青春の光と影
高校の同級生がふらっと店に来た。10年ぶりくらいかもしれない。風の便りで何か患っているとも聞いていたので安心した。昨日の事は覚えていないのに55年前の事は映画の一場面の様に覚えていることが有る。ジュディー・コリンズの青春の光と影が流行っていた。S子の事は3枚の写真を見るように思い出す。一枚目は2年6組の教室内である。男女二人づつ大相撲の升席の様に座っている。ちょうど教室の真ん中あたりである。ただそれだけである。担任の先生は民主的な考えの持ち主だったので生徒が決めたことは何でも採用してくれた。掃除は毎日でなくても良い。席順は早い者勝ちとする。などなど・・・。それでK代が週初め早めに登校して花見の場所取りをするように4人分の席の囲い込み運動をしていてくれたのだ。だが何故その4人になったのかは分からない。S子も覚えていないと言った。2枚目は日にちも覚えている。10月21日、テレビ塔前の集会の風景である。国際反戦デーで大通りは数ブロック人で埋め尽くされていた。見るだけでも来ないかと同級生に誘われて物見遊山で見に行ったらS子もいてスピーチが終わったらヘルメットを被せられてデモの隊列に込みこまれてしまった。絶対に前の人のベルトを離さないようにと注意を受けた。その意味が分かるのは暫くしてからであった。でもの隊列を崩そうとする勢力と出会った。あの人たち公安だから・・顔隠してとS子からレクチャーを受けた。どこの組織のヘルメットを被せられたかはうろ覚えであるが鹿島建設では無いことは間違いない。3枚目は卒業してからのあるジャズ喫茶での再会の場面である。高校の時はフォークからロックに宗旨替えをしている時期でS子は僕がジャズにのめり込んでいきつつあることを知らない。帰りしなに「吉田君ジャズ聴くんだ・・バンドやっているの」と聞かれた。ジャズ研は無かったし一緒にロックをやっていたドラムの人間と大学に入ったらジャズをやろうと話し合っていたが札幌、室蘭と生き別れになってしまった。誰も仲間がいない旨を言ったらS子は「私ジャズ研のマネージャーやってるから紹介してあげる」と言われた。それで学園のジャズ研に顔を出したことが有る。曲がりなりにも今ジャズで糊塗しているのは多少なりともS子のおかげでもある。