店で桐島聡は何をした人と聞かれたことが有った。50年近く前の事件の事である。知らない世代の方が多い。僕は安易に三菱重工をビルを爆破したメンバーと答えてしまった。テレビもそういう報道をしている。東アジア反日武装戦線には3班あって三菱重工に関わったのは狼班で桐島は後から合流したは「さそり班」で三菱重工事件には関わっていない公算が大である。桐島が関与した事件では死人は出ていないので有罪になったとしても懲役10年から20年であったろうと考えられる。本人の名誉の為発言を訂正しておきたい。50年逃げ回って最後は桐島聡として死にたいと病院を訪れた。やった行為は許されるべきものでは決してないが50年どういう思いで生きていたのだろうと思いを馳せるのである。名前を変え、免許証、保険証など公的証明書は破棄し最下層の生活を自身に課した。だが自分が描いていた世界とはどんどん乖離していく今の日本であったはずである。桐島聡の顔ははっきり覚えている。交番や駅の指名手配中の写真を50年見続けていたからだ。1968年を境に学生運動は下火になっていった。その年日本のGDPは世界二位となり政治の時代から経済の時代に移行していく。学生運動も衰退していくが一部のセクトが先鋭化、極左化しマイノリティと連帯する動きを見せて行った。太平洋戦争時には中国を韓国を台湾をそして東南アジアを侵略し戦後は経済大国として東アジアを搾取していく。今までの運動は中国を韓国をアイヌを沖縄を無視し続けてきた。今こそ連帯すべし・・・という意図が「反日」武装戦線の反日に込められている。現在は政府を批判すると極右勢から「反日」のレッテルを貼られる。「反日」の意味合いが全く変質してきている。ヘイト問題を考えるときの糸口になりえると考えている。