本山については、これまでのレポートで手短に触れるに留まっていた。そんな中でもう“ソロソロ”ひと踏み込みしようかなというタイミングでこのソロに巡り合うことになった。従って、いつに増して真摯に聴くことになったのである。時の流れは、これからのJAZZシーンを担おうとする連中が東京に活動拠点を移す中で、本山は東京との交流を巧みに消化しつつ、それを地元に還元している貴重な存在である。折に触れ彼の音に接してきたが、いつの間にか気になる演奏家になっていたというのが個人的思いである。私たちが音楽に共感すると言うとき、大別して理由は二つあるだろう。一つは演奏そのものに、もう一つは演奏に対する演奏家の姿勢に対するものである。普通は前者が優先的に享受され、後者は遅れてやって来る。ところが、継続的に聴き続けていると、これは逆循に転じていく。演奏家像を通じて演奏を聴くようになるのだ。思い浮かべただけで、直ちに音が聞こえてくるミュージシャンがいるのはこのためだと思うのである。どうやら本山はその中の一員になっているようなのだ。そういう思いで聴いていたのだが、彼の静かなる熱意が、静まり返った場内を独占していく様子が胸を打つ。孤高のソロというに相応しいライブとなったのである。演奏曲は、「ウィッチ・クラフト」、「エミリー」、「ペンサティヴァ」、「ミスティー」、「ブッチ&ブッチ」、「カム・トゥギャザー」、「リトル・ウイング」、「ソラー」、「プレリュード・トゥ・ア・キス」、「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」。振ったら当たったというような、まぐれの演奏は有り得ない。試練のあとの成果、これに逆循はない。当夜の模様は、CD-R10枚限定で提供されるとのことである。手遅れにならぬようお問い合わせ願いたい。
ところで、昨年、本山はソロのインプロ・アルバムを2枚リリースした。それは幾つかの音楽誌で賞賛されたと聞く。そこに何が書かれていたかは知らないが、聴いてみると、音に向かう本山の姿勢が伝わって来るものであった。ソロといえば、聴くのをためらう向きもあるかも知れないが、筆者は途中で止めることなく2枚一気に聴き終えた。それだけで、お分かりになるだろう。
(M・Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2021.5.6-8 16周年第2談
5.6 鹿川暁弓TRIO 鹿川暁弓(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
独自の美意識から異彩を放つ鹿川と東京戦線で活躍する若井と山田との初競演。筆者は鹿川のソロしか聴いたことがなく、必然的にコンボ編成での応酬に関心がいく。以下が演奏曲である。
「In A Sentimental Mood」、「There Is No Greater Love」、「Lonely Woman」、「Hot House」、「Reverie」、「I Hear A Rhapsody」、「Time Waits」、「My Conception」。スタンダードやバップの曲が並んでいるのは少し意外な感じがした。その演奏はソロのときとは異なる印象だ。折角手合わせする相手だからだろうか、押し返すような力強さや冒険心が覗いていたように思う。聴き手がそう思うのだから、本人はスイッチが入りっぱなしだったのだろう。バラードにおいても流れ出す曲においても、彼女を特徴付けるクラシカルなニュアンスを失うことなく作用させていたところに、自身の演奏に向かう姿勢がよく出ていたように思う。なお、鹿川の演奏に狙い目を付ける人をディア・ハンターと言うかどうかは今のところ分かりかねる。 .
5.7 本山3feat.村田千紘 本山禎朗(p)村田千紘(tp) 若井俊也(b)山田玲(ds)
予定されていた池田篤2daysが事情により延期になってしまい、これは変更プログラムの初日である。実は村田を聴いいたことがない。話によればLBで何度か演奏している田中菜緒子(p)との『村田中』というユニットを中心に活動して来たとのことである。初モノを前にすると気が引き締まるものだが、そんな思いに耽る間もなく、時間制限下の4人編成はスタートを切っていった。最初にG・グライス「In A Night At Tony’s」、急遽客演が決まったとはいえ、原曲のゴキゲンな乗りを一発達成、これだけでおおよそ力量が伝わってくる。A・C・ジョビン「Meditation」の柔らかな冥道感にも味わいがある。我々の良好な助べい根性は、ライブではこんな曲を演って欲しいと願うときがある。その思いが通じたのだろうか「Blue In Green」。選曲も演奏も願ったり叶ったりの素晴らしい出来ばえだ。知名度ほどには聴かれていないと思われるE・マルサリスの「Swing’n At The City」、軽快なミディアム・テンポが気分をほぐす。T・ジョーンズ「Lady Luck」、翌日のトリオ演奏への誘い水か、トランペットが聴きどころの曲にも関わらず、意表を突いて村田レスのトリオ演奏であった。再び村田が入る。LBではあのテナー奏者が何度か採り上げるマイルスの「Baplicity」。初めて聴いたT・シールマンス「For My Lady」、曲の親しみ易さ以上に品を感じさせる。最後は勝手な思い込みではあるがG・グライスの最も有名な「Minority」、これはMajorityが太鼓判を押すだろうアグレッシヴで立派な演奏。少し逸脱を許して頂こう。この国においては、「女性活躍」なる俗な4字を見かけるようになって久しいが、それは男女が同一の地平にいる存在であることよりも、単に男の肩代わりとしての女性像しか期待していないことが透けて見える。村田も前日の鹿川もその音によって、乱暴を働く事なくそれを打ち消していたように思う。いずれ村田の再演があると思うので、その日を楽しみにしたい。
5.8本山揁朗(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
本来フロントにいるべき池田の不在によって、かなりのプレッシャーが掛かっているだろう。池田がいるに匹敵するパフォーマンスを、自らにもリッスナーに対しても納得いく形で求められるからだ。そんなことを思いながらも、このトリオはトリオとしての演るべきことをやっていたと言ってよいのではないか。ほぼ同世代に属しているこの3人は、彼らの音楽意識として透明性を目指すというより、濁り化を残しながらその状態の純度を高めようとしているように思う。彼らがそう思っていないとしても、それはジャズとは何かと問われた時にありうる幾通りかの答えの一つになると思う。面倒な話しを程々にして、この日の演奏曲は、「You&The night&The Music」、「Miles Ahead」、「These Foolish Things」、「Buch&Buch」、「Pensativa」、「We See」、「Fingers In The Window」、「I Remenber April」、「In sentimental Mood」。では、一言づつ。本山は我ここにありに手が届いている。若井の融通無碍なプレイには今回も関心した。山田、音という音を芯で響かせる才腕ドラマーである。
今般この周年第2弾は、汚れっちまった世の中に今日も悪夢が降りかかる状況下で行われた。言いたい事はそれなりにあるが、今日は50年代のマイルスを聴いて心を鎮めることにする。
(M・Flanagan)
2021.4.8-10 LUNA 16周年の三重品格
4.8 Unpluged Rock LUNA(Vo) 町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
昨年までのLoud3は、LUNA vs爆音の格闘絵巻だった。そうした有り様はRockのラジカルな魅力をなすものである。それとともに、演奏力とともに台頭してきた‘70前後のRock黄金期の名曲総出演となっていたことが耳の記憶を刺激するものであった。音楽的記憶とは覚えようとしなくても無意識に刷り込まれてしまうことに気づかされる。残るものは否応なく残ってしまうのだ。さて、今夜は、正面衝突ばかりがRockではないことを証明せんとする設定である。撃ちまくる痛快活劇もRockであれば、シェーンの背に思いを込めるのもRockである。Rockなんてと受け流してはいけない、懐が深いのだ。さて、16周年の初日は、新型‘Sとして共演歴の長い町田と古館との顔合わせだ。彼らはともにギターの名手であるが、喉のレベルも人後に引けを取らなく、この二枚にLUNAが絡むとどうなるのか。それが16周年の実験室に課されたミッションである。演奏を目の当たりにすると、三者のハーモニーはナチュラルに心地よく、LOUDと異なるRockの成果を体現するものだったと言える。実験室の課題曲は「Get it on」、「I will survive」、「Desperado」、「A cace of you」、「A song for you」、「To be with you★」、「I feel The earth move」、「Nowhere man」。「Don’t let me be lonely tonight」、「Fragile」、「Johnny be good」、「We are all alone」、「A whiter shade of pale」、「The waight」、「I shall be released」。なお初めて聴いた何曲があった。興味本位に緊急聞き取り調査したところ、★の曲はある年齢層までのスーパー人気曲だったことが分かった。それは清志郎風に「聴いたことのないヒット曲」だったが、今さら知ったかぶりもできない。本日の感想を申し上げる。爆音を武器としないUnpluged Rock、それは鼓膜のケアを必要がないが、毒の回り方には気をつけなければならないというものだ。
4.9 昭和歌謡 LUNA(Vo) 古館賢治(g、Vo)、板橋夏美(tb)
昨年秋口が初演、今回は単なる再共演以上のモノにできるかが注目されるところだ。まずはLUNAレスで古館がかますウエルカムの一発、「兄弟船」でがオープニング。昭和歌謡にそれなりの造詣はあっても、寄る年波に揺すぶられている我ら高齢族、型は古くシケには弱いことを思い知って悲しいというべきか。以後LUNAを招き入れた展開となる。て惑いなき人生賛歌「あの鐘を鳴らすのはあなた」、女の情念とは距離を置くのが身のためということを教えてくれる「北の蛍」、一転ポップな「恋のバカンス」で景気づけした後は、心の汚れを洗い流してくれる「愛燦燦」、当節、気ぃ付けんとならん昼カラ人気曲「二人でお酒を」、LUNAの敬愛する安田南氏に捧げられたという「プカプカ」、昭和歌謡の金字塔「喝采」、大人になりつつある少女が捨てきれない不良の真っ当さに執着する「プレイバック・パートⅡ」、恨みが恨みを誘って‘60の後半に大衆の共感を呼んだ「圭子の夢は夜ひらく」、岡林信康が曲名を繰り返し畳み掛ける「私たちの望むものは」、あまたある漁師もので欠いてはならない「石狩挽歌」、そして後期昭和の賑わいを象徴するエンターテインメント曲「北酒場」でフィニッシュ。古館が敬愛する作曲家の船村徹や玄哲也は、地方から東京に身を移して後、薄れいく望郷の念を生き返らせようと大手との契約に見きりを付け、全国各地を巡りながら改めて日本人の情緒を突き止めようと腐心したと聞く。そうした切羽詰った熱意が礎となっている昭和歌謡には決して一筋縄ではいかない奥行がある。それを知ってか知らずか、LUNAの歌唱は「私なんでも歌えるわ」的なものではなく、原曲から自身の何かを引き出そうとすることが明確に意識されていることが伝わってくる。それが独自の凄みを獲得しているのだと感じさせる。再共演は手応え十分なものに仕上がっていたと確信する。最後に、声のような音色で寄り添う平成生まれの板橋。回を追うごとに昭和に磨きがかかっているが、果たして本人は生まれの和号を超えた地点に来てしまっていることに気がついていだろうか。
4.10 勝負のJAZZ LUNA(Vo) 本山揁朗(p)菅原昇司(tb)
ほ~う、これが本職なのか。職業に優劣がないように、音楽ジャンルにも優劣がないことを思い知らされた前二日。それでも人は利き足を無視しては四方に飛ぶことができない。やはりLUNAの利き足はジャズのなである。取りも直さずRockと昭和歌謡をさばく上手さはジャズあってのことだ。語らずとも、以下の曲での歌唱が文句なしにそのエヴィデンスになっていた。「I love you」、「Spring can really hang you on」、「I’ve got you under my skn」、「Answer me my love」、「Star crossed lovers」、「Beautiful love」、「Shenando」、「Misty」、「Feel like making love」、「ひとり」、「We will meet again」、「Beautiful love」、「Here’s to life」、「Smile」。
本山はLUNAと初競演である。飲んでも寡黙な本山が、今日は留め金をはずしたように楽しさ行き交う奔放な演奏に徹しており、誕生日を迎えたハズミで勢い24を乗り越した御年34が、一瞬ハメを外したのも貴重なものとして水に流そう。菅原はLUNAとの共演回数を重ねているが、そうした慣れに寄りかかることなく、気迫のこもった演奏を貫いていたのは彼の力量が一級であることを十分に伝えるものであった。
16周年の始まりは、Rockの祭典Woodstockを凌ぐアッという間の三日であった。その祭典に出演したザ・フーに「四重人格」という危ないタイトルのアルバムがある。それには格が一つ不足するとは言え、記念行事の初っぱなは、Unpulgedrock、昭和歌謡そして輝けるJAZZの「三重品格」フェスティバルだったとキレイに締めくくり、概況レポートとする。
(M・Flanagan)
2021.2.26~27 松島啓之4&5
松島啓之(tp)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)・・With江良直軌(bs)
松島を何度も聴いているが、いつも円熟の中に新鮮さを感ずる。何故だろうか。20代の松島には“Something Like This”という力作がある。そこは瑞々しい力感に溢れている。その後の活動プロセスには、若き日の核心部分が劣化することなく寄り添っていると思われる。おそらく松島は昔も今も同じ合鍵を使って演奏しているのだ。
最初の数音で生き返ったような気分になった。飛び切り音が突き抜けて来たからだ。ここにはホールでは味わえない至近距離感があり、音楽会ではなくライブ、Jazz Lives Matterなのだ。初日はオーソドックスな4人編成で、トランペッターの曲を中心にプログラムされており、松島の演奏を思う存分聴くことができた。改めて音のニュアンスの多彩さに息を呑み、相当ニンマリしていた自分が想像できる。2日目はバリトン入りの2管編成。J・マリガン、P・アダムス、C・ペイン、S・チャロフ。バリトン奏者の名前は一気に底をついてしまった。コンボ編成では多くを聴いて来なかったのだ。江良の音を聴いていて、当たり前だが、その重厚な音色を直に確認することができた。初日と異なるサウンド・カラーに出遭えたことに何ら不満はなく、寧ろ大いに楽しませてもらった。カルテットの演奏曲は「Back To Dream」、「Miles Ahead」、「Ceora」、「PS I Love You」、「I Remember April」、「Just Out The Moment」、「Sleeping Dancer Sleep on」、「Lady Luck」、「Little Song」、「Lotus Blossom」、「All The Things You Are」、クインテットの演奏曲は「Just Because」、「Driftin’」、「Gradation」、「Panjab」、「Fiesta Mojo」、「Treasure」、「Darn that Dream」、「Black Nile」などで、江良の持ってきた幾つかの曲が披露されていた。
冒頭、松島に毎回新鮮さを感ずると述べた。得意の曲を得意のパターンで演奏するのは、アマチュアリズムの大いなる美徳である。一方、毎回新鮮さを提供するということはプロであることの美徳である。そうでなければ、次も、その次も足を運びたいという動機は生まれない。
思いっきり脱線するが、いま唐突にベンチャーズのことを想い出した。何十年も同じことを演っているのだ。つまり、ベンチャーズの最大のコピー・バンドは、ベンチャーズということになる。彼らは新鮮さを追求することは無く、一世を風靡した過去の演奏を型通りに再現する。進歩することを仕舞い込んだ音楽芸人だったのかも知れない。余計なことを思いついたせいで、プロの定義が揺らいでしまった。
(M・Flanagan)
2021.1.22-23 鈴木央紹4 ハッとしてGOOD
鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)
毎年、素晴らしい管奏者が来演する。彼らはいつも絶頂期と思わせる演奏を提供してくれる。メシ代を削ってでもその場に居合わせるのが、人生の正しい選択だ。
鈴木には王道を行く演奏家に欠かせない太い芯の通ったノリと、マジックと言われている曲への思いが咄嗟に音変換していくスリルがある。そうしたハッとする瞬間がGoodタイミングで繰り出される。我々に鈴木ジャズの真髄を感じさせてくれる秘密がその辺りに隠されているのかも知れない。鈴木の演奏を聴いたことの無い人に彼をどう伝えればよいかは難しい。閃きのゲッツ、豪快なブレッカー、柔らかいC・ロイドを混ぜ合わせて更に・・・、と言ってみても用をなさない。それは鈴木が歴史上のテナー・ジャイアントに比肩するレベルで演奏するONE&Onlyのプレイヤーだから止むを得ないのだ。すると鈴木評は弓折れ矢尽きてしまい、結局、生で聴いて見てくださいということに着地する。この醍醐味を一人でも多くの人と共有したいと思うのである。
さて、本レポートは鈴木5DAYSのうちの2夜分であるが、今回は5日間、1曲も被っていないそうだ。演奏曲は「ウイッチ・クラフト」、「ルルズ・バック・イン・タウン」、「フォー・ヘヴンズ・セイク」、「クレイジオロジー」、「マイルス・アヘッド」、「ハルシネーション」、「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」、「バット・ビューティフル」、「ブルー・ローズ」、「セレニティー」、「マイ・シップ」、「エアジン」、「ヴェリー・アーリー」、「ニュー・ブルース(Knew Blues)」、「イマジネーション」、「飾りのついた四輪馬車」、「コートにすみれを」。
後ろのメンバーについて一言。三嶋は今回が鈴木と初共演、それが暗中模索、局面打開の格闘劇であったとしても、何かをモノにしたに違いなく、更に大きく輝くことを期待する。本山はここ5、6年の間に向き合った真剣勝負の成果を完全消化していて、安定感と主張が融和しているのが頼もしい。さらに風格さえ、と言えば褒め過ぎか。伊藤は大人である。妙な言い方をして申し訳ないが、最近の伊藤には大人が大人の演奏をしているという嬉しい等式のようなものを感じている。
多言は無用でエンディング。比較的ハコの大きい東京都内のライヴハウスは、ミュージシャンにPCR検査を求めるらしい。鈴木は既に数度受けていて、勿論、いずれもネガティヴだ。結果待ちにソワソワすることも無いという。テナーのリーディング・ランナーは演奏以外でも揺ぎ無しだ。なお、現下の情勢から聴きに来られなかった人のために2日分コンプリートでCDR提供される。これは、LBのポジティブ・キャンペーンに相当する。標題はミーハーながら、今やアイドルの片鱗もないT・俊彦氏のヒット曲から拝借、フゥー。
(M・Flanagan)
2020 レイジー・バード・ウォッチング
今年はアノ話題一色になってしまうのであるが、ここは、そういうページではないようにしたいものなのだが・・・。年明けは1年で最も寒い。例年の北海道ならダイヤモンド・ダストの季節だが、今年は横浜のダイヤモンド・プリンセスに乗っ取られてしまった。ここまで傷口が深くなるとは思っていなかった2月、日本が誇るコードレス・トリオがまさに円熟の熱演を残していった。そして4月を挟むかのように14周年記念ライブへと突入する。先発のLUNAウイズ一哲LOUD3、このライブは目玉でもありスクランブルでもあった。続けざまに、一哲が自身のバンドで畳みかける。LB初演の今を時めく井上銘が唖然とするパフォーマンスを見せつけて行った。矢継ぎ早に本山Special Trio(本山、米木、小松)に引き渡された。本山の充実ぶりがこのまま闇を突き抜ける光となればよいのだが、取り越し苦労はあっけなく現実のものとなっていった。
マスクも満足に入手できない状況下、勤務先の自粛指令強化によって世は一気に暗雲に覆われて行ってしまったのである。ライブは中止、順延、ライブ配信などに取って代わられることになってしまった。暗黒の4月、5月が過ぎてようやく脱巣ごもりに切り換えられて行ったのだが、三密回避の号令が定着しており、中々、ライブに活況が戻らない情勢が続くことになったのである。そんな6月に鈴木央紹が来演した。やっぱり“生”だよなという思いが込み上げてくる演奏だった。この月の後半には恒例の大石・米木が陣を張った。ここで大石はレイジー特選“いも美”をモチーフとする“E・MORE・ME(Eの音をもっとくれ)”を初披露した。6月27日は“いも美の日”となったが休みではない。そして祈りを込めた「Peace」でトドメを刺したのである。低空飛行の日々が続き、夏が過ぎていくころLUNAによるJazzと昭和歌謡の二股ライブ、恐ろしや恐ろしやだ。残念ながら9月の松島を聴くことは叶わなかったが、それを補って余りあるのが鈴木・宮川のDUOだ。いつ聴いても素晴らしい鈴木だが、DUOなので存分に吹きまくる最高の姿があった。そして宮川のベース音が醸し出すグルーブは得も言われぬものだ。“オルガンの・超つくすごさ・テナーもんや(一茶)“。この月の後半、大口・米木のDUOだ。大御所の沸き上がるエナジーには脱帽するしかない。そういえば本山が、大口さんが弾いたあとのピアノはよく鳴ると言っていたのを思い出す。10月は池田篤、バラードにアップテンポに非の打ちどころ無し。12月は壷阪健人トリオ、LUNA2デイズ。何れもベース若井俊也の”どえりゃー“演奏が聴けた。イライラとムシャクシャの同盟軍に愛知・神奈川連合軍が完全勝利した。この3日間の模様は、止むにやまれず来られなかった人にCD-RでLive For Sale。
こうなりゃ最後にひとこと言わせて頂く。今年のGO TO騒ぎだ。一部の経済活動が全国民の利益になるかのような虚構が政府に仕組まれてしまった。月並だが、セーフはアウトだ。“こんな・頓智メンタル・ムード”から来年は脱出しましょう。
(M・Flanagan)
2020.12.10 若井俊也Presents壼阪健登TRIO
壼阪健登(p)若井俊也(b)伊藤宏樹(ds)
壺阪が居住地ボストンをやっとの思いで脱出して、帰国できたのはつい最近のことだ。そうした経緯の中で、今年最後の月に彼を聴くことが出来るのは、何かの縁が取り持ったささやかな贈り物と言えるのではないか。
昨年、初めて壼阪を聴いた印象を手短かに言うと、“清新なエモーション”である。ミュージシャンにお好みを訊いたとして、まずは楽器奏者がきて、副次的にシンガーがくることもあると思っていた筆者は、壼阪がB・ホリデイをこよなく愛するということに特異な感じがしている。そのせいだろうか、壼阪が誰に似ているかを問われたなら、壼阪に似ているとしか言いようがない。一流の演奏にはクツロギもあれば、一音も聴き逃せないという緊張もある。壼阪は若くしてそこに仲間入りしているように思う。そこに与する若井はこれまで様々な企画をプロデュースして楽しませてくれているが、本業での太さと繊細さを兼ね備えたプレイには震える。そして抑制的にサポートする伊藤のドラムスも文句なしによい。演奏曲は「East Of The Sun」「Good Morning Heartache」「I Could Write A Book」「For Heaven’s Sake」「The Blessing」「I Wish I Knew」「My Old Flame」「Francisca」「Little Girl Blue」「Bye-Ya」「Santa Claus Coming To Town」。
さて、私こと。壺阪の「壺」という字を多分生まれて初めて書いてみた。スラーッと書けない。コルトレーンのLIVE-IN-JAPANを想い出す。スラーッと聴けない。
このとおりの世情なので、壺阪は当面の間は日本に留まることにしているらしい。しかし、彼も人の子、いつ気が変わるやも知れない。事態の急変を予期してか、壼阪の掲示板には次のとおり書かれていたので紹介する。
☆<IMPORTANT !>☆この日のLIVEは近々CDRで提供されるようなので、是非ともお求めくださることをお願いします。再び勢いづくことを「捲土重来」と言いますが、このCDRに関しては「健登頂戴」と言います。詳しくはHPをご覧ください。またLAZYBIRDで演奏できることを待ち望んでおります(壼阪健登)。
(M.Flanagan)
2020.12.11-12 YOUNG LUNA TRIO
LUNA(Vo)壼阪健登(p)若井俊也(b)
LUNAはかつてが、壼阪はいまが、若井はなまえがYOUNG。ベタなトリオ名で恐縮する。LUNAが札幌に初お目見えしてから10年以上経つ。最近はその年月をlook-backしているのだという。この春には「Forever Young」に心を込めた。そして今回は自己検証するかのように「My Back Pages」を採り上げた。いずれもB・ディランの曲というのが興味を引く。人は一度は本気で人生を振り返るのだろう。そのタイミングは人それぞれだと思うが、LUNAにとっては今なのだということが、本格的な大人の歌唱となっていることによく出ていた。我らを説き伏せた一連の曲は、「Silver Bells」「Gee Baby」、「Frim From Sauce」、「Love For Sale」、「What are You Doing The Rest Of Your Life?」、「My Back Pages」、「My Favorite Things」、「You Must Believe In Spring」、「Here’s To Life」、「Give Me The Simple Life」、「We Shall Overcome」、「This Cristmas」、「Everything Must Change」、「Winter Wonderland」、「Hallelujah」「Christmas Time Is Here」「Here’s That Rainy Day」「Lost In The Stars」「I’m Beginning To See The Light」「The Christmas Song」。
このライブは、そんなこんなのコロナの1年をYOUNG- LUNA- TRIOがブレークスルーした極めつけの2夜と断言しておく。初期の山下トリオに“ミナのセカンド・テーマ”という作品がある。今回聴いていて“LUNAのセカンド・テーマ”は幾つかの曲名にもある“LIFE”ではないかと思うのである。勿論、ファースト・テーマはVOCALを極めることだ。
LUNAからライブ・レポートで余り茶化すな、と釘を刺されたのでそれに従う。今年のLUNAはRockに、昭和歌謡に、たまたまJazzに素晴らしい足跡を残していった。今後もLUNAの誤作動を期待して止まない。これで約束を果たした。ハハハ。
<追伸>このトリオの二日間も各CDR提供されるようです。
(M.Flanagan)
2020.10.23-24 オータム・イン・24区
池田篤(as)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)
現在とは、過去と未来の境目に位置する時のことである。それは誰にも等しく与えられているが、池田の過去と現在の結束関係は、追い風と向かい風のせめぎ合いの中で強度を高めてきたという意味で胸を打つものがある。そうした思いがあるため、いつも演奏前から感動の準備が整ってしまうのである。そんな神聖な気分に突然ヒビを入れられてしまった。ファミマの入口で串ドーナッツをト音記号にかぶりつくように貪っていた大男に出くわしたのである。壊し屋の異名をとる三嶋だった。これも何かのアヤであろう。会場に着くとオールド・ファンも駆けつけていた。新旧のお客さんが混ざり合うのも中々宜しい光景である。
いよいよ開演となる。ジャズの世界では昔から著作権のトラブルを避けるため、テーマから入る正当な進行形式に依らず、アドリブから入る方法が採られてきている。最初の曲はそうした方法をもとにしていた。4月に感染して他界したリー・コニッツもその手の音源を残している。最後に原曲が顔をのぞかせたのは「All The Things you are」である。池田はこの曲を“Kontz-Lee”と称していた。どんどん進める。池田のファンタジー「Forest Myth」、森の妖精。マイルスのネフェルティティー収録W・ショーター「Fall」、広大で穏やかな情景が描かれるJ・コルトレーンの「Central Park West」、新聞記者だった池田の父に捧げた取材のスピード感溢れる「Newspaper Man」、池田に演奏家のあり方を教示した辛島さんに敬意を表する「His Way Of Life」、池田の令嬢をスケッチした「She Likes To Dance」、これはⅡ-Ⅴ-ⅠをMとmでトレーニングする教材用に作ったものでもある。再びショーター「ESP」、スタンダード「When Sunny Gets Blue」、またまたショーター「Yes or No」、A・ジャマルによる8小節のブルース「Night Mist Blues」、本レポートの標題「Autumn In New York」では淡く過ぎ行こうとする日々を見事なまでに歌い上げていた。池田による安静なる世界の極み「Flame Of Peace」、LP片面の長尺演奏で熱気が四方八方を突き抜けるJ・コルトレーン「Impressions」、2日間の最終曲はキャノンボールの夢を紡ぐ人「You’re A Weaver Of Dreams 」。サイドメンも最後まで緊張を途切らすことなくやり切っていた。始まる前の感動の準備が感動に変わっていたのである。
池田篤。やっぱりひと桁違う。素人風情が池田を最高ミュージシャンに任命するのを拒否するならば、それは論外の更に外と言わざるを得ない。マスク2枚配布事件以降、この国は不要なコストをロストしてきたが、聴いてる間は苛立ちの一切を払拭できたのだった。外に出ると、24区の秋はひっそりと終わりを告げ、次の季節を迎えようとしていた。
(M・Flanagan)
2020 .9.21-22 This is 高級数の子
大口純一郎(p)米木康志(b)
忘れられないライヴはそれなりの数に昇るものだ。10年近く前だっただろう、コルトレーンやエリントンの曲を並べた両者の丁々発止は忘れがたい。以後、大口さんの演奏には極力足を運んできた。大口さんがブラジル音楽に造詣が深いことはつとに知られるところであるが、本人によると、発掘しようとすれば探し当てられる多様な音楽の宝庫がブラジルであるそうだ。そのためか、大口さんから浮遊感やある種の屈折感といったブラジルもの特有のフレーバーを感ずることが出来る。その一方で、鳴りに鳴るスイング感を始めバラードの沈んだ味わいなど聴きどころ満載なのだが、分けても短めのフレーズにハッとするような瞬間が幾つも仕込まれているあたりは堪らない。よく知られた曲も多く採り上げられていたが、いずれも大口さん流の筆跡でサインしているものばかりだ。月並みに言えば両者は共演歴の長い重鎮である。年齢とは避けようもなく若さを削る月日のことである。それを代償に形成される質感をキャリアというのだが、くぐるものをくぐった演奏家を目の当たりにすると、これまでの両者は真摯な交遊録を綴りながら、こん日のステージを築き上げたことがよく分かる。後で聞くと、今回は決め事によらず自由にやろうというのが、決め事であったらしい。かつて“ヤバイ”という言葉は好ましくない状況で発せられていたが、今では肯定的タイミングで用いられている。ちゃっかり嵌めれば、このスリリングなライブはヤバイということになる。薬師丸ひろこ曰く、快感!だ。演奏曲は「ステラ・バイ・スター・ライト」、「エヴィデンス」、「(カーラおばさん風S・スワローの曲)」、「プレリュード24番(仮題)」、「マイルス・アヘッド」、「マイナー・コラージュ」、「ニュー・ムーン」、「イマージン」、「朝日の如くさわやかに」、「ハイ・フライ」、「スインギン・アット・ザ・ヘヴン」、「イスパファン」、「アグリー・ビューティー」、「ミスター・シムズ」、「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・プロフェット」、「ルビー・マイ・ディア」、「クリス・クロス」、「ネイチャー・ボーイ」、「ニンニクのスープ」、「アイ・ラヴ・ユー・ポギー」。
高級数の子とは、しっかりしたツブとコシの強さが二大要素である。それを噛みしめた時の食感は何ものにも代え難い。今回ピアノとベースという二大要素によって、余すことなくその満足を得ることができた。因みに筆者は高級数の子を食べたことがない。
(M・Flanagan)
2020.9.11 GO TO LIVE
鈴木央紹(ts)宮川純(Org)
1年余り前に鈴木の「Favorites」リリース・ツアーの一環として、今日の二人と原大力を含めた収録メンバーによるトリオ・ライブがあった。この時に初めて宮川を聴くことができた。腕達者という以上にオルガンからアーシーな音を見事に引き出していたことが強く印象として残った。では、DUOならどうなるのか。上げ潮と円熟の頂上決戦、さぁ2時間がかりの実験を見届けよう。
わが国屈指のサックス奏者である鈴木は、これまで比較的オーソドックスな編成によるものが中心となって来たが、過去に若井優也(p)と圧巻のDUO演奏を行ったことがある。今回はオルガンに代わったが、期待にたがわずこの希少楽器との取り合わせから魅力溢れるサウンド満載の展開となっていった。例によって悠然と王道を闊歩する鈴木に、鍵盤をまばゆく走らせる宮川のフレーズは実に心地よく、それを援護するベース音が分厚いグルーブを演出する。加えて両者の音量バランスが抜群に良く、聴き応えをがぜん後押しする。類まれな力量を持つ両者は、技術至上主義とは一線を画しているのだが、スタジオの精度がそっくりライブ仕様に転じられていて、緩みなきパフォーマンスを演出していたと言えよう。何といってもライブには生の直接性というこの上ない味わいがあり、それが演奏家と客をつなぐ命綱となっている。そうではあるが、おみくじと同様、そこに“吉”ばかり仕込まれているわけではない。この演奏を聴いていると、そんな講釈はどうでもよい。2時間を経た実験結果は出色の大吉で決まりだ。個人的にDUOを好むものであるが、新たに記憶に刻まれるものが確かに付け加えられた。演奏曲は「エブリシング・アイ・ラブ」、「イエスタデイズ」、「ビウイッチド」、「ウイスパー・ノット」、「マイ・シャイニング・アワー」、「ユー・ノウ・アイ・ケア」など、アンコールの「カム・サンデイ」には、背筋がゾクゾクした。果たしてDUOの名演と呼ぶに相応しい一時を彼らは残していった。大力なくともパワー・レスにならなかったと言えば、原御大からクレームがつきそうだな。
ところで、お上が誘導するGO TO キャンペーンは“値引き”で人を釣る仕掛けになっている。一方、本日のGO TO LIVEは、某家具の宣伝ではないが、“お値段以上”ニッタリ。翌二日目に行けなかったことが無念。
(M・Flanagan)