日本の ジャズの歴史を遡ると芸能界の誕生とのクロスロードに立つことになる。例えば渡辺貞夫である。ナベサダと呼ばれている。ジャズの黎明期、渡辺姓のミュージシャンがたまたま多かったのであるが区別するのに「ナベサダ」「ナベシン」「ナベタツ」と呼ばれていた。「ナベシン」こと渡邊晋が55年に設立した芸能ポロダクションがナベプロである。その片隅を間借りしていたのがジャニーズ事務所と言う事になる。ナベプロ制作の番組「シャボン玉ホリディー」は毎週見ていた。ザ・ピーナッのバックで踊る初代ジャニーズの事を薄っすら覚えている。
ジャニーズ問題が取りざたされている時期you tubeメディアでコメンテーターとして出演している中森明夫の存在を知った。性加害そのものではなくジャニーズにおける父性の欠如という斬新な視点で語っていた。そう言えばメリーの旦那でジュリーの父親が全く出てこなかったことに気づく。父親の名前を聴いた時存在だけは知っていた。藤島泰輔・・・小説家としてである。新聞記者としてキャリアをスタートさせているが人間関係の幅の広さに驚く。先ず上皇のご学友である。若くして亡くなっているがジャニーズ事務所設立の際は後方から支援した。
話は本題に入る。この本はアイドル論である。アイドルと言う言葉を聞いたのは60年代の半ばシルビー・バルタンの「アイドルを探せ」という曲によってである。では日本のアイドルはいつ出現したかと言う事である。僕は麻丘めぐみ位からではなかったかと勝手に思っていた。年頃の男の子に勘違いさせて疑似恋愛体験をさせるという手法である。麻丘めぐみのヒット曲に「私の彼は左利き」というのがある。僕は左利きである。おお・・・やっと自分の時代が来たと思ったのである。矯正されて直した右利きを左利きに戻していた時期がある。だが世の中甘くない。左利きだけではモテないし注目もされない。そうこうしているうちに「左寄り」になりレフト・アローンにのめり込むようになって「左前」になっていった。中森は最初のアイドルは1971年にデビューした南沙織だという。その前にもアイドル的歌手はいた。雪村いずみ、江利チエミ、弘田三枝子などなど・・・だが洋楽の日本版と言う存在であった。南沙織の生みの親CBSソニーのプロデユーサー酒井政利は日本独自の新しいシンガーを世に送り出したい思いでデビューさせた。この時中森11歳・・・論理的に南沙織が日本最初のアイドルと規定できるはずもない。ここに推しという概念が関与する。歌による仮想空間が存在しアイドルとフアンが同一方向に向かっているこれが「推す力」である。そもそもアイドルとは何か。中森は日本憲法を持ち出す。
『天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』
「アイドルはフアンの象徴でありこの地位は主権の存するフアンの総意に基づく」と読み替えられる。
主権はあくまでフアンに有るとする。ここにはキャンディーズ、ピンクレディー、山口百恵、松田聖子、安室奈美恵など時代を彩ったアイドルの変遷史が分かりやすく綴られている。アイドル界にも批評は必要だという。成熟した芸術、芸能の分野には優れた評論が存在する。評論をただのこき下ろしと勘違いする輩が多い。勿論ジヤズ界も例外ではない。
アイドルは元々未完成のものでフアンとの共同作業で磨き上げられていく。絶対に輝く瞬間が有ると思って支える人が居るから続いている。この見解はジャズに関しても半分だけ当たっている。
「推す力」中森明夫著 集英社新書 1000円