池田篤(as)魚返明未(P)富樫マコト(b)西村匠平(ds)
このTow Daysは初日がプシュの選曲、二日目は池田の選曲によるという意味でTow Waysだ。つまり私たちは、一枚の絵から二通りの鑑賞が可能となっている。これまでのプッシュのアルバムはオリジナル曲で固められており、ここでも概ねそこからピック・アップされている。池田の方はスタンダードとオリジナルが相まじえての選曲だ。初日の演奏曲を列挙しよう。「WANA BI」、「時しらず」、「Old Folks(これはスタンダード)」、「ORA 2」、「High Step Corner」、「Lonly Bridge」、「Tiny Stone」、「照らす」。よほど熱心なファンでなければ知らないだろう。しかしながらプッシュのオリジナルはシンプルで親しみやすい。数多くの曲を提供している西村も魚返もJazzのみならず昔のポップな曲を含め、幅広い分野の楽曲に精通していることがその一因としてあるのだろう。これが耳の琴線を心地よく弾くのだ。池田は(多分)初見になる彼らの曲を違和感なく受け入れていた。彼は小手先であしらう様なことをしないし、得意技で纏めるような方法に依拠することもない。そうしたプロとしての矜持が渾身のプレイを促すのだ。だからプッシュのどうにも止まらないエナジーに対し、存分にキャリアを重ねてきた池田は格上として受けて立つように振る舞うことをしない。だからこそ四者の音圧がひと塊のJazzとなって会場を埋めつくして行ったのだと思う。二日目の演奏曲は「On The Trail」、「Never Let Me Go」、「Subconsciouslee」、「For A Little Peace」、「Out Of Africa」、 「UGAN」、「Long Vib On The Blues」、「Every Time We Say Good By」、「Flame Of Peace」、途中、池田のノン・タイトル2曲が採り上げられていた。池田を長らく聴いてきたが、ここ10年ぐらいを切り取るとキレッキレの高速演奏もバラードも辛口ではあれウォームになっているというのが筆者の見立てである。そういう視点で池田の音色に舌鼓を打つことは筆者にとってこの上ない喜び事なのである。折角の機会なので、締めくくった後、粒ぞろいの演奏の中から「Every Time We Say~」にジーンと来たことを池田に伝えた。すると池田は「シンプルな曲って、普段から手入れしておかないと、扱えなくなるんですよね」と応じてきた。また噛みしめるものが増えてしまった。今回は前日(10/12)のプッシュ・トリオ(1年前はナーテー曽我部入りのカルテットで来演)の熱演に感服させられたことを付け加えておくが、それとともに思い浮かべていたのは、LBでの東京で活躍する生きのいい若手を聴くシリーズで期待値がハネ上がった連中は、今や日本のジャズ・シーンを担う段に来ているということだ。そんな時に彼らより手前の世代である富樫が現れてしまった。先輩格はウカウカしてられない。人生、逃げ足より追い足の方が速いから十分気を付けた方がよさそうだ。何はともあれ二日間のTow Ways「ごっつあん」でした。角界用語を使ったついでに付け足そう。ご存知だろうか外国籍で初めて関取になった高見山という力士を。この人はいつも自らの相撲信条を「押して押して押す」つまり「Push,Push&Push」と語っていた。奇策を排し「Push」を貫く取り口は彼をして多くのファンを獲得せしめたのである。このライブを聴いていると、時を隔てて古い記憶と繋がってしまった。謂わばドット・プッシュによる『”唸らせられたで東京』と言ったところだ。
すこし慎重に仕上げよう。「芸術とは真実を気づかせるための嘘である」と言ったのは、かのパブロ・ピカソである。今回のライブからはどうにも”嘘”が見つからない。例外のない名言はないということか。ここでもう一つ。筆者は”嘘”のない広告代理店を気取って、”真実”の宣伝を付け加えておきたい。最近「白鍵と黒鍵の間に」という映画が公開された。この音楽を担当しているのが魚返である。札幌でも上映されるであろうから、誘い合って魚返のニュー・シネマ・パラダイスを観に行こうではないか。
(M・Flanagan)