2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』

2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』
池田篤(as)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
ことも有ろうに27日、羽田空港で旅客機火災事故が発生した。その煽りで池田は新幹線に切り替えて一夜越しで札幌に着いたため、1日のみのライブとなってしまった。対照的に筆者は、数日前から池田のCDを何枚か聴き直し、24への助走路を通り抜けていたので殊さら残念であった。今回のベース若井俊也については数年前に初めて聴いていたが、周知のとおり今やケイ赤城トリオで本田珠也と共にその構成員として活躍している。いつぞや珠也に「そんなんじゃ、気合入らねぇだろ」と言われたとか言われないとか。前置きはさておき、開演に当たり池田らしく昨日来の不運に触れた後、ここに2日分を込めると公言してくれた。
 最初の曲は、W・ショーターの友人の手による「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しい)で、心に残る旋律とそれに相応しい端正な演奏だ。( )書きの心理状態のお客さんがいたなら症状が悪化したかも知れない。2曲目は数日前に出来上がったオリジナル曲で、その演奏の濃さから演奏家が演奏を強く意識して書いた曲だと思わせる。3曲目はC・ブレイのあまり知られていない“永遠の平和”を意味するらしい曲、才媛カーラならではのメロディアスな曲想が相性よく胸に収まる。毎回演奏する「フレイム・オブ・ピース」は池田の代表作の一つとなっており、この曲がまだ無題であった時に沖縄の海を眺めながら作ったと言っていたが、このバラードは最近の憂うべき世情を超越していて心に迫る。2回目は無題の自作曲から始まり、次の「フォーリャス・セーカス」という曲は“枯葉のサンバ”という邦題で、例の“枯葉“と比較することは無意味な南半球でしか生まれそうにない曲。W・ショ-タ-の「ユナイテッド」、これはアクの強い曲なので中々テーマを頭から追っ払えない。バラードを挟みいよいよ佳境を迎えた。アタマからアルトとベースがインプロでスリリングに並奏しはじめ、これが第1の聴きどころとなっていた。次に池田の渦と渦が混ざり合うような壮絶ソロからやがて四重奏になっていくところが第2の聴きどころだろう。その曲名が池田のソロ解決部分で「チェロキー」だと分かる。客の貯まっていたエネルギーが躊躇なく大喝采となって噴き出した。伊藤も本山も最早引き下がることを許されない。そして十分健闘した。彼らも止まない拍手に一役買っていたのだった。池田には素晴らしいソロ・アルバムがあるが、アンコールはそれを想起させるようなソロに始まる「オールド・フォークス」が演奏され、じわ~っと来させてからメンバー紹介を織り交ぜた「ナウズ・ザ・タイム」にて終演した。若井俊也が益々大きくなっていたこともあり、池田の公言どおり2日分が1日に込められた手に汗のライブだった。
 冒頭、池田のCDを聴き直したことに触れたが、辛島さん支援のために自主制作した『Karashimaジャズに生きる』は結束感が極められていて一際印象深いアルバムだ。少し横道にそれるが、人は勘違いに気付かないことがある。美空ひばりの「柔」の歌詞には「“おくに”生きてる柔の夢が・・」という一節があって、東京オリンピックの頃の曲ゆえに筆者は競技による国威高揚の文脈から“おくに”を長い間“お国”と思い続けてきた。ところが、最近になって“奥に”であることを知った。ここで勘違いを確信に変換してみたい。『Ikeda奥に生きる』と断言しようではないか。池田を聴いていて我々の脈動が熱く変化するのは、彼の音に血が通っているからだと信じている。いま池田篤は奥の奥で演奏することが許される数少ない演奏家の一人となった。
(涙のM・Flanagan)