同級生

週末、高校の同級生Kが来た。55年の付き合いだ。折しも55年体制が確立する頃の話になる。コロナ禍で年、数回安否の確認のメールをやり取りするくらいで実際会うのは3.4年ぶり位だ。初めて会ったのは入学式前のオリエンテーションの日、通学のバスで僕が彼女のカバンを持ってあげた日らしい。そう言われた。僕は覚えていない。2年生の時、自由放任主義の担任の先生で掃除は週二回、席は早い者勝ちという生徒が決めたルールーを尊重してくれる先生であった。何より制服自由化の要望を支持してくれた。そのクラスで席取りを彼女がしてくれていた。直射日光が当たらなくて、黒板の字が見えて、寝ても比較的目立たない席を早めに登校して確保してくれた。僕は当時バンドをやりながらサッカー部にも所属しておりレコードを買うために昼食は我慢していた。飯抜きでサッカーの練習はきつい。見かねた女子生徒が時々おにぎりを分けてくれた。そんな高校二年の春、中間試験近くKに世界史のノートを借りる約束をしていた。部活を終えて教室に戻るとKが「全部書き写してあげたから・・・」とノートを渡された。書き写す手間の省けた僕はそのノートを何度か読み試験に臨み96点のクラスの最高点を取った。フン族の大移動あたり時代だ。フン族が東ゴート族を破って西進したのが375年のはずだ。(ゴート人皆殺し)と覚えた。だから僕はKに会うとフン族の事を想い出す。Kは覚えていないという。二人とも覚えていることが違う。当たり前の話だが・・・・。55年も付き合っているとあの時こっちの道を選択していれば・・・と思う事が数度あった。二人ともその事を知っている。そのうえで他愛もないことを年に一二度話す。そういう時はウクライナ問題も、知床遊覧船の話もしない。
帰ってから短いメールが来た。「お母さまが亡くなってから初めて会うので白いブラウスと黒いカーディガンで行きました」とあった。そんな所まで気遣いができる女性が同級生にいる事が心をほっこりさせる。
相変わらず地味な服装だな・・・と言わずに帰して本当に良かった。