忖度と矜持

入社2年目の春。組合総会に互選であるが課の代表と言う事で出席した。議事の中で意見のある方はと言う場面が有ったので挙手をした。まだ何も意見を言う前であったが空気が澱んだ。
その議事進行は中国の全人代のように幹部が方針を述べ参加者が拍手で答えると言う出来レースの様であった。そう感じた事を正直に述べた。終了後職場に戻ると上司に呼ばれた。もう学生ではないのだから議事を妨げるようなことはするなと叱責された。その時jazzのように聴こえていてもそうではないものがあるとはっきり分かった。書き譜のjazz、或いはカニ風味蒲鉾。今ほど忖度と言う言葉が一般的ではなかったがその事を知った季節である。
今マスコミが劣化し続けている。その事が民主主義の花を枯らせ、政府の横暴を下支えしている。新聞記者の中にも東京新聞の望月衣塑子記者のように気骨のある人もいると思うのだが紙面にはあまり反映されていない。池上彰氏のように両論併記がジャーナリストの本分と考えている人が多い。
つい最近の菅首相のぶら下がり会見の時である。最初に「GoTo一時停止の判断」について聞いたあと、2問目が「今年の漢字『密」についての受け止め」だった。2問しかないぶら下がりで、コロナが緊迫した今の局面で、GoToについての再質問をせずに、「今年の漢字」である。上司に言われてきたのだろうが唖然とする。
「お答えする立場にはない」お答えすることが仕事である。
「捜査中の案件につきお答えできない」検察庁の捜査と国会での説明は質的に違うものである。
「人事に関することなのでお答えできない」いつからそうなった。「政府にたてつく学者は目障りなんだよなぁ・・」とはさすがに言えないからだ。
突っ込みどころは満載である。だが忖度ジャーナリストはそれを避ける。新聞社の上層部はパンケーキミーティングなどでオフレコ情報を聞いている。それを国民知らせようとはしない。いつ知らせるかはこちらしだいだという優越感を感じつつ政権との一体感を体現している。ジャーナリストの矜持はどこにいった。
この状態をうまく例えている文章を見つけた。山崎雅弘氏の文章である。
「サッカーの試合で、八百長に加担するフォワードが、シュートチャンスになるたびに、相手キーパーの正面に、キャッチしやすい緩いボールを蹴る。今の内閣記者クラブなどの政治部記者がやっているのは、そういう仕事。限られた質問機会=シュートチャンスを、ことごとく捨てて、権力者チームに奉仕する。」
余談
がっかりする質問で思い出したことが有る。Lazyでの打ち上げの席の事である。東京に進出を決めたSに「米木に何か質問したら」と促した。Sはおもむろに口を開いた。
「米木さんシャンプーは何を使っているのですか」
喝!
その後Sが大成したと言う噂は聞かない

追記
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