臨時ニュース

昨日5月20日の11時ちょっと前。ラジオのバラエティー番組を聞いていた。突然臨時ニュースが入った。GDPが年2.1%増、2期連続プラスになったという事だ。多分良いニュースなのだろう。だが臨時ニュースを入れるほどの内容なのか。あと数分すれば定時のニュースの時間だ。時間をちょっと早めることでビックリ度を操作しているように思う。
フランス映画の「フローベール夫人とパン職人」やソフィー・マルソー主演のああ・・タイトルが思い出せない・・・・ランデブ・ーイン・パリであったろうか・・・の一場面。主演女優が男を訪ねてくる。トレンチコートを着ている。この後は定例のベッドシーンになるだろうと想像できる。ソフィー・マルソーが悪戯っぽい表情でコートを脱ぐ。服は着ていない。ランジェリー姿だ。おお・・・と思う。どうせあと数分で脱ぐのに。臨時ニュースだ。
いいニュースであるはずなのに、僕ら庶民には全く実感がない。またお役所の統計操作かなと思っていたが今回は手品だった。消費と設備投資は停滞している。それに伴い原油や天然ガスの輸入が減っている。この数値が計算上プラスになる計算式になっている。
数字はランジェリー姿のように見掛け倒しであるが政府には安堵感が広がっている。「アベノミクス」への批判を避けられ10月の消費税増税の再延期論も収まると踏んでいる。
この雰囲気を醸し出すための「忖度」された臨時ニュースであったに違いない。

訃報

現政権が元号が変わったことをお祭り騒ぎに変え改憲の動きを加速させようとしている。憲法のことを考えると改憲。護憲の立場はさて置きいくつか納得できない点がありそれを考えす意味で加藤典洋の「9条入門」という本を丁度読んでいた。9条が押し付けられたものか自発的なものかという9条の出生の秘密を天皇制の存続との関連の中で読み解いていく。そこにはマッカーサーのGHQと戦勝国の極東委員会との主導権争い、そしてマッカーサーの大統領選挙への出馬への布石も絡み翻弄される日本の姿が丁寧に説明されている。おすすめしたい本である。
その著者である加藤典洋氏が亡くなったことを今知った。
冥福を祈りたい

箴言vol2

世の中分からないことで満ちている。それは素人が絶対分からない最先端科学の問題だけではなく、政治経済、身近の社会問題にも芸能、スポーツ、音楽にもはてなマークがあふれている。ただある種のジャンルのものは理屈を知らなくてもある程度楽しめる構造になっている。例えばサッカー。オフサイドの細かい規定を知らなくてもゴールシーンだけで楽しめる。「音楽など感性で感じて好きなものを聴けばいいんだ」一見もっともらしい。だが待てよと思う。なぜこちらの音楽の方がいいと思うのか。僕は知りたくなるのである。そして「音楽にとって美とはなにか」と言った吉本隆明ばりの命題に突き当たってしまう。
勿論簡単には答えは出ない。
こういう時に時に思い出す言葉がある。

鷲田清一「必要なのは、わたしたち一人ひとりが、できるだけ長く、答えが出ない、出せない状態のなかにいつづけられる肺活量をもつこと、いってみれば、問えば問うほど問題が増えてくるかに見えるなかで、その複雑性の増大に耐えうる知的体力をもつこと。」

参考図書
「濃霧の中の方向感覚」鷲田清一

ニュースの質

岡村孝子が急性白血病、堀ちえみが舌癌で競泳の池江璃花子が白血病であるらしい。芸能情報に詳し方ではない。週刊誌も読まないしネットニュースもほとんど読まない。なぜ三人の病気のことを知っているかと言うとHKKのニュースで報道されていたからだ。間違ってもらっては困る。民放のワイドショウで知ったのではない。
病と闘っている三人には何の恨みはないがこんなことNHKのニューで流すことかと首をかしげる。百田と籾井をトップにいただく組織になってからの質の劣化はひどい。国会中継を中断して一高校生の入団記者会見を流す。ゴーン氏の保釈金の現ナマの量を視覚的に映し出す。もう人気取りの民放と変わるところがない。その民放も電通とジャーニズ事務所と吉本興業と秋元康には逆らえない。安倍総理は憲法改正をにらみその4社とうまく付き合っている。憲法改正のコマーシャルの放映問題が議論されている。資金量の豊富な自民党に有利に動くはずである。NHKは不利な情報はカットすることによって援護射撃をするであろう。
闘病生活をしている芸能人に勇気をもらっている場合ではない。

カーネーション

母の日にカーネーション3本と総菜3品持って実家に行ってきた。週2回は様子見に行っているので違いは花を持っていくか持っていかないかである。やっと花を持っていき素直にありがとうと言える年に僕がなった。庭仕事ができない体になっているので、畑には花がない。単純に部屋に花があると嬉しそうだった。
パーキンソン病で震える口で「あ・り・がと・う」と言った。
あと何回「ありがとう」が聴けるかは考えないことにする。

ボタン

シャツのボタンが取れた。上から二番目のボタンである。一番上のボタンは普通留めないので二番目がないと襟ぐりが大きく空いてだらしないのである。冬の間はマフラーを撒いて誤魔化していた。ボタンの一個くらいつければいいのではと言う話になるのは分かっている。僕もボタン付けくらいできる。半返し縫いも本返し縫いもできる。もっと言えばチェーンステッチで刺繍だってできる。針に糸が通ればの話である。こういうことができなくなると歯がゆくなる。
近所のお店のAにお願いしてつけて貰った。替えボタンが入ったケースとシャツを置いてきた。似たようなボタンをつけて貰えば良いからと言い添えた。
30分もしないうちに「はーい」と言って持ってきてくれた。
前面のボタンが全部同じ種類になっている。袖のボタンが二個とも似たようなボタンに変わっている。袖のボタンを移し替えてくれたのだ。とれそうだった他のボタンもしっかり付け替えてくれている。
こういうさらっと気配りができる昭和の女性は少なくなった。
こういうことができる人だ。店が毎日にぎわっているのは言うまでもない

2019.5.3 松島啓之の嬉しいTPP

松島啓之(tp)本山禎朗(p)柳真也(b)舘山健二(ds)
トランペットを聴く機会はそう多くはないが、毎年やって来る松島によって、この楽器はやはりJAZZの花形であることを印象付けられてきた。松島を聴きに来る人々は同様の印象を持っておられるのではないかと思う。JAZZファンは結構得手勝手なところがあり、ギターは聴かない、ヴォーカルも聴かない、フォービートしか聴かないなどという人もいる。好みというのは個人に独占権があるのでケチの付けようがない。かく言う筆者も松島が関わるルパンや熱帯を殆ど聴いていないので、偉そうなことは言えない。話は変わるが、確か松島はC・ベーシーを聴いてJAZZに開眼し、ブラウニーやL・モーガンに多大な影響を受けたというのが音楽人生のイントロだったと思うが、この日もC・ブラウンで有名な「神の子はみな踊る」、モーガンが十代に吹き込んだ「PSアイ・ラヴ・ユー」が採りあげられていた。松島の聴きどころはバップを消化し切っていることはもとより、その突き抜けるような音圧や艶やかな音色にある。それが聴きながら“いま私たちはいい場所にいるな”と思わせてくれるのである。繰り返し聴きたくなる演奏家には、必ずそう思わせる魅力が潜んでいる。例えば「ライク・サムワン・イン・ラヴ」のようなバラードにおいては“長い年月”によって蓄積された質感が伝わって来て、深く聴き入ってしまうのである。その“長い年月”を確かめようと、翌日、松島が28歳の時にリリースした初CDを聴いてみることにした。音のコクに違いがあるとはいえ、それを払拭して余りある演奏力は実に見事なものと感じた。若い時には若い時の良さがあることを再認識した。その他の曲は、帝王の「マイルス・アヘッド」、名盤“オーバーシーズ“に収録されている「エクリプソ」、スタンダード「アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー」、松島初期のオリジナル「トレイジャー」、「ジャスト・ビコーズ」それと熊本の震災直後に作ったという「リトル・ソング」、T・ジョーンズの佳曲「レディー・ラック」、C・パーカー「オーニソロジー」が演奏された。トランペットの優先道路というか、トランペットで決まりという曲がある。この日は、そうした曲がズラリと並べられた。これら嬉しい曲の一覧表をトランペット・プログラムといい、略して”TPP“と云うのだそうだ。
 ところで、演奏された「オーニソロジー(鳥類学)」は、C・パーカーがバードの愛称に引っかけて名付けたものであるが、その後J・コルトレーンが“ブルー・トレイン”の中に新種の「レイジー・バード」を収録した。時を経て、「レイジー・バード」はJAZZの発信基地として札幌の鳥類図鑑にその名を留めている。これは史実に即した作り話だが、「鳥類憐みの令」も支援するJAZZ文化の保護区から良質なライブがますます飛び交わんことを願う。
(M・Flanagan)

ヘンな論文

世の中には変なことを真面目に研究している人がいるものだ。その論文を紹介している本があった。
「ヘンな論文」サンキュータツオ著
大体著者の名前もふざけている。経歴からして異色だ。「米粒写経」と言う漫才師でありながら大学で非常勤講師を勤める学者芸人だ。
研究者の根底には「知りたい」と言う欲求がある。それがIPS細胞になるか「おっぱい」になるかの違いであって学問的情熱には差がない。
ここに収められている論文のタイトルをいくつか紹介したい。
「おっぱいの揺れ」とブラのずれ
正式名「走行中のブラジャー着用時の乳房振動とずれの特性」
このタイトルだけで脱帽するのである。「乳房振動」僕も紹介者同様この表現に研究者の学問的意欲感じた。断じて「おっぱいの揺れ」であってはならないのである。古今東西老若の違いなく「おっぱい」に抱いているおバカ男子の夢と希望、雑念と決別する不退転の意思を表明している。ここでもう一点注目してほしい。この論文は「走行中のブラジャー着用時」の研究である。
条件を整理する。
1「走行中のブラジャー着用時」
2「走行中のブラジャー非着用時」
3「歩行中のブラジャー着用時」
4「走行中のブラジャー非着用時」
の中で1の「走行中のブラジャー着用時」にブラがずれることに悩む女性が多いという事である。まずブラがずれるという感覚が分からないのである。そして僕などような俗人には2「走行中のブラジャー非着用時」の方が気になってしょうがないのだ。到底僕にはこの研究をやり遂げる自信はない。
他にも「浮気おとこ」の頭の中
正式名「婚外恋愛継続時における男性の恋愛関係安定化意味付け作業」など興味を引く論文満載だ。著者の文章も面白い

2019.4.10~13 14周年 連夜の三小説

これまで3月アタマに設定されていた“周年企画”は暴風雪に邪魔だてされてきたので、今年から少し後ろの“It might as well be spring”の日程に切り替えられた。お陰でウェザー・リポート確認の神経戦からは解放されることと相なった。連夜のライブを以下、三小説にまとめた。
2019.4.10 田中朋子(key)岡本広(g)米木康志(b)
‘80年代から夫々を聴いてきた。この組み合わせはここのところ年一で実現しており、感慨を凝縮してくれている。この日の臨戦態勢をお知らせすると、田中はピアノとピアニカの二刀流、岡本はギター・デュオ以外では珍しいエレアコ、米木は勿論ナマ音である。このトリオの面白さは、是非は別として田中と岡本が米木に対して人一倍敬意を払っているため、演者でありながら客のようでもあるところだ。米木がいつもより二歩前という危険な位置なので、ナマ音が田中と岡本を幾重にも包囲するかのようであり、それが札幌レジェンドの意気込みを押し上げていたことを伝えておく。演奏曲は「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」、「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「ケアフル」、「ベイジャ・フロー」、名曲「ヴェガ」「ウイッチ・クラフト」等。なお、アンコールはフェリーニの道から「ジェルソミーナ」、ピアニカの音色が人間の無垢に届いていたのではないか。
2019.4.11 荒武裕一郎(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
 荒武はこの一年余りでかなり当地での知名度を上げて来た。初登場となった昨年の冬の終わりに本文冒頭のごとく吹雪による飛行機の遅延で、その日は1ステのみに終わった。歯切れのよいタッチと本田竹廣さん直系のブルース感覚はこのピアニストの個性を印象付けるに十分なものであった。本人は今でも“申し訳ない”と思っているが、不可抗力を跳ね返した鮮烈な演奏が荒武のLBデビューであった。今日の演奏曲は荒武精神が全開の「ユー・アー・マイ・エブリシング」、「ラブ・ユー・マッドリー」、「アイ・フォーリン・ラブ・トゥ・イージリー」、「シー・ロード」、「ビューティフル・ラブ」、「オール・ブルース」、「閉伊川」、「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」等である。ここでは多くを触れないが、毎回演奏している自作の「閉伊川」は、周年記念ならではの日々編成の流れが変わる展開となって、このトリオが明日の豪華絢爛カルテットへと繋がっていくことになるのである。
2019.4.12-13 池田篤(as)荒武裕一郎(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
池田についてはこれまで何度もレポートしてきた。30年くらい前から聴いてきた意識の連続性は、大体同じことを書かせてしまうのだが、かろうじて差異を持たせてくれるのは、今回はやらなかった「フレイム・オブ・ピース」が演奏された6、7年前ぐらいを境に、それまでにないものが付加されていると思い始めたことが大きい。感動に質的変化があったと言ってもいい。それは池田と楽器との同一性から生まれる音であって、純粋に彼が今日を制している音のことだ。池田が病を克服して来たことと彼の演奏を過剰に結びつけることを本音ではしたくないと思っているし、そういう聴き方は邪道だとする指摘もがあるかも知れない。しかし、感傷的と言われようが何と言われようが、いま池田の演奏にはサイドメンの他に彼の人生の内側が伴奏していると思うと、込み上げてくる特別な感情を排除することはできない。知られているとおり、この第一人者は若い時から圧倒的なプレイを展開してきたし、その価値は決して朽ちるものではないが、筆者はここ数年の中で池田最大の聴きどころ見つけたと思っている。と同時に身を削るように吹き出す池田を案じてもいる。ところで、長らく池田を聴いてきたことは既に述べたが、これは年数自慢の話ではなく初聴きの人にとっても池田クラスになると、十分胸を打たれるだろうことには語気を強めておきたい。少々思いが入り過ぎて来たので、ちょっと会場を覗いて見るとしようか。満席にぶつけて来たのはH・モブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、バップ系の曲に熱を通すのはお手のもの、いきなり汗がほとばしる快演でスタートした。バラード「アローン・トゥギャザー」と「アイ・ヒア・ア・ラプソディー」、は池田にとって最高の仕上がりかどうかは分からないが、しなやかな弱音は最高に染み入る演奏であった。池田作の「ブレッド&スープ」、序盤はほのぼのとしているが、段々と火加減が強められて、パンもスープも一級の味で提供された。本田さんの「シー・ロード」は四者の一体感が大気圏に再突入するアポロn号が受けた引力のように我々を引き込む歓喜の調べ。次の「ブルース・オブ・ララバイ」は多分池田の曲と思われるが、濃い口のスロー・ブルースが場内に充満していく。「エヴィデンス」の逸話として、かなり前に北海道ツアーした時にセシル・モンロー(ds)がこの曲を知らず、しかし一瞬のタイミングも外さずやりきったという思い出が紹介された。この日のもその一瞬のタイミングの完全試合。そして荒武トリオ欄で予告した「閉伊川」。実は、前乗りで来ていた池田が前日のトリオ演奏の後半に顔を見せた時、偶然、今回初共演する荒武の「閉伊川」を耳にしたことが切っ掛けで、カルテットで演奏することになった。池田の音色によって岩手県宮古市を流れる閉伊川は、一地域の流れに留まらぬ深みを得たように思う。両日ともトリを取った曲は、辛島さんに捧げた「ヒズ・ウェイ・オブ・ライフ」。混然一体の中を疾走する池田が、俗人の雑念を一掃してくれた。熱い演奏、スリル満点の演奏、創造性溢れる演奏、どれも当たっている。アンコールは初日が「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」、翌日は「インナ・センチメンタル・ムード」。池田のバラードは文句なしに素晴らしい。けれども音の出るレポートを書けないのは文句なしに悔しい。
 終演後、抜群のコンビネーションを見せつけたこのメンバーによるライブは、ここ以外では実現しないだろうと、その貴重さに思いを馳せていると、視線のあった池田がニコッとしてくれた。にもかかわらず筆者は池田にではなくカウンターに向かって“お愛想”をしてしまった。
(M・Flanagan)

回文

上から読んでも下から読んでも「維新の真意」
大阪のダブル選挙で大阪維新の会が圧勝した。この政党の真意はどこにあるのだろうか。財源がない。どこか削らないといけない。ぬるま湯につかっている公務員を絞り上げろ。そういった緊縮政策を利用しいた権力の獲得にあるようだ。一度住民投票で却下された都構想を掲げた政党がよみがえる。ゾンビ映画を見ているようだ。
「ゾンビがくるりと輪を描いた」のなどと鼻歌を歌っている場合ではない。
大阪の有権者が選択したのは政策ではなかった。その手法の分かり安さであった。呉越同舟の対立候補は立場が分かりづらかった。
以前小泉純一郎が郵政民営化だけを掲げて圧勝した現象に似ている。
吉本新喜劇のように分かりやすければいいのか。
わかりにくいjazzと民主主義はAKBと専制政治に負ける運命にあるのか。