2021.10.29-30  壺阪健登3 スリリング・イズ・ヒア

壺阪健登(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
壺阪も毎年の顔になってきた。ブッキング基準については知らないが、少なくとも聴く気をそそることが真ん中あたりに位置しているだろうことは容易に想像がつく。では聴く気をそそるとはどういうことだろう。私たちには、日頃の煩わしい用向きから離れたいときに、気分を鎮めたり発散させようとしたりといった心理が働く。そこに音楽が待ち構えていることもあるだろう。けれども人がどのようなシチュエーションにいても、音楽はそれとは独自して成立している。そうとは言え、個々人のシチュエーションが音楽に潤いを期待するのは勝手な話だとしても、それを許容できることは音楽自体が決して敗北しない理由の一つであろう。どしてこんな問答を持ち出したのかと言えば、多くの音楽家が“何故音楽を演るのか”という問いに“音楽が好きだから”という平凡な答え以外は案外何も見いだせていないらしいことによる。“それが好きだから”という答えは平凡だが、音楽家もリスナーもそれを肯定的に受け入れているようにみえるのは、どう振り回しても否定しようがないからとしか言い様がない。平凡こそ長持ちの秘訣なのだろう。前置きが長くなってしまった。それでは本編へ。今日のメンバーはブッキングに相応しい聴く気をそそる連中といっていい。彼らは定期的に演奏してはいないが、夫々の個性についてはこれまでのLBライブで確認済みだ。壺阪についてはK・ジャレットを連想するとの声が聞かれる。筆者もその一人であるが、とりわけ長めのエンディングに向かってグルーブを引き出す構成力において、実際に教えを請うたような感じすらする。そこに壺阪がいまやっておきたいことがあり、その意思は十分伝わって来るのである。ドラムスの西村はやや間隔をおいての出番となったが、久しぶりの彼は、持ち前の男盛りの勢いを堅持しながら、繊細さが一回り磨かれていたように思う。時の鼓動が彼をして着実に前進せしめているのだろう。そして若井俊也だ。初めて聴いた時に感じた可能性から時を経たいま、このベーシストの手腕は計り知れない域に達している。ドライバーを何本持っているか知らないが、甘いネジの絞めどころが見つからない。このトリオの要たる若井はもはや予測より遥かに早く王道を歩んでいる。ここで迷いながら架空の話をするが、ライブ教習所のテキストには冒頭こう書かれている。安全運転は最大の法規違反である、と。先に平凡は長持ちの秘訣と言ったが、一発勝負のライブ演奏にそれは当てはまらない。彼らの生演はそれを証明しつつ走り過ぎて行った。演奏曲は「Tones For Joan’s Bones」、「Good Morning Heartacke」、「Mirror,Mirror」、「Little Girl Blue」、「Up On Cripple Creak」、「Come Rain Or Come Shine」、「Morning Morgan Town」「Delaunay’s Dilemma」、「Smoke Get’s In Your Eyes」、「Bye Ya」、「East Of The Sun」、「Boplicity」、「I Could Write A Book」、「It’s Easy To Remember」、「U.M.M.A」、「Of Course,Of Course」、「For Heaven’s Sake」、「Four in one」、「Shainy Stockings」。スタンダードからR・ロバートソン、J・ミッチェルまで壺阪の選曲マジックがこのライブに一層花を添えた。JAZZ無党派層の筆者はウグイス嬢になり代って連呼しよう、「壺阪、壺阪健登をお願いします」。
寒さ深まる当節はスプリングにあらずだ。標題は彼らの白熱パフォーマンスを讚え“スリリング・イズ・ヒア”とした。
(M・Flanagan)