HANK MOBLEY『Soul Station』

名盤・迷盤・想い出盤
 筆者の所持しているレコードには輸入盤がかなりある。国内盤より安価なものが多かったからだ。わざわざ海を渡ってきたものが国内盤より低価格なのは何故だろうと思った時もあったが、その謎は体験的に解けるものであった。頻度は限られるとはいえ、製品に粗雑なものがあり、特に、ソリのあるものは一周ごとにフニャ~ンという音を聴かされ、針が飛びそうになる酷い代物もある。つまり、製造費がかなり抑えられていると想像できるのだ。因みに筆者の持っているオ-ネットの「Free Jazz」のB面は何とチャールス・ロイドの「Forest Flower」B面がプレスされている。希少ではあっても価値はない。両方ともAtlantic Labelなのだが、ここの職人がろくに検品せず市場に出てしまっただけのことだ。同じ製造ロットのものを購入した人は、筆者と同じ憂き目を見たことだろう。今もって「Free Jazz」の本当のB面を聴いたことがない。
前置きが長くなった。今回採り上げる『Soul Station』も輸入盤だが品質は至って真っ当である。この作品は多分モブレーの代表作に数えられていると思う。若いころはJAZZ喫茶によく通っていたのだが、この人はコーヒーがよく似合った。筆者は毎日コーヒーをいただくが、そうした時モブレーが欲しくなったりする。一聴ピンと来なければ、繰り返し聴くことだ。きっとモブレイから「お代わりはどうだい」と言われるはずだ。私たちは、超名盤と言われている作品を一時的に集中して聴くが、印象が強烈に焼き付いてしまうためか、照れ臭いからか何なのか分からないが、その後は余り聴かなくなる。これを超名盤の法則といっておく。だが、モブレイにはそうしたことは起こらない。それはこの人の作品が超名盤に該当しないからではない。ややくすんだ音色と程よく歌う心とが格別の味わいとなって私たちを掴んで離さないからなのだと思う。この『Soul Station』を聴けば、タイトルどおり”魂の集合する場所”に行き着くことができるというものだ。そしてアルバムの最終曲が好みの”If I Should Lose You”であるのもダメ押しに値打ちを高めている。レイジーに来るあのテナー・マンがこの曲を演った時は暫くシビれが収さまらなかったのを思い出す。モブレイという演奏家は筆者にとって、普段着を着ているように馴染む。けれども、口惜しいことにこの人はA級からはこぼれてしまうのだろう。マズイ、無礼なことを口走ってしまった。お詫びの印に無礼の3段飛び活用で締めることにしよう。カーラもブレイ(Ⅱ)、ポールもブレイ(Ⅴ)、ハンクもブレイ(Ⅰ)・・てか。
(Jazz放談員)

Master’s comment notice
輸入盤の粗雑さには色々な例が有る。中心部に曲名などが書いた円形の紙が貼ってあるがこれが全くの無地であったりする。聴いたうえで自分で書き込んだりするが世界に一枚だけの手作りLPとなる。Groovy時代の事である。アーチー・シェップをかけていた。常連のKがコルトレーンだと言い張る。別の機会にそのLPを持ってきた。ジャケットがコルトレーンでLPはアーチー・シェップ、円形のレーベルにはコルトレーンの表記が有った。ずいぶん凝った間違いである。Kはずっとアーチー・シェップをコルトレーンだと思っておりリスナー人生を屈折したものにした。
ハンク・モブレーについてマイルスが語ったセリフが有る。コルトレーンに「ハンク・モブレーが俺のグループに参加してくれると言ったらお前は明日にでも首だぜ」マイルスは偉大な二流サックスの本質を理解していた。

『Jazz At Massey Hall』

名盤・迷盤・想い出盤 
 本盤は、C・パーカー、D・ガレスピー、B・パウエル、C・ミンガスそしてM・ローチという歴史に名を刻んだ演奏家による夢のような編成である。このライブ盤には殊更メンバーの体調不良が強調されるという夢のない逸話が付きまとっている。調べると1953年の録音ということだから、この時代に体調万全のミュージシャンなど一体どれ程いたことかと思うと、いささか裏話が表に出すぎなのではないかと考えてしまう。コンディション不良にも関わらず、こんな名演奏が奇跡的に記録されたとういレコード会社が後で仕組んだ販売戦略によるものではないかと勘ぐりたくなる。こういう話には深入りしないほうが良い。予備情報が嵩むにつれそれが頭から離れなくなる症状は、耳をおおいに邪魔してくれる。たまたま筆者私が手に入れたのは輸入盤だったので、誤読に終わるに違いないライナー・ノーツに振り回されなかったのは幸いなことだった。
 さて、レコードを買う動機には、噂になっている、このメンバーだから、この曲が入りだからなど色々あると思われるが、筆者の場合はどれも当て嵌まっていたと思う。個人的にお好みの曲が入っているレコードを集めていた時期がある。それは密かな楽しみでもあった。ただその曲ばかり続けて聴くというシングル盤的なことはやらない。飽くまでもアルバムの中の一曲として聴いている。そうは言っても、レコードの場合はAB両面あるので、往々にして片面偏重聴きになりやすいが、これはその傾向を寄せ付けない。本盤は「All The Things You Are」や「A Night In Tunisia」を初めよく知られた曲が収められていることもその一因だろう。好物を後に取っておく人にも先に箸をつける人にも迷いを生じさせのは、ターンテーブルの上には全てご馳走が並べられているからだ。これを聴いていると2管3リズムというクインテット編成はJAZZの醍醐味を凝縮していると感ずる。以後においてもこの編成が数多く採用されていることからも、それを実証しているだろう。勿論これは、他の編成・楽器に異を唱えているのではない。一つこれだけは付け加えて置きたい。このレコードにはガレスピーに合わせて想わず声を出してしまう大変ユニークな曲が収録されている。これに反応しなかったらヤバイよ。自身のジャズ度を測定するためにも本盤をお薦めしたい。
この名盤・・・コーナーが設置されてから、スイング時代まで溯って聴き直し始めるという大変な事態に陥ってしまった。今”I’m Old Fashioned”な者は新たな喜びと悲痛の混乱期に突入している。
(JAZZ放談員)
master’s comment notice
この手の企画は客寄せパンダと揶揄されることもあるが改めてメンバーを眺めてみるとこのうち誰が欠けてもジャズの進歩速度が変わっていたと思わざるをえない。

『Return To Forever』

名盤・迷盤・想い出盤 

 丁度50年前に聴いたのがこのレコードだ。たまたま同級生から「これ評判になってるらしいから貸すわ」と言われたのが出会いである。それまでロック系しか聴いていなかったので、JAZZというジャンルのレコード盤を聴いたのはこれが初めてのことだった。当時のロック脳にとってこれはピンと来ない代物に思えたのが正直なところだ。その数年後、1970年代の中期ごろから、機会あってJAZZを聴くようになっていった。この頃はフュージョンが勃興し、時代の潮流を形成した時期である。だが筆者はこれに馴染むことができず、ロリンズやコルトレーン、バド・パウエルなどを聴いていた。そうこうしているうちに、学生時代を過ごした街にチックのグループがツアーでやって来ることになったのだ。その時点では既に不朽の名作『Now He Sings Now He Sobs』を聴いていたこともあって、期待してコンサートに行ったのだった。それはストリングスを入れた10数名の編成で、チックはアコースティックとエレピとシンセを向きを変え変え演奏していた。バイオリンの女性のノリが良く記憶に残っているが、豪華な陣容の割りにいま一つという印象だった。1978年のことだ。なぜ覚えているかと言えば、彼女になるかならないか微妙な女性と二人で行ったからだ(失敗)。
 さて、話はここからだ。チックについてはモヤモヤ感を払拭出来ないままに数年が過ぎていったが、前掲の『Now He Sings~』の感動は易々と払拭できるものではない。これも
何かの縁である。彼のCircle時代やソロなどを中心に結構集め、知り得ていない空白を少しずつ塗りつぶしていったのである。この時期の最後の最後に手にしたのが所持していなかったJAZZとの出会いを象徴する通称”カモメ”の『Return To Forever』である。名盤・迷盤・想い出盤の第1回を何にするか。躊躇することなく数ある名盤を押しのけて本作を選ばせて頂いたのは上記の経過による。
 エレクトリック・サウンドと言っても、Rockを叩きのめす勢いでRock的エッセンスを内在化させたマイルスと異なり、楽園志向と言われようが何と言われようが、疑いなくチックは彼の音楽的意図を新たな地平に乗せたのだと思う。一時代を席巻する音楽の趣向もそれがムーブメントである限りは必ず退潮期が訪れる。但し多くはなくてもそこを逃れて長く生き続けるものがあるのも事実だ。いま『Return To Forever』を聴き直してその思いを強くしている。個人的には後年のチックに印象付けられる成果を見つけられないが、それを差し引いても、本作との出会いという偶然が無ければ人生の色合いが今とは別のものになっていたかも知れない。その意味で『Return To Forever』は撤去されざる私のJAZZ 50年記念塔なのである。
(JAZZ放談員)
master’s comment notice
このアルバムが出た時jazz喫茶ではリクエストが絶えなくリクエスト制限がされていたことが有る。それほど流行っていた。ジヤケットはカモメが飛んでいるものが使われており愛好家の間では「カモメのアルバム」と呼ばれていた。ところがあるミュージシャンが自分の持っているアルバムは「ペリカン」だと言い張った。バッタもののアルバムではあるのかもしれないが本人の勘違いかもしれない。珍しいので見せて欲しいとお願いしたが未だに実現していない。そのミュージシャンの所へ来る宅配便は「カモメ便」なのかもしれない。