1月12日の事である。ライブ終了後精算に来たお客さんの一人が壁に貼ってある1枚のフライヤーを食い入るように見つめている。本田竹広さんのコピー譜発売のフライヤーである。お客さんの名前を思い出した。札幌のTPの碇さんである。30年ほど前になる。恵庭に本田トリオを聴きに行ったことがある。米木康志、本田珠也の鉄壁トリオである。本田さんはピアノが弾けるほど病状が回復し音楽ができることを本当に喜んでいる様子であった。演奏は長尺になり知り合いの主催者が会場側に何度もあと少しだけ終了時間を延長してほしいとお願いしていた事を覚えている。そのコンサートで曲の合間に本田さんが「今日は国立音大時代の友人が来ている」と碇さんのことを紹介したのである。僕はそのことを碇さんさんに伝えると本人も覚えていた。「そうですか、何かの縁ですね。今日は本田の命日なんです」と教えてくれた。そのことを米木と珠也に伝えなくてはと思っていたら米木からメールが届いた。Zek trioに3年前に卒業したバイトのきなこが夫婦で来てくれたとのことである。学生には社会に出て余裕ができたらLazyで縁ができたミュージシャンのライブに顔を出してねとお願いして送り出している。それでこういう連絡が入ると僕は非常にうれしい。キナコが初めてlazyに来た時のライブが珠也だったのである。その後ドラマーでjazz研の部長になったキナコに珠也のドラムクリニックの企画を打診した。当日近くなってキナコから連絡があった。「マスター大変です。みんな怖がって受講者集まりません」珠也からは「クリニックどうなった」と確認が入る。僕は学生はこの時期試験期間でちょっと厳しいと高度な政治判断で事実を隠ぺいした。とにかく縁は異なものである。