日本映画探訪記vol15 戦場のメリークリスマス

この映画監督大島渚は軍隊経験がない。それまでの戦中派が制作した戦争映画とは一線を画している。軍国主義を叩き込まれて皇軍として戦地に赴きそして完膚なきほど叩きのめされた恨み辛みが全編を支配している映画はそれが娯楽映画として制作されていても暗い影を引きずっている。この映画は情話としての戦争映画を否定している。設定はインドネシアの捕虜収容所と言う事である。坂本龍一演ずる所長とデビット・ボウイ演じるイギリス将校とのホモセクシャルをにおわせる関係と北野武が演じる軍曹と通訳の将校ローレンスの奇妙な友情を縦糸、横糸で物語は進行していく。女性は一人も出てこない。映像も妙に明るい。坂本龍一のヨノイ大尉はYMO時代の化粧を施されている。当時映画館で見た時は教授が大写しで出てくる場面を写真に収めている女性がいたものだ。
捕虜収容所の生活が日本の視点のみならずイギリスの視点でも描かれている。デビット・リーン監督「戦場にかける橋」に共通するものを感じた。
大島渚監督は「大日本帝国」と「連合艦隊」に出演した俳優は絶対に使わないと言ったそうである。それで坂本龍一や北野武やデビット・ボウイといった素人が重要な役で出ることになった。うまい演技とは思ないが映画の出来の足を引っ張っているとも思えない。デビッ・ボウイには敬意を払いパントマイムをさせている。
エンディングも坂本龍一の作曲したメロディに乗せて北野武が「メリークリスマス、ミスターローレンス」と繰り返すセリフで終わる。妙に明るい。情話を排している

16周年

16と言う数字は何か不安定な印象がある。16歳が一番多感で感覚的には研ぎすまれている時期だ。すべての者になりうるし未だ何者でもないという背反する感情に苛まれる。
もう一年たったのかと言う印象と同時によく一年もったなあという感慨にとらわれる。15周年は節目の年であった。豪華なメンバーを呼んで周年記念ライブを華々しくやる予定でいた。其の二弾目の前日東京で非常事態宣言が出た。米木からは本当にやるのかと念を押された。僕はコロナなんて平ちゃらさと言うマッチョ主義ではないが予定通りやろうと思った。コロナ禍は長く続くだろうと考えていた。そいう状況下でやり続けていく度量が自分には有るかどうか見極めておく必要がある。豪華なメンバーとは裏腹にほとんどお客さんがいない状態で熱演が繰り広げられた。その時思った。ライブに行くことは不要不急の外出ではないと・・・・。
自分の役目は地道に続けていくことである。見ている人は分かってくれるはずである。
3月が開店記念月であるが毎年悪天候に虐められるので4月と5月にずらして開店記念ライブを行う。4月がLuna、5月には池田篤、若井俊也、山田玲に来てもらう。こちらのミュージシャン、社会人、学生との交流の場面も用意してある。自分が手を伸ばせばつながる場面も多々ある。毎月一組は東京から来てもらおうと思っている。東京は8時までの時短要請だ。Jazzのライブは不完全燃焼で終わることが多いと言う。前回の松島もこんなに多いお客さんの前で演奏したのは久しぶりだと言って燃えに燃えた演奏をしてくれた。そういう東京のミュージシャンにとっても意味のある企画と考えている。来れる方は足を運んでいただきたい。これない方はその音源CDをご購入いただくことによってご支援を賜りたい。
付記
池田篤がソロアルバム「スパイラル」とレギュラーカルテットで「Free bird」2枚のアルバムをリリースした。どちらも素晴らしい出来である。「Free bird」のspecial thanks欄を眺めていた。辛島さん、小曽根さん、山下洋輔さん、マーカス・ベルグレイブと同じ列に僕の名前が有ったのでびっくりした。このアルバムに関し何も骨を折っていない。感の良い僕はバンマスの気持ちを忖度した。しっかり、売るように・・・のはずである。と言う事でぜひご購入いただきたい。販売成績が悪いとno thanks欄に名前を移されてしまう。
「スパイラル」¥2200
「Free bird」¥2500
HPライブ予約欄より予約願います。後の手続き説明いたします

日本映画探訪記vol14 動乱

2・26事件を題材にした戦争映画であるが恋愛映画でもある。当時の東映のお家事情を反映した内容になっておりその後のこの手の映画の方向性を示した作品になっている。主演は高倉健と吉永小百合。これでどうだ・・・と言うゴールデンコンビである。僕は40年ほど前、封切で見ている。細部はすっかり忘れたが高倉健演じる青年将校の妻になった吉永小百合が「これで私を買ってください」と言って金を渡しながら泣き崩れるシーンだけは鮮明に覚えている。戦争映画は男臭さが売りで女性が主役になることは少ない。内地で家庭を守る主婦だったり、「ひめゆりの塔」の従軍看護士だったり、「女衒」の従軍慰安婦だったりする。要は戦争映画は女性に人気がないと言う事である。女性に来てもらうにはどうすればよいかとプロデュサーの岡田裕介は考えた。そして戦争映画に大胆に恋愛を持ち込むと言う手法を編み出した。岡田は最近亡くなったが吉永小百合の最大の理解者で吉永小百合の希望は全部飲むことで有名だった。岡田は高倉健と吉永小百合に断られたら企画そのものを諦める不退転の気持ちで臨んだ。この二人でなければ観客を納得させられないと考えていた。だがその事を強調するあまり史実がかなり歪められている。クーデターの首謀者たちは貧しい農民出身で腐敗した政財界と癒着する軍上層部に叛旗を翻す美談として語られている。批評家によっては最大の愚作と扱き下ろす。恋愛映画なのだからそんなに目くじら立てなくても・・・と言う考えが東映上層部の方針である。風景を変えそこに主役の二人をはめ込んでいく。酷寒の大地で晒し者になった吉永小百合を抱きかかえる健さん、きらきら光る水面の海岸を歩く二人、ラストシーンは一人歩く吉永小百合の歩みに合わせて泣け・・この野郎とばかりに小椋佳のバラードがかぶさってくる。
もう2・26だろうが5・15だろうが3・14だろうが関係なくなってくる。だが映画はそれで良いのであろうか・・・・
付記
極楽jordu日記その3
今日の母親関係の作業は会葬御礼の発送だけで勘弁してもらった。僕の関係でいただいた方には儀礼的なので失礼させていただいた。中身は海苔である。乗りの良いライブを企画することで其れに変えさせていただきたい。後は自分の給付金申請と松島のCDの発送に時間を回した。

コロナ禍と株価

コロナ禍と株価
コロナ騒動の前、安倍総理の頃の経済指標の事を想い出してほしい。「株価は堅調でデフレを脱却しつつある」と・・・。株価が経済状況を反映しているかのような発言があったが真っ赤な嘘であることがコロナ禍ではっきりした。コロナ禍が続くほど株価は上がると言うのが金融界での常識である。金融緩和で行き場を失った資金が株式市場に流れ込む。不動産も原油も高騰している。世の中の仕組みが歪んでいて政治は機能不全に陥っている。何か解決策があるのでは常々思っていたがそれを示唆する本と出合った。
人新世の「資本論」斎藤幸平著
ぜひ読んでいただきたい
付記
極楽Jordu日記その2
母親の携帯の解約に行く。解約は営業店に行く必要があると言う事で足を運んだ。すると予約が必要だと言う事だ。まずその事を言ってほしい。体は二つ無い。二日後再来店する。すぐ終わるものと思っていたが思わぬところで躓く。名義が母親になっていないとのことである。ここからが問題である。解約の「入力」ができないので解約作業ができないとの論理であった。
「入力」できる出来ないかはそちらの問題でこちらは「解約」に来たのだとごねる。その都度奥に入って上司と相談しているようだ。可能性が有る名前を挙げてほしいと言う事である。
「吉田伝」はいりません
「吉田直」外れました
「井上栄子」残念!
おいおい、こちらはクイズやりに来ているわけではないからな。・・・と段々不機嫌になる。
7番目でヒットした。やれやれ。僕の従妹の娘の名義になっていた。段々思い出してきた。その子を孫のように可愛がっていたのだ。その子が叔母さんにと言って買ってくれて設定もやってくれたのである。二時間かかって現生のしがらみを1個だけ解いた。

陰謀論

関東圏では緊急事態宣言が二週間の再延長になった。禿親父がキャバクラに行って若い子に言い包められて延長に次ぐ延長を重ね、ぼられるのとは訳が違う。自粛を強いられたのはウィルスを除去するためではない。ウィルスはなくならない。医療体制整備の時間を作るためであったはずだ。再延長は医療体制整備に失敗したと言う事である。その失政の為に国民は又我慢を強いられ無駄な税金を投入しなければならない羽目になる。これほど政府が感染症対策に迷走すると「陰謀論」が頭をもたげてくる。この手の話が好きな人はかなりの確率でいる。店でも何度か拝聴した。「どこかに極悪人がいて自己利益を図るために適切は政策実現を妨害している」と言うものだ。だがこの論理では追い付かないくらい統治機能が支離滅裂、機能不全、卍巴、である。ワクチンの容量に合う注射器がなかったり、保管する冷蔵庫が壊れたり、輸送スケジュールは製薬会社任せだったり、もっと根本的なことを言うとなんでワクチンぐらい日本で製造できないのかと言う事である。費用対効果が悪い分野には金を回さない国の方針になってしまったのだ。だからいざと言う時に困る、真っ当な対策が取れない。悲しいかな二流国になり下がってしまった。
付記
極楽jodu日記
母親の家のガスの閉栓の日だった。携帯が鳴った。北ガスからの待ち合わせの時間確認と思い電話に出たが郵便局であった。届け物が実家に来ているらしいが家ごと雪に埋もれていてとても郵便受けに行けないらしいとのことだ。先日豪雪以来実家には行っていない。まずい。家に入れない。指定時間の3時間前であるが出動することにした。ご近所でスコップを借り取りあえず家に入れるようになるまで一時間半の雪掻き。腰が痛い。この日の目標、重要書類の捜索、ガスの閉栓、生ものの処分。食べられるものは食べてあげる、その方が母も喜ぶ。
寝不足なので肉体的疲労は堪える。早めに撤収。

接待の行方

山田真貴子内閣広報官が「体調不良」で突然辞職した。前日まで菅総理は続投を公言していた。週刊誌に何か別のネタをつかまれたとしか思えない。安倍総理も吉川隆盛議員も「入院」「体調不良」である。この垂れ流し報道姿勢が政治責任の追及を仮病でかわす悪弊を政治家、官僚に浸透させてしまった。怒り心頭である。菅総理がNHKに出演した際にキャスターから突っ込んだ質問をされ気色ばんだことが有った。その時「総理が大変お怒りになっている」と電話したのが山田真貴子氏である。記者会見の時にぬるい質問をする記者を指名しシャンシャンと切り上げるのもこの人の仕事である。飲み会を断らないことでここまで上り詰めてきた。
総務省総括審議官時に74000円の接待を受けた。いったい何を食べたら74000円になるのか。
絶対チャーハン大盛り+味噌ラーメンチャーシュー増量ではないはずだ。カニチャーハンかもしれない。そんなことはどうでも良い。この方は内閣報道官に抜擢された事実が男女平等の象徴として育鵬社版公民教科書に掲載されているのである。辞任した森喜朗氏の言う「わきまえた」女性と言う事である。ただの「おっさん女子」ではないのか
菅総理がどれだけ政治報道を舐め、その背後にいる国民をも舐め切っている。
付記
母親の受信契約解除にNHKに行ってきた。一回で済んだのはここだけ。携帯もそんな書類いるの・・・と言いたいところであったが抑えた。明日は本当のガスだ。ガースーではない。

宴の後

道新の連載記事にlazyのあたりの写真が載っていた。衆院選2区補選、「不戦敗が問うもの」
の資料としてである。全市に時短要請が出てlazyもライブ時間を早め10時にはシャッターを半分閉め来るはずもない客を断る姿勢を示していた。周りの様子を見に外に出た時道新の記者と目が合った。たまたまであるがその日は学生でごった返していた。時短を守らない店みたいな記事の資料にされるとまずい。中の学生を諫めた。
松島啓之と三嶋大輝を迎えての1週間の企画が終わった。実に楽しい1週間であった。学生との交流の日は30人以上店に詰め込んだ。打ち上げで作る料理作る料理があっという間に平らげられていく。久々に燃えながらフライパンを振っていた。そんな時は母の事を想い出さずに済む。毎回の事であるが大催しの後は引き潮のように客足も引く。膨大な量の洗い物をしていると気持ちがどよーんとしてくる。明日からは煩雑な事務作業と遺留品の整理をしなくてはならない。

諸行無常その2

「世界は言葉の総体である」と言ったのはヴィトゲンシュタインである。「人生はもしもの総体である」・・・今思いついた。もしもあの時ああすれば・・・もしもあのとき電話をかけて入れば・・・もしももう少し早く行っていれば・・・もしも一緒にテレビを見ていれば・・・母親はまだ存命だったかもしれない。
もしも、もしも、もしも、出てくるのは亀だけではない。無限の仮定法の設問である。この循環コードから抜け出さなくてはならない。こういう時に理論が役に立たないのは音楽も人生も一緒である。今週は松島啓之を迎えての大催しである。エンターテインメント産業の末席を汚す身としては顔で笑って心で泣いて・・・ぐらいの腹芸はできなくてはならない。
ええい、儘よ。楽しんでしまえ。母も怒るまい。
付記
松島のライブCDR販売します。最新トピック欄をご覧の上ご支援よろしくお願い致します

諸行無常

92歳ともなれば残されている月日はそんなに多くないと言う事は分かる。小説を読んでいたとする。残り数ページだ。スパイ小説ではないのでどんでん返しはない。話は淡々と進む。母親の人生はそういうものであった。だがページをめくった途端「完」と言う文字一字だけ印刷されていて残りのページは白紙である。母親の死の印象はそういったものであった。何度電話をかけても通じなかった。駆けつけると居間で倒れていた。さすがに安らかな表情とは言えなかったが苦しんだようにも見えなかった。亡くなった当日には電話で話もしている。死因は循環器系の疾患であるらしい。だが亡くなる前の週に定期健診で病院に同伴もしている。いくつか検査をして「いいですね。来月又見せてください。お大事に」であった。
諸行無常
全く実感がわかない。

SIRIUS、愛

米木のリーダーアルバム「SIRIUS」の感想文が届いたのでここで紹介したいと思う。愛にあふれている。

 「神さま、仏さま、米木さま」。我が家は夫婦揃って”米木教”の信者です。その神さまから素敵な贈り物が届きました。

 いろいろな事情があって新型コロナウイルスのためライブを聴きにいくことが全くできなくなり悶々とした日々を送っている私たちにとって、このCDは暗い闇夜に一筋の光が差し込んだようでした。
 米木さんの音楽との出会いは時々お邪魔していたライブバーLazyBirdのマスターのお勧めで演奏を聴いたことがきっかけで、けろっこデメタンのような手から紡ぎだされる音は温かく、深く響き、優しく、激しく、どこまでも透き通って伝わってきて、あっという間に魅了されました。

 その米木さんがリーダーのアルバム。聴いてみました。専門的なことは書けませんが、独断と偏見の応援メッセージを書きたいと思います。
 申し訳ないくらい安いプレーヤーへCDを入れると、ピアノが少し不安げながら澄んだ美しい音色を奏で始め、それが希望を感じさせるトーンに変わったとき、満を持してベースが響きました。
「あぁ、米木さんだ」。
暖かい何かが体の中から表面へ広がる感覚に、懐かしく、嬉しくなりました。
 幸いなことに、ライブバーで聴く演奏はそのほとんどがハイレベルでとても贅沢をさせてもらっており、演者さんのスタジオ録音のCDを聴くと「よそ行き」感があって「何か違うなぁ」と感じることがあります。でも、このCDはスタジオのクオリティの中にライブの息吹を感じることができる特別な録音になっているように思います。そして、バランスのよいトリオの音なのにベースがはっきりと聴こえてきて、凄いです。
どんなときに聞きたいCDか。もちろん素晴らしい音楽にじっくりと向き合いたいときは最適です。そして、今の”おうち時間”で、家事の合間のお茶のときに、仕事が終わって寝る前の晩酌時に、休みの日の暖かい日差しが差し込む部屋でゆったりとしたひとときに聴くと、凄く体に染みてきます。

 今、ちょうど20時頃の南の空に、ひと際輝くおおいぬ座の一等星、シリウスが見えます。冬の星空を代表する一番明るい星を、寒さ著しい北海道の夜、子供の頃からいろいろな想いで見上げてきました。”SIRIUS”を聴くと、キンと冷えた夜空を照らす星々のような煌めく音、星に照らされる大地のような穏やかな音が優しく語りかけてきます。
 オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンと共に天の川の上に架かる冬の大三角形をかたどるシリウス。三人が織りなすワルツの美しさはひと際輝いて聴こえます。
2021.2.17 NS & K
付記
米木の最初で最後の初リーダーアルバム「SIRIUS」当店で取り扱っている。¥2500ライブ予約欄から予約可能。