ライバル

劇作家で大学で教鞭をとる宮沢明夫がパーソナリティを務めるラジオ番組がある。宮沢はサブカルチャーにも造詣が深い。その日の番組の縛りは「ライバル」.一曲目がかかる。ストーンズの「give me a  sheltter」二曲目は聴かなくともわかる。ビートルズだ。あまり知られていない事実だが両グループはメンバーの交流もあり切磋琢磨する関係であった。ストーンズは見るからにチンピラであったが、デビューする前のビートルズもリーゼントに固めたチンピラであった。マネージャーのBエプスタインの思惑でマッシュルームカットにスーツでと言ういでたちでデビューすることになった。
二曲目がかかるタイガースの「CCC」ハイハイ宮沢さん、あなたの意図は分かりますよ。次は「テンプターズ」ですね。二ポイントゲット。ジュリーこと沢田研二は白馬に乗った王子様、ショーケンこと萩原健司は陰のあるチンピラのイメージで売られていた。その後両グループとも解散しスター歌手二人を擁するグループがデビューしたがすぐ解散の憂き目にあった。すき焼きに毛ガニが入っているようで豪華であればいいというものではない。
三曲目は宇多田ヒカルであったがこの辺からはもう分からない。親子の確執で藤圭子かなとも思ったが宮沢氏はそういう芸能ネタでは来ない。椎名林檎であった。90年代J.popはこの二人が牽引したとのことだったがこの辺の勢力図は全く分からない。
世の中にはいろいろライバルが存在する。
巨人と阪神
ロリンズとコルトレーン。。
この二人も仲が良い。お互いのライブ、レコーディングも聴き合う中であった。
マイルスとニニ・ロッソ
一にマイルス、二にロッソ
清水義範の小説で「ザ・勝負」と言うのがある。古今東西のライバルを勝手にリングに上げて戦わすユーモア小説だ。バカらしくて面白い。
1始皇帝vsアレキサンダー大王
2ゾロアスター教vsジャイナ教
3ソースvs醤油
僕はパン粉で揚げた物はソースが普通と思っていたがそうでもないらしい。
4シンデレラvs白雪姫
5長嶋茂雄vs王貞治
長嶋が嫌いと言うわけではないが僕は王さんの味方です。
6嫁vs姑
この戦いは決して首を突っ込んではいけない。
7lazy vs xxxxx
これは清水義範の小説にはありません。今僕が執筆中です。「ボコボコにしたるわ」
8いも美 vs二階堂
これも清水義範の小説にはありません。分からない方はとばしてください。一部学生へのリップサービスです。
8飲みすぎvs 飲み控え
これも小説にはない。元アル中のコラムニストの名言がある。「ビールには適量はない。飲み足りないか。飲みすぎのどちらかだ」

参考図書
「誰も知らなかったビートルズとストーンズ」中山康樹
「ザ・勝負」清水義範

風邪と共に去りぬ

風邪と共に去りぬ
この文章を書いている時間帯は本来なら学生のライブの予定だった。前日リーダーのK子から連絡が入った。熱が下がらないらしい。インフルエンザの予防接種もしているし一過性のものだとは思うがもし当日になっても熱が下がらない場合にはライブを休ませてほしいという。勿論命削ってやることではない。症状が改善されなければ中止にしようと返信を出した。ウーウ唸っているK子には申し訳ないのだがちょっとおかしかった。
「情けない話なのですが熱が下がらず・・・・せっかくの機会なのに本当に申し訳ありません・・・すいません」とクローザーで送り出されたエースが逆転を許したときのように平謝りするのである。
学生が風邪をひくぐらいパーカーがヤクをやるぐらい普通のことだと思うかもしれない。
K子とは僕のところでバイトをしている、あのK子だ。医学部の五年生。「看板に偽りあり」
「現代医学の限界を感じるね」とメールを出したら」「そうなんです、突っ込みどころ満載なんです」と返事が来た。今頃は卵酒飲んで、ねぎを首に巻いて氷嚢で頭冷やして休んでいることと思う。どうかお大事に!
大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」という医大生を題材にした映画があった。主人公の一人が妊娠してしまう「こういうのも医者の撫養生というのかな・・・・」と言うセリフを思い出した。
丁度今「病気をしない暮らし」と言う本を読んでいる。命根性が汚くなったわけではない。あまりにどこも悪くならないので自分の知らないところで何か体にいいことをしているのかもしれないと思い、そのヒントを探している。
「風邪をひきやすい人ひきにくい人」と言う項があった。
僕は会社を辞めて24年、風邪で病院に行ったのは二回。それ以外は行ったことがない。年を取ると風邪をひきにくくなるとのことだ。200種類ほどある風邪のウィルスの免疫ができるかららしい。なんだ爺になっただけのことか。そういえばK子は以前にも寒気がするという事でバイトを早引きさせたことがあった……。そうかまだ免疫ができぬくらい若いという事なのだ。くやしい・・・・。いやいやまだ何かあるはずだ。・・・・地位が高いと思っている人はひきにくい。これは社会的地位とは関係なく「矢沢、ビックだぜ」と自分で思っていると人と言う意味だ。これは当てはまるはまるのか…社会的にネットワークの広い人と対人関係の広い人も風邪をひきにくいという研究結果も出ている。以外に疲労は関係ないしサプリメントでは予防できないとのことである。
これは僕も知っていたが南極では凍死することはあってもウイルスがいないので風邪はひかないという事だ。

参考図書
「あまり、病気をしない暮らし」中野徹
あまり…と小さく書いてあるところが信用できる先生でノーベル賞を取った本庶佑先生の講座にいた先生で笑いながら病気のことが分かる。

引退劇
稀勢の里が引退した。一応相撲フアンである。一回目の休場の後、怪我を押して出場してきた時、近いうちに引退に追い込まれると思った。ある役目を背負わされているのである。「純粋日本人の横綱」としては若乃花以来・・・と言う表現が頻繁に使われるようになっていた。
「日本生まれ日本育ちの生粋の日本人」と「外国にルーツを持つ帰化日本人」を別の日本人として区別して考える人たちが国民の多数派であることを物語っている。
それは今の日本における外国人労働者を取り巻く労働環境の縮図である。
個人的には「努力で天才に勝つ」と言う信念を持っていた稀勢の里は応援したいと思っていた。
努力だけでは太刀打ちできない領域があることが分かっているからだ。
稀勢の里は巡業をさぼる朝青龍に勝ち越すことなかっただろうし、あんな自堕落な生活を送っていたパーカーを超えるインプロバイザーは60年出てきていない。

成人の日

成人の日
成人の日の前日、学生のライブがあった。MCで「大人になったと感じた時はいつか」と言う話を披露してくれた。請け狙いの答えもあったが興味深かった。
A1メイド喫茶に恥ずかしがらずに行けるようになった時(男性)
A2深夜飲み会の帰りにタクシーに乗ったら運転手さんに「明日仕事休みかい」と聞かれたとき(女性)
A3公園の遊戯施設が自分の体のサイズに合わなくなった時。ブランコにお尻が収まらなくなった(女性) 
A4大人になりたくないと思わなくなった時(男性)
話を振られたらどう答えようと受け狙いの答えを考えていた。
「こんな日中、まして素面では恥ずかしくて言えない」
「生意気な学生をjazz談義で論破しようと思わなくなった時」
残念ながらソロは回ってこなかった。親しい学生がリーダーなら「なんで俺に聞かないんだよ」と脅していたところだ。
ここで一つ重要なことに気づく。全員自分は大人だと考えていることである。
自分のことを考えれば十分納得できる答えなのだ。時間は無限にあり、周りがみんな馬鹿に見える時期があった。
「てめえらなんぞ、まだまだガキんちょだ、あさって来やがれ。大人とはこういうものだ。俺を見ろ」と威張りたいからではない。学生に説教を垂れたがるいわゆる大人は店にも時々来る。そういう大人とは自分は一線を画しているつもりだがこれがどうも怪しい。
だいたいどこまで子供でどこから大人なのかはっきりしない。「大人になれよ」と言うセリフはよく聞くが言っている方もよく分からない。
禅問答のようになるのだが「大人になるという事の意味は大人にならないと分からない」という事である。この循環論法を親鸞は「往相と還相」と言う言葉で説明しているがこれが分かりそうでまたよくわからない。
僕は成人式には行っていない。「そんな行事に参加するほど子供じゃないぜ・・・・」と思っていたのだと思う。
お…恥ずかし。
僕も64歳である。大人になるという意味は何となく分かるようになったので大人になっているとは思うのだが確信がない。
あの世に行ってから「なんだ、お前、子供のままこっちに来やがって」といじめられたらかっこ悪いなと思う今日この頃である。

参考図書
「復路の哲学」平川克己
著者は道新に「路地裏の資本主義」という連載記事を書いているので札幌の人は名前を見かけたことがあるかもしれない。間違いなく大人であり信頼に足る人物である。

ミス・ユニバース

米国代表のサラ・ローズ・サマーズがミス・ベトナムは英語を分かるふりをする。「カンボジア代表は英語を全く話さない。カンボジア語を話す人は誰もいない。」と発言し物議を醸しだしている。単に英語を母語としているだけで天狗になる白人バカ女がいることに唖然とする。あえて白人と書いたのは有色人種に対する差別も見え隠れするからである。ミス・ジャパンが出場していたかどうかは知らないが、いたとすれば日本語を話す人は誰もいないはずである。カンボジアだけの問題ではない。固有の文化に対する侮辱である。英語が現在世界で比較的通じやすいのは国力の問題であり。アフリカではフランス語が公用語の国が多く中南米ではスペイン語の国が多い。
その過去の文化的な遺産の上に胡坐をかいているサラ・ローズ・サマーズなる人物は容姿に自信があるのであればPlayboyのカバーガールをやればいいのである。知と美のの最高峰とうたわれているミス・ユニバース世界大会などちゃんちゃらおかしい。
嘗てアメリカ人のミュージシャンとライブの在り方で議論になったことがある。ここが日本であることなどお構いなしに英語でまくしたてられてコミュニケーションが取れなかったことがある。サラ・ローズ・サマーズの件と同質の問題が有ったことを思い出した。

参考図書
イデオロギーとしての英会話 ダグラス・ラミス
二つのオリンピック  ロバート・ホワイティング
英語を勉強する際の日本の制度上の問題と、白人至上主義を鋭く突いている。カナダに帰ったマークを思い出した。辛かったんだろうな・・・・・。

2018年lazy bird 各賞発表

今年もいろいろな災害、事故に見舞われながらも何とか終われそうだ。感動或いは笑いを与えてくれた方々の栄誉を称えここに表彰するものである。
打率王、年間MVP
若井俊也
今年lazy 出演回数三十数回、数えるのも面倒くさい。連続ヒット数も7日が一回8日が一回、3日が二回くらい。数えるのも面倒くさい。決して近所に住んでいて暇だから出演回数が増えたわけではない。年に2か月はケイ赤城、本田珠也と全国を飛び回っているのだ。俊也の登場回数が増えたのには訳がある。俊也に東京の若くていきの良いミュージシャンを順番に連れてきてもらうことにしたからだ。今までスカはない。学生や社会人の指導もお願いしている。過不足ない説明は人柄と相まって好評だ。将来は米木亡き後lazy の看板ベーシストになってもらいたいと思っているが僕の寿命との競争だ。一つ問題点を指摘しておくと飯の食べ方が汚い
本塁打王
鈴木央紹
今年央紹にお願いしたのは11月の4daysだけだった。だがその4打席全部ホームランであった。王貞治以外いないのではないか。バースと落合も達成していないと思うのだが間違っていたら申し訳ない。とにかく素晴らしい技術だ。譜面も滅法強いが本当に素晴らしいのはタマの向こうにある本質を一瞬で見抜く力だと思う。先日一緒にやった田中朋子さんも同意してくれた。1つだけ問題点を指摘しておく。一日2回も成吉思汗食べるのはどうかしている。
敢闘賞
田中朋子
田中朋子は手負いの熊である。手にリュウマチを抱えながら薬飲み飲み演奏している。あまり無理はさせたくないのでお願いするのも月一回に自粛している。時々「私、演奏止めようかなとおもっているんです」などと弱気のセリフも吐くが絶対に認めないのである。昔、千のフレーズを吹くリッチー・コールより黙って立っているロリンズの方がジャズっぽいというセリフをがあった。僕も田中朋子の珠玉のオリジナル曲があればピアノの前に座っているだけでも許すのである。レギュラーグループも素晴らしいが今年は米木康志、梅津和時、鈴木央紹とのコラボも素晴らしかった。気持ちよく演奏できた時は手も痛くないというのである。来年もそういう企画をしたいと思っている。
防御率、最多三振飲み逃げ
碓井佑治
このことを最初に言ったのは僕ではない。碓井の友人Jだ。「碓井、お前のライブの平均動員数は0.7人くらいだよな。お前は守護神だ」防御率が1点を切るのは最盛期の大魔神くらいではないか。そういえばlazyでも碓井に3試合連続完封されたことがある。まさに守護神だ。だが待てよ。誰の守護神だ。そんな碓井も春には東京に行く。ちょっとだけ寂しい。その前によく歌うブルース系の碓井のギターをもっと多くの人に聞いて欲しい。そして防御率を少しだけ上げてやってほしい。碓井のギターはブルースを弾いても明るいのである。それは音楽の種類は違うもしれないがホレス・シルバーがブルースを弾いた時に感じさせるものと共通している。
一つだけ問題点を指摘しておく。ブルースギターリストのくせに部屋が整理整頓されすぎている。
十両優勝
澤井駆
セッションホストもやってもらっている北大jazz研5年目の学生だ。一年生の頃からコツコツと鍾乳洞のように実力を伸ばしてきた。プロとやってもらういわゆる学生オールスターズ企画もその主旨を理解し意味あるものにしてくれる。ライブを聴きに来てくれる頻度も一番多いし、後輩の面倒見もいい。人柄も誠実だ。僕は適当な人間なので誠実な人間が大好きなのだ。

ティーシヨット

一枚の写真がある。ハンチングを被った男がティーシヨットをした直後の瞬間だ。観客はボールの行方を見つめている。その中に右手でクラブを支えながら球筋を追っているパナマ帽をかぶった一人の男がいる。
場所はワシントン郊外の超名門クラブ「バーニング・ツリー・カントリークラブ」
1957年6月19日とある。
ティーショットをした男は岸信介。パナマ帽をかぶった男はアイゼンハワーである。
この一打が今も尾を引く日米関係をスタートさせる神話になるのである。
岸は旅の疲れなど微塵も見せずこの日最高のショットをした。アイゼンハワーは記者に「ゴルフだけは気の合う人間とやらなければ・・・」と言ったという。岸はアイゼンハワーのお眼鏡にかなったという事だ。日米安保条約が結ばれる二年六ヵ月前である。
日本に戻った岸は親友の藤山愛一郎を外務大臣に据え安保改正の責任者にする。
藤山は三項目の密約にサインをし安保改正にこぎつける。岸は改定の手柄の部分だけを自分で頂き密約の影の部分は藤山に押し付ける。それは岸が満州国の経営に携わっていた時に会得した政治哲学である。
「政治資金は濾過したものを貰え」自分は手を汚さないという事である。
そしてこの密約書は日米関係のご神体のように北米局長の金庫に眠っており総理、外務大臣が変わるたび事務次官が内容を説明をするのである。ところがこの書類が改竄されているという事が判明する。
まず情報が共有されていない。付け加えて総理であっても密約書なんて𠮷原の遊女の起請程度と言う認識である。思わず落語の「三枚起請」を思い出してしまう。
この時の外務官僚の対応の悪さが慣例化してしまう。昨今の防衛省、国土交通省の公文書の廃棄、改竄のルーツはここにある。
安倍総理は岸信介の孫である。
トランプとゴルフをプレイしたがる理由がよくわかる。

腹立ち日記 その11

大臣も国家公務員である。公務員は国民の質問に答える義務がある。そして記者クラブの記者とは言え国民の代表である。だから最低限の事は答える義務がある。
河野外務大臣の記者クラブでの会見の受け答えである。

時事通信「日露関係について~受け止めは」
河野太郎外務大臣「次の質問どうぞ」
読売新聞「関連して~つもりは?」
河野太郎「次の質問どうぞ」
共同通信「ロシア側は発言してる」
河野「次の質問どうぞ」
共同通信「何で次の質問どうぞと?」
河野野郎(この野郎)「次の質問どうぞ」
ロシアとの関係性の中で今の時期には答えられないことがあればその旨言えばいいのではないか。国民を愚弄している。記者も記者だ。「馬鹿にするな」といって退席してもいい内容ではないか。
星一徹なら卓袱台ひっくり返すだろうし本田珠也ならドアけ破って出ていくだろう。
河野大臣は就任直後はもう少しまともな人間かと思っていた。
「朱にソマリア赤くなるなる内戦続き」とはこのことだ。安倍総理の「ご飯論法」やら菅官房長官の「答える立場にない奏法」のまねか・・・・
答えられない質問は、なるべく目立たない形でやり過ごすのが大臣に求められる適切なメディア対応だと思うのだが、河野大臣、政権にとって痛手である質問から逃避しそれを内外に宣伝してしまった。
プーチンはもうキャビアとストリチナヤで祝杯を挙げているだろう。

最近腹の立つことばかりで「あちら」の方が立たない。
あちらとは茶柱のことである。

イマジン

家に帰りラジオをつけるとジョンレノンの曲がずっと流れていた。ジョンレノンの命日だったのだ。
1980年12月8日。ニューヨークの自宅アパート「ダコタハウス」前でマーク・チャップマンなる男に射殺された。
当時複雑な気持ちでニュースを聞いたのを覚えている。当時ジョンレノン好きですかと聞けれたとすると大好きよ言うわけではない・・・・ちょっと苦手かなと答えたのではないかと思う。単に僕がjazzにのめりこんでいたからという事ではない。オノヨーコと一緒になつてからの「愛と平和」思想、左翼系の活動がなにか「ごっこ」に見えてしょうがなかったのである。。レノンが一声上げれば何万にもの人が集まってくる。当時の大統領レーガンも警戒はしていた。ただ歌そのものが行動の引き金にはなかなかならない。「ノールウェジアン・ウッド」とは何かと聞かれた時のレノンが答えている「何か曖昧模糊とした感情だ」と。
僕は自分が苦手なものをその理由だけで貶めたりはしない。曲は好きだが行動が・・・・と言う言い方になってしまう。オノヨーコと二人で裸でベッドに入って抗議しても全く別の意味でベッドに入る阿保な若者を再生産するだけではないのか。
ただその曖昧模糊とした何かが多くのフアンを呼びよせ殺人者も呼び寄せてしまったと感じた。チャップマンなる人物がレノンの狂信者だったり左翼的な思想の持ち主だったり、逆に右翼的な人間だったりしたら話は少しは分かるのである。だからCIA陰謀説と言うのも浮上していた。CIAがチャップマンを洗脳し犯行に至らせたというのである。はっきりしたことは今もわからない。
オノヨーコはチャップマンを狂人として片付けその事について語りがらない。
チャップマンはJDサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」を小脇に抱えていたという。
この小説の主人公コーフィールドも世の中の曖昧模糊としたものに苛立っていた。

参考図書
「誰がジョンレノンを殺したか」フエントン・ブレスラー著
「ライ麦畑で捕まえて」JDサリンジャー著

男と女

「男と女」
「男と女の詩」
「男と女の嘘つきな関係」
「男と女 アナザーストーリー」
男と女だらけである。すべてフランスの監督クロード・ルルーシュの監督作品だ。原題は必ずしも男と女が入っているわけではないがこの場合いの邦題は意味あるもののなっている。
最近「男と女 アナザーストーリー」を見た。
男は窃盗犯、女はクラブシンガー。同じ記憶が無くなる病気に悩まされている。その二人がモロッコで出会いそして別れる。その二人を取り巻く男と女。そして彼ら彼女らの愛憎関係も絡めて人間関係の叙情詩を紡ぎあげていく。それをルルーシュがフランス語のくぐもった鼻母音の様な儚い淡い映像、ある時は南仏の抜けるような明るい映像と場面を人の心変わりのように切り替えていく。ため息が出るほど美しい。そしてこの映画には実に洒落た隠し味が使われている。
前三作へのオマージュになっていることだ。それはシーン設定、セリフ、配役にも及びエスプリに満ちている。
美人だが洒落もわかるスナックのお姉さんに酒の相手をしてもらっている感じだ。
そしてルルーシュとヒッチコックの関係が分かったのもうれしかった。主役に「ヒッチコック」と言わせる場面があるのだがそのシーンはヒッチコックの「北北西に進路を取れ」の1シーンだ。そこで気が付く宝石泥棒に入るシーンもヒッチコックの「泥棒成金」だ。
これは僕の推測だがロケ地が同じモロッコになっているのもヒッチコックの「知りすぎた男」を意識しているのではないか。「知りすぎた男」と記憶喪失の男女の対比。もしそうだとすればips細胞発見くらいの大ニュースかもしれない。
やはりヒッチコックは見なくてはならないし、チャーリー・パーカーは聴かなくてはならない。
もし時間のある方は先の順番で全作見てもらいたい。ただダイ・ハードやミッションインポッシブルが大好きと言う人には決してお勧めしない。

男と女のストーリには2,3種類の話しかない。それが時として残酷に繰り返される

これは余談だが最初の「男と女」が封切られて時のことははっきり覚えている。中学生だった。映画館にはまだ特大の看板がかかっていた。主演のJトライテニアンとAエーメの今にも口と口が届きそうな絵であった。その下に「恋人同士で見たら帰りには必ずキスをするでしょう。」とキャッチコピーがあった。
「わー。見てぇー」と思った。TMちゃん誘ってみようかと思ったもののそんな勇気はなくその時は見逃した。
初めて見たのは大学に入ってからで、一人で見に行った。