人気投票

総裁選の世論調査で河野氏トップ31% 石破氏26%、岸田氏は18%と言う事らしい。この総裁選、選挙権は自民党員しかないのに人気投票をやる意味があるのか。AKBの人気投票がある。CDを買って選挙権を手に入れたファンが投票するのであって良く分からないjazzを聴いている糞親父どもに「大島より前田の方がセンターを取るに相応しい」とか言われる意見など意味がないはずである。総裁選も質的には同じにはずだが国民投票で選ばれたかのような錯覚をさせるところに危うさがある。
次のやり取りは河野大臣の一番有名な質疑応答である。北方領土問題に関しての質問であった。
記者「ロシア外相の発言について受け止めを」
河野外相(当時)「次の質問どうぞ」
記「反論するつもりもないということでしょうか?」
河「次の質問どうぞ」
記「協議に影響与える懸念もあると思いますが?」
河「次の質問どうぞ」
記「なぜ質問に次の質問どうぞと言うんですか」
河「次の質問どうぞ」
国会でも木で鼻を括ったような答弁を何度も繰り返している。候補の中で一番独裁的な人間である。河野候補と高市候補は特に危ない。
僕の総裁選予想である。菅総理が岸田候補との安倍総理争奪戦に敗れた。岸田候補は党員票に弱いので高市候補を応援する程を取り党員票を分散させ決戦投票に持ち込む。岸田候補は菅総理が辞任したので対立軸づくりの「説明責任」の部分はひっこめ安倍元総理の説明責任部分には蓋をする。それにより安倍元総理の主導の下岸田傀儡政権が誕生する。菅・二階同盟は河野候補を推し安倍、麻生の分断を図りその後の自分たちの地位の保全に走る筈である。安倍元総理は思想的な共鳴はともかく菅総理には特段の恩義を感じていてもおかしくはない。その菅総理にスパッと見切りをつけ早々高市候補支援の表明をしたと言う事は党内への隠然たる影響力をまだ掌握していると言う事である。
僕は総裁選の日替わり政局に興味があるわけではない。こうして予想を立てていくとその後の衆議院選挙の対立軸は見えてくる。どの候補が出てきても安倍政権で要職にあった人達だ。「安倍政治の10年を総括する」と言う視点からの政策論争が必要と考える。
ここに及んで野党が「菅総理の方が戦いやすかった」などと及び腰になっているのが情けない。我々国民も目先の補助金のような人参に目を奪われるのではなく、将来を見据える選択をしたい。

安倍は高市出して党員票を分散させ右翼勢力誇示して、決選投票での本命は岸田傀儡だと思いますよ。菅二階は河野推しで安倍麻生連合の分断で主導権奪還狙い。テレビのオレ様ネオリベ好きからすると河野が新総裁としては最悪ですね。総選挙まではもてはやすだろうから。

安倍氏の本命はいちばん操りやすい岸田氏。党員投票に弱い岸田氏を側面支援するため候補乱立で党員投票を分散させ、国会議員中心の決選投票に持ち込んで岸田氏を勝たせる作戦。岸田政権になれば菅政権以上に安倍傀儡になるのは間違いなし。その先にあるのは安倍氏の再々登板!
安倍は高市出して党員票を分散させ右翼勢力誇示して、決選投票での本命は岸田傀儡だと思いますよ。菅二階は河野推しで安倍麻生連合の分断で主導権奪還狙い。テレビのオレ様ネオリベ好きからすると河野が新総裁としては最悪ですね。総選挙まではもてはやすだろうから。

PRイベント

菅総理が辞任を表明した。コロナ対策に専念すると言う口実は将棋で言えば投了前の「形作り」である。前日まで内閣改造してまで自分の保身を考えていた人だ。党の実力者から「お前の賞味期限は切れた。党の事を考えろ」と言われたはずである。総理の辞任と共にコロナ対策の失敗をはじめ桜問題、総務省接待問題、河合杏莉議員買収事件、日本学術会議任命事件諸々すべてリセットされてしまう。報道は総裁選一色に染まり野党は蚊帳の外である。自民党伝統の危機回避の手法である。「悪名は無名に勝る」は政治のクリシェフレーズでもある。トルストイもアンナ・カレーニナの冒頭で言っている「愛されない女より不幸なものは、忘れられた女である」
日替わり政局を提供できればメディアを引き付けることができ、党内で疑似政権交代を演出できる。かつての小泉純一郎劇場を思い出してみると良い。「私が自民党をぶち壊す」と言ったセリフにまんまと乗せられて大勝させてしまった。その後しばらく自民党は難攻不落のナバロンの要塞と化した。こんな最低の内閣が二代、十年も続いたのに野党第一党立憲民主党の支持率がさっぱり上がらない。枝野代表から政権奪取すると言う意気込みが伝わってこない。連合の神津代表の顔色を窺い共産党との連立にも消極的である。大同団結も目指してほしい。枝野代表の気の弱さが自民党を延命させることになりかねない。
支持されない理由を徹底的に反省し、自分たちは何をすべきかを語ってほしい

延命措置

「臨時国会開催が見送られた。野党反発」と新聞に記事が載った。まず新聞のこのスタンスが問題なのである。衆参両院いずれかの4分の1以上の要求で内閣は臨時国会の召集を決定しなければならない。憲法上の義務であって見送る自由は政府にはない。マスコミこの行為は憲法違反であると論陣を張らなくてはいけない。
加藤官房長官の答弁である。
「召集時期については憲法で具体に何ら触れられておらず、内閣に委ねられている」詭弁である。「法律の専門家の解釈は適切な準備期間ののち開催しなければならない。」とのことである。当たり前だのクラッカーである。
国会でコロナ対策の不備を追及されて支持率を下落させることを嫌っての方針である・
そしてこの場に及んでの内閣改造である。二階幹事長をおろし総裁選での岸田候補との争点をぼかす。閣僚ポストは総裁選での支持を餌に振舞われるであろう。仔細に渡って安倍元総理に相談していると言う事だ。自分の延命措置しか考えていない。僕が映画監督で延命装置がエクモであったなら「すいません。次使う人が待ってますから、外しま~す、おやすみなさい」と職務を遂行する医師の涼しげな顔のアップで終わらせる。

パラリンピック

現在もパラリンピックの報道がかまびすしく行われている。オリンピックだろうがパラリンピックだろうが医療資源をそちらに割かれると言う意味で開催反対である。人流を抑えることが感染拡大には有効と信じているのでその意味でも反対である。教育的見地から学校観戦が一部行われているが教育的意義があるとして感染リスクと秤に欠けりゃ~義理が重たいこの世の世界~と言う事でやはり反対である。ところがパラリンピック反対と声を上げるとある種の居心地の悪さを感ずるのはどうしてだろうか。その疑問にヒントを与えてくれる知人のブログがある。全文掲載する。まずは読んでいただきたい。
以下Sさんの文章
障害者はチャレンジャー?
「パラリンピックの報道で障害者のことがわかるようになった」という声が聞こえてくることがある。これには苦笑する障害者も少なくないだろう。たしかに、障害・障害者に関する話題が、一般の話題に混ざって、メディアで取り上げられるようになってきたのはここ数年のこと。パラリンピックの関連報道によって、一般の人たちにとって、障害者がそれほど遠い存在でないと感じるきっかけになったことは確かである。しかし、これをもって「障害者への理解が進んだ」と考えるのは、拙速すぎるというものだ。
「障害者」というこの表現をめぐって、日本では「害」という字を問題視してひらがなで表記するなどの動きがある。英語圏でも以前は「disabled」=「~~ができない人」という表現だったものを「challenged」=「挑戦する人」と{前向きに}表現するようになってきている。ある時、この話題をめぐって「障害者は、そんなにいつでも何かに挑戦していなければダメなの?そんなにいつもいつも頑張ってられないよ。」と知人が言った。まったくその通り!すぐに手を抜きたがる私も、両手を挙げて同意する!しかし、パラリンピックの報道で、障害者のことがわかってきた」という人たちの多くは、まさに、このチャレンジのすがたをとらえて言っているのだろう。
パラリンピックで活躍しているアスリートたちは、障害者の中でも、卓越した運動能力を有する極限られた人たちである。病気や事故などによって障害者となり、失意のうちにあった人の中には、障害者スポーツとの出会いによって再び元気を取り戻し、さらにパラリンピックによって目標を得ることができた人経ちがいる。また、先天性の障害を持ちながらもスポーツが好きで、努力を重ねて力を伸ばしてきた人たちもいる。しかし、障害者の誰もがスポーツ好きとは限らず、まして、「メダル」ともなると脚光を浴びることができるのは実に稀有なことである。考えてみれば、これは一般社会も同様なはずである。にもかかわらず、この障害者スポーツの祭典では、オリンピックとはまた少し違った「感動」「チャレンジ→障害克服物語」がメディアの力によって用意され、どんどん膨らまされていく。そして、大半の障害者は、この辺りに違和感を感じている。これはもちろん、アスリートたち自身に責任があるというものではない。いや、むしろ、アスリートの中にも、メディアの一連の報道には、複雑な思いを抱いている人がいるかもしれない。
アスリート一人一人の、この日までの努力は、はかり知れないものがある。私はやはり、各自、これまでの力を存分に発揮してほしいと願っている。それでもなおこの問題にこだわるのは、アスリートたちのチャレンジ→障害克服物語に光を当て、突き詰めていくと、その先に見えてくるものは何か。2016年に起きた相模原事件はその一つである。「役に立つ⇔役に立たない」という物差し、「障害者は不幸を作るだけ」という主張…。この事件には、まだまだ計り知れないところがある。パラリンピックとこの事件を並べることは、あまりにも論理の飛躍があると思われるかもしれない。しかし、各人が持つ「障害者観」の在り方として、これを切り離すことはできないと思う。今はまず、このことを、各自意識の一角においてほしいと思う。
以上
この文章を書いたSさんは目が不自由である。Lazyにも時々来てくれる。その時は24条の改札まで送り迎えをする。たかだか10分の送り迎えで普段は気にもならない横断歩道の段差が気になったりする。そんなことで身障者の気持ちが分かったなどとは思わない。人は誰であれ例外的な存在だ。障害者であれ健常者であれ善人もいるし悪人もいる。努力家もいるし怠け者もいる。禿げもいるしふさふさもいる。パラリンピックの報道のされ方を見ていると『共生社会』をうたい文句にはしているがその向こうに違う枠組みが見えてくる。あることに共感できる集団だけが優遇される社会だ。少数者のうちの特別な少数者、ここではパラアスリートを持ち上げることによって結果的に少数者を排除することを覆い隠しているのではないのか。例外的な少数者を排除することでその集団の統一性を高めることが社会の進歩だと考える集団がいる。

Jazz紳士交遊録vol23 セシル・モンロー

10年前の事である。臼庭潤が亡くなって落胆しているところにセシルの訃報が入った。子供と千葉の海に行っていた。ボードから落ちた子供を助けに行って自分が溺れてしまった。セシルは泳げないのである。ここにアメリカの悲しい歴史の一端がある。人種差別が今より露骨だった頃黒人はプールには入れない。だから泳げない黒人が多い。
セシルは本当に気のいい奴であり日本人より気を使う奴でもあった。初めてセシルに来てもらったのは鈴木チンさんのグループで井上俊彦、秋山一将、内田浩誠がメンバーだった。40年ほど前の事である。このグループでも3人が鬼籍に入っている。福井良さんの里帰りライブも何度か主催したがその時のドラムもセシルだった。ベースは藤崎洋一。この人も亡くなったと聞いた。藤崎は野球界では有名人だ。東海大相模が甲子園で春夏連覇したときの4番でキャプテン。3番は今巨人の監督原辰徳、5番は日ハムにいた津末だ。当然プロから声がかかったがそれを蹴って福居良トリオに加入した。おお、もったいない。井上俊彦のグループでも来てもらったことが有った。この時ちょっとした事件が起きた。メンバーの入りの日がばらばらであった。道に不案内なセシルを迎えに行く予定になっていた男がチケットの売上金をもって雲隠れしてしまった。会場だけは知っていたセシルは千歳から自力でたどり着いた。僕と井上は良く着いたとセシルに抱きついたのを覚えている。ベースの米木と二人で来てもらって岡本広とよくやってもらった。「ケアフル」というジム・ホールのオリジナルがある。岡本の十八番だ。セシルがファンク風の8ビートを叩き出した。米木も呼応する。二人の紡ぎだすビートが素晴らしくて岡本がテーマに入らず聴き惚れてしまった。ここに池田篤も入れて札幌近郊をミニツアーしたことが有った。恵庭でのことである。モンクの「エビデンス」が候補に挙がった。セシルはこの曲を知らなかった。大雑把に言えばメロディーのリズムだけ全員で合わすような形で曲が始まる。米木が「セシル、普通でいいよ(レガート刻め)」と言ったがセシルは「頑張ってやってみる」と言った。池田がテーマを吹く。コンマ何秒か遅れてセシルの腕がシンバルに伸びてくる。餌をとる時のカメレオンの舌のようにすばしっこい。音だけ聞いていると判らないのだが見ていると究極の後出しじゃんけんの様で妙におかしかった。池田は何十年たってもその事を覚えていてエビデンスをやるたびにセシルのすばしこかった腕の動きを真似して見せる。フレディ・ウェイツの話を想い出した。ニュヨーク時代のセシルのドラムの先生である。
「あいつは習いに来た時、ジャズはほとんど知らなかったよ」
セシルは何を叩いても根底にファンクの香りがする。それがセシルの持ち味と思っている。
晩年は臼庭、津村、米木と一緒に田中朋子クインテットをよくやってもらった。Lazy での最高の演奏の一つになっている。「ギブ、サム、ラヴィング」で8ビートを本当に楽しそうに叩いているセシルの顔が思い浮かぶ。
Hey men ,you know・・・me?
この短い文節だけでもセシルが話すとラップに聴こえる。
時として「平面湯吞」と駄洒落を言っているようにも聞こえる。

村上RADIO

村上RADIO
日曜の夜村上春樹がデスクジョッキーをしているラジオ番組がある。春樹さんはジヤズは勿論の事ロック、クラッシックにも造詣が深い。毎週何をかけて何を喋るのか楽しみにしている。
7時ラジオのスイッチを入れる。いきなりカントリーロック調の曲がかかる。MCは入らない。今夜はこういう志向なのだ・・・・。MCないってマイルスみたいでかっこいいなあ。二曲目になる。ノンストップである。ああ今日はLPの片面全部一気にかけるつもりだな。こんなこと許されるのは春樹さんだからだろうな。・・・・春樹さんこんな音楽趣味なかったような気がするけどなあ・・・だけどこのバンド誰なんだろう。60年代から70年代の音に聞こえる。ルーツはニッテイ・グリッティ・ダートバンドと同じようだけど。ブルースハープはリー・オスカーに近い節回しだな・・・。バンジョーはブルーグラス長年やって来た人のフインガリングだなあ・・ライ・クーダーがやりそうなことでもあるけど絶対違うな・・・・。春樹さん早くしゃべってくれないかああ・・・
そのうちウトウトして寝てしまった。気が付くと女性アナウンサーが喋っている。「XXFMの試験放送を北20条東X丁目よりお送りしました。聴こえづらいときはアンテナを・・・調整してください。」うちの近所からの放送だ。ラジオがなくても聴こえそうな距離だ。それにしても微妙な周波数の違いであった。やっぱり春樹さんの選曲ではなかった。一回聞き逃してしまった。それにしても誰の演奏だったのか気にかかる。
翌日の新聞に「村上春樹ラジオ番組で菅総理を扱き下ろす」との記事が載っていた。
コロナ終息の兆しが見えてきたと言う発言に対するコメントだ
「聞く耳は持たないが目は良いようだ」

Speak like a child

ハンコックには申し訳ないが共通一次の英訳ではないので思いきって意訳を試みる。
「糞ガキのように喋ろ」
喋ってみる
「さもしい顔して貰える物は貰おう。弱者のフリして得しよう。そんな国民ばかりじゃ国は滅びる。人様に迷惑かけない社会へ。もう一度、日本を奴らから取り戻そう」
自民党総裁選に出馬する高市早苗元総務大臣のスピーチである。クソガキ以下である。「ガキの使いか」…来賓の安倍晋三が涼しい顔して座っている。今年のスイングジャーナル暴言部門人気投票1位の最右翼でもある。
税金を自分たちの金と勘違いしている。国民への施策や福祉は施しでは断じてない。この一年半「国民と国民の生活を守る」というⅡⅤフレーズを何度と聞いた。嘘っぱちであるとはっきりわかる発言である。
基本から確認する。税金は我々国民のお金である。それを適正に配分するのが政府の役割である。神棚に手を合わせて持続化給付金の再支給を待っているわけではない。
今の総理も酷いが、高市早苗候補も酷い、岸田文雄元政調会長も典型的風見鶏である。こちらは贅沢を言っているわけではない。フィレステーキフォァグラ添えを食べたいのではない。普通の白飯と胡瓜の浅漬けで良い。それくらいの人材居ないのか。

乱暴怒りのアフガン

アメリカのアフガニスタン撤退の仕方が乱暴者極まりない。食べ放題の焼き肉屋で食い散らかしていくお馬鹿男子の様である。
アフガン情勢を語るだけの知見も情報も無いがアメリカのアフガン統治失敗は「あること」が旨く行き過ぎたことの弊害であると考える。「あること」とは日本の占領統治である。日本は原爆を投下されても喜んでアメリカの支配を受け入れた。この従順さが世界基準だと勘違いした。まずベトナムで間違う。あんな小国があれほどまでに抵抗するとは考えなかった。ベトナムはまず中国、フランス、そして大東亜共栄圏を謳った日本に侵略され異民族支配へのアレルギーがある。その事を過小評価した。日本以外では失敗続きの理由を考えるうえで天皇制を存続させたことが重要と考える。天皇に対する従順さをアメリカへの従順さに移行させる行為がものの見事にはまったため、以後日本の国民性・民族性を深く研究して戦争の準備をした作業を手抜きしている。太平洋戦争時は「菊と刀」の著作を残したルース・ベネディクトを中心に占領後の青写真を想定して戦争に突入した。ブッシュ元大統領の写真をしばらくぶりに見た。もともとこの人が正義のカウボーイ気取りで始めた戦争である。もうそんなことは大体の人が忘れている。
後一般論だが大事なものを戦闘で奪われるとその喪失感を憎悪で穴埋めしその憎悪が血肉化し自己の存在意義にまでなり和平の道が遠のくことになる。

So what

So what
D
昨年の一月初旬の事である。身近で初めてコロナの感染者Xが出た。あるライブにお客さんとして来ていた。その事実を知ったのは数日後、それも直接は関係のない人間からであった。こういう情報はすぐ伝わり、悪意はないもののなぜ発表しないと言うような言われ方もした。直後のライブは2,3回中止にし自分とミュージシャン2名はPCR検査を受けに行った。9割は連絡のつくお客さんであったのでその旨連絡した。Xはlazyの前日に言った店には自分で連絡したことを知って憤慨した。その後しばらくしてXから入院してライブを穴開けたことを詫びるメールが来た。感染したことを非難する気は毛頭ない。だが詫びるポイントが違うのでなぜ連絡をくれなかったのかを聞いた。保健所の判断でlazyにいた日は濃厚接触者に該当しないし、知らせる知らせないかは個人の権利であると言った。Xは学生である。行政はどこかで基準を作って白黒をつけるが世の中杓子定規に動くわけではないことを説明し納得してもらった。濃厚接触者の基準があるのである。当たり前の話だが。
E♭
百貨店大手伊勢丹が社員、出入りの業者にPCR検査をしないように指示を出した。検査をせざるを得なくなった場合は結果が出る2日前から会社を休むよう指示を出していた。先の濃厚接触者の定義とかかわる。濃厚接触者が出た場合はその職場は封鎖せざるを得ない。その法の目をくぐる措置と言える。だがこの問題は一企業の問題ではないと思っている。現在過去最高の感染者数である。だがPCR検査数は伸びていないのである。これは初期の頃からの政府の政策であり、感染者数を低く抑え込むための統計操作である。と言う事は感染者数の割合はもっと多いはずである。無自覚感染者が白昼堂々闊歩して感染を拡大させている。最近のクラスターが出る職域、領域が変わってきている。学校、塾、百貨店、北海道で言えばアイスホッケーの試合。「夜の街」のクラスター頻度は落ち目になっている。だからライブは安全ですと言う気はさらさらない。ただ政府のゲームセンターのモグラたたきのようなまん防延長対策には流石に辟易している。
ニュージーランドでは一度収まったが感染者がでた。一人出ただけで3日間のロックダウンである。感染経路を徹底的に調査し封じ込めるためだ。ジャシンダ首相にお願いされれば法的整備などなくとも3日間ぐらいは我慢する。臭いにおいは元から立たなきゃダメ・・・というトイレの消臭剤の手法が一番効くのである。
こういう状況なのに明後日の松島&山譲2daysは満席である。こういう日に限って道の時短調査員が来そうな悪い予感がする。言い訳は考えてある。
「お酒は出していませんね」
マイルスのように「so what」って言ってみたいものである。

終戦と敗戦その2

8月15日の靖国神社前の映像を見た。降りしきる雨の中、参拝に訪れた国民が列をなしていた。そこにいた国民のほとんどは戦争を賛美するつもりもなく右翼思想の持ち主でもなく素朴な気持ちで行っているのだろうと想像する。そしてそのことが何より根深い問題なのだと思う。
靖国神社の宮司が、戦争初期、日本軍人の妻にかけた言葉を読んだ。
「あなたの夫は天皇陛下のために笑って死んだ。『おお、よく死んで下さいました』と褒めよ。泣いては天皇陛下に済まない。夫は靖国神社で生きている。夫の名を辱めるな」。
これが靖国神社の正体である。
戦後の日本の平和と繁栄が先人たちの屍の上に成り立っているという言われ方をする時がある。誰しも死者に鞭打つような発言をしたくない所に付け込むすきがある。全くの間違いである。日本は終戦を迎えた。完敗して無条件降伏を受け入れ特攻を肯定するような価値観を全否定したうえで人権人命を尊重する社会に変質したことで獲得した繁栄のはずである。
小津安二郎監督の映画の「秋刀魚の味」の一場面である。戦友の笠智衆と加東大介がばったり出会いバーで飲むことになる。
「日本が戦争に勝っていたらどうなっていたのですかね」
「負けてよかったんだよ。つまんない奴が威張らなくなった」と言うやり取りがある。
小津は当時の事をチクリとユーモアをもって批判して見せる。
「終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」
天皇のお言葉である。昨日安倍元総理の発言を掲載した。「命を捧げた英霊」と「戦没者の皆様の尊い犠牲」の上に成り立った反映であるとするなら先の戦争は正しかったと言う意味になってしまう。お二人の言外にある「歴史認識の違い」をじっくり考える必要がある