今長時間の残業による過労死が問題になっている。40数年前新卒で入った時のことを思い出した。研修が終わって札幌に戻って来ると「死のロード」が始まった。残業時間が月200時間を超えることが半年間続く。勿論休みなど一切ない。三日に一度着替えを取りに自宅に戻る程度で会社に寝泊まりする。仮眠するといってもベッドがあるわけでなく応接用のソファーを早い者勝ちで奪い合う。それにあぶれるとリノリュウムの床にカーペットの切れ端を敷いてホームレスのように横になる。ああ、畳の上で寝たいと真剣に思った。酒には寛容な会社で女子社員が帰ると取り敢えず今日も頑張ろうとビールで乾杯になる。僕は経理でコンピュータが帳票類を打ち出すまで時々数時間手が空いたりする。仮眠とってもいいと許可が出たりする。倉庫に行くと見本商品の羽毛布団があった。背に腹は代えられぬ。商品のうえで寝た。今でもあの快眠感は覚えている。朝方遠くに「おーい。吉田」と呼ぶ上司の声が聞こえた。一人当たりの売上高業界一とかいう触れ込みであったが今考えると人使いが荒い会社だったというだけなのだが当時は何か自分たちが有能であるかのように錯覚していた。勿論それが会社の戦略なのだが。そんな生活が続いても上司にも会社にも恨みはなかった。新規事業を立ち上げるということはそういうことだと思っていたし、いずれトンネルは抜けることは想像できたので耐えられた。そうは言ってもたまに家に帰ってもコルトレーンを聴く心の余裕はなくピンクキャバレーで憂さを晴らすのが関の山だった。ネットで書き込みがされているように今の若いもんは二桁の残業時間にも耐えられんのかという事を言いたいのではない。企業組織というものは程度の差はあれそういうものだと思って付き合ったほうが良い。それでも辛いなら相性が悪いという事なので辞めた方が得策だ。僕は適当な性格なので・・・・・(今はそう思っているが当時はまだ組織の抑制力があったので自分はまじめだと思っていた)なんとかもった。人使いも荒いし最後は会社更生法適用も受けた会社の金繰りもやったので今の儲からないライブハウスを何とかやるのにも妙に役に立っている。