz放談員)
master’s comment notice
牛さんが選んでくれたLPを聴き直している。これは昔Jazz喫茶に行ってマスターの選曲に身を委ねる行為に似ている。あるストーリーを想定して選んでいるはずだからである。ブラスの大波の去った後に残るベイシーのピアノが真珠の様に美しい。ビックバンドの楽しみどころはもう一つある。ブラスの大群に大見え切って張り合うソニー・ペインのドラムスである。さながら歌舞伎の弁慶である。今は休止しているが僕が主催しているJazz幼稚園と言うワークショップが有った。そこに今は室蘭にいるS原というドラムがいた。S原は出したテンポと全く違うテンポで叩き始めるので「カウント蔑視」と呼ばれていた。
Eearl”Fatha”Hines 『Here Comes』
名盤・迷盤・想い出盤
最近はレコードブーム再燃というようなことを聞く。アメリカなどで地道にアナログ・レコードが支持されてきたのとは対照的に、我が国のCD普及が世界的に先頭を切っていたことへの反動であるかも知れない。ところで、かつては中古レコード店が活況を呈していて、名盤のみならず掘り出しモノにおいて、新品販売店より圧倒的な優位を握っていた。この中古品だが、その値段決めについて少し不可解な思いがある。日本盤には元々ジャケットに”帯”なるものが付いていて、同程度の盤質ならば”帯”ありの方が高値なのだ。これはオモチャの鑑定で箱の有る無しで値打ちが大きく変わるのと同様の基準だ。筆者は”帯”が付いていても外してしまうので、当然”帯”なしを買っていた。今回の『Here Comes』はたまたま”帯”付きだ。見開きのアルバムを開くと挟まっていたのだ。しかも、”来日記念特別新譜” という細帯まであるではないか。悪戯して”帯”を付けてみたが、ジャケットの3分の1ぐらい覆ってしまう。再び取りはずした。さて、このレコードについてはサイド・メン買いした。リチード・デイビス(b)とエルビン・ジョーンズ(ds)だ。アール・ハインズについては、Jazzピアノの父と言われているくらいは知ってはいても、ベース、ドラムスの二人に比べて古典という思いがあったので”まっ、いっかぁ”だったように思う。さてどうだ。A面は和みのある演奏で固められている。これは下ごしらえだ。B面の「スタンレー・スティーマー」に突入すると、得も言われぬスイング感に晒されることになる。三者が同一線上に並んでノリまくっているのだ。サイド・メン買いは誤りではなかった。このサイドの二人は「父」”Fatha”ハインズに尊敬の念こそあれ、プレイに遠慮は無かったのだ。今一度例の”帯”を見ると2000円と印字されている。間違いなくそれ以上の値段だったと思う。中古店のプレイにも遠慮は無いのである。
(Jazz放談員)
master’s comment notice
1920年代からルイ・アームストロングと活動しているアール・ハインズがコルトレーンを経験している当時最高のリズムセクションと言われた二人と共演したアルバムという事で購入した記憶が有る。牛さんのコメントにあるようにthe stanley steamer と2曲目のBernie’s tuneの流れが素晴らしい。ジヤズは時代によって表現方法が変化するが根底に流れているものが共通していれば何時でも会話が出来る音楽であると再認識させてくれるアルバムである。
lazyを開店するずいぶん前にR.ディビスのリーダーコンサートを主催する機会が有った。まず聞きたいことは5スポットでのドルフィー、ブッカー・リトルと共演した伝説のライブの事でありこのアルバムの事は聴きそびれてしまった。