2015.9.4 裏切られた共通曲

LUNA(Vo)南山雅樹(p)小山彰太(ds)
 ある作家が新作の執筆中に、今書いた1行が過去の自作か他者の作品と全く同じなのではないかという不安に駆られ、それを調べ続けるという途方もない消耗戦の話を読んだことがある。ただ、創作活動とは違ってライブ・レポートにはその種の強迫観念を伴うことはない。
LUNAは6年連続の来演だ。筆者は皆勤を継続中であるが、それは初回に強い思い出があるからだ。当時、名古屋在住であったLUNAについて全く知らなかったし、札幌での知名度もかなり低かったと思われ、必然的に入りが悪く客は筆者のみだった。これはむしろ不幸中の幸いで、細大漏らさずLUNAを聴くことができた。そして最後には、定位置である店のコーナー付近にてLBマスターと並んでスタンディング・オベーションをしたのだった。このことについては、過去のレポートでも書いたように思うが、“ある作家”ではない筆者は何ら気にしない。
さて、LUNAのライブの良さの一因はその選曲にある。毎回の共通曲と新しい(つまりLAZYでは初めて歌う)曲が程よくブレンドされている。前者には愛着が後者には意表を突くことが備わっている。それもこれも彼女の傑出した歌唱力あってのことだ。
1ステは、「サマー・タイム」「ヒア・ザット・レイニー・デイ」「アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ」「ホワット・アー・ユー・ドゥイング・ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ」「バイバイ・ブラックバード」など名曲中の名曲がズラリ。4曲目に「夜空のかけら」という少し浮遊感のあるオリジナルが割って入っていた。2ステは、身近にも聴く機会のある「死んだ男の残したものは」。世の中の殺伐感が意識されていたようで、歌詞をメロディーに乗せないで一瞬朗読するようなところが印象的。拍手の中から自作の「ペシャワール」へ。He dig the well~という歌詞さながら、年を追って深く掘り下げられている。人気曲の「ファースト・ソング」には彰太さんのハモニカが寄り添う。スイング感のある「オータム・リーブス」を経て着いたところが「朝日のあたる家」。このトラッドは日本語で歌われたが、日本語だと浅川マキ風のやさぐれ感が出るので不思議だ。いよいよ最後の曲。少年期のころに流行した音楽は、記憶の中にひっそりと留められているものだが、ある年齢に達すると“あの時代”の鮮度が甦ってきたりする。この日出会ったのは、ボブ・ディラン~ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」だった。隣のご婦人は筆者と年齢が誤差範囲内、心の踊る音が聞こえるような気がした。もうアンコールを残すのみ。LUNAレイジー・バード史の共通曲として手堅く予想したのは「エブリシング・マスト・チェンジ」。これには裏切られ「ナチュラル」だった。だがこの諸行無常の結末に不服はない。
(M・Flanagan)