これは池田篤の最新作であるが、最初はいくらか面食らった。喩えていえば長時間と短時間は、ある視点からは同質であると言っているからである。しかし、少しづつその謎が氷解してきたので、ここは一つ力を込めながら本盤を紹介する。池田によれば前作『Free Bird』は、彼が考える”最もジャズらしいジャズ”を希求したものであり、本作では”最も私らしいジャズ”を目指したという。周知のとおり池田は教鞭を執る立場にもあり、そこではジャズ史、より広くは音楽史について公論・持論を展開しているらしい。筆者は池田のLIVEおよび過去の作品群に接することしか出来ないので、そこで何が論じられているは知る由もないが、その一方で前述のように池田の作品作りには明確な動機が働いていることは知ることができる。この作品のモチーフは”人類史(Our Stories)”から”日々の私記(My Stories)”のようなものを含む二重構造になっている。謂わば人類年表の1行目、2行目・・・に思いを馳せつつ、それを見やる今の自分自身が素材となっているのだ。このアルバムで池田は何を射程圏に納めていたのか?ヒトの夜明けに相当する壮大な『Sapiens Suite』に始まりバンドの移動巡業、愛娘、著名な俳人である母上の一句、友人のこと、平和への思いなどがちぎり絵のように一体的に仕上げられている。つまり壮大なこと(長時間)と昨今の周辺事情(短時間)とを音楽的に等価と見なして纏めたのが本作だと言える。いつかのレイジーLIVEで太古のヒトへの関心についてチョコっと語っていたことを思い出しつつ、池田の飛んでる冒険心に繰り返し耳を傾け、筆者も「冒険者たち」の仲間に入れて貰うことにした。最初に4部構成の『Sapiens Suite』が来るのだが、厳かな出だしが蠢く何かを暗示するpart1、そこを起点として目くるめく展開してpart4の完結部に迫っていく。これは猿人からホモ・サピエンスに至る果てしない過程を組曲にしたもので、途方もない旅の始まりから人類が好奇心をもって世界各地に散らばっていくまでの躍動感を提示している。組曲が終わると、あっという間に現在の池田をめぐる冒険に転位していく。本作『OUR STORIES』とはこういう筋書で進行するのである。何度か聴き続けていると『Looking For Bird』という曲が無性に気になってきた。本アルバムの構想を借りて言うと、”Bird”との出会いは演奏家池田にとって原人の時代に該当する。そして幾段階を経た今日の池田はC・パーカーから分派したホモ・サピエンスになっていると読み替えることができる。『Our Stories』と『My Stories』を均衡させたのが本作だというのが筆者の見立てだ。独りよがりに走ってしまったが、この作品には肩肘を張らせるような難解さはなく、寧ろそんなことに手を出さぬ池田の懐の深さを味わえる力みのない力作に仕上がっている。
何だかんだ結局10回くらい聴いてしまった。いまの池田にボブ・ディランさながら「派手に吹かれて」しまっては困り果てるが、どの演奏においても全くそんなことにはなっていない。池田のアルバム作りの信念は「前作を超えるものを目指す」ということである。もし筆者がCDのオビに1行依頼されていたなら、「またまた池田の最高峰リリースなる!」としただろう。これが誇大広告などと言われる筋合いは何処にアル・ジャロウか。鉄壁のレギュラー・グループによる新たな代表作を是非とも聴いてみて候。
(M・Flanagan)