birthday

過日誕生日を迎えた。僕はジュラ紀生まれなので2億65歳になる。誕生日くらい寿司を食べなくては駄目だという言う母親と寿司を食べH恵trioにhappy birthdayを演奏してもらい高校の同級生Kから祝福と言おうか近況報告の電話をもらった。この年になると誕生日がめでたいのかめでたくたくないのかが分からなくなる。
ある年からか年を重ねるというよりは今まで蓄えてきた何かを取り崩すという感覚に近くなる。そう定期預金を解約するような・・・・・・。かと言って別に暗いわけでもない。年を取るという事はこういう事かとちょっと分かるのである。体力的にも週1回は朝まで飲めるし、ここ25年間病院に行ったのは1回だけ、生まれてから入院もしたことないし大病を患ったこともない。厚生省から表彰されてもいいくらいだ。
時間が有限だと実感するようになる。そうするとある種の物欲が無くなる。僕の場合スタン・ゲッツのレコードを全部集めるといった類の欲求である。あれ・・・・ここにあるレコード生きているうちに全部聴き返せないのだと気付く
。くだらないテレビを見なくなる。本もいくら話題になっていてもこれは読まなくてもいいなとうっちゃっておける。
つまらない人間とはできるだけ付き合わないようにする。
ある年になった人間の役目は何かをつなげることである。僕の場合家族的には失敗しているので音楽的なところで循環コードの様な社会を作るパッシングコードになれればいいなと思っている。

世界一幸せな国

「源ちゃんの現代国語」というラジオコーナーがあって毎週面白い本を紹介してくれる。因みに源ちゃんと言うのは小説家の高橋源一郎のことで星野源ではない。この日紹介された本は「世界一幸せな国フィジーの世界一非常識な幸福論」だったと思う。紹介しておきながら無責任なのだが何せ8:00スタートなので僕にとっては深夜番組に等しい。半分寝ながら聞いているので細部についてはご勘弁願いたい。
フィジーは南太平洋にある大小300の島からなる国である。この国に移住した日本人長崎ゆまさんと言う方が書いた本である。世界の国で「あなたは幸せですか」というアンケートを取って幸せと答えた人の人数から不幸と答えた人の数を引いて幸せな人の人数を出したところフィージが近年二度世界一になったという事だ。おもな産業は観光と漁業。平均収入が3万円。多分年収・・・・日給だったら僕もフィジーに移住します。
現地にケレケレと言う言葉がある。日本で言うと「お願い」と「頂戴」と「貸して」の要素が入った言葉で「共有」という感覚を体現している。面白いエピソードが紹介された。ある家に三人組の泥棒が入った。ところがおばあさんだけが残っていて泥棒はびっくりするが勢いおばあさんを脅し有り金持ってくるように言う。おばあさんは全財産を差し出した。泥棒はその場でお金を数え初め3万円くらいあったのであんたの分だと言って6000円をおばあさんに返したという事だ。お金を数えるので逃げ遅れた泥棒は間もなく捕まった。犯罪の話にしてはなぜかほっこりする。泥棒もいい加減だが警察もいい加減という事だ。パトカーのガソリン代の上限が決まっていて、確か一日1200円と言っていたと思うが、それを超えると出動できないらしい。だから何か事故や犯罪があっても今は出動できないので悪いが迎えに来てくれと言われることがあるらしい。なぜそうなったかと言うとパトカーでドライブに言ったり買い物に行ったりするからだ。まずそちらをやめさせようという発想がない。そして調書や何かを取る時コピー用紙が切れていたりすると今月は予算が少ないのであんた買ってくれないかと言われることがよくある。そして被害者も「しょうがないなー」と言ってコピー用紙を買いに行くとのことだ。昔昭和の日本でもお隣に味噌や醤油を借りに行っていた時期がある。貴方のものは僕のもの・・・・僕のものは君のものと言う発想だ。
こういうことが社会風習にも反映されていて、別に裕福でないおばちゃんが何人もの里親になるケースがよくある。
国は裕福でない時期には自分たちで何とかしなければという発想がまだ残っている。
そして驚くべきことに世界一幸せと思った2011年、2014年はまだ軍事政権だった。社会の仕組みとは別のところに生きていく喜びを見出していくという事だと思う
幸福度がGDPと比例しない時期だってあるのだ。ちなみに日本の子供たちの幸福度は最低ランクらしいです。
僕も誰かに施しをしたらまわりまわって戻ってくると信じるタイプだ。実際そうならなくてもそう思って生きていた方が気分が良い。

参考図書
「世界一幸せな国フィジーの世界一非常識な幸福論」長崎ゆま
まだ、読んでいないし題名も著者も間違っているかもしれない。でもおすすめ。
「謎の独立国家。ソマリランド」高野秀行著
世界にはよくわからない国が沢山ある。でも最近の日本だって向こうから見れば変な国かもしれない。

893

「1984」の誤植ではない。「サカナとヤクザ」と言うルポルタージュの本を読んでいて40年以上前のことを突然思い出した。当時勤務地が千葉市であった。千葉市には札幌で言えばススキノみたいな歓楽街がありK組が取り仕切っているという話であった。その千葉店にはK組の御曹司が勤務していて確か3年先輩であった。何か揉め事があったら相談するようにと言われた。そんなことはあるまいと思っていたが野球をしていたらボールが893の方の高級車に当たってしまったことがあった。
「話しつけようなないか・・・」とすごまれたのですぐKさんに連絡をした。「野球はもっと広いとこでせー。皆が迷惑する」と注意されるだけで済んだことがあった。
東京に遊びに行って最終便で千葉駅に着いた。住んでいたのは市原市と言うところで千葉からバスで30分ぐらいのところであったがもうバスはない。駅から降り立つとタクシーの客引きが何人か纏わりついてきた。タクシーならどこでも一緒と思いある人に付いていった。そこには僕と同じ目に遭った3人の人と赤いサンダーバードが待ち受けていた。タクシーではなかった。一人は用事を思い出したと言って足早に逃げ去った。僕は急には用事を思い出せなかった。行き先を聞かれた。まずいことに僕が一番遠い。僕はアメ車の助手席に乗り893の方と二人深夜のドライブを楽しんだ。
会社が入っていたビルはT創業と言って右翼の大物児玉誉志夫と親交のある社主のものでわが社の社長も親交があると知ったのはだいぶ後のことになる。
何故か千葉の話になると893の思い出とつながってしまう。
「サカナとヤクザ」には銚子の密漁を仕切る893の親分さん名前が実名で出てくる。Kさんはその親分さんの御曹司だったのだと改めて思うのである。

参考図書
「サカナとヤクザ」暴力団の巨大資金源「密漁ビジネスを」追う
鈴木智彦

1984

村上春樹の「1984」ではなくジョージ・オーウェルの「1984」の方である。シネマ・ストリップと言う映画の紹介ラジオコーナーがあってそこで紹介されていた。映画の方は見たことがないのだが新旧2作あってそこで紹介されていたのは1984年に制作された新作の方であった。解説を聞いていて小説の内容を思い出した。ディストピアの話である。国民は権力に完全に支配されている。究極の支配は国民自ら選んでいると思わせることである。情報は真理省なる官庁が管理しており主人公は公文書の改竄を仕事にしている。チョコレートの供給量が10%しか増えていないのに15%増えました・・・・のように政府に都合の良いように数字を改竄するのである。
ここで、あれ!・・・と思うのである。どこかの国の統計改竄の話に酷似しているのだ。

2019.2.15 松原・若井・金の卵S カルテット

松原慎之介(as)若井優也(p)富樫諒(b)高橋直希(ds)
松原がまだ中学から高校のころ、楽器を携えながらライブのかぶりつき席にいるのを何度か目撃したことがある。その少年が数年の時を経て、あの時演奏していたミュージシャンと場所も同じLBで共演できることに本人が感慨を持つことは、晴れ晴れしい話だ。かつて、LBは飛び入りに寛容な時もあったが、近年はそれに違和感を持つお客さんに配慮して、ほぼ禁じられている。松原もそのルールの壁に泣いたこともあったと思うが、今や壁の内側に陣取るまでになっている。最初に演奏曲から紹介しよう。「Everything I love」、「East of the Sun」、「You taught my heart to sing」、「High-Ace」(オリジナル)、「Giant Steps」、「Peri’s Scope」、「Turn out the stars」、「Rhythm-a-nig」、「Star dust」などスタンダード、準スタンダードを中心に並んだ。
松原が日頃どんな活動をしているのか知らないので、今日に限って言うと松原の音には彼の匂いのようなものがあり、音回しもスムーズで質感も伴っていると感じた。まずは、そうしたことを認めておこう。その上で良し悪しは別として、聴きながらバラードのところで考えさせられた。彼は燻し銀のようにプレイしており、聴かせどころのツボを知った演奏をしていた。人によって“なかなかのものだ”或いは“今こういう演奏するの?”というように印象は分かれるかも知れない。筆者はその両方を行き来していた。これをどう理解したらいいのだろうか。松原はいま多様なことを貪欲に吸収している過程にあるのだろう。多様性に対応できればできるほど、演奏の仕方次第で殆ど解決できてしまうということかも知れない。こういう状態は、演奏家が頭角を現す時に否応なく出て来ることで、特に珍しいことではないと思いながら、LB文化史に残る偉人の慧眼「技術にようやくやりたいことが追いついて来た」という演奏家への査定を思い起していた。彼がこれからどの様な未来に向かって行くのかは計り兼ねるが、回り道が最も近道であるという条理の一歩を、見栄えのするキャノンボールな体型で踏み出したのだと思う。
共演者について少々触れよう。松原と共演することも結構あるらしい若井は久しぶりの登場になる。今回はボーカルのバッキングをしているようなところが最も楽しめた。そして、ここのピアノから引き出される知性的な瑞々しさには、何度もハッとさせられてしまった。富樫(b)と高橋(ds)は、エネルギーを発散したくてウズウズしている様子が見て取れ、ある部分において、この金の卵二人が一番目立っていたのではないか。
 若手のライブ企画は最近のトレンドになっているとは云え、この日は年齢的に極限の若者が起用されていて、何となく救われたような気分になった。ふと、BST(ブラッド・スエット&ティーヤーズ)に“微笑みの研究”という曲があったのを想い出していた。数年後には彼ら(松原・若井を除く)が微笑むか否かの研究結果が露わになることだろう。それを楽しみに待っているとしようか。
(M・Flanagan)

2019.2.8 碓井佑治Food fighteresの野望

碓井佑治(g)秋田祐二(b)大山淳(ds)
 フード・ファイターズ。命名の由来は知らないが、米国ロックバンド名からのパクリと飢餓に瀕した碓井の日常を掛け合わせたものと推察する。面白がるのは程々にするが、このトリオを聴けるのはしばらく遠ざかりそうなのである。この春には、あぁ果てしない夢を追い続け“大都会”に進出するのがその理由だ。LBのお客さんの多くは、熱気渦巻く一哲ラウド・スリー・ウイズLUNAでの碓井しか知らない。しかし、統計操作をするまでもなく、客入りと演奏の面白さは全く別である。出自がロックやブルースの彼の音から、凡百のJazzを凌ぐものを聴きとれることができるのである。この日の演奏は、B・コブハム、J・ベック、J・ザビヌルの曲、「Food・fighters」、「ラスト・トレイン」、「ローンズ」、「エヴィデンス」など。時折、グレッグ・オールマンのような音に聞こえて来て、個人的に上機嫌な心模様だ。40年ぶりの寒波に見舞われた札幌だったが、ベテラン二人の強力サポートもあってホットへの突入が果たせたのではないかと思う。
碓井ら若い世代は筆者らがクリームやツェッペリンをリアル・タイムで聴いていたことを羨ましがる。だが、筆者がニルバーナを聴けば、あと一歩入り込めない。一気に感動の境地に入り込める世代が羨ましいのだ。世代は偶然の悪戯にすぎない。どちらの世代もパーカーをリアル・タイムで聴いたことがなく、この勝負引き分けとしよう。
 脱皮できないヘビは死ぬと言われるが、彼は東京に脱皮への野望を見出そうとしている。係長の出張のように3泊4日になるなよ。なぁ、碓井。God・bless・you!
(M・Flanagan)

2019.1.25 Maxime Combarieu Japan Tour

マキシム・コンバリュー(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)
 昨年初登場のマキシムを聴き逃していた。軽めにいうと、洒落たモノが聴けるかも知れないというぐらいには、興味深く足を運んだ。ルグラン、バルネ・・・あまりフランス・ミュージッシャンを思いつかない。そうこうする内に開演だ。今回は、最初に聴き終えた時の印象から言ってしまおう。マキシムは、ピアノの打楽器的な要素を極力抑えた演奏家だと思った。フランス語による柔らかな朗読を音に変換しているような感覚に捕らわれたと云えば、少し近いかもしれない。筆者は、かつてイギリスのトラッド音楽をよく聴いていた。高揚も哀愁もこの人達にしか表現できないに違いないと思っていたが、そのことを想い出した。マキシムも他のあちこちで耳にしているジャズとは異質である。重要なのは、ここにフランス人としての彼の個性が表出していることだけは、正当に評価されるべきであるということだ。そろそろ選曲を紹介する。H・シルバの「ストローリン」、オリジナル2曲「4PM」、「サニー・デイ」、マイルス「ソーラー」、オリジナル「セーヌ川ブルース」、エバンス「ナーディス」、T・ハレル「セイル・アウェイ」、映画シンデレラから「ア・ドリーム・イズ・ア・ウイシュ・ユア・ハート・メイクス」、「(無題)」、アイルランドの街への思いを綴った「キルケニー」そして「酒とバラの日々」で終えた。熱く汗臭いバップを好む信者がどう思うかは預り知らぬが、生でヨーロッパ的感受性に触れることができたことは大変貴重なことだったように思う。サイド・メンについて一言。気合の男である伊藤の中に暴れるに暴れられない抑制能力が備わっていることを初めて知ることができたのは収穫。三島は例によって「この男有望につき」の会心の演奏を披露し、LBでのランキングをまた上げたのではないか。
 ところで、フランスでは商店での接客や窓口業務の態度が宜しくないと聞く。それは、彼らがサービスとは奴隷が主に仕える時のものだという認識に由来しているかららしい。観察していると、どうやらマキシムはモノ腰の柔らかな人物であることが見てとれた。帰りがけ“We Japanese know yellow-jacket people attack Presidennt マクロン”と言ってみた。彼は、はにかみ笑いを浮かべた。たった10秒の国際交流。“風のささやき”を鼻歌まじりに家に向かった。
(M・Flanagan)

ライバル

劇作家で大学で教鞭をとる宮沢明夫がパーソナリティを務めるラジオ番組がある。宮沢はサブカルチャーにも造詣が深い。その日の番組の縛りは「ライバル」.一曲目がかかる。ストーンズの「give me a  sheltter」二曲目は聴かなくともわかる。ビートルズだ。あまり知られていない事実だが両グループはメンバーの交流もあり切磋琢磨する関係であった。ストーンズは見るからにチンピラであったが、デビューする前のビートルズもリーゼントに固めたチンピラであった。マネージャーのBエプスタインの思惑でマッシュルームカットにスーツでと言ういでたちでデビューすることになった。
二曲目がかかるタイガースの「CCC」ハイハイ宮沢さん、あなたの意図は分かりますよ。次は「テンプターズ」ですね。二ポイントゲット。ジュリーこと沢田研二は白馬に乗った王子様、ショーケンこと萩原健司は陰のあるチンピラのイメージで売られていた。その後両グループとも解散しスター歌手二人を擁するグループがデビューしたがすぐ解散の憂き目にあった。すき焼きに毛ガニが入っているようで豪華であればいいというものではない。
三曲目は宇多田ヒカルであったがこの辺からはもう分からない。親子の確執で藤圭子かなとも思ったが宮沢氏はそういう芸能ネタでは来ない。椎名林檎であった。90年代J.popはこの二人が牽引したとのことだったがこの辺の勢力図は全く分からない。
世の中にはいろいろライバルが存在する。
巨人と阪神
ロリンズとコルトレーン。。
この二人も仲が良い。お互いのライブ、レコーディングも聴き合う中であった。
マイルスとニニ・ロッソ
一にマイルス、二にロッソ
清水義範の小説で「ザ・勝負」と言うのがある。古今東西のライバルを勝手にリングに上げて戦わすユーモア小説だ。バカらしくて面白い。
1始皇帝vsアレキサンダー大王
2ゾロアスター教vsジャイナ教
3ソースvs醤油
僕はパン粉で揚げた物はソースが普通と思っていたがそうでもないらしい。
4シンデレラvs白雪姫
5長嶋茂雄vs王貞治
長嶋が嫌いと言うわけではないが僕は王さんの味方です。
6嫁vs姑
この戦いは決して首を突っ込んではいけない。
7lazy vs xxxxx
これは清水義範の小説にはありません。今僕が執筆中です。「ボコボコにしたるわ」
8いも美 vs二階堂
これも清水義範の小説にはありません。分からない方はとばしてください。一部学生へのリップサービスです。
8飲みすぎvs 飲み控え
これも小説にはない。元アル中のコラムニストの名言がある。「ビールには適量はない。飲み足りないか。飲みすぎのどちらかだ」

参考図書
「誰も知らなかったビートルズとストーンズ」中山康樹
「ザ・勝負」清水義範

風邪と共に去りぬ

風邪と共に去りぬ
この文章を書いている時間帯は本来なら学生のライブの予定だった。前日リーダーのK子から連絡が入った。熱が下がらないらしい。インフルエンザの予防接種もしているし一過性のものだとは思うがもし当日になっても熱が下がらない場合にはライブを休ませてほしいという。勿論命削ってやることではない。症状が改善されなければ中止にしようと返信を出した。ウーウ唸っているK子には申し訳ないのだがちょっとおかしかった。
「情けない話なのですが熱が下がらず・・・・せっかくの機会なのに本当に申し訳ありません・・・すいません」とクローザーで送り出されたエースが逆転を許したときのように平謝りするのである。
学生が風邪をひくぐらいパーカーがヤクをやるぐらい普通のことだと思うかもしれない。
K子とは僕のところでバイトをしている、あのK子だ。医学部の五年生。「看板に偽りあり」
「現代医学の限界を感じるね」とメールを出したら」「そうなんです、突っ込みどころ満載なんです」と返事が来た。今頃は卵酒飲んで、ねぎを首に巻いて氷嚢で頭冷やして休んでいることと思う。どうかお大事に!
大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」という医大生を題材にした映画があった。主人公の一人が妊娠してしまう「こういうのも医者の撫養生というのかな・・・・」と言うセリフを思い出した。
丁度今「病気をしない暮らし」と言う本を読んでいる。命根性が汚くなったわけではない。あまりにどこも悪くならないので自分の知らないところで何か体にいいことをしているのかもしれないと思い、そのヒントを探している。
「風邪をひきやすい人ひきにくい人」と言う項があった。
僕は会社を辞めて24年、風邪で病院に行ったのは二回。それ以外は行ったことがない。年を取ると風邪をひきにくくなるとのことだ。200種類ほどある風邪のウィルスの免疫ができるかららしい。なんだ爺になっただけのことか。そういえばK子は以前にも寒気がするという事でバイトを早引きさせたことがあった……。そうかまだ免疫ができぬくらい若いという事なのだ。くやしい・・・・。いやいやまだ何かあるはずだ。・・・・地位が高いと思っている人はひきにくい。これは社会的地位とは関係なく「矢沢、ビックだぜ」と自分で思っていると人と言う意味だ。これは当てはまるはまるのか…社会的にネットワークの広い人と対人関係の広い人も風邪をひきにくいという研究結果も出ている。以外に疲労は関係ないしサプリメントでは予防できないとのことである。
これは僕も知っていたが南極では凍死することはあってもウイルスがいないので風邪はひかないという事だ。

参考図書
「あまり、病気をしない暮らし」中野徹
あまり…と小さく書いてあるところが信用できる先生でノーベル賞を取った本庶佑先生の講座にいた先生で笑いながら病気のことが分かる。

引退劇
稀勢の里が引退した。一応相撲フアンである。一回目の休場の後、怪我を押して出場してきた時、近いうちに引退に追い込まれると思った。ある役目を背負わされているのである。「純粋日本人の横綱」としては若乃花以来・・・と言う表現が頻繁に使われるようになっていた。
「日本生まれ日本育ちの生粋の日本人」と「外国にルーツを持つ帰化日本人」を別の日本人として区別して考える人たちが国民の多数派であることを物語っている。
それは今の日本における外国人労働者を取り巻く労働環境の縮図である。
個人的には「努力で天才に勝つ」と言う信念を持っていた稀勢の里は応援したいと思っていた。
努力だけでは太刀打ちできない領域があることが分かっているからだ。
稀勢の里は巡業をさぼる朝青龍に勝ち越すことなかっただろうし、あんな自堕落な生活を送っていたパーカーを超えるインプロバイザーは60年出てきていない。