ま・く・ら

「談志が死んだ」という回文があるが今回は柳家小三治である。一落語ファンとしては残念である。残念ではあるがあまり寂しくはない。辛気臭くなっても噺家に失礼な気がする。談志は落語とは「業の肯定である」と一言で要約してしまった。死と言う現実も和田アキ子流に「笑って許して・・」で済ましても怒られない気がするのである。ある時布団に入ってから眠りに入るまでの時間がもったいないと思うようになった。年取って命根性が汚くなったせいである。まず本は論外である。電気がついていると寝むれないし、昼、嫌になるほど読んでいる。目は休ませなければならない。音楽も寝つきが悪い。ロックは勿論だめだがジャズも気になって眠れない。良く分からないクラッシックは寝るためにはジャズより有効だ。フランス語の朗読も向学心が頭をもたげてくると頭がさえてくる。そこで落語に行きついた。テンポの速くない滑稽話がよい。柳家小さんの「将棋の殿様」とか古今亭志ん生の「寝床」なんかを聴いているといつの間にやら笑いながら寝ている。時々こういう風に死ねたらなあ・・・と思うのである。
ここまでがまくらである。柳家小三治はまくら話の名人でもあった。僕が生で落語を聴いた唯一の師匠が柳家小三治である。山下洋輔トリオとのコラボと言う凄い企画であった。小三治が話す。それに反応して、たぶん反応しているのだと思う。トリオの演奏がある。その演奏を話でひろう。・・・その繰り返しでことは進行する。まくらの話は今でも覚えている。バイクに乗ってツアーした時の話であった。小三治はバイクも音楽にも詳しい。勿論正当な古典落語をちゃんと聞かせる高座も務めるが先のような企画や自分で歌を披露しながらの高座と言う新しい試みにも挑戦する師匠でもあった。
ジャズミュージシャンには落語フアンが多い。小山彰太さん、林栄一さんなど。なぜ多いのか考えてみたい。落語も同じ「禁酒番屋」であっても演者によって全く違う。お客さんの反応で高座の出来が変わるなどジャズと共通する要素が多い。山下洋輔さんのように落語の「寿限無」を曲にしてしまった例もある

落語家による推薦著作
「ま・く・ら」柳家小三治
多彩なまくら話を一冊にまとめた本。落語を聴くように読める。
「談志が死んだ」立川談四楼
談志門下には筆の立つ師匠が多い。談志が死んだ時の顛末を弟子の談四楼が小説にしてしまった。談志の戒名は「立川雲黒齊家元勝手居士」うんこ臭いと読む。
「現在落語論」立川吉笑
若手落語家が現代における芸能の生き残りをかけて落語とは何かを問い直した論考
「落語的学問のすすめ」桂文珍
関西大学での講義をまとめた本。こういう講義なら絶対眠くならない。試験は創作落語を作ってもらう事。それを文珍が演じて笑いが多ければ「優」