我が青春の15枚+1 Vol.7

今回の執筆者を紹介する。lazy のピアノの調律をお願いしている渡辺さんである。lazyのピアノは評判が良い。大石学は「このピアノなら何でもできそうだ」と言ってくれたし田中菜緒子は「この調律好きです」と褒めてくれた。渡辺さんが演奏家に寄り添う形で真心こめて調律してくれているからだと思う。このピアノを選んでくれた田中朋子さんは新アルバムを制作する予定になっているがここのピアノを使って何曲か入れたいということで7月に録音予定が入っている。

 幼少からラジオの日々で、次々とチャートインする”The Beatles”のシングルを、LPで出ることも知らず楽しみにしていた。♪青春時代の真ん中は、LPを買えるような家庭事情ではなかった故に、時期をTeensとせず20代迄とした。今は中期高齢者となり、昔話と思い入れと自慢話には事欠かない。

1) 「モーツァルト 交響曲第40番ト短調」

ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団  (1959)

中学の級友に自宅でレコードコンサートをするからと誘われて聞いた、大きめの木箱が3つ床に並んだセパレートステレオ全盛の時代。クラシックにのめり込むキッカケになったレコード。記憶に合うジャケットが見つからず、イメージに近い画像にした。

2) 「チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 悲 愴」

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 (1960)

この演奏が自分の標準器。曲としては、1小節聞いただけでも分かると思うほど聞いた。

3) “Jazz for a sunday afternoon Vol.1” (1968)

ラジオでジャズ番組も聴き始め、公開録音でリクエストして採用された。レイ・ナンスのヴァイオリンやリチャード・デイビスもいい。この頃、番組のテーマ音楽を諳んじられる程に毎週聞いていた”ナベサダとジャズ”も市民会館ホールで公開録音があり、校友何人かと行った。そこで板橋さんを生で聞いて半世紀超。楽屋には行かなかった。後年、南パークビル地下の”ニカ”での渡辺貞夫のライブは凄かった。 途中から客全員が踊りだして、椅子やテーブルを店外にバケツリレー。

4) “Weather Report” Weather Report (1971)

校舎前の電柱に公演のポスターが貼ってあった。北海道厚生年金会館ホールに聴きに行った。緞帳が昇ると、お香の匂いが客席に流れ降りてきた。自分達も含め、後ろの席からステージに向かってどんどん人が集まって、♪上野発の夜行列車の通路状態。M.ヴィトウスのArcoの音程が悪かった。裏口で出待ちして、ウェイン・ショーターと握手して、ザヴィヌルにもサインを貰った。WRは何枚か集めた。仲の良い友人は否定的だった。

 校友とスイングジャーナルの記事やレコード評を語り合うようになった。広告で知った京都の”シャンクレール”に、民家の庭の影で学ランから私服に着替えて入った。北大通7丁目中小路の地下の店 ”コンボ” でジャズのライブを初めて聞いた。山一に入った臼田さんのベースと、名前を失念したけど、後にYAMAHAの仕事をするようになったピアニストの”Billy Boy”が耳に残っている。ススキノの恵愛ビル地下の ”Monk” で北大ジャズ研のドラム、藤田さんと知り合う。学校帰りは市電に乗り、北12条電停で降り(この頃は前夜の催涙ガスを感じることは無くなっていた)、第三サークル会館1階奥の部室に遊びに行くようになった。ちょっと年上の伝法さんや笹島さんも来ていた。そこでは碇さんが指導していたビッグバンドの練習も聞き、市電が山鼻へ向かう角のビル地下”樹林”でのライブも聞いた。皆、大人に見えた。

この時代は、終演後の楽屋に行ってみるのは当たり前だと思ってた。数年前にCDで発売されたけど、1970年に札響と共演した来日初演のマルタ・アルゲリッチも校友と楽屋を訪ねてプログラムにサインをもらい握手した。♪微笑み返しの彼女は29歳。椅子に座って組んだ足、そのストッキングの長い伝線が目に焼き付いた。

5 ) “On The Corner” Miles Davis (1972)

このレコードはいつ聞いても新鮮。マイルスは “Kind of Blue” (1959)をラジオで聞いて知り、遡りつつ辿って “Agharta” ”Pangaea”の1975年のツアーで追いつき、WRと同じ会場で聴いた。リハを袖で見てたが全く姿を見せず、本番で彼が出ると一瞬にして変わる空気を客席で吸った。どのLPだったか、「再生装置のヴォリュームを最大にして聞け」と記されていた。’49、’59、 ‘69があるのだからと、’79を期待した。自分の中では’75で終わった。

6) “JR Monterose – Is Alive In Amsterdam Paradiso” (1969)

向ヶ丘遊園駅からほど近い”ガロ”に通った。マスターが渋谷のYAMAHAで買ってくる新譜LPを楽しみに聞いた中の1枚。Han Bennink のドラムが好きで、ピアノレスが新鮮だった。東京では”新宿ピットイン”の昼に行ったり、下北沢の猿がいた”マサコの店”で床に座りながらマイルスの新譜を聴いた。

7) “Sugar Loaf Express Featuring Lee Ritenour” (1977)

この当時はドルフィーやオーネット・コールマン(生でKitaraで聞けると思わなかった)を好んだり、来札する中央線ジャズとか山下洋輔さんとかライブハウスで聴いていたんだけど、リー・リトナーは知らず、原盤ダイレクト・カッティングで限定3万枚の宣伝文句で買ったら当たりだった。全員せ〜ので一発録り。この軽味、聞き返すごとに味が出てくる。

8) “The Secret Life Of Plants” Stevie Wonder (1979)

これは科学映画のサントラ。欄の花のエンボス加工も洒落ている。西城秀樹が「愛の園 (AI NO SONO)」をカバーしている。周りの誰もがあのLP2枚とシングル1枚セット”Key Of Life” (1976) を買っていると東京に行った八千代が言ってた。自分も ¥5,000出したが、その値以上だった。

9) “All ‘n All” Earth Wind & Fire (1977)

「太陽神」なのである。カセットに入れて、同僚の車に乗せてもらって、スキーの行き帰りに大音量で楽しんだ。

10) ”The Spiritual” Art Ensemble of Chicago (1969)

世界観にハマって何枚か集めた。市民会館に聴きに行った。東映仲町のエルフィンの洋さんも来てて、皆でステージ前へ。愛聴盤のブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」に繋がり、SAVARAHレーベルのCDを集めた。後年、憧れのピエール・バルーが中村善郎との縁で、石狩の”Art Warm”に来たので聴くことになる。

11) ”Friday Night at the Village Vanguard” Art Pepper Quartet (1977)

東映パラス地下の”Jamaica”で初めて聞いたと思う。きっかけとして、60枚くらい集めた。ジョージ・ケーブルスから入りラス・フリーマンに着地。Tampa盤の2枚が好き。トリオ・レコードから出たエルビンとの45回転LPは、Groovy時代のマスターから頂いたような・・・。1981年、市民会館の楽屋でツーショット。その時の音声も演奏もカセットに残した。

12) “ Quatro Grandes Do Samba”

Nelson Cavaquinho Candeia, Guilherme De Brito, Elton Medeiros –(1977)

中南米も大好きなので、タイトルに惹かれたが、その通りの名盤。

13) “Cobilinbo” Monty Alexander (1978)

スティールドラムの響きも爽やかで、ギターのカッティングと相まったカリビアンサウンド。夏になると聞きたくなる。

14) “My Song” Keith Jarrett (1978)

ケルン・コンサート(アンコールが一番好き)からなんだけど、これが一番聞いた1枚。後に”サン・ベア・コンサート”の収録となった演奏をステージ袖で聞いた。

15) “Tristezas De Un Doble A” Astor Piazzolla Quintet 1981

日曜昼前の目覚ましFMから突然流れてきて飛び起きた。”マルビナス”戦争の少し前だろうか、テアトロ・レヒーナでのライブ。SP盤名残りの3分じゃない、こんなインプロビゼーション・タンゴがあるんだと集めだした。エクトル・コンソーレのアルコにもやられた。1984年の来日時、家人一人で芝の郵便貯金ホールに行き、楽屋に押しかけジャケットにサインを貰い、ユーカラ織の栞を手渡してきた。自分としては、このレコードと同じ劇場で違うメンツのキンテートによる1970年盤の二枚に尽きる。”Piazzolla”を演奏できるのは彼しかいない。

百合が原公園でのジャズフェスだったろうか、ゲイリー・バートンのバンドにゲスト参加してたのを聴きに行った。やはりというかヴァイブが邪魔だった。無関係だが、ジョアン・ジルベルトが国際フォーラムAに来たときは私も家人と行き、5,000人の聴衆と共に固唾をのんで聴いた。久しぶりにガットギターを手に入れて楽しんでいた。何処かの誰かにアルハンブラを弾くのかと冷やかされたよ。

16) ”One from the Heart” Tom Waits and Crystal Gale (1982)

あの”ジャブ70”でNastassja Kinskiに出会って一目惚れ。コケたのかもしれないけど、コッポラの傑作に違いない。そのサントラ。カセットに入れてもらって覚醒して、CDも買ったけど、このLPはタワーレコードで見つけたままの未開封。トム・ウェイツが札幌に来たことがあると知り悔しい思いをした。ステージではタバコの煙が絶えることが無かったとか。

※ 付記した数字は録音もしくは発売年

※ ジャケット画像を収めたGoogle photoのアルバムへのリンク

https://photos.app.goo.gl/7WKfVHEPjX9YyQbK9

 青春時代は、オヨヨ通りから都通の間、特に5丁目界隈で殆ど完結していた。今思えば、輸入盤レコード店が出始めて間もなく、CDも発売され出した頃で何かがお終い。残滓も後の観覧車で放り投げられたみたいだ。米国からジャズのフィルムコレクターが映写会をするというので、道新ホールに行った。Art Tatumや本家Jo Jonesがスクリーンに写っているのを見て、動いている動いているとワクワクした。YouTubeなんて思いも寄らない。1982年10月にQueenがスタインウェイのフルコンを持ち込んだ月寒共進会場も、市民会館、北海道厚生年金会館、道新の各ホールも今は無い。最後に、♪少しカッコつけさせてくれ、 “When you hear music after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again.” E.D.

Master’s comment notice
アルバム画像の挿入がうまくいかないのでとりあえず文章だけのアップになってしまった。ジャケットを眺めるのも楽しいのでリンクサイトも見ていただきたい。
やはり1.2枚目はクラッシックである。渡辺さんとは同世代なので出てくる固有名詞に郷愁を覚えた。キース・ジャレット、アートアンサンブルオブシカゴ、ピアソラ、ウェザー・リポート・・・渡辺さん。同じコンサート会場にいたんだ・・・と当時のことが脳裏に浮かんでくる。蛇足かもしれないが最後のセリフはE Des・ハンソンのものではない。

わが青春の10枚 vol6

今回の執筆者を紹介しておく。千葉麻子さんはピアニストでlazyでも月一のペースで演奏している。田中朋子さんの門下でその影響もあってかオリジナル中心のステージになっている。そのルーツになるものが選んでもらった10枚に現れているか興味深い。
Let It Be ビートルズ
母が、音楽好きなので、幼少期は、母の好みの音楽が家ではいつも、流れてました。
ビートルズは、多分1番多く流れていたと思います。

2. Close To You カーペンターズ
 これも、母のコレクション。2番目に多く流れてた

3 Greatest Hits ビリージョエル
 これも、母のコレクションだったと思うけど、
この辺りで、自分で好きなの選んで勝手に聴いてた様な気がします。

4. Slow Hand エリッククラプトン
母のコレクションだったのか?不明。

5. Pearl ジャニスジョプリン
一曲目のMove Overのかっこよさに驚いて
当時、中学の親友のお兄さんで、バンドやってた豊田さんに、これ、やりたい!といった記憶があります。怖いもの知らず。
(実現せず)

6. Remix REBECCA レベッカ
自分のお小遣いで、初めて買ったLP

7 Super Folk Song 矢野顕子
 矢野顕子さんが、ピアノ弾き語りで、大貫妙子さんや宮沢和史さんの曲をカバーしたアルバム。
中央線が特に好きでした。

8. the fabulous baker boys デイヴクルージン
映画「恋の行方」のサントラ
映画も音楽も大人の世界っぽくて好きでした。
多分、10代後半位の頃。

9. intermodulation ビルエバンス ジムホール
初めて買ったジャズのアルバム。
何故にこのアルバムだったのか?
全く記憶が無くて、理由が分からない。

10. Y ヤロンヘルマン
最近気に入ってるピアニスト。

以上、10枚のアルバムでした。

千葉麻子🐈‍⬛

Master’s comment notice
やはり親の影響が強い。よく音楽の掛かる環境であったらしい。8割がポップス、ロックのアルバムである。初めて買ったジャズのアルバムがエバンスとジムホールのintermodulationと言う事である。惜しい…!ビル・エバンスまでたどり着いたのは半分正解であった。これが「アンダーカレント」であればその後の人生が変わっていたかもしれない。

Clique Patrica Barber


?パトリシアバーバーを知らない日本ジャズファンには紹介したいと思っていたというのは嘘じゃない。というか彼女がどのくらい人気があるのかないのかピンときてないのだ。もちろんパトリシアの熱心なファンは沢山いる、特に非ジャズファンにも多いような気がする。もちろん彼女は100パーのジャズアーチストである。シンガーソングライターピアニストで34年前に邦題マイガールというアルバムでデビューした。この2021年の今のところの最新作までに10枚ぐらいのペースでまぁ多いとはいえないがほとんどが傑作と言って良い。そしてクオリティは上がり続けている。クリック!は2枚目のスタンダード集で2000年にナイトクラブというアルバムがブルーノートにある。それは全スタンダード集だったがこのディスクにはオリジナルとモンクのインストナンバーが2曲入っている。このディスクは前のアルバムが全オリジナルだったのでそのアンコールとして同時に録音されたのではないかという気がする。つまりパトリシアバーバーは先ずはコンポーザーピアニストで歌も上手いという人なのでなかろうか?
たとえばチェットベーカーとか…
実は僕はエラサラカーメン系のジャズボーカルが苦手なのだ。これはその対極にあるものだろう。作曲家で演奏家による歌だ。クール(カッコいい)でディープ(音楽性が深い)で声質はシルキーでピアノと選曲はヒップだ。このディスクのラストにスティービィワンダーがあるようにジャズスタンダードにポップヒットを加えるのもパトリシアのスタイルになっいる。
今チェックしてみたらパトリシアバーバーはシカゴ(地元)やヨーロッパでは結構人気があるみたいです。
by 山の実

Rガリアーノ ニューヨークタンゴトリオ2022

プロローグ
新コーナーの増設である。諸般の事情で新譜をほとんど買わなくなってしまった。時々このコーナーを担当してくれる山本さんから借りて浦島太郎にならないようにしてる。音楽の店を経営するものとしては肩身が狭い。時々ハッとするようなアルバムがある。それではいっそのこと常連山本さんに新譜を紹介してもらおうということになった。レコードコレクターの宿命として時々ひどいバッタ物をつかまされることがある。groovy時代山本さんとどちらがひどいアルバムを持っているかでくだらないレコード聴き合ったことがある。ここではそういった類のアルバムは遠慮してもらうことにしているが時々劇薬が含まれているかもしれないことを予め告知しておく。初心者は牛さんのディスクレビューを参照したほうが良いかもしれない。ちなみに山本さんはlazyを作ってくれた方である
master’S comment notice


ガリアーノは多作な人で僕は20枚ぐらいしか持ってないがたぶんその倍以上は出してると思われる。この後にもオーケストラとバッハやモーツァルトを演った23年のディスクがあるらしい。彼が多作なのはその音楽性の広さのためでメインはミゼットなのだろうがニーノ・ロータやミッシェルルグラン、バッハやビバルディなどのバロックさらにソロからビックバンドまでのさまざまスタイルで演れる。ジャズだけでもチャーリーヘイデン、チェットベーカー、ミッシェルポルタル、マルサリスやら寺井尚子までなんでもござれである。しかし皆が知るように最も重要なキーパーソンはピアソラである。ピアソラは生前ガリアーノに自分がタンゴでやった事を君はミゼットでやらねばならないといってたそうだ。ガリアーノはピアソラとデュオで2枚ディスクを出してる、ピアソラの死後も何度もピアソラ作品集を録音している。
このディスクでもピアソラとオリジナルが交互に演奏されて進んでいく。スタートは96年のニューヨークタンゴと同じく 南に帰る で始まる。ところでオリジナルのニューヨークタンゴはトリオではなくAフォスター、Gムラーツ、Bラグレーン、の4人である。その10年後、ガリアーノはニューヨークトリオを作る タンゴ抜きのジャズを演るバンドである。そこからはサティとニッキーのワルツがこのディスクには入っている。
ガリアーノのタンゴはアルゼンチンタンゴのようなリズムのキレがなくワルツのように流れる、そして音のインナーボイスの動きがジャズ的である。
新トリオはドラムレスでベースとギターだがギターがチェロに持ち替えるのがバンドの音楽性を広げてる。しかしながらガリアーノの第一の魅力はなんだろうと考えるとちょっとなんだけどセンチメンタルな美しさでピアソラとも共通してる気がする。

高市早苗大臣のための13枚

文責途中まで牛さん
9月22日のブログは「適材適所の裏側」というタイトルだ。その内容は某政治家についてのものである。とき恰も「我が青春の13枚」シリーズのさ中であり、当該政治家の13枚を炙り出して見ようということに話が発展してしまった。では、”某大臣”(「オー・ダーリン」的に歌うこと)、宜しく。

1.邪道オブ・ユア・スマイル(出典:映画「いそしぎ」の「The Shadow Of You Smile」歌・演奏 多数)
2.帰って来なければうれしいわ(出典:「帰って帰ってくれればうれしいわ」 音楽:C・ポーター)
3.害さずにはいられない(出典:「愛さずにはいられない」 歌:エルヴィス・プレスリー)
4.語彙の意味をご存知じないのね(出典:「You Don’t Know What Love Is」 歌・演奏 多数) 
5.放送統制(ルール:この4文字を超早口でいうこと。出典:「What I Say?」 歌:レイ・チャルズ)
6黒くぬれ(出典:国の公開文書 演奏:ローリング・ストーンズ)
7.省ほど素敵な商売はない(出典:映画「ショウほど素敵な商売はない」音楽:アーヴィン・バーリン)
8 政治屋の行進(出典ニューオリンズジャズ)

※あとは何方かにバトン・タッチ。(M・Flanagan)
牛さんからのバトンを受けてゴールに向かって疾走するのである。
9 Back in the USSR(出典ビートルズ) レノンが使っていたギターメーカーは「立憲、馬鹿」である。
10 So what (出典マイルス) 国会答弁でよく「それが、どうかしまして・・」と強弁していた
11 ピーターとおかま(出典プロコイエフ「ピーターと狼」)LGBTQ法案に全く理解を示さない極右勢力のアイドルでもある。
12 チャタヌガ チューチュー(出典ベニー・グッドマン)シンシナティー市が建設した公共鉄道である。リニア新幹線のように利権に群がる蜂が蜜をチューチューしに来る音が聞こえる。
13噓(出典中条きよし)最後は直球勝負である。自民にいられなくなったら維新に行って中条きよしとユニットを組むとよい。二人まとめて落選させてやる!
付記
僕のブログに牛さんが反応する形で1章分でき上った。成立過程がジャズ的である。前半の牛さんのソロが素晴らしく僕は鈴木央紹の後にソロが回ってきた学生のように緊張してしまった。こういう時臼庭がいたらどういうフレーズを作ったっかと考えていたらアホな事をしながらしんみりしてしまった。

我が青春の13枚 vol4

この企画は筆者の素性が分からないと面白味が半減する。筆者を紹介する。嘉屋雅之はgroovy時代からの常連で30年以上の付き合いである。僕が主催していたワークショップjazz幼稚園のベースでもある。こう書くとゴリゴリのジャズフアンかと思われるがそうではないことがラインナップで判明することになる。

1.ビートルズ
『オールディズ』
2.ローリングストーンズ
『ゲットヤーヤ ヤーズアウト』
N○○で`76年のパリでのライブを観て、ストーンズの存在を知り、購入。
ミック テイラー加入間も無い頃の演奏で、若い。
3.カール リヒター来日記念
バッハ オルガン デラックス
『トッカータとフーガ』
五番館のレコード売場で発見し、購入。
4.ローリングストーンズ
『ラブ ユー ライブ』
2に記載のパリライブ。
5.ローリン マゼール指揮
『ツゥラトゥストラはかく語りき』
「2001年」を見て つい買って しまったアルバム。
6.ジャコ パストリアス
『ジャコ パストリアスの世界』
インタビューで「俺は世界一 のベーシストだ」と言ってい
るのを見て即購入。
その後、ウェザー リポートにはまったきっかけの一枚。
7.ローリング ストーンズ
『サム ガールズ』
この後ストーンズとビートルズ関連を相当枚数購入しているが、省略。
8.ローリン マゼール指揮
『展覧会の絵』
9.ジョルジ シフラ
『リスト リサイタル』
10.トム ロビンソン バンド
『パワー イン ザ ダークネス』
シングルカットされた曲がヒットし来日。
札幌では「教育文化会館」のホールで演奏。
初めて行ったライブ。
11.フランク マリノ アンド
マホガニー ラッシュ
『ライブ』
当時、ジミヘンの再来と言わ れていたギタリストの一人。
12.ストラングラーズ
『X CERTS』
ある方面から入手した 試聴盤。
13.ELP
『恐怖の頭脳改革』
同級生から格安で購入。

おまけ(シングル)
キース リチャーズ
『ハーダー ゼイ カム』
シド ヴィシャス
『マイ ウェイ』
by M.K
master’s comment notice
ストーンズとジヤコのフリークであることは知っていたが1枚目にビートルがあげられていたのは意外であった。飲み屋ではビートルズかストーンズか、ロリンズかコルトレーンか百恵ちゃんか淳子ちゃんか、味噌ラーメンか醬油ラーメンか・・などは格好の話題になる。その際ビートルズに肩入れした事はないと記憶している。クラッシックのアルバムが何枚か選ばれている。御幼少の頃ピアノを習っていたような話を聴いたことがある。実は高貴なお方なのかもしれない。どうでもいいことであるがストーンズのパリ公演を見たN○○とはどこのことであるのか気になる。最初にNの文字が飛び込んでくるのでニューヨークかと思ったが一文字多い。伏字をしなければならないやばいところなのか。五番館のレコード売り場というのも昭和を感じさせる場所である。初めていったライブの話も初耳である。大体トムロビンソンバンド自体知らない。知らないだろう奴に初ライブの感動を話したところでケチがつくと思ったのかもしれない。

我が青春の13枚 vol3

印象に残っているアルバムをできるだけ時系列で選んでもらう新コーナーである。選んだ13枚でその人物の思想信条、趣味嗜好、美学など大胆に推論してしまうことができる。今回はピアニスト本山禎朗の登場である。

1.Colorful /ポケットビスケッツ
2.ギリギリchop /B’z
3.憂愁のノクターン /フジ子・ヘミング
4.ザ・ビートルズ1 /the Beatles
5.Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band / The Beatles
6.Abbey Road /the Beatles
7.Fantasia /Eliane Elias
8.Big Machine /B’z
9.House of strings /松本孝弘
10.海洋地形学の物語 /Yes
11.華麗なるクラリネット・アンサンブルの世界Ⅴ /東京クラリネットアンサンブル
12.Clapton Chronicles: The Best of Eric Clapton /Eric Clapton
13.At the Momtreux Jazz Festival /Bill Evans

1.TVのバラエティ番組内のユニットによるアルバム。お笑い好きです、関西人なので。

2.初めて買ったシングル盤、ファンクラブに入っていました。

3.YAMAHAの教材以外で初めて聴いたクラシックのアルバム。ラカンパネラに感動、後にリサイタルに行きました。

4.両親の影響でビートルズが好きに。

5.世界初のコンセプトアルバムと聞いてワクワクしながら聴いてました。

6.どの曲も好きですが後半のメドレーがドラマティック。

7.ジャズに興味を持ちはじめた時に聴いたのですが当時はイパネマの娘が難しいキーだな、とPonta di areiaが耳に残った、くらいの印象。

8.リアルタイムで聴いていたB’zの作品では1,2を争うアルバム。

9.ロックでストリングスとのコラボを初めて聴いたアルバム、と思ってたけどとっくにビートルズのEleanor Rigbyで聴いてましたね。

10.クラシック以外にインストでこんなに長い演奏あるんだ、と思ってましたがジャズでは日常茶飯事ですね。

11.バスクラリネットを吹いてた吹奏楽部時代に購入、このCDでMistyを知りました。

12.ベスト盤、受験勉強中ずっと聴いてました。Change the World。

13.高校の同級生に教えてもらったピアニスト、大学のジャズ研に入って初めて買ったアルバム。
Master’s comment notice
本山の演奏は学生のころから聴いているので音楽遍歴はある程度知っていたが並べてみると興味深い。ソロピアノではよくビートルズの曲を弾いていたが数枚入っているのを見て影響力の強さを感じる。フジコヘミングとイエスの話は初耳だ。Mistyは本山の十八番であるが知ったアルバムがエロル・ガーナーでないんかい・・と突っ込みを入れたくなるようなアルバムである。13枚目にやっと正統ジャズアルバムが出てくる。プロのミュージシャンが皆幼少のころからジャズ一筋なわけではない。余談であるが本山はクラプトンのアルバムを聴きながら受験勉強に励んでいたようであるがここから本山の英語能力を推察できる。英語のリスニング力がつくと英語の歌詞を理解しようと脳が働いて英文解釈などの時は能力が減じられるという学術成果が発表されている。ということは本山にとって英語はスワヒリ語と同じ位わからなかったという結論が導き出される。
受験勉強の時は3のフジコヘミングをかけるべきであった。

我が青春の13枚 vol2

1 焼きウインナーサンドイッチ  マザーズオブインベンション
2ヘアー オフオフブロードウエイオリジナルキャスト 
3 スイッチオンバッハ wカーロス
4フーガの技法 Gグールド 
5リフレクションズ  ニューヨークロックンロールアンサンブル
6 季節外れのバレンタイン 高橋アキ
7 ソフトマシーン サード
8 ライブアットビレッジヴァンガード Jコルトレーン
9セロニアス・ヒムセルフ Tモンク
10 ラジオのように ブリジットフォンテーヌ
11 インオールランゲージ Oコールマン
12 タンゴゼロアワー Aピアソラ
13 イエローシャーク アンサンブル・モデルン
アバウト13
1 最初に買った輸入盤LPアルバムジャケットはドルフィーのレコード用に描かれた物だそうです。
2 最初に買った国内盤でおまけのアポロ14号の交信記録が欲しかった。
3 シンセサイザー(モーグ3)を初めて聴いた。ライナーをグールドというピアニストが書いてたので
4を買ったがオルガン 探すと高橋悠治がシンセサイザーでやってるのを見つけた。悠治は86にピアノ盤も出した。
5 作曲のマノス・ハジダキスは日曜は駄目よのギリシャ人NYR&REはジュリアードでのロックバンドでブランデンブルクに歌詞をつけたレコードを出してた。
6 美術手帖のロック特集にプリペアド・ピアノによるMデュシャンのための音楽のソノシートがついててケージを知る アキは前出の悠治の妹。
7ソフトマシーンは元はヒッピーサイケロックだったがⅢからEジャズ化する。それでジャズを聴き出すと
8 年代は逆流してるのだがリアルタイムの音楽を聴いてる気分だった。
9 ラウンドミッドナイトインプログレスという30cm45回転盤を聽いて前衛音楽だと思った。
10はリアルタイムのジャズでサラヴァレーベルではナナvのビリンバウを聽いて!!したもんだった。
11 もちリアルタイムのプライムタイムと50年代のカルテットとのSF的ブッキング!
12 アメリカンクラブェからのファースト この後セントラルパークライブでGエバンスが大絶賛する。
13 ザッパの生前最後のアルバム93年ザッパに始めまったのでザッパで終ろう。
トリビア13
1 次のいたち野郎は国内盤が発売されたB面1曲目はエリックドルフィーメモリアルバーベキューというタイトル。
2 ヘアー アクエリアス グッドモーニングスターシャイン イージーツゥービーハード レッツザサンシャインインなどのヒットが沢山生まれた。
3 ウォルターカーロスは後に性転換してウェンディと変わる。(故人)
4 グールドとグルダは私の時代には単なるピアニストでなくカルトヒーローだった。
5 NYR&REのリーダーのMケイメンはロス5輪の音楽監督 クラプトンをソロイストにしてギターコンチェルトを作曲。
6 ケージはサティを同時代人だと考えてた。 高橋兄妹もサティアルバムを沢山だしてる。
7 ソフトマシーンとはバローズの小説のタイトル。
8 またはRカークかプーサン、それじゃただの好き嫌いになってしまうか。
9 デビューしたてのディランがモンクにフォークをやってるというとモンクは我々は皆フォーク(民衆)音楽だ。といった。
10 同時代ではAシップのヤスミヤ
ブラックウーマンやDチェリーのミューが鮮烈だった。
11 2007にコールマンはピューリッツァー賞を貰った。2016にはヘンリースレッドギル。ジャズでは3人目。
12 ピアソラのラストアルバムはバンドネオンコンチェルトで指揮者は5のハジダキス。
13 ザッパは死後もレコードは沢山でている。ピアソラほどではないがクラッシク畑でも取り上げられている。
By 山本実

Master’s comment notice
山本さんはこの企画の発案者である。groovy時代からの常連でlazyの内装を担当してくれた人でもある。博覧強記のリスナーでラインナップからもそれが分かる。

我が青春の15枚

昔レコード芸術という月刊紙が発行されていてその中に「我が人生の15枚」みたいな印象に残っているレコードを時系列で紹介するコーナーが有ったらしい。著名アーティストが毎月掲載されていてクラッシックの大御所がjazzのアルバムばっかり聴いていたりする。意外な面が診れて面白いのでブログでやってみたらどうかと言う提案が有った。トップバッターはライブレポートを担当している牛さんにお願いした。
1960年代中期
1.のっぽのサリー(ザ・ビートルズ)※1966年、初めて買ったレコード
2.ダイヤモンド・ヘッドほか3曲(ザ・ベンチャーズ)※33回転のお得用ドーナツ盤
3.花はどこへ行ったほか3曲(PPM)※33回転のお得用ドーナツ盤
4.帰ってきたヨッパライ(ザ・フォーク・クルセイダース)
5.青い影(プロコルハルム)

1970年代前期(LP時代)
6.ライブ・クリームⅡ ※ホワイト・ルームほか収録
7.原子心母(ピンク・フロイド)
8.フォー・ウェイ・ストリート(CSN&YのLIVE盤)
9.イート・ア・ピーチ(オールマン・ブラザース・バンド)
10.ザ・ペンタングル( ザ・ペンタングル)
11.プラネット・ウェイブ(ボブ・ディラン)
12.ツェッペリンⅡ(レッド・ツェッペリン)
13.魂の道のり(ヴァン・モリソンのLIVE盤)
14.ロック・オブ・エイジズ(ザ・バンドのLIVE盤)

1970年代中後期以降
15.(ほぼJAZZ、他の分野は僅かしか聴いていない)
Master’s comment notice
これは面白いラインナップになった。今ではjazzに一家言を持っている牛さんが選んだアルバムがフォーク、ロックばかりになった。僕も同じ世代なので知らないアルバムはない。何がきっかけでjazzの一本打法になったのだろうか。

追悼 臼庭潤

8月19日臼庭潤の13回忌である。牛さんとjazz roots 臼庭Tシャツの正装で2010年8月9日のat lazybird音源を聴く。伝説の田中朋子5である。田中朋子、臼庭潤、津村和彦、米木康志、セシル・モンロー・・・。既に3人が鬼籍に入っている。現在田中朋子は指のリュウマチに悩まされながら活動をしている。米木もコロナに感染し療養中であった。だからこそこの日の燃えに燃えた演奏をいとおしく思うのである。このCD何度聞いただろうか・・・・もう傷んで音飛びがするが聴けるところまで聴いた。1曲目ベラクルーズ。臼庭のフレーズは完全に歌える。田中朋子も生涯のベスト演奏をしている。臼庭を生で初めて聴いたのは古澤さんのツァーであった。・・・らしい。臼庭には悪いがこの時の印象があまりない。はっきり覚えているのは渋谷オーケストラである。だがこの時もサックス陣には松風さんや峰さんもいるのであまり期待はしていなかった。ところが魅せられてしまった。良く歌って楽しいとサックスと感じた。それから頻繁に来てもらうようになった。当時僕が主催していたjazz幼稚園のゲストでもよくやってもらった。臼庭とは込み入った音楽の話をすることはあまりなかった。何か照れていると感じた。それで打ち上げでは牛さんも交えて3人で他の人からは白い目で見られながら延々と駄洒落を言い合う事となった。それでも心は通じていた。臼庭は世界中の中でライブレコーディングの場所としてLazyを選んでくれたのだから。
合掌