12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実―vol4

イスラーム世界は日本人にとってはなじみのない地域であり、ラマダーン月の断食や女性がまとうヴェール、一夫多妻制の維持といったともすると異質に映るかもしれない文化から、旧時代・前近代的な集団のように映るかもしれない。そしてそれを助長するのが、アラブの春以降活動を激化させてきたイスラーム国(IS)であるのかもしれない。しかし、そういった表面的な印象に左右されるのはいささか短絡的である。現在のイスラーム世界がイスラーム教という暗黒に包まれた世界であるとみなすのであれば、上述したようにヨーロッパ世界もキリスト教という暗黒に包まれた時代を送っていたのである。そしてヨーロッパの暗黒に解き放たれた光こそが、イスラーム世界によってもたらされた最先端の数理科学なのだ。思えば、理系諸君ら一般人が科学者として想起する人物は、古代ギリシア時代あるいは16世紀のコペルニクスおよびガリレオ以降の人物に終始するはずである。つまり、その約1600年間、ヨーロッパに科学者と呼べるような数理科学のエキスパートは、管見の限りでは見られないということである。そうしたヨーロッパの暗黒の時代に、イスラーム世界では医学者イブン・スィーナー、数学者フワーリズミー、哲学者イブン・ルシュドといった世界最先端の科学者たちが知の営みを発展させていた。科学の営みは人から人によって受け継がれるものであり、そしてそれは理系諸君が最もよく知るところであるはずだ。にもかかわらず、筆者の周囲に群がる理系学徒たちは、ヨーロッパにおけるギリシア科学と近代科学の1600年以上にもわたる断絶を蔑ろにして、現代の科学の絶対的優位性を語ろうとする。筆者はこうした状況を前に嘲笑を避けられない。木を見て森を見ず。単なる体系や分野、大学で習った程度の浅い知識にとどまらず、その学問が成立したコンテクストや人類の営みといったより広い視点から科学を眺めてこそ、その神秘に気付くことができるのではないだろうか。完
by 梅津尚生
master’s comment notice
浅学でイスラムの科学の歴史の事は零の発見くらいしか知らないが色々なせめぎあいが有ったことは想像に難くない。イスラムとキリスト教社会・・・現在も分断の要因となったりする。世の中もっと小さな区分が分断の要因たりえる。レオナルドダヴィンチの時代、理系も文系も無かった。学際的に刺激し合い芸術、科学の広い領域での成果が百花繚乱であった。jazz研の皆さん学問の分野でも仲良くやってくださいね。余談であるが日本のイスラム研究者で中田考という先生がいる。イスラムで「貴方が好きです」と言われたときのニュアンスは「バナナが好きです」位の重みと思ったほうが良いと言う事である。