海からの風がオープンカフェの扇風機を静かに回している。月は水平線の上にアップリケのように張り付いて見えた。周りは静かとはいいがたいがそれがかえって私を落ち着かせた。多分この席だ。
父と二人でここに来たのは三年前だ。父は随分嫌がった。娘と二人で、ましてタイなど行きたくないと・・・・・・。私はリフレッシュ休暇を消化をしなければならないとか現地の友達に会いたいとか色々噓をついて父を連れてきた。
父は一緒に歩いて恥かしいという外見ではない。前髪に多少見える白髪がお洒落染めに見えるぐらいだ。同世代の中年の中では上位にはいるかもしれない。ただ少女時代は御多分に漏れず存在自体が疎ましく思っていた。親権も私が微妙な年齢なので母親の方がいいのではと主張したのも父だった。母は経済力を理由に拒否したらしい。父が母と別れるときに「俺は自分のことは自分でする。お前も自分のことは自分でしろ」とだけ言った。
父はレストランを経営している。だから家であまり顔を合わせる時間がない。それがいがみ合いを減らしていたのかもしれない。プーケットを選んだのは一度来たことがあって案内できる自信があったからだ。
「お父様がちゃんと日常生活を送れるのはあと一年くらいと思ってください」と先生に言われたのはひと月前だ。
親孝行のまねごとをしたいと思ったのではない。日常生活でない中で父を見たいと思った。
日中はプールサイドで本を読み、肌が熱くなると水牛のように水に入った。私の選んだオプションツァーにも文句を言わずついてきた。ホテルで知り合った香港在住のイギリス人とテーブルを共にすることがあった。流暢ではないが意思疎通ができるくらい英語を話せるのだと初めて知った。旅の最後の日「今日はおしゃれしてバーに行くぞ。お前もドレスを用意しろ」言われた。
気温は高いがヤシの葉をくすぐる海風が心地よかった。波が白亜の砂を海に持ち帰る音まで聞こえた。父は「今日はお前のおごりだ」と言ってマルガリータを三杯飲んだ。考えると父が家だ飲んでいるのを見たことがない。「俺は生粋の酒飲みではないから家では飲まないんだ」と答えた。そして料理人らしくカクテルの味ではなく「いい塩を使っている」とスノースタイルの塩をほめた。
「そろそろ部屋にもどるか」
「そうね」
長い通路は熱帯植物を取り囲むように右に左に曲がっていた。その途中父は足を止めた。そしてオーソン・ウエルズの様な落ち着いた声で聴いてきた。
「俺はいつまでもつ」
私は何も言えず父の腕をとった。父は何も言わずゆっくり歩きだした。バージンロード歩く父親のように。
波の音が一瞬大きくなった。