2024年 世界の片隅で真実を叫ぶ
2024年が歴史的に語られれる時が来たならばこの年は政治的、社会的に大きな転換点になったと語られるはずである。ヨーロッパでは既成政党の枠組みでは収まらない政治体制が選ばれその動きはアメリカ大統領選挙でトランプの勝利という政党より貧富の差を重視する動きとして結審していった。日本でもいくつかの選挙で驚く様な結果が出た。SNSを駆使すると選挙結果に圧倒的な差が出ることが証明された。当落を金で買える事が分かってしまった。これは果たして民主主義なのか。民主主義は効率の悪い制度である。こちらを立てればあちらが立たず・・・。そこを何とか折り合いつけて進める制度である。会社のようにトップダウンで効率的に動かせば必ず落ちこぼれが出る。今の日本を見るとそういう階層は見放される。能登の復興状況を見ると象徴的にそれが分かる。だがそういう中で我々は生きていかなければならない。驚くような物価高・・・酒がジワジワ上がり雀の涙の様な収益を圧迫する。野菜が売れっ子のジャーニーズタレントのようにひな壇でふんずり返っている。店ではあまり所帯じみた話は出てこないが家計は圧迫していることは確かだ。それが何となく客足が遠のく原因にもなっている筈だ。中心街の店舗はインバウンドで賑わっているらしいがマクロ的には日本が衰退している証でもあるので手放しでは喜べない。lazyにも海外のお客さんは多少来るがメインはプログラムを見て取捨選択をしてきてくれるお客さんである。今年20年目を迎えた。一応節目の年であったが無限に続く時間の一通過点である。あのlazy企画が出来なくなった時は店を閉めるときと腹を括っている。人に寿命が有るように店にもそれが有る。長年連れ添っているとそれが分かるようになる。世界から始まって店の事で終わるのはいかにも竜頭蛇尾的な総括に思えるかもしれない。だが自分にとっては同列である。政治は生活である。
付記
小説「世界の中心で愛を叫ぶ」が出版されたときは何と大仰なタイトルと感じ暫く手に取ることはなかった。「せかちゅうー」というよりは「自己ちゅう」なイメージを振り払えなかった。小説のヒロインは「白血病」で亡くなるが「世界の片隅で真実を叫ぶ」の作者は「金欠病」と戦っている。