大野エリ(vo) 石田衛(p)米木康志(b)小山彰太(ds)
7月はシング・シング・シングにつきる。よってメニューの立役者は「ボーカル漬け」である。いずれも糠床が格好よく発酵していて聴き応え十分だった。そしてこの月のライブ循環は大野エリの王道において解決をみた。彼女のそもそものエネルギー源は、ボーカルが別物扱いされることへの不信感を単なる不満に留めることなく、対等な肉声楽器に昇華させようとする自意識の強さだ。それが既に確立されている“私のカタチ”を超えて自らが取りうる可能性を徹底追求しているように感じさせるのだ。言い換えると、彼女に対する最も舌鋒鋭い批評家は彼女自身である。但し、ステージではその苦行難行は見つけることはできない。プロフェッショナルな誇りをもって自らの“楽器”を演奏しているだけなのである。解説を加えすぎるのは宜しくない、今日も素晴らしかったとだけ言っておく。バックのピアニスト石田を初めて聴いて、目立たないところに沢山の仕掛けがあった。“隠し味、自分だけしか、うなずかず”。このつまらない川柳ふうはある評論家の一言をもとに捻った。彼が云うには“作品の良さとは読者が自分にしか分からないだろうと感じさせるものが優れている”。これを信ずるならば、このピアニストはそういう感じをさせてくれていて興味深い。誤解しないでほしいのは、ある曲の途中で石田は一瞬“ラバー・カムバック・トゥ・ミー”のサビを引用したが、それに気付いたかどうかを言っている訳ではなく、自分だけに響いていると思わせるものがあったかどうかを言っているので要注意。それからショータさんのここぞという時の一撃、米木さんの背骨の太さについては付け加えることは何もない。曲は、「ジャスト・イン・タイム」、「リフレクションズ」「コンファメーション」、「マジック・サンバ」、「ブルー・イン・グリーン」、「アイム・オールド・ファッションドゥ」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「リトル・チャイルド・“クリスティーナ”」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」、「カム・アラウンド・ラブ」、「イン・ザ・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」、「アップル追分」、「ブラックバード~バイ・バイ・ブラックバード」、「アイ・ラブ・ユー・マッドリー」などスタンダードを始めベーシストB・ウイリアムスの曲、エリさんの曲で、殆どエリさんのアルバムからピック・アップされていた。
ボーカルを別物扱いにしている人はまだまだ大勢いいると思われる。筆者自身も例外ではなかった。経験則に従えばシング・シング・シングにある程度リッスンを対応させていれば、いつか貴方は歌にとってのグッドマンになることができる。今回のレポートはここからが重要である。ボーカル・ライブの日は女性のお客さんが多い。ジンジャーかウーロンで人生が変わり得ることに期待を込めてレイジー・バードに足を運ぶことをお勧めする。
(M・Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2016.7.22-23 クレイジー・バード/愛と平和と音楽の2日間
LUNA with 一哲Loud three LUNA(vo)竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
これはどう考えても憲法違反な企画である。自らをjazzに縛ることを信条としてきたLBマスターだが、若き日に浴びたロックのDNAが暴発、戒律をその手に掛けてしまったのだ。この深刻な成り行きが本当の話になってしまったのは、共犯の申し入れをLUNAが快諾したことによる。ここには音楽と熱狂の関係を問い直すための明確な意図があるのだろう。
いよいよロック・シンガーLUNAの誕生だ。のっけからツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」、「ロイヤル・オルレアン」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンの「ファイアー」、「リトル・ウィング」、ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」。これらのリアルタイム世代としては恥も外聞もあったものではない。ハートに火をつけられ、“イェー”の声が裏返ってもお構いなし。この日だけは行儀の良さにHellow-good-by。次のエアロスミス「ママ・キン」やレッド・ホット・チリ・ペッパーズのFワード連発「サック・マイ・キス」そして人気曲「バイ・ザ・ウェイ」は、筆者より少しあとの青春の人々のものである。若き日に誰を好んで聴いていたかによってその人にとってのロックはほぼ決定されるように思う。しかし、年齢と時代の出会いは本人には選択できない偶然にすぎず、ビートルズ世代であろうとその後のどの世代であろうとロックと個人の関係に優劣は全くない。ロック的な感受性が繋がっていれば世代という垣根は取り払われてしまう。場内の性別・年齢を問わない一体的興奮がそのよい証拠となっていた。LUNAの言を借りれば、そこにいた一群の女性達を“ロック喜び組”と言うのだそうである。そして再び我が世代がやって来た。3、40年ぶりに聴いたのに咄嗟に思い出すジャニス・ジョップリン「メルセデス・ベンツ」、「ムーブ・オーバー」、更にはツェペリンの古典「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、トドメはディランのやるせない「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」。あぁ、過去と現在が日本語の時制のように節操なく行き来する。ロックのボーカルは単に主要パートと言うより武器に近い。メッセージの発信という役割を担ったLUNAの闘争心に歓喜のうるうるは仕方あるまい。
躊躇なく2日目も聴く。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」、先ごろ伝説になったプリンスへの追悼「パープル・レイン」など前日にない曲に再び泣きが入ってしまった。Loud3はと云うと、碓井がオリジナル・フレーズ多用する我らが望み通りの展開に持ち込み、応戦する一哲渾身のドラムスには久々に鼓膜がヘトヘトとなるも、長老秋田のグルーブ感は抜群の効果をあげていた。何時しかLUNAに潜むナチュラルなロック魂がエクスプロージョン、ついにLoud4へと変貌した。その時“サッポロ・シティー・ジャズ”は視界から消えてしまい、店主の願いどおりドラッグにまみれない「愛と平和と音楽の2日間」Woodstockな夜が終了したのだった。もはや憲法違反は撤回され、新たに第北24条として“Love&peaceに対する音楽的罰則については永久にこれを放棄する”が追加された。放心状態のさ中、筆者に宿る家政婦は見ていた。帰り際とらえた最高のロック・シンガーLUNAの目は、『またやるわよ』。
(M・Flanagan)
2016.7.9 キャノンボール・は誰?
松原衣里(vo)朝川繁樹(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)、スペシャル・ゲスト 畑ひろし(g)
かなり前のことだが、廃刊になった「スウィング・ジャーナル」誌に畑のデビューCDが紹介されていて、入手したところ腕の立つ未知のギタリストがいるものだと思ったことを覚えている。このライブに来た動機は畑を聴くためだ。予想通り、ソロにバッキングに淀みなくスウィングする見事な演奏を披露して頂いた。なお、本日の段階で松原のことは全く知らない。最初の2曲「ステラ・バイ・スターライト」、「オーニソロジー」はインスト演奏だったが所期の目的は達成できそうだと感じていたところで、3曲目から初めて聴く松原が登場した。“つれなくしないで”が邦訳の「ミーン・トゥ・ミー」。いきなり“うぉっ”と思った。太く柔らかい声は天性のものに違いない。1stは「ワン・ノート・サンバ」、「ユードゥ・ビー・ソ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「ア・タイム・フォー・ラブ」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」と続いて行くが、この人は徹底的に自分の天性を活かす鍛錬を積んでいるのだろうという印象を持った。2ndもボーカル抜きの「ラブ・フォー・セイル」から始まり、2曲目から再びボーカルが入る。「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、「ウェイブ」で会場の秩序を整え、そのあと壊しにかかる。ど・ブルースの「サムワン・エルス・イズ・ステッピン・イン」を思いっきりシャウト。放蕩男に対する女の怒りが爆発。客が内に潜めているウズウズした感覚を一気に引っ張り出して見せた。一転、次はシンプルなギターのイントロに乗せて「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。誰もが六十になったらルイ・アームストロングのように歌いたいと願っている。この曲はそういう曲だ。そう言えば、わが国のリーディング・ボーカリストの大野エリさんも近作で歌っていたのを思い出す。最後は「アンソロポロジー」で、アタマで同じコード進行の「アイ・ガッタ・リズム」をワンコーラス入れるサービスがあり、ごっつぁんでした。アンコールは賑やかに「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」。
筆者はボーカルに明るくないので、松原がどのような位置にいるのか分からない。敢えて感想を言うならば、ボーカルの新館には実力者がひしめいている、彼女はそこには居ないかもしれないが、別館では間違いなく女王の座を争っているのではないか。イージーな設問に恥じらうが、誰を隠そう松原こそ声も見た目もキャノンボール、圧巻のライブだった。
(M・Flanagan)
2016.6.25 生き返った歌の行方
高野雅絵(vo) 大石 学(p)
『大石はボーカルのバックをさせたら日本最高と信じています』。これはライブ案内に書き添えられていた1行である。今回の企画を知った時、ゾクゾクとザワザワが走った。札幌圏で地道な活動を続ける高野だが、今日の相手は案内書のとおり“日本最高”だからだ。
早速ライブの進行に沿いながら振り返りたい。1st.最初の2曲は大石のソロから開始された。ボーカルが入るまでの前奏として静かな幕開けが演出されていた。高野が加わった1曲目はセルジオ・メンデスの「ソー・メニー・スターズ」、上ずる心を鎮めていて中々の滑り出しだ。次は最近よく採り上げている鈴木慶一の「塀の上で」、これまでの中で最も情感が乗っていたと思う。ブルース・ライクな強音のイントロから“ガッガッガッガッ~”「Come together」だ、これも十分歌い切っていて出色の出来だ。加藤崇之作「泣いて笑って」、この曲で大石はピアノとピアニカの同時二刀流で臨んだ。ピアニカはこの曲名を象徴するかのような悲と喜を漂わせる不思議な音色だった。最後はC・ローパー叛の「タイム・アフター・タイム」、高野は今日の自分に手応えを感じている。親しみやすいポップ曲を気持ちよさそうに歌っていたのだった。2nd.も冒頭2曲は大石のソロから。2曲目はラグタイムとブギーを掛け合わせたような賑やかな演奏で、暗に“さぁやるぞ”と高野に呼びかけていた。高野も大人である。調子に乗ると落とし穴があることを知っていて、大石に振り切られないようにギアを一つ下げて「スパルタカス愛のテーマ」と「ジンジ」というスローで美麗なメロディーの曲を持って来た。これは賢明な選択だった。場が落ち着いてから、ジョー・サンプルの割とポップな「When The World turns blue」、元々インストの曲に後から歌詞が付けられたと紹介された。詞が付けられる必然性が高野の歌で証明されていたように思う。いよいよ峠越えが近づきユーミンの「ひこうき雲」へ、そして雲の流れの先で最終曲の「Bridges」にたどり着いた。この曲を彼女が大事にしていることを承知していたが、ひときわ丁寧な歌いぶりにそれがよく表れていた。大石の豪快なバックに乗せて高野から”A thank for you”の謝意が会場に発せられ、必然的にアンコールは「A song for you」、予想にたがわぬ熱唱で2時間が締め括られた。
筆者は高野の歌をそれなりの回数聴いてきたが、今回は群を抜いて良かったと断言しよう。地元の連中が東京の一流どころと共演するとき、思わぬ能力が引き出されるのを度々見てきた。この思わぬ能力はその後の日常に吸収され易いことも知っている。今回は敢えて大石レポートにしていないが、「日本最高と信じられている」このピアニストはその形容のとおり起伏づくりやその立体感において全編で素晴らしい演奏を繰り広げていた。大石がいたから生き返った歌はこれからどうなるのだろうか。聴衆は豪華客船に乗せて貰い大満足の旅を終えたが、高野の旅は始まったばかりだ。過去は変えられないが未来と自分は変えられるという角度から今後の成り行きを注視して行こうか。
(M・Flanagan)
2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』
2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』
池田篤(as)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
ことも有ろうに27日、羽田空港で旅客機火災事故が発生した。その煽りで池田は新幹線に切り替えて一夜越しで札幌に着いたため、1日のみのライブとなってしまった。対照的に筆者は、数日前から池田のCDを何枚か聴き直し、24への助走路を通り抜けていたので殊さら残念であった。今回のベース若井俊也については数年前に初めて聴いていたが、周知のとおり今やケイ赤城トリオで本田珠也と共にその構成員として活躍している。いつぞや珠也に「そんなんじゃ、気合入らねぇだろ」と言われたとか言われないとか。前置きはさておき、開演に当たり池田らしく昨日来の不運に触れた後、ここに2日分を込めると公言してくれた。
最初の曲は、W・ショーターの友人の手による「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しい)で、心に残る旋律とそれに相応しい端正な演奏だ。( )書きの心理状態のお客さんがいたなら症状が悪化したかも知れない。2曲目は数日前に出来上がったオリジナル曲で、その演奏の濃さから演奏家が演奏を強く意識して書いた曲だと思わせる。3曲目はC・ブレイのあまり知られていない“永遠の平和”を意味するらしい曲、才媛カーラならではのメロディアスな曲想が相性よく胸に収まる。毎回演奏する「フレイム・オブ・ピース」は池田の代表作の一つとなっており、この曲がまだ無題であった時に沖縄の海を眺めながら作ったと言っていたが、このバラードは最近の憂うべき世情を超越していて心に迫る。2回目は無題の自作曲から始まり、次の「フォーリャス・セーカス」という曲は“枯葉のサンバ”という邦題で、例の“枯葉“と比較することは無意味な南半球でしか生まれそうにない曲。W・ショ-タ-の「ユナイテッド」、これはアクの強い曲なので中々テーマを頭から追っ払えない。バラードを挟みいよいよ佳境を迎えた。アタマからアルトとベースがインプロでスリリングに並奏しはじめ、これが第1の聴きどころとなっていた。次に池田の渦と渦が混ざり合うような壮絶ソロからやがて四重奏になっていくところが第2の聴きどころだろう。その曲名が池田のソロ解決部分で「チェロキー」だと分かる。客の貯まっていたエネルギーが躊躇なく大喝采となって噴き出した。伊藤も本山も最早引き下がることを許されない。そして十分健闘した。彼らも止まない拍手に一役買っていたのだった。池田には素晴らしいソロ・アルバムがあるが、アンコールはそれを想起させるようなソロに始まる「オールド・フォークス」が演奏され、じわ~っと来させてからメンバー紹介を織り交ぜた「ナウズ・ザ・タイム」にて終演した。若井俊也が益々大きくなっていたこともあり、池田の公言どおり2日分が1日に込められた手に汗のライブだった。
冒頭、池田のCDを聴き直したことに触れたが、辛島さん支援のために自主制作した『Karashimaジャズに生きる』は結束感が極められていて一際印象深いアルバムだ。少し横道にそれるが、人は勘違いに気付かないことがある。美空ひばりの「柔」の歌詞には「“おくに”生きてる柔の夢が・・」という一節があって、東京オリンピックの頃の曲ゆえに筆者は競技による国威高揚の文脈から“おくに”を長い間“お国”と思い続けてきた。ところが、最近になって“奥に”であることを知った。ここで勘違いを確信に変換してみたい。『Ikeda奥に生きる』と断言しようではないか。池田を聴いていて我々の脈動が熱く変化するのは、彼の音に血が通っているからだと信じている。いま池田篤は奥の奥で演奏することが許される数少ない演奏家の一人となった。
(涙のM・Flanagan)
2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
井上祐一(p) 粟谷巧(b)田村陽介(ds)
今年に入ってからピアノトリオが面白い。2月のキム・ハクエイ・トリオはスタンダードに新鮮な解釈が試みられており飽きを寄せ付けなかった。今月(3月)の11周年での大石学トリオは自己の美学を追求する強固な姿勢に感服した。今回の井上祐一トリオはジャズのエッセンスをバップとその継承に見出していることがストレートに伝わってきて、つぶやくとすれば、“ああ、こういうのっていいなぁ”ということになる。バップは、録音仕様で云うとモノラルな感じで、近年の高音質とは無縁の格好よさがある。筆者がジャズを聴き始めたころのピアノトリオとは、ビル・エバンスではなくバド・パウエルだった。何やら毒気が充満しているが、あちこちで新たな音楽の芽が吹き出している様子を想像することができる。あの時代は再現できない熱気に溢れていて、にスリル満点だ。ここで余談だがH・シルバに“ピース”という名曲中の名曲がある。この曲を聴くと熱いシルバと一致しない思いが募り、どうしてもこの違和感から自由になれない。
ところで、あの時代・バップの時代とはよく言うが、実はよく分からない。手掛かりとして、ダンスと切り離せなかったスイング時代から脱出するエネルギー噴出の時代と考えれば少し楽になる。このトリオの演奏曲を紹介しよう。「ヤードバード・スイーツ」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」、「ウッディン・ユー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「ブルー・モンク」、「スリー・タイマー」(MCによれば、パーカー、モンク、マイルス風を詰め合わせたオリジナル)、「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、映画“ラウンド・ミッドナイト”で演奏された「ワン・ナイト・ウィズ・フランシス」、「ティー・フォー・トゥ」「スター・ダスト」。楽しいライブだった。
今回はバップ本流を聴くことができた。B・ディランの曲で、K・ジャレットも演奏していた『マイ・バック・ペイジ』という曲がある。つられて私個人のバップ・紙片を読み直すことになった。
(M・Flanagan)
LAZYBIRD 11周年記念ライブ 大石学 2・3・4
LAZYBIRD 11周年記念ライブ 大石学 2・3・4
2016.3.2 大石学(p) LUNA(Vo) DUO
数年前にLBでDUOライブを果たしたことのあるこの両者は、それぞれ毎年札幌にやって来る。筆者は、LBでの大石は殆ど、LUNAの時はすべて聴いている。このことは自慢であったが、最近は幾分プレッシャーになっている。開演前、LUNAから前回のレポートを読み直したと聞かされた。残念ながらHP消失のため筆者自身断片的にしか覚えていないが、選曲のすれ違いを書いたと記憶している。ミュージシャンの選曲と客の聴きたい曲の微笑ましい不一致だ。今回は「ペシャワール」を聴きたかったお客さんハズレ。
このDUOの開始は、大石のソロからLUNAが加わる構成で、大石のソロは多分オリジナルだと思われる。1日が12時間しか刻まない重たい冬のイメージだ。最後の方で僅かに陽が差し、床板がそれを拾っていた。LUNA登場。舌を噛みそうになる高速発音に舌を巻いた「Joy・spring」。本人が空想に舞う「夜空のかけら」。圧巻のヴォイス・コントロール「エブリシング・ハプン・トゥ・ミー」。お馴染み「マイ・フェィバリット・シングス」に映画のフォントラップ・ファミリーが浮かんだ。そしてゴスペル風の曲で1部終了。後半は大石のソロに続き、しっとりうっとりの「マイファニー・バレンタイン」。吉田美奈子作「時よ」でどんどん時を駆け抜け、個人用タイトル「百年の恋」までたどり着いたが、この曲を今しばらくは忘れられない。最後の2曲は完璧に読みが的中。「ナチュラル」そして「諸行無常」だ。自然発生のStanding・ovation、こちらはLUNAの読みが的中しただろうか。彼女は丁度半年後の9月、11.5周年記念に再び来るので宣伝しておく。
2016.3.3 Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
近年の大石は歌ものやSOLO 、DUOが中心と決めつけていたので、このトリオのCDを聴いた時はかなり新鮮な感じがした。そして本日。「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、大石オリジナルの「ポインテッド・デザート」、「クワイアット・ラバーズ」、「ネブラ」などJust-tioと過去の作品収録曲を交えてピック・アップされていた。後半は、大石オリジナルと思われる曲の後、オフのLUNAが来ていて2曲飛び入り、「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」と札幌スタンダードの「ローンズ」、ボーナス・トラックが花を添えたことは喜ばしい。再びトリオの世界に戻ると、「ウェルス」、「フラスカキャッチ」、「ピース」、「マイ・ワン&オンリー・ラブ」と一気に畳みかけて行った。いつも思うのだが大石の低音部の使い方は重層的で素晴らしい。札幌初登場のドラマー則武は、出過ぎないことを自意識の核にしている印象で外連味がない。名曲「ピース」を初めて聴いたのは、およそ10年前大石・米木・原のトリオによるライブで、その後何度か聴いているが、この曲には大石の感受性が究極まで掘り下げられた魔物がいて、聴く者を釘付けにしてしまう。これが心に来ない人はきっと間違った生涯を送るのではないか。
先日、テレビに出ていた僧侶の話によれば、仏教の信仰には“信仰しない”という概念が含まれており、他の宗教と比較して際立った特異性があるとのことだった。音楽(演奏)も感動する・感動しないを含んでいるとして、11周年は見事に感動の側に振れたが、ここには何ら特異性はない。一呼吸おいて余興が始まりそうになった。余韻に逃げられないよう慌てて店を出た。
2016.3.4 鈴木央紹(ts)with Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
「?」「?」「?」曲名が思いつかぬ3曲の後、ガレスピーの「グルーヴィン・ハイ」であっという間に前半終了。思索的エモーションの強い大石と淀みないエモーションが怖い鈴木の双頭カルテット、非常に貴重な組み合わせだ。こういう編成の大石を想像しづらかったが、管とやる時のあり方を完全消化していることが分かった。抑える所と露わに絡む所がダイナミズムを発生させ、絶妙のスイング感を提供する。鈴木は直前まで大石がリーダーと思っていたらしく、どう乗っかるかを考えていたようだが、本人がリーダーと知らされ咄嗟にアイディアが湧いていたようだ。横道にそれるが、昨年の10周年はリーダーが入れ替わり立ち代わりのリレーゆえバトンを落とすハプニングもあったが、今年は秩序意識が高い中で進行した。後半もレギュラー・ユニットさながらの演奏が展開された。「マイルス・アヘッド」のなんと心地のよいことか。10日ほど前に仕上がったという大石作「レター・フロム・トゥモロウ」を終えた後、鈴木は“こういう美しく正当な進行の曲だから演奏中に頭に入ってしまった”と言っていた。難曲を難曲に聞こえさせない超実力者の鈴木ですら、奇抜なコード進行の曲は必ずしも歓迎していないことを知って少し安心した。佳境に向かって演奏されたミンガスの「デューク・エリントン」に捧げた曲では作者の分厚い曲想に酔が回ってしまった。常時LBの指定席が用意されている米木さんは、勿論、アニバーサリーの固定ミュージシャンである。異論を蹴散らして言うと鈴木と大石のバランスを絶妙に仕組くんだのは米木さんだ。LBではミュージシャンが幾つかの名言を残しているが、ある高名なドラマーが言った「米木さんがいれば何とでもなる」というのもその一つだ。シンプルだが真実を言い当てている。来場者の多くがLBはミュージシャンと客との距離が近いと言う。ついに世界有数のライブ・ハウスの仲間入りをしたか?今回ライブを聴いたのは3月の2、3、4、そしてDUO・TRIO・QUORTET。大石学2・3・4。
(M・Flanagan)
2015.11.13 Eri the greatest 大野エリ(vo)若井優也(p)
2015.11.13 Eri the greatest
大野エリ(vo)若井優也(p)
Live at Lazybirdでのエリさんは、毎回キャリアの集大成のような実力を見せつけてきたが、今回は極め付けというか、期待以上の期待を更に飛び越した感じだ。彼女のトータルな力量が余すことなく伝わってくる。壮麗なヴォイスが会場を呑みこんでいく。その流れに浸るだけで、他はいらない。ジュリーではないが、時の過行くままにこの身を任せてしまった。“前回も良かったけど今回はもっと良かった”というライブ後の感想は、満足の度合いを端的に示すバロメータである。それは前回の評価を低めるものではなく、今回ますます手応えを感じたということであり、ライブはいつもそうあって欲しい。その日その日ライブに足を運ぶお客さんは、何らかの狙い目を付けてやって来るので、それぞれに満足を持ち帰りたいのだ。
エリさんは中盤ぐらいまで会場が盛り上がっていないように思っていたらしいが、威圧感すら漂うような歌唱に一同聴き惚れていたというのが真実だ。そして呪縛が解けていく後半は大盛り上がりになって行ったのだった。この日は若井とのデュオだが、ニュー・リリースの“How my heart sings”には、ベースのバスター・ウィリアムスとドラムスのアル・フォスターというレジェンドが加わっている。その中から「アイム・オールド・ファッションド」、「コンファメーション」それにアルバム・タイトルから「ハウ・マイ・ハート・シングス」がピック・アップされていた。このほか「ジャスト・イン・タイム」、「ブルー・イン・グリーン」、「ワン・ノート・サンバ」、「イン・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」などエリすぐりの全15曲。ときめきを運ぶその声は今も耳に残る。随分前になるが、モハメド・アリの伝記的映画に付けられた題名は、“アリ・ザ・グレーテスト”だったが、来場者ひとり一人の“How my heart sings”に対応するのは“Eri the greatest ”だ。
(M・Flanagan)
2015.10.16-17 リスペクト・イン・ジャズ
池田篤(as、ss)本山禎朗(p)北垣響(b)伊藤宏樹(ds)
いま池田は尊い活動を行っている。共演歴が長く、また、多くの影響を受けてきた辛島文雄さんの闘病生活を支援するため、2013~2014でのピット・イン・ライブを1枚にまとめたCDを自主制作し、この購入を広く呼びかけている。既に1000枚を突破せんとし、更にオーダーが増えているという。筆者も手に入れたが素晴らし演奏が詰め込まれている。詳細は池田篤のウェブサイトで確認のうえ是非とも協力して頂きたい。標題は池田に敬意を表し、ジャズ批評家の油井正一氏による昔のラジオ番組「アスペクト・イン・ジャズ」から拝借した。
さて、池田は3月に続き今年2度目の登場になる。前回はバンマス・ジャックに巻き込まれながらも堂々と人質を務め、懐の深さを見せつけたのが記憶に新しい。今回はメンバー構成から言って、事件と事故の両面ともその可能性がなく、安心特約付きライブだ。ここで池田聴き歴をまとめると、何でもできる池田の時代から池田にしかできない池田の時代になったという感慨に尽きる。近年の楽しみは二つあるが、一つはバラードでの胸中から滲んでくる音、もう一つはあたかも後ろにオーケストラがいるかのような圧倒的なドライブ感だ。
演奏曲を羅列してみよう。モブレーの佳曲「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、不思議な天才ショーターの「ユナイテッド」、池田が影響を受けたというC・マクファーソンの「ナイト・アイズ」、同じくJ・マクリーンの「マイナー・マーチ」、歴史的名演を持つ「ラバー・マン」、ショーターの友人が書いたという「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しいという意味らしい)、黒い情念マルの「ソウル・アイズ」、選曲される王者モンクの「ティンクル・ティンクル」、池田のみが演奏を許されている「フレイム・オブ・ピース」、3月にリクエストしたのが奏功したか分からないがスリル満点の「インプレッションズ」、怪しさ漂うバラード「ダーン・ザット・ドリーム」、最早我らのナツメロ「パッション・ダンス」、辛島さんに捧げた直訳風タイトル「スパイシー・アイランド」は未開が覆うモンスターな島の物語だ。最後はブルース、イントロで池田は「ドナ・リー」やら「ホット・ハウス」やら「コンファメーション」やらを散りばめた長尺ソロで場内制圧、その終息と同時にルーズなテーマに突入。このくだけた極楽とともに幕がおりた。また、バック陣の奮闘ぶりも好ましく、彼ら多量の発汗によって立派な“ほっちゃれ”になっていたようだ。
余話一つ。LBには付属施設としてジャズ幼稚舎という家柄を問わないバンドがある。諸事情から札幌を離れた連中が心の故郷と慕うLBに時折顔を出す。この二日の間、カナダからマークが3年ぶりにサプライズ来場、首都圏からサックス主任S名とスランプ対策係長H瀬、その他行方不明中の人物も姿を現していたようだ。そこに数名の固定メンバーが出迎えていた。いい光景ではないか。
(M・Flanagan)
2015.9.25 スズキの四人駆動
2015.9.25 スズキの四人駆動
鈴木央紹(ts)南山雅樹(p)北垣響(b)竹村一哲(ds)
昨年の鈴木のレギュラー・カルテットによるライブは、非の打ちどころのない見事なものだったが、その完成度の高さに少し割り切れなさを覚えたとレポートした。それは、多くのファンの思いを代表するものではないが、何でもできてしまうが故に計算済みに聞こえることに対しての印象からだ。そうした昨年のことを思い起こしながら、今回のイレギュラー・カルテットを聴いた。相当楽しめたというのが率直な感想だ。勿論、その立役者は鈴木である。湯水のごとく湧き出るその創造性に、いつしかS・ゲッツを思い浮かべていた。彼の圧倒的タレントは我が国のレベルの高さを立証するものである。加えてリズム・セクションも気心知れた連中で固められており、自らの持ち分をぶつけて鈴木と向き合う姿勢は非常に好感が持てるものであった。本日ここに、スズキの四人駆動が足回り抜群なことを晴れ晴れと認識した次第である。レギュラーとイレギュラー問題については、別の機会に回すことにするとして、当分の間、余計なことは言わない方が得策と判断した。演奏曲は「チチ」、「アイム・オンリー・スマイリング」、「タイム・フォー・ラブ」、「エンブレイサブル・ユー」、「パブリシティー」、「フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」など。なお、鈴木は来年3月のLB11周年記念ライブに大物の一角として出演を果たすそうである。天災は忘れたころに、天才は忘れる前にやって来る。
(M・Flanagan)