原爆の父と言われているオッペンハイマーの半生記の映像である。複雑な構成になっていて難解であった。時間軸がオッペンハイマーとオッペンハイマーをプリンストン高等研究所所長に招聘しのちに商務大臣に推薦されるストローズの時間軸で進む。オッペンハイマーの部分はカラー、ストローズの部分は白黒と分けられているがそれぞれの回想の部分で相互に行きかう。この映画の主要登場人であるアインシュタインの特殊相対性理論で時空を乗り越えている錯覚に陥る。主題は原爆を作ってしまった事ではなく使われてしまったことに対するオッペンハイマーの苦悩である。オッペンハイマーは天才学者には在りがちなその分野だけは秀でているが日常生活感覚はどこか抜け落ちている。女性関係も適当である。何かジャズミュージシャンを思い出させる。登場人物は実在人物で5,6十人はいるのではないか。物理や世界史で聞いたことが有る名前が登場するが年号、人物名などのテロップは一切出ない。オッペンハイマーは原爆が完成したのちの使用しない主旨の嘆願書に署名しなかった。その事を悔いている。戦争を終わらせた人物としてタイム誌の表紙を飾っている。だがトルーマン大統領と謁見した時「日本人は誰も誰が作ったかなど気にしていない。誰が投下したかだ」と言われる。ここに今でも引きずる科学と戦争の相関関係を見て取れる。ノーベルもライト兄弟、チューリングも今の時代を予測はしていない。終戦後ソビエトが原爆を完成したとの情報が入る。開発が早すぎるのでロスアラモス研究所にスパイがいたのではないかとオッペンハイマーは査問委員会にかけられる。ストローズも商務大臣の任命是非に関する公聴会でオッペンハイマーの査問委員会に関する事を質問され個人的恨みからスパイ容疑を掛けたことが明かされていく。細かいカットが一瞬だけ挿入されているような箇所がいっぱいあり一回見ただけでは良く分からない。オッペンハイマー自身が焼かれるシーンが2か所あるがこれは広島と長崎のメタファーである。監督クリストファー・ノーランはコンピューターグラフィックは使わないので爆発シーンもリアリティが有る。
付記
この映画は3時間ほどの長尺だ。最近目が悪くなってきて疲れるので一気にみられなくなった。昔はウッドストックなど上映3時間以上の映画を映画館で3回続けて見たことが有る。尻の感覚がもうなくなっていた。今は映画も自宅で早送りしながら見る時代になっている。