なぜ書くのか

時々ブログが面白いと褒められることが有る。最近では「馬鹿女」と「帰ってきた酔っ払い」「普通の狐」がベスト3入りしている。経済問題はアーチー・シェップくらい人気がない。硬軟織り交ぜて書いているのであるがすらすら書けるときと太宰治が人間失格を書く時の様に頭を掻き毟る時が有る。先の身の回りで起きた事を書いた駄文の時にはないのだが社会問題等の論評めいた事に触れるときたいして早くもないキーボードを叩くスピードが増す時がある。何も考えていない時である。良い意味では自分の考えがまとまっているとも言えるのだがもう一人の自分が「こういう視点もあるぞ」と警鐘を鳴らしているのを無視している自分に気づく時でもある。知的に成長すると言う事はそう言ったクイズを一つずつ解いてあがりのない双六をやるようなものである。頭である程度構築してから書こうと思うと途端に手がとまる。村上春樹は「スパゲティを茹でていると電話がなった」という出だしから一編の物語を紡ぎだす。(なんの小説の書き出しかは思い出せない)それまでは白紙状態である。なんとjazz的な手法であるか・・・・。なにかについて書くと自分がこんなこと考えていたのだ・・・と驚くことがある。それが上手くいく時何かすっきりするのである。
都会では五輪を見る若者が増えている。
だけど問題は今日の米、金がない♫