日本映画探訪記その5 女優とアイドル

女優とアイドルは映画のタイトルではない。角川映画で原田知世と薬師丸ひろ子交互を見て気が付いたことが有る。アイドルが演技をすれば女優になるもではないということである。両方に関わった大林宣彦監督が述べている。
「アイドル風にやっていれば、器用に見えて大人っぽく見えるのです。小器用に見えて現代風のリアリティが出るんですよね。アイドルタレントと言うのは、器用じゃないといけない。女優と言うのは本来不器用な存在だ、だから日常的なレベルで見ると、器用な人のほうが、いい演技をやっているように見えるし、女優風にやると不器用な子は下手なのがそのまま出て見えちゃう」
テレビとの関係でこうも述べている。
「テレビでは最初から綺麗で可愛くないとチャンネルを変えられてしまう。最初から綺麗で可愛いことが必要でそうするとその少女が二時間たってもちっとも変わらないから、それでは物語の魅力の一つが失われているんですよね。すると登場人物が何をやるかと言うとアクションやパフォーマンスに終始する」
薬師丸ひろ子は「セーラー服と機関銃」のエンディングでは妙に艶めかしいのである。二時間の中で成長している。セーラー服に赤いパンプスで街中を歩くだけであるが子分の若頭だった渡瀬恒彦を失った気怠さに満ちている。最後はマリリン・モンローの「7年目の浮気」の有名なシーン地下から吹き上げてく風でスカートがめくりあがるがマリリリン・モンローほど見せっぷりは良くない。「探偵物語」でも松田優作と共演し映画の終わりにはちょっとだけ大人になっている。最後のキスシーンは薬師丸の事務所からクレームが入ったが成り行きで若い二人に任せましょうと言う事になったらしい。「Wの悲劇」では役柄が舞台女優と言う事で鬼より怖い蜷川幸雄の指導を受けている。「学芸会じゃないんだぞ」と実際怒鳴られたら背筋が凍る。それでも最後は蜷川先生に少しは良くなったと褒められている。ここまで薬師丸ひろ子はアイドルから女優に少しずつ変身しているように思える。あれ、何となく薬師丸ひろ子のフアンぽくなっている自分がいる。
最後に言いたいことは映画の事ではない。10年ほど前になるasの池田篤にある札幌のミュージシャンの印象を聞いた。
「XX君は上手く聴かそうとしています」
大林監督のアイドルと女優の話を読んでふと思い出した。

参考図書
「僕の映画人生」大林宣彦

腹立ち日記vol30 短編集

1. 156位セネガル、157位中央アフリカ、158位ウガンダ、159位日本、160位カメルーン。FIFAのランキングかと思ったが違うらしい。人口比のPCR検査数である。アフリカ諸国には悪いが実施能力が追い付いていないと言っても低すぎでしょう。
2. アベノマスクの為に国民一人当たり500円負担したことになるらしい。着用している人は一人しか見たことがない。見栄だけのマスクに税金として自分で負担しているのである。なか卯のうどんを食べたほうがましである。 
3. マスクはもう結構ですと言っているのに介護施設を中心に8000万枚まだ配るとのことだ。全く無駄になるとは言わないがもっとやることあるでしょうと言いたい。希望する施設だけにすると余ってしまうとのことだ。昔一度だけ来たことが有る押し売りを思い出した。
4. 歌手の弘田三枝子が亡くなった。代表曲の「バケーション」は知っている。「ワケーション」は誰の曲だ・・・。菅官房長官プロデュース・・・全く余計なことをする。旅行しながら働く・・・日本人の勤勉さに付け込んでいる。早速弊害が出た。人口5000人の離島与論島に36人のクラスターが出た。島の病院はもう機能していない。

AV女優

わたし、薬物が好きな人なの。もう大人だから、さすがにシンナーは恥ずかしくてやめちゃったけど、今でももし目の前にポンとシンナー置かれたらやっちゃうね。気持ちいいんだ他にコカインとか覚醒剤とか色々試してみたよ。私ねセックスの時どうもあそこがヒリヒリしていたくなっちゃうの。でも覚醒剤をあそこにすり込むと熱を持ったみたいにポンポンと熱くなってすっごい気持ちいいんだよ。あっ、これ全部昔の話ね。・・・・・
有森麗。推定20歳
AV女優42人にインタビューしたノンフィクション「AV女優」永沢光雄著の一部抜粋である。一番穏やかな部分を選んだつもりである。だがこれなどは単なる序章で人目を気にしながら読むような個所もあるし眩暈がしそうな表現もある。しおりの位置からしてまだ全部読んでいない、未読コーナーに平済みになっていた。この本がある本に紹介されているのを目にした。尚且つこの本を授業に使った先生がいる。先生の名は高橋源一郎。読むと言う行為はどういうことかを問うのである。
学生の中には怒る人間、後ろめたい感覚にとらわれる人間もいたようだ。学生にとってはほとんど同世代の少女が全く違った世界で生きていることに衝撃を覚える。そして様々な問題を投げつけられる。この文章はインタビューから文章を起こしたものである。難しい表現も読めない漢字もない。文章としては理解できる。プルーストやサルトルのように何を言っているのかさっぱりわからないと言う事はない。ただ考えさせられる。源一郎先生はそれが良い文章だと言う。
ここでの女優たちは饒舌であり溌溂としている。逆説的な意味で純粋無垢なのである。それを引き出したのは永沢光雄の力なのだ。
読んだ後で違う人間になっているような文章を読めと源一郎先生はおっしゃる。
参考文献
「『読む』ってどんなこと」高橋源一郎著
「国語入試問題必勝法」清水義範著
国語の参考書ではない。我々が学生の頃受けた国語教育のパロデイ小説。

嫌いな言葉

中島義道と言う偏屈な哲学者が書いている「私の嫌いな10の言葉」と言う本がある。この中に僕の嫌いな言葉は入っていない。この先生は「いつから自分は自分になったのだろうか」と言うようなことを何十年も考えている人である。一般的な人からは「めんどくさい」と思われる人である。僕が嫌いな言葉はその「面倒くさい」である。
3.1415926・・・・・例えば円周率は3でいいと教えた時期がある。円周率の本質的意味合いがそがれてしまう。少なくとも3.・・・・にしなくてはいけない。面倒くさくとも。人間だれしも得意分野の話であっても分からない領域がある。意見の違いを認め合いつつ違う視点を探るという行為は面倒くさい行為である。特に芸術家は音を出せばわかる、筆のタッチで分かる、アスリートであれば走れば判ると感性の分野あるいは肉体的分野に逃げ込んで話を終わらせようとする。はっきり言って駄々っ子である。そういう時それまでの時間が無駄に感じ徒労感が募るのである。
ライブハウスとはいえ演奏がないときは一飲み屋である。誰もが弁士の資格がある。時々俺(私)の意見を認めないのか・・・・と絡まれる。発言の機会は保証する。だが同意するかどうかはこちらの問題だ。
異物であっても排除はしない。民主主義の鉄則である。民主主義は面倒くさいものである。
多数決は民主主義の本質はついていない。

腹立ち日記vol29 連休

今日7月23日から4連休である。あれ、こんな時期に連休あったのかなと体に馴染まない。24日はオリンピックの開会式の予定でスポーツの日と言う源氏名がついている。半年前はまだオリンピックやろうとしていたのだ。指導層の見識の無さがここでも露呈している。先日も森喜朗会長が「今やめると違約金が発生する」と発言している。アスリートありきの発想はない。僕はコロナ禍が有ろうがなかろうがオリンピック招致には反対である。福島復興の象徴としてのオリンピック・・・・。あの時期汚染水は海に垂れ流し、生活基盤の復興事業は遅々として進んでいない。安倍総理の完全にコントロールされていると言うセリがいかに空々しく聞こえたことか。ラジオを聴いていると朝から山下IOC代表のコメントが流れていた。モスクワオリンピックに日本が不参加を決めた時自分はどれだけ残念な思いをしたかを考えると選手たちにはぜひ参加させたいと言う。山下選手は最高の柔道家ではあったが組織のトップに立つと金メダルの数しか頭になくなり国民目線で思考することができなくなる。NHKの論説委員が中止ありきで議論するのは拙いと後方支援をする意見をはく。そしてアスリートが開催されると信じて今もトレーニングに励んでいるとコメントする。この循環コードが1日中流れている。感染者数が過去最多の日にである。
NHKは完全に政府広報である。
この連休に合わせてGO TOキャンペーンが開始された。不要不急の外出を自粛するようにと言いながら旅行には行けと言う。ブレーキとアクセルを同時に踏むようでもあり便秘薬と下痢止めを両方も飲まされているようでもある。その旅行にも心得がある。4人家族の場合と言う例が載っていた。旅行中の会話はできるだけ避ける。食事はできるだけ部屋でとるようにする。風呂は大浴場ではなく内風呂で済ます。買い物はホテル、旅館内で済ます等々・・・・。こんな旅行楽しいのだろうか。エロビデオは見ていいが決して興奮しないでくださいと言われているようなものだ。
このキャンペーン東京発着の旅行は除外になった。キャンセル料は国が代理店に払うことで落ち着いた。よく考えると腑に落ちない。外出を自粛している人がいる。あるいは旅行に行く余裕などない人もいる。かたや旅行に行くと言う人がいる。その経費やキャンセル料を税金で負担する。キャンセルなど電話一本。メール1通である。どうやって証明させるのであろうか。我々の給付金には死ぬほど面倒くさい書類を提出させるのに代理店には言いなりか。このこと自体国民を分断することにはならないのか。

ミックスナッツ

柔和な顔の人がいるものだ。何となく幸を運んできてくれそうな・・・・。僕の身近には三人いた。店の近くのコンビニの店員さん、八百屋の元気のいいお姉さん、道新の集金のお母さん。原田知世でなくとも、薬師丸ひろ子でなくとも心を和ませてくれる人は身近にいるものだ。今回は道新の集金のお母さん。角川映画には出ていないがキャリア30年のベテランで先月引退した。少し腰は曲がっているが雨の日も雪の日も自転車で元気に集金に回っている。86歳になったと言う。昔は朝早くに来て何度もチャイムを鳴らされて、それで目が覚めてしまい苦情を言ったこともあった。今では僕の生活パターンに合わせた時間帯に来てくれる。それでも毎回遠慮がちに「起こさなかったかい」と聞いてくる。毎月少し立ち話をする。
住んでいるのは僕のご近所で一人暮らし。北海道中部地震の時も一人で乗り切った。近くに身内はいるかと聞いたことが有る。市内に姪娘さんがいるらしいが「迷惑はかけられない」と顔に屈託がない。僕は何かあったら来てねと言ってある。毎年期変わりに販促品なのであろう、ファイターズの選手名鑑と家計簿はいらないかと聞かれる。野球には全く興味はないし店の帳簿だって適当につけているなどと余計なことは言わず必要な人にあげてと言う事にしている。
最後の月自動引き落としの依頼書を持ってきた。僕は「お母さんが元気に集金に来るのを楽しみに新聞取っているのでやめようかなあと思っている」と言った。本心である。今の時代ネットでも読める。
「旦那さん、嬉しい事言ってくれるねぇ」と顔をほころばせた。
「30年間ご苦労さん」と言って緑茶のセットを渡した。お母さんはこんなことしないでと遠慮したが文字通りつまらないものである。受け取ってもらった。
月は変わって日曜日の昼下がり。チャイムが鳴った。電気もガスも払った。新聞の集金は終わった。国保の督促は日曜には来ない。怖いものはない。開けると道新のお母さんであった。
「昨日で全部の集金が終わったよ。長い間有難う」とわざわざ報告に来てくれた。
口に合うかどうかわからないけど・・・・と言ってミックスナッツ手渡された。
毎日少し齧ってお母さんの健康を願っている。

After the rain (M・ルグラン作)

降りやまぬ雨はない。
コロナ禍もいずれ終わる。ペストもチフスもサーズもマーズも一応一回終わった。誰もがコロナ騒動が一日も早く終わればいいと思っている。だが前の生活と同じでいいかどうかは別問題である。今回の事で色々なことが浮き彫りにされた。夜の街と昼の街が区別され、富裕層と弱者が分断され大企業と中小企業が分断され、白人と黒人が分断されアメリカと中国どちらにつくか迫られる。こんなご時世にも中間マージンを抜いて稼ぐ会社があり、そこに勤めることが一流市民の証だと思っている人間がいてその人間が日常生活で自分に都合が良いシステムを再生産していく。香港の事を対岸の火事と思ってはいけない。小さな火種は日本でも起きている。自粛がほとんど命令になり、そこに罰則まで課すという議論が当たり前のようにされたりする。「安倍辞めろ」とヤジを飛ばしただけで道警に排除されたりする。魚は頭から腐る。人間の社会も同様である。洪水が起こればラジオからは一日中「命を守る行為」を促し三密だのソーシャルデスタンスだのを教育勅語のように復唱させられる。小池都知事などは自粛から自衛にと究極の自己責任を唱え出している。国の役目は国民をどう食べさせるかであり行政は市民を守るために税金を集めている。個人でできることには限界がある。
まだ感染者が増加している中で着地点を想像することは難しいかもしれないが思い描いていない社会にならないように意識だけは持っていたい。
カミュが「ペスト」の中でパオロ・ジョルダーノが「コロナ時代の僕らの」あとがきで言っている。人間は忘れやすい。・・・・・・
G・オゥエルの「1984」の世界は限りなく現実に近い。

腹立ち日記vol28 小道具

東京都発着を除きGoToキャンペーンをクランクインさせようとしている。ある事柄を分類すると映画で言う大部屋に入れられる。例えば僕がやっているライブバーは行政にとっては遊興施設でストリップ劇場、覗き劇場と同じ類で所謂「夜の街」の名札をつけて歩かされる。「クラスターを発生させた人たちよ」という国民のひそひそ話が背後で聞こえる。
では今回の観光業界の分類はどうか。「旅行代理店業界」と観光地の「旅館や飲食店」が同じ大部屋に入れられている。感染者が増加傾向にある中「密」にならない高級施設に旅行に行けるのは限られた富裕層である。その旅行商品を扱っているのは大手旅行代理店である。今回の政策は「旅行代理店業界」を設けさせるためであって観光地の「旅館や飲食店」と観光客は小道具に過ぎない。
百歩譲ってGo Toキャンペーンが実施されたとする。東京都が除外されたままだ。小池都知事は怒るべきである。都民ファーストを掲げていたはずである。税金を使って施行される政策である。国民全員人に公平でなくてはならない。「都民を排除するなら全面撤回」と言わなければならない。だがやっていることは「夜の街」パンチを繰り出すだけで現政権と裏で政争を繰り返すだけである。都民も「小道具」である。
7月10日5000人規模のイベントが解禁になった。早速行われたのは麻生副総理のパーティーで3000人集まっている。白玉団子のような関係者が所狭しと押しかけ会場は餡蜜状態である。目的は政治資金の調達である。選挙が近いかもしれない。
国民も「小道具」と思っている人がいる。

日本映画探訪記その4 黒いドレスの女

角川映画である。僕が見る原田知世主演作3本目になる。これを見ると原田知世とのお別れになる予感がしていた。原作は北方謙三。今は歴史ものとか中国物を書いているがデビュー当時はハードボイルド小説の旗手であった。このタイトルは推測であるが「白いドレスの女」を意識している。キャサリン・ターナーの主演で映画化されている。キャサリン・ターナーが謎めいてエロくて、本当に悪である。相手役のウィリアム・ハートは手玉に取られてしまう。
ドレスの色が変わる。黒い方である。映画の冒頭黒いドレスを着た女がバーに入ってくる。
「座っていいかしら」
「どうぞ」女は煙草に火を着け、マルガリータを頼む。煙草を一服してマルガリータを一口飲む。
「このペンダント貰ったの」
まあ、こんな感じで映画が始まる。原田知世がミステリアスな女を演じているつもりだ。髪型も肩までの長さで軽くウエーブが掛かっている。はっきり言って髪型も服もまるで似合っていない。勿論謎めいた女には全く見えない。たばこの吸い方も育ちの良いお嬢様がちょっといたずらしてみましたという感じだ。それにショートカクテルは両手で飲むものではない。
普通の映画会社ならミスキャストだ。ところが角川映画である。角川春樹が原田知世に大人の女を演じさせてほしいという意向だったのだと思う。監督は崔洋一だ。日本映画は50年代が黄金期で60年からは衰退期に入っていた。新人にはなかなかメガフォンを握る機会はやってこなかった。角川映画の功罪の功を上げればそういう若い映画人にメガフォンを取らせたことだ。崔監督もその一人である。
冒頭のシーン。僕には中学の学芸会にしか見えないのだが崔監督はどうしてああいう演出にしたのであろうかと考えるのである。崔監督も原田知世の演技力の無さはすぐにわかるはずだ。
指導してどうにかなるレベルではない。そこを逆手に取ったのではないか。どう見てもヤクザ者と渡り合うタイプには見えないようにして周りの人間そして観客もだます。
アイドルでデビューした人間は必ず演技派に脱皮していく時に壁にぶつかる。フアンであればそこまで付き合うのであろうが僕にはそこまでの時間の余裕がない。さようなら原田知世。
付記
ビデオには特典映像が付いていて映画のパンフレットが見られる。映画はタイトルが流れる前原田知世が高速道路を歩くシーンから始まる。パンフレットには原田知世が裸足で高速道路を歩くシーンから始まるとあるがちゃんと靴を履いている。

日本映画探訪記その3 聖の青春

薬師丸ひろこと原田知世には今回休んでもらう。
藤井聡太がとうとう棋聖位を獲得した。まだ17歳である。藤井聡太の人気で将棋に興味を持つ人が増えた。一将棋フアンとしてはうれしい限りである。藤井聡太の前にも何人かの天才棋士がいた。村山聖もその一人である。村山は羽生善治との勝負に命を懸けていた。羽生との将棋1局はほかの人と指す20局分に相当すると公言してはばからない人であった。小さい頃かネフローゼの持病もちで将棋を指すことは相手との戦いでもあり体力勝負の自分との戦いでもあった。29歳で名人にも挑戦できる順位戦のA級に上り詰めていた。だが羽生との名人戦を戦う前に夭折した。そんな棋士村山聖の伝記、大崎善生「聖の青春」の映画化である。実在の棋士が多数出てくるがキャラクターなどもちゃんと研究して作られている。特に羽生善治は表情、対局姿勢、物言い、服装までかなり似ている。村山と羽生の駒あしらいと言ったらいいのだろうか・・・指先の表情まで気配りが行き届いている。
実際の村山聖は変人タイプであったがその終盤力には定評があってプロ棋士の間でも「終盤は村山に聞け」と言うセリフが流行っていた。将棋が強いと言う事は終盤が強いと言う事であると思っている。藤井聡太もそうであるが相手王に積み筋がある時は消して見逃さない。そして終盤の局面を想像しながら序盤から駒組をする。積んでいるエンジンが違うのである。
僕の棋力はアマ2段くらいだと思うがこのクラスの人の指し手は意味が分からないことが多い。米木のソロのようだと言えばjazzフアンにはわかりやすいかもしれない。
将棋はパソコンでやるゲームの何倍も深いと思っているのでこの映画を見て将棋フアンが増えてくれると嬉しい。
だがその前にjazzファンが増えてくれないと困る。
付記
大崎善生は札幌出身の作家で切ない恋愛小説が多い。「別れの後の静かな午後」は札幌オリンピックの時代の札幌を舞台にした小説で当時の事が懐かしく思い出される。将棋が好きになる小説も一冊紹介しておきたい「サラの柔らかな香車」橋本長道著。勝負の世界を生きる三人の少女をめぐり「才能とは何か」を問う