大学生ながら、今の社会の在り方をふと考えさせられるような時がある。バブルの崩壊から30と余年、留まるところを知らない景気の降下により社会人の給料は下がり続け、60年前には毎年10%を超えていた経済成長率は近年では1%を切ることも珍しくはない。戦後の著しい経済成長から円高不況を経てバブル景気へ。そしてその崩壊後の30余年にわたる不景気は、若者たちの社会認識にどのような変化をもたらしたのであろうか。未だ社会に出ていない一学生である筆者であるからこそ、自分がこれから参画し形成していくことになるであろう日本社会について、ある歴史理論を紹介しながら考えてみたいと思う。
14世紀のチュニジアで、イブン・ハルドゥーンという人物が歴史家・社会学者として活躍した。彼の生まれた当時のチュニジアは戦国時代で、異なるイデオロギーを持った諸王朝が興亡する騒乱の渦中で、彼は政治家・歴史家・裁判官などの様々な立場で活躍した。そんな彼の代表著書と言えば、全4巻にわたる『歴史序説』である。この中で登場する「王朝の4世代理論」を今回は取り上げたい。
イブン・ハルドゥーンは王朝の形成に欠かせない要素として「アサビーヤ」という概念を紹介する。アサビーヤとは日本語にすると「連帯意識」と訳される語であり、端的に言えば社会的な結束力を指す言葉である。ハルドゥーンは、強力な王朝は君主あるいは何らかのイデオロギーに対する強力なアサビーヤを有しており、王朝が崩壊するときはこのアサビーヤが失われるときであると語る。また、強力なアサビーヤを持つのは農村や砂漠の人々たちであると言う。こうした場所では人々は過酷な自然と戦う必要があるため、農作業や移動のためにしばしば連帯し、その意識が醸成される。しかしひとたび王朝を形成してしまえば、彼らは農村を捨て都市に住むことになる。都市に住んでしまうと、人々は農村よりもはるかに楽で金銭的および文化的に豊かな生活を享受するようになるため、人々は堕落し、自己中心的な生活を送るようになり、アサビーヤは弱体化する。こうしてかつての強力なアサビーヤが失われた王朝は、より強力なアサビーヤを持った王朝によって滅ぼされる。このサイクルによって歴史は繰り返されるとハルドゥーンは説く。
しかし最も興味深いのはそこから導き出される「王朝の4世代理論」である。第1世代は王朝建設者の世代であり、前述の内容から彼らには強力なアサビーヤが存在している。第2世代では政局や経済が安定期を迎えることから都市の繁栄や文化の熟成などが見られ、一般的に最盛期と題される時代を迎える。安定した生活や他国に対する優位を実感することで、第2世代たちには愛国心という名のより強力なアサビーヤが生まれるという。しかし第3世代になると、先代の繁栄の維持という名目のために上昇志向が失われ、自己の生活の安定を図るために社会は保守化する。その結果として集団としての存続という意識は薄れ、次第に社会は自己中心的な個々人の集合体と化し、国家は弱体化を始める。第4世代になると、政局の不安定さから更なる自己の安定を求めるようになり社会は分裂。結果、より強力なアサビーヤを持つ別な王朝に滅ぼされる。これが「王朝の4世代理論」の概説である。
筆者は現在22歳、戦後第3世代の人間である。思えば、高度経済成長期やバブル経済といった日本の経済的栄華を現出したのは戦後第1世代の人々であった。現在社会を支えるのは1970年代に生まれた戦後第2世代。彼らは先代社会の栄華を継承しようとしてきた。政府が経済政策、教育制度などにおいて保守的であるのは、これらが高度成長期に形成されたものであり、これらのいわゆる保守的な政策によって第1世代が栄華を現出したことを経験しているからであろう。
しかしそんな彼らも50代後半に差し掛かり、いよいよ世代交代が近づいている。ハルドゥーンの理論に従うのならば、国家が傾くのは第3世代、すなわち我々の時代においてである。戦後の第1世代および第2世代が守ろうとしている保守的な社会は、高度成長期の時代的文脈に即してこそ意味を持つ。21世紀の幕開けから四半世紀、時代も大きく変わった。ハルドゥーンがいう第3世代時代の王朝衰退は、こうした時代の変化に目を向けず保守的な政策を維持し続けようとした政府と、時代の変化を肌で感じながらも懸命に生きようとした市民たちとの間の些細にして重大な摩擦に原因があるのではないだろうか。そうだとするのならば、我々に求められているのは過去の栄光に裏付けられた保守的政策の賛美ではない。新しい時代の到来を素直に受け入れ、恐れず、目の前の問題に対して柔軟な姿勢で対応していくことであろう。
By U N
Master’s comment notice
時々jazz研の学生にそれぞれの専門分野の講義を受けている。全く知らない分野程楽しい。イブン・ハルドゥーンの名前を55年振りに想い出した。現在学問が危機に瀕している。論文数は減り続けすぐ換金可能なパチンコ屋の景品的な学問が優遇されている。長期的な視点に立って日本そして世界を見て欲しいと思う。歴史に学ぶことはいつの時代にも有効である。本筋には全く関係ないが「アサビーヤ」という単語を見ると「アサヒビール」に見えてしまうのは職業病の一種なのだろうか。