Waltz for debby

「Waltz for デビ夫人」この駄洒落の作者は自分だったか臼庭潤だったかもう忘れてしまったがこの曲を聴くと白塗りの顔をしたデビ夫人の思い出す事になり困った。
そのデビ夫人がやってくれた。日本のGDPが少し拡大した。大晦日都内の一流ホテルで90人のセレブを集めてパーティを主催したのである。コロナ禍を懸念するマスコミの取材を受けて「コロナの心配は一切関係ない方ばかりでしてよ・・・おほほほホ」と答えた。コロナ禍の社会的問題を映し出している。金融資産で稼ぐ富裕層はステイホームで身を守りながらサロンに集まって戯れる。「我、泣きぬれて金と戯る」豚木
危険でも働かねばならぬ人、あるいは劣悪な家庭環境いる人とは別世界の話である。富豪7人と下層階級36億の金融資産が同額であると言う格差社会の末端部分を見る思いである。
デビ夫人は反論するであろう「あなた達もご自分で稼いでごらんあそばせ・・オホホホ」と相好を崩す。その顔には築50年のモルタル造りの家にあるようなひびが入っているはずである。
GDPが25%以上も縮小する中、株価は年末最高値を付けた。最早株価は経済の実態を反映してはいない。安倍元総理が株価は好調と自分の経済政策を擁護するためだけに使っていた指標である。年金を受給すると実感するのであるが毎年微妙に減っていく。我々の年金、郵貯の国民資産が株式市場に運用されて目減りしていく。そこに日銀も手を貸し偽装相場を形成していく。売却益はどこに行くか。デビ夫人のような富裕層、外国人の機関投資家たちにである。
「私たちのような人間がお金を使わないと日本経済は破綻する」とデビ夫人はおっしゃった。
その顔には築50年・・・以下同文。
簡単な方法が有る。金融資産に大幅課税をして国民に給付金として配ることである。企業の内部留保金も400兆ある。法人税の減税によるものである。その原資は我々が日々負担している消費税なのである。諸ドイツなど外国では経済を回す方法として消費税減税が取られている国が有る。
直接給付、税制改革どちらも今の政権が最も嫌う政策である。そういう階層に支えられている政権と言う事だ。困ったことにそちらに行きたがる若者がという事実が有る。
付記
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自由平等

小学生の頃書道の時間に「自由平等」と書かされたことを覚えている。子供心に何か大切なことなのだなあと思っていた。
今アメリカの民主主義が危ない。義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たいのは日本であるが、「自由」と「平等」を秤にかけないのがアメリカである。トランプの支持層は貧困層の白人たちである。彼らは平等を求めない。富裕層の私財を公共に託し再分配すると言う事は自由の侵害だと思っている。その事によって恩恵を受ける立場であっても平等を拒む。
トランプは平等の実現には何の興味もない。もっと自由な国にしたら「再び偉大なアメリカ」が戻ってくると考える人が数千万人いてトランプのか掛け声一つで国会議事堂を占拠してしまうのである。
アメリカは独立宣言で市民の革命権をはっきりと認めている。国会議事堂に乱入した人間は
「生命、自由、幸福追求の権利」の追求する権利を行使していると考えている。
彼らは「アメリカの正統性」の側にいると信じている。乱入者の中には極右勢力Qアノンのジェイク・アンジエリ、ネオナチのジェイソン・タンカースリーもいたと言う事だ。そんなこともあって共和党がようやく正気に返った。ジョージア州の上下院選挙で共和党現職議員二人が落選したことが大きかった。今回はトランプを裏切らないと次の選挙が危なくなったので掌を返した。トランプはこの場に及んで「ペンス副大統領は自分の為に仕事をしていない」と難詰している。憲法修正25条では、閣僚の過半数の同意が有れば、副大統領が大統領の執行不能を宣言できるとしている。ペンス副大統領は煽動したトランプの権力を停止する英断ができるか注目している。ぺロシ下院議長は統合参謀議長とトランプが核のボタンを押す暴挙に出た時の対応策を話し合っている。アメリカも二流国になりつつあるが「仮定の質問にはお答えできない」とする何処かの二流国よりは危機管理のシミュレーションはできている。かつてニクソンがウォーターゲート事件で疲弊したときも同じシミュレーションしたと聞く。S・キューブリックの映画「博士の異常の愛」が現実のものとして起こらない事を祈るばかりだ。こんなトランプとゴルフをしていたマブダチは今どうしているのでしょうか。言いなりでスティルス戦闘機を買ったり米軍のお手伝いをする法律を通したりした人です。ホテルの明細書は企業秘密なので出せないと言った人です。トランプに貢いだ金額を今の対策に使えていればとつくづく思うのである
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三本勝負

非常事態宣言が発議された。内容についても山ほど言いたいことが有るがまずタイミングを失している。音楽談義でビートが早い遅いと言う話がある。ドラマーのH樹がベーシストのKに言っていた言葉を思い出す。「Kちゃん遅いんだよ!」菅ちゃんにも言ってあげてほしい。
「菅ちゃん遅いんだよ!」
先鋒経済再生担当大臣は「勝負の3週間」と言ったが失敗した。次鋒諮問委員会の尾身委員は力を込めて「真剣勝負の3週間」と言ったがまた敗退した。勝負させられているのは国民である。大将が出てきた。菅総理「勝負の一カ月」あれれ勝負期間が長くなっている。
「最初の三週間」の時発議すべきだったと思っている。ストリップではないのだから小出しにするのは止めてほしい。

年頭所信表明雑感

菅総理の年頭の記者会見を聞いていた。完全な茶番劇である。内閣広報官山田真貴子氏の流れるような司会進行。見事であった。質問に答えていない「追加質問はお控え下さい」と総理に助け船を出し幹事社以外は一人質問は一問と限定し15分で切り上げシャンシャンとお開きにした。政治部の記者はいつまでこんなことに従うのか。
緊急事態宣言に出すのは菅政権の政策が大失敗に終わった事を意味する。政治記者たちは菅総理の政治責任をまずは追及すべきだろう。政治責任の追及を怠ってきたからここまで政治家が凋落したのだ。政治も音楽も一緒である。お友達バンドには感動はない。
菅義偉首相は昨日の会見で「実効的な対策を取るために通常国会に特措法を提出する」と述べていた。野党4党は1か月前の12月2日に補償を盛り込んだ特措法改正案を、とっくに提出している。それにも拘わらず、再来週からの通常国会まで放置して何が「実効的」なのか。
9日には緊急事態宣言が発令される。そこには国会審議前に罰則規定が盛り込まれるかもしれない。本末転倒である。
今回の規制は「飲食店・会食」に焦点を絞った限定的なものとするという。又飲食である。自分がそれに携わっているから言うのではない。菅総理の発言を分析してみたい。「専門家のご意見では感染経路不明はどうやら飲食会食が原因らしい。北海道など営業自粛要請したところでは感染者数は減少している」一見まともなことを言っているように感じるがとんでもないとアンモナイトである。感染経路が分からないから感染経路不明なのである。そんなことはあったり前田のクラッカーである。ここに感染経路に関する世田谷区の統計がある、「飲食店・会食」は全体の18・2%、家庭内感染34・2%、職場内感染13・2%、感染経路不明60%となっている。この数字はどこに重点を置くべきを物語っている。ついでに言うなら政権の身内には湯水のように億単位の税金を回すのに、医療現場や医療従事者、業界団体と無縁の中小飲食店等には、税金の出費を醜いほど出し惜しみしてけちる。自分達は政党助成金のような「公助」にドップリ浸かりながら、市民には意地でも「自助」を強要し続ける。
「経済を守る」と言う言葉を菅総理はよく口にする。これは「国を守る」と言うニュアンスに近く経済を回す仕組みを守る、端的言えば「国家体制と権力構造」を守ると言う事である。それは「国民の命と生活を守る」と言う事を意味しない。
付記
Lazy は飲食業に分類される。利益は酒を売ることによって得ている。だが自分では文化を回しているという自負がある。東京の素晴らしい演奏家を呼びこちらの演奏家と交流してもらう。文化を回せば経済も回る。ただその必要経費を捻出する体力が今の店にはない。
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日本映画探訪記vol12 肉弾

岡本喜八の戦争映画である。1968年に撮られているがその前年岡本喜八は「日本の一番長い日」を取っている。「日本の一番長い日」には私人は出てこない。歴史上の知られた公人の終戦の話である。三船敏郎扮する阿南陸軍大将が壮絶な割腹シーンを演じている。その映画を撮り終えた時岡本監督はその映画には欠落している部分を取りたくなったという。「肉弾」には庶民の終戦が描かれている。この映画の主人公「あいつ」は岡本喜八そのものである。本土決戦を控え対戦車用の特攻作戦が肉弾で岡本監督もその訓練を受けていた。その作戦を完遂するためには私人として祖国以外の死ぬ口実が必要であった。それを娼館で因数分解を解きながら店番をしていた可憐な女学生に求める。そのヒロインも空襲で蝋人形のように死んでしまったと報告を受ける。凄惨な死の場面は一切出てこない。死はただの死であり勇壮的にも悲壮的にも描かれない。従来庶民の死と言うものはそういうものである。今も変わってはいないはずである。死ねば葬式の時少しだけ褒めてもらえるだけである。「あいつ」が訓練を受ける中、会う人間は戦争で何かを失った人間である。笠智衆演じる古本屋に買い物に行く。両手がない。「あいつ」は小用足すのを手伝う事になる。シリアスな時ほど岡本監督は喜劇的に表現する。古本屋の親父は言う「兵隊さん、死んじゃだめだよ。生きていりゃ小便だって楽しいよ。あははは・・」笠智衆は寅さんの時のご隠居のように淡々と言うのである。「あいつ」は配置転換になり魚雷につながれたドラム缶の中で終戦を迎えることになる。運よく民間船に発見され曳航されるが途中でロープが切れまた大海を彷徨う事になる。ラストシーンは何十年か後の海水浴場。白骨化した「あいつ」がドラム缶で流れ着く。その死があまりに馬鹿馬鹿しく笑ってしまう。戦争による死と言うものはそういうものであり英霊はいない。岡本監督は「太平洋戦争とはなんであったか」と聞かれたら「多くの同時代の若者が声もなく死んでいった日々としか答えられない」という。
国家の愚策で死ぬのは戦争も現在の「あれ」も同じではないのか
付記
24条界隈にも映画館が3軒あった。45年ほど前の事である。一軒はピンク映画専門店、一軒は二流映画の三番館、一軒は名画座であった。名画座は会員制度もあり年会費2万(だったと思うが)払うと見放題でリクエストも可能だった。休みの日はそことjazz喫茶の往復で日が暮れた。

新春シャンソンショー

タイトルに意味はない。「新春シャンソンショー」と三回繰り返すと一度くらい舌を噛む。目が覚めたところで読んでほしい。
新年早々東京では最大の感染者数を数えlazyでは水道が凍結してしまった。2021年の幸先も暗雲立ち込める様相だ。
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
水が出ない時にはさすがに狼狽えた。「神よなぜ、こんなに試練を与えたもう」と独白して船底に落ちていった「ポセイドン アドベンチャ」の神父役ジーン・ハックマンのセリフが口を突いた。幸い厨房だけは凍結していない。トイレと洗面台に水を運べば何とかなる。トイレで石油ストーブをどんどん焚く。洗面台の蛇口から尿切れの悪い老人のようにポタポタ水が落ちてきた。天井の中で凍っているのではないかもしれない。そうこうしているうちに一番遠いカウンターの中の水が出た。配管が複雑なのだが取りあえず天井裏で凍結はしていない。胸をなでおろす。トイレだけであれば「初恋の来た道」のチャン何とか(名前が出てこない)みたいに水をせっせ運べば何とかなる。一瞬コロナを忘れた瞬間である。
東京都と近郊の県から非常事態宣言の依頼があった。政府は渋っている。オリンピックの行末と何にもまして選挙に影響するからだ。場当たり的な対策が非難されるのは目に見えている。
医療関係の状況が逼迫するであろうことは素人が考えても想像に難くない。一人の重篤者に10人のスタッフが必要なのである。この状態を防ぐ展望のある政策が必要なのである。成功している国だってある。中国、ベトナム、台湾、ニュージーランド・・・・なぜ学ばない。体面だけ取り繕う戦前の大本営と何ら変わりない。
それにしてもガース総理の言葉は国民の心に届かない。ニュージーランド首相、ジャシングやメルケル首相の得々と国民に訴える言葉を聞くと『一丁、聞いてやるか』と言う気になる。
どちらも女性である。残念ながら日本の女性活躍推進法は絵にかいたポール餅餡である。ニュージーランドのように首相在職中に産休を取り出産できる国になる日は来るのであろうか。
「産休very much」
余談であるがlazyの近くに「リズミック産婦人科」と言う病院があった。なんとなく陣痛がスィングしそうな名前だ。待ち合い室に入ると(僕ではない)BGミュージュクでサイモンとガァーファンクルの「産道of silence」が流れていたと言う事だ。
週刊ポストによるとガースー総理、銀座で食べていたのはステーキだけではなくて「ザンギ」も食していたらしい。
上から読んでも下から読んでも「銀座のザンギ」お後がよろしいようで・・・と言いたいとこらだがそうはならない。いやいや謝った感がある。「慙愧に耐えない思いです」くらいの謝罪はしてほしい。
付記
2012年のlazyの戦いが始まった。初日はお客さん一人、無口なFさんと初めて新年の酒を飲みかわす。あまり会えないお客さんの夢を見た。12月11日12日のライブCDR若干在庫在ります。トピック欄ご覧の上ご支援よろしくお願いします。
1月22日23日鈴木央紹2daysのライブCDR販売できるようになりました。詳細後日トピック欄に掲載いたします。

国語入試問題必勝法

受験参考書の名前ではない。清水義範のパスティーシュ小説である。徹底的に国語の入試問題をおちょくっている。最近の国会答弁を聞いているとこの小説のを思い出す。
二階幹事長「飯を食うために集まったのではないから『会食』ではない」
加藤官房長官「虚偽答弁の固定した定義は国会の中にはない」
河井元法相「金を配ったが買収ではない」
稲田元防衛相「武力衝突であって戦闘行為ではない」
安倍前首相「募ってはいたが募集はしていない」
「破壊せよ」とA・アイラーは言ったがこういう事ではない。この手の日本語の破壊のされ方を聞くと出鱈目のフリージャズを聞かされている気がする。この日本語破壊行為を許していると「侵略でも戦争でもない!これは事変だ」と発言することをも許すことにつながる。
人は言葉で考える。拡散する思想をつなぎとめるものが言葉である。言葉は蕎麦のつなぎだと国語学者の折口信夫は言った。それを鑑みると上記のお歴々は核となる思想の脆弱さが浮き彫りにされる。
音と音楽の仲介するのも言葉である。心に浮かぶ音がすべて音楽になるわけではない。音と言葉の関係は理論と実践の関係に等しい。ひらめき沈んでいく音にくさびを打ち込み定着させるのが言葉の力である。Jazzの場合即興で行われる部分が多いのでこの関係がベールに包まれているが基本は同じと考える。こういう作業をしていないミュージシャンは壊れた日本語を気にしない人が多い。
付記
この文章を書いている時点で2020年が終わった。何とか生き延びたと言うのが実感である。皆様方にはご支援いただき本当にありがとうございました。

日本映画探訪記vol11 の・ようなもの

「の・ようなもの」このタイトルに注目したい。と思ったのは最近立川志の輔の新作落語「バールのようなもの」を聞いてからだ。「の・ようなもの」は森田芳光監督の商業映画代一作目になる。森田監督の一番有名な作品は松田優作、由紀さおり、伊丹十三が共演した「家族ゲーム」と言う作品だ。家族が食卓を囲むのではなく一列に並んで食事をさせることによって家族の断絶を描いている。森田監督は落語好きでデビュー作では二つ目の落語家を主人公にしたコメディータッチの青春映画になっている。主演男優の名前は思い出せないが下手な落語家の味を実にうまく出していた。二つ目魚っと(ずいぶん前に見たので芸名が微妙に違うかもしれない)は誕生日に先輩たちのカンパでソープに行く。インテリソープ嬢エリザベスを秋吉久美子が演じている。そのエリザベスに「付き合わない」といわれるがその物言いが乾いていた。落ちて風俗に来たと言う印象を持たせない。付き合い方も知性を感じさせる。また魚っとは女子高の落研の指導にも行く。「寿限無」の練習風景が実に滑稽である。その一部員と恋に落ちる。魚つとはその事を正直にエリザベスに報告する。エリザベスは「付き合うのやめる。彼女に黙っていれば・・」と大人の対応だ。「のようなもの」は「彼女のようなもの」を直喩しているとも言えるが「のようなもの」と言う事によって一気に落語的宇宙に連れ出す事を象徴していると感じがした。
「バールのようなもの」は例によって八さんがご隠居に分からないことを訪ねに行くところから始まる。
「ご隠居、よくニュースで泥棒がバールのようなものでドアをこじ開け内部に侵入したなどと報道されますが・・・あれが良く分からないんですがね」
「どこがだね、八さん」
「『バールのようなもの』と言うところなんですがね」
「それは、誰も見ていないだろう・・・だから『バールのようなもの』と言う事によって報道に深みを与えるのだよ」
「そうなんですかねぇ、私は大工ですから事件の日に警官に職務質問されてバールをもっていたら疑われませんかねぇ」
「お前さんが持っているのはバールだろう。事件に使われたのは『バールのようなもの』だから心配はいらんよ」
こういう会話で話は進んでいく。女のようなと言えば女ではない、男である。マグロのようなアボガドであり、一カ月洗濯していない靴下のようなブルーチーズである。
ところが八さんは奥さんから問い詰められる。「スナックの明美はあなたの愛人なんだろう?」
「いや違う」
「愛人なんなだろう。正直にいいなさい」
「いや、そんな関係ではない、愛人のようなものである」
お後がよろしいようで
志の輔はこの映画を見てヒントを得たような気がしてならない。
ちなみに「jazzのようなもの」は大体jazzではない
付記
クリスマスの日しばらくぶりで焼き芋屋が店の前を通った。店ではライブをやっておりKのベースソロが終わった時
いいタイミングで放送が入った「お芋、お芋だよ」
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腹立ち日記 連携プレー

唐突に蒸し返された、安倍元総理の花見会前夜祭疑惑。自民党と検察と大手メディア政治部の見事な結束力は黄金期巨人の長嶋、広岡、王の連係プレーを見る思いであった。電撃的に「安倍氏不起訴」という結論確定。そして翌日にはメディア報道が全員撤退。安倍総理は不起訴を盾に子飼いの記者だけ集めた記者会見を開催。その翌日国会の質疑にも応じるが、参考人扱い。118回嘘をついた人間は119回目も嘘をつくかもしれないと思うのは当然である。偽証罪が問われる証人喚問の場で真実が究明されなければならない。秘書が元総理に嘘をつかなくてはならない理由はない。逆は山ほどある。嘘とごまかしで政権を指摘に運営した8年間の間に日本は確実に二流国以下になり下がった。根幹となる法、民主主義を支えている信頼を根幹から崩してしまった。国民は「またか」と思うだけでどんどん政治離れが起こる。政権の思うつぼである。ごく少数の支持者だけでますます特定の階層への利益誘導が行われるはずだ。話は最初に戻るがこの連係プレーの手際よさは、この次に行われる何かの準備である可能性がある。注視しておきたい。

付記
クリスマスには間に合いませんでしたが壼阪健登、若井俊也、LUNAのCDR明日から順次発送します。遅くなり申し訳ありませんでした。野暮用が重なってしまいました。
母親から鼠が出るので何とかしてほしいと言うのである。仏壇のお供えの柿を部屋の隅まで転がして持っていき食べているらしい。柿を転がすほどの大きい鼠は出ないのではと言うとは母親は「いや、大きい」と言い張る。鼠が柿を玉転がしのようにしている姿は想像できないので「大丈夫、小さいから鼠捕りで捕まえられるよ」と安心させようとした。
「いや大きい、天井の足音が大きい」
「大丈夫、小さいよ、明日鼠捕り買ってくるから」
大きい、小さいと口論になりそうになったら天井から「中」と鳴く声が聞こえた。何かと雑用が多いこの時期に猫の手を借りたくなった。
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心臓病

12月23日。新聞の一面は吉川隆盛元農水相の辞職と安倍元総理の不起訴であった。吉川元農水相は鶏卵会社から現金を受領した疑惑が浮上した日、シンゾーが悪いと言う事で突然入院してしまった。心臓は悪いがこちらの晋三は悪くないらしい。秘書だけが略式起訴になる。
安倍総理大臣は国会で平然と虚偽答弁を繰り返した。その数118回、煩悩の数より多く、テンポで言えばご機嫌にスイングするミディアム。しかし国会の審議は全くスイングしなかった。辻元清美議員に「意味のない質問はするなよ」と野次を飛ばしていた姿を思い出す。
参考人として議運委員会で説明の場を設けたところでまた嘘を重ねるだけだろう。非公開の場ならなおさらだ。テレビに映る予算委員会で説明を受けたい。嘘をついたら偽証罪に問われる証人喚問が必要である。
「折れた煙草の吸殻で~♪あなたの嘘がわかるのよ」と歌ったのは中条きよしであるが吸殻を見なくても総理の嘘は分かる。落語「芝浜」でのかみさんの嘘には泣けてくるが総理の嘘には怒り以外の何物も感じない。
これで議員辞職しなくていいなら、国会は成り立たない。
付記
意見のある方はメールください。紹介いたします。
山田丈造が自己名義のアルバムをリリースした。素晴らしい内容である。Jazz lifeにはインタビュー記事も載っていてプロになるきっかけの話が紹介されている。そこでlazy birdでのエピソードを話してくれている。人の人生の方向をちょっとだけ変えたのかもしれない。丈造から二重の意味でクリスマスプレゼントをもらったような気がする。頑張る気力が湧いてくる。そうはいっても無い袖は振れぬ。トピック欄をご覧の上ご支援のよろしくお願い致します。

LazyBird 札幌市北区北24条西4丁目 Tel:011-707-7388