池田篤(as)加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
「Free Bird」とは池田の直近アルバム名である。Bird、パーカーの演奏は機械的すぎるというような理由で好まない者が結構いるような気がする。しかし、彼の天才を否定する者は余りいないだろうし、その後に及ぼし続けた影響を否定する者はいない筈だ。「Free Bird」というタイトルはパーカー的なるものの最終確認の意味合いが含まれていると思う。“帰巣”とそこからのより自由な“旋回”と受け止めても良いかもしれない。詮索は程々にして、ライナー・ノートの最後の一行が池田の音楽家意識を平明に表しているので転載しておく。『さあ大変なことになった!次回はこれを超えるアルバムを作らなくてはならないからです』。池田の凄みは徹底したやり残しの拒否である。残渣を受け入れないのだ。聴いていて、池田はどこまで行ってしまうのだろうかと感ずる聴き手は少なくない筈だ。それは今日ここで人生最高の演奏をする、いつもその思いが池田にはあり、必ず彼はそういう演奏をするのだ。ひょっとすると若い時の方がスキル的に上回っていたかもしれないし、若い時にしか成し得ない音があることも事実に違いない。しかし池田はいつも往時を背負った今日を発信し続ける。池田の演奏に胸打たれるのは、それが生で伝わって来るからだ。このリアルな体感は消そうとして消せるものではないとつくづく思うのである。演奏曲は近作で曲名の紹介がなかったブルーズやバラード数曲のほか「Miles Ahead」、「You’re A Believer Of A Dream」、「Enter The Space」、「Is It Me?」、「Ceora」、「Infant Eyes」、「Rhythm-A-Ning」、「Star Eyes」、「ThisIDig Of You」、「When Sunny Gets Blue」、「Newspaper Man」、「Folhassacas」などである。
標題は“Free”と“Lazy”とのBird的な相性を問うてみることに端を発しているが“自由”と“怠惰”は馬が合うとの噂が広まっているらしく安心した。
PS.池田の前の日、リズムセクション三嶋大輝トリオの7月に続くLive Againがあった。これまでのところ、三嶋は勝負球を連投するタイプと思っていたが、ライブでよくあるモンクでつなぐような選択を避け、「テネシー・ワルツ」、「ビギン・ザ・ビギーン」といった楽曲を持ち出して来た。何んだか三嶋が半歩ほど近くなった。演奏曲は「Time After Time」、「North Of The Border」(B・ケッセル)、「Training」(M・ペトルチアーニ)、「Tow Bass Hit」(J・ルイス)、「Hindshight」(C・ウォルトン)、「Old folks」、「Fly Me To The Moon」など。ドラムとピアノは初聴きの人が多くとに思うが、柳沼のタイトさ、加藤のフレクシブルさに目を見張ったに違いない。これは、あるソフトリーな脅しに対して三嶋が命を張ったトリオである。
(M・Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2021.11.17-18 本山禎朗 2021 ジス・オータムのカルテット&トリオ
11/17 鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)楠井五月(b)小松伸之(ds)
11/18 山禎朗(p)楠井五月(b)小松伸之(ds)
この二日間は小松伸之週間の大詰めに位置している。筆者は小松の隠れファンなのだが、この両日に絞らせて頂いた。この二日間の選択は、荒くれ少年の告白に意中の少女が返す定番のセリフ「私にも選ぶ権利があるわよ」というのとは違う。過去に同じメンバー編成のライブがあり、その延長線上に眺められる本山の姿を確認しようという動機が働いているからである。昨今の本山から充実感が伝わって来ると思うリスナーは少なくないだろう。場数と研鑽によって彼は自らが意図する音楽表現を今では手に取るように出し切れているように見えるのだ。東京から来るミュージシャンとの共演は、過去において遠慮や自重が見え隠れしていたこともあったが、今それはない。今日に至る変遷と今日の演奏とがオーバーラップすると、音が音以上の装いを伴ってやってくる。今日は本山の音を聴き逃さないようにしようと、東京連に向きがちなこれまでの聴き位置から一旦座り直すことにしたことに誤りはないように思う。1日目はあの鈴木央紹入のカルテット、2日目はトリオという編成で、その違いも上々の組合せとなっている。カルテットの日は、予想通り我が国ジャズシーンの中央にいる鈴木がやはり圧巻の演奏を披露したことだけは言っておかねばならない。演奏曲は後にするが、とりわけ「Misty」における本山の演奏は、血がかよっているなぁと思いながら聴いていた。「本山これだよ」と呟いていたかもしれない。皆んなが盛り上がるアップ・テンポの曲も本山はフレームの強さを感じさせる隙のない演奏を繰り広げていた。トリオの日は当然ながらリード奏者がいない分、自由度が高められねばならない。そもそもピアノ・トリオはp・b・dsによる典型的な編成がなければピアノは随分困ったことになった筈だが、そうではなかったために激戦区になっている。多くの名演が残され、それとともにピアノ・トリオファンも大勢いいるだろうから、演っている側にしてみれば実は相当な重圧を感じているに違いないのだ。そこを攻略するには脇を固める連中のオリジナリティーが欠かせない。その意味で楠井と小松との取り合わせは申し分ない。両者とも辛島サウンド体験者なので緩むはずがないのだ。個人的にはもっとバラードを、と思っていたが良しとしよう。どの演奏にも温度・彩度・強度がバランスしていた。これ以上は脚色が過ぎてしまいそうなので、先を急ぐが、本山はソロ、フリーなどを含め多岐にわたる取り組みを行っている。それらが積分されて新たなる本山の立体世界が出現することを期待している。カルテットでの演奏曲は「Witch Craft」、「We See」、「Misty」、「Hey It’s Me Talking To」、「Laura」「Serenity」、「Long Ago&Far Away」、「Woodin’ You」、「I’ve Never Been In Love Before」、トリオは「Embraceable You」、「Boplicity」、「Pensativa」、「Worm Valley」、「Butch&Butch」、「Midnight Mood」、「All The Things You Are」、「Fingers In The Wind」、「The Song Is You」、「It Could Happen To You」。
最近は来札する東京ミュージシャンのライブに限定した聴き方になっている。それは理由あってのことだが、2021の秋は地元の本山に拘ってみて、色々考えることができた。いつも冷静を味方につけていた印象のある本山だったが、この二日間で思ったことは、本山のネライは冷静からの脱却にあるのではなく、冷静自体を燃焼させることなのではないかということだった。去りつつあるジス・オータムのメッセンジャーから一言あるそうだ。MVP(Motoyama・Valuable・Pianist)。通過点として聞き留めてくれよな。
(M・Flanagan)
2021.11.6 竹村一哲G LIVE!『村雨』
井上銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
昨年春のこのグループによるLIVEはセンセーショナルなものだった。その時が初登場の井上銘に注目していたが、バンドとしての傑出したトータリティーに驚かされたものだ。その後、レコーディング計画が持ち上がっていることを耳にしていたが、程なくこの『村雨』がリーリースされたのである。一連の流れから待ちに待ったタイミングでこの日を迎えたと言っていい。午後8時、会場はいつの間にか人で溢れ、それはこの1年半余りにひと区切りをつけ、ようやく時計が動き出したかのようであった。竹村は決め事を極力排除することで、演奏するとは何かという追求心をグリップして離さないドラマーだ。彼を十代のころから聴いているが、懐かしさに微笑んでいる場合ではない。このグループは現時点における彼の集大成、つまり、実録竹村一哲ここに至る意味しており、彼の第一回記念碑なのだ。こっちも力が入るが、気分を鎮めて早々に演奏曲を紹介しよう。「MOZU」、「RN」、「悲しい青空」、「Spiral Dance」、「Normal Temperature」、「Vera Cruz」、「ノウ(板谷)」、「村雨」、「Lost Visions」。オリジナル曲が中心に構成されているが、思いもよらぬ「Vera Cruz」のイントロを聴いて、たちまち数々の名演を残して去っっていった津村和彦の顔が脳裏に襲いかかってきた。それに続きリスペクトと追悼の意を込めて板谷大の曲を演じたときは、その曲調が大らかな分だけ目尻の調整が効かなくなってしまった。感傷を取り除いて進めよう。既に述べたように竹村の目論見はメンバーの自由度を極力高めることにあるので、同一曲はいつも新曲に聞こえる。どのミュージシャンもそれを目指しているに違いないが、しかし、それを如実に体感できることはそう多いことではない。少しくらい遊んだらと思はないではないが、どこをどう切り取っても一貫して緩みがない。私たちはこの快感にヘトヘトになることを受け入れざるを得なくなったのだった。それでは、メンバーの様子を少しばかり振り返りたい。井上はジャンル横断歴なプレイヤーなので、普段は眠っている神経が覚醒させられる。敬愛するP・マルティーノ風フレーズを忍び込ませていたのもゴキゲンの上積みだ。兎に角、井上の演奏には努力では身につけられない資質の恵による華があるのだ。魚返の演奏は結構聴いているが、この日の止めるに止められないエモーションの噴出には、腰を抜かした。これは特筆しておくべきことに違いなく、これまでの見積もりの甘さを反省する。三嶋はいつも演奏が嬉しくて堪らないのだ。メンバーから新しいアイディアが提供されると必ずニンマリしている。LBのベース指定3席の一角を奪取するのはハードルが高いが、それ近づいているかもしれない奮闘ぶりだった。そして竹村一哲。全ての曲において後ろからの支配権を全開で行使していたように思う。細かいことは抜きにして、その途切れを知らない集中力に並々ならない意気込みが伝わって来る。堅実なサポートなどと言って済ます訳にはいかないのだ。纏めがたきを纏め上げた竹村に心からの賛辞を贈りたい。
余談になるが、入口の“本日のライブ”に、竹村一哲G・・・井上銘g・・・となっていた。Gはグループのことだが、開演前、彼らは談笑していた。“今日は大っきいのと普通のとツイン・ギターなんだ”。演奏中にそんな和んだ雰囲気は何処をどう探しても見当たらない。ライブから数日経た今も、LIVE!『村雨』が頭の中で鳴り続いている。
(M・Flanagan)
2021.10.29-30 壺阪健登3 スリリング・イズ・ヒア
壺阪健登(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
壺阪も毎年の顔になってきた。ブッキング基準については知らないが、少なくとも聴く気をそそることが真ん中あたりに位置しているだろうことは容易に想像がつく。では聴く気をそそるとはどういうことだろう。私たちには、日頃の煩わしい用向きから離れたいときに、気分を鎮めたり発散させようとしたりといった心理が働く。そこに音楽が待ち構えていることもあるだろう。けれども人がどのようなシチュエーションにいても、音楽はそれとは独自して成立している。そうとは言え、個々人のシチュエーションが音楽に潤いを期待するのは勝手な話だとしても、それを許容できることは音楽自体が決して敗北しない理由の一つであろう。どしてこんな問答を持ち出したのかと言えば、多くの音楽家が“何故音楽を演るのか”という問いに“音楽が好きだから”という平凡な答え以外は案外何も見いだせていないらしいことによる。“それが好きだから”という答えは平凡だが、音楽家もリスナーもそれを肯定的に受け入れているようにみえるのは、どう振り回しても否定しようがないからとしか言い様がない。平凡こそ長持ちの秘訣なのだろう。前置きが長くなってしまった。それでは本編へ。今日のメンバーはブッキングに相応しい聴く気をそそる連中といっていい。彼らは定期的に演奏してはいないが、夫々の個性についてはこれまでのLBライブで確認済みだ。壺阪についてはK・ジャレットを連想するとの声が聞かれる。筆者もその一人であるが、とりわけ長めのエンディングに向かってグルーブを引き出す構成力において、実際に教えを請うたような感じすらする。そこに壺阪がいまやっておきたいことがあり、その意思は十分伝わって来るのである。ドラムスの西村はやや間隔をおいての出番となったが、久しぶりの彼は、持ち前の男盛りの勢いを堅持しながら、繊細さが一回り磨かれていたように思う。時の鼓動が彼をして着実に前進せしめているのだろう。そして若井俊也だ。初めて聴いた時に感じた可能性から時を経たいま、このベーシストの手腕は計り知れない域に達している。ドライバーを何本持っているか知らないが、甘いネジの絞めどころが見つからない。このトリオの要たる若井はもはや予測より遥かに早く王道を歩んでいる。ここで迷いながら架空の話をするが、ライブ教習所のテキストには冒頭こう書かれている。安全運転は最大の法規違反である、と。先に平凡は長持ちの秘訣と言ったが、一発勝負のライブ演奏にそれは当てはまらない。彼らの生演はそれを証明しつつ走り過ぎて行った。演奏曲は「Tones For Joan’s Bones」、「Good Morning Heartacke」、「Mirror,Mirror」、「Little Girl Blue」、「Up On Cripple Creak」、「Come Rain Or Come Shine」、「Morning Morgan Town」「Delaunay’s Dilemma」、「Smoke Get’s In Your Eyes」、「Bye Ya」、「East Of The Sun」、「Boplicity」、「I Could Write A Book」、「It’s Easy To Remember」、「U.M.M.A」、「Of Course,Of Course」、「For Heaven’s Sake」、「Four in one」、「Shainy Stockings」。スタンダードからR・ロバートソン、J・ミッチェルまで壺阪の選曲マジックがこのライブに一層花を添えた。JAZZ無党派層の筆者はウグイス嬢になり代って連呼しよう、「壺阪、壺阪健登をお願いします」。
寒さ深まる当節はスプリングにあらずだ。標題は彼らの白熱パフォーマンスを讚え“スリリング・イズ・ヒア”とした。
(M・Flanagan)
2021.10.13 大口・林4 Jazz Advancing
大口純一郎(p)林 栄一(as)秋田祐二(b)伊藤宏樹(ds)
いきない脱線しよう。先ごろ亡くなったR・ストーンズのチャーリー・ワッツは自称“ジャズをこよなく愛するロックドラマー”だ。彼は少年時代にジャズに魅せられたものの、家にドラムを買える余裕がなく、そこで彼はバンジョーを改造してスネア代わりに練習を積んだという逸話がある。そういう出自をことさら美化するつもりはないが、後に名声を博するか否かに拘らず、おそらく50年のキャリアを重ねる演奏家の中にはそれに類する体験者がいると思われる。飽くまで想像でしかないが、演奏を聴いていていると林さんにもそういうことがあったのではないかという気になる。林さんのライブに接した機会は決して多くはないのだが、林さんに付き纏うイメージは長らく変わっていない。それは一貫してアンダーグラウンド感が漂っているような印象である。いわば公のルールでは裁くことの出来ない天賦の資質と言ってもいい。この日も演奏から演奏外の何か得体の知れないものを感じていた。筆者にとってそれが林さんなのである。一方の大口さんにもそれを感ずるのだが、溢れだす閃きは両者に共通していてもその質感には差異があり、それを直に味わうことはライブの重要な面白みである。それにしてもこの方たちのエネルギーはどこから湧き出してくるのか。数多くの音楽データが蓄積されているお二人の筈だが、おそらく“今日はこれまで以上にベストな演奏をする”、そういう演奏覚悟のようなものがエネルギーの出どころではないかと思えるのだが、どうだろうか。まぁ巨匠評は二の足を踏むもので、本文は欠員レポーターのトラとしてチャーリー・ワッツに援護して貰った次第である。演奏曲は「Goodbye pork pie hat」、「Four in one」、「You don’t know what love is」、「回想(林)」、「Better get hit in your soul」、「New moon(大口)」、「What is this thing called love」、「ノー・シーズ(林)」そしてアンコールはブラジルもの。上昇しながら構築する曲も、横へ横へと流れていく曲も独自性に溢れていたと思うのであるが、おしなべてタフな演奏の連続だった。従って、ベースもドラムスも心身ともに運動性量が限界に達していたのではないかと思われる。上手いこと言えないが、おどろおどろしさに咲くファンタジーがこのライブだ。
実はこのライブ、カニBAND北海道ツアーの谷間に嵌め込まれた唯一のカルテット企画である。そこに惹かれて来られた人もいたようであるが、分かるような気がする。
ところで「Jazz Advancing」とはいまなお前進して止まない御大に捧げた標題である。その出典はセシル・テイラーの「Jazz Advance」だ。芸術家の家計簿は知名度ほどにはアドヴァンスしていないんだろうな(泣)。
(M・Flanagan)
2021.9.24-25 鈴木央紹3 Groove Struttin’ !
鈴木央紹(Sax)宮川純(H.Org)原大力(ds)
レイジーでは幾度も素晴らしい演奏に巡り逢っているが、今回3年連続となるこのハモンド・オルガン入りは他になく、稀少さなどという次元を超えて、初聴き時に筆者の体感メーターの針が右往左往していたのを思い出す。それは以後も変わりはない。では、トリオ・サウンドを思う存分味わうこととしよう。予め演奏曲を紹介しておこう。「Solar」、「No Moon At All」、「Babbles,Bangles&beeds」、「Dolphin Dance」、「Detour Ahead」、「My Heart Stoods Still」、「If I Should Loose You」、「Love Walked In」、「How Long Has This Been Going On」、「You’d So Nice To Come Home To」、「The Ruby&The Pearl」、「The Favourite」、「Some Other Time」、「So In Love」and「All Of Me」。中には知らない曲もあるが構いはしない。聴いた後で、唐突に思い出したことがある、“ジャズに名演有りあり、されど名曲なし”という誰が言ったか知らないが、相当前に発せられたセリフである。“名曲なし”については歴史的事実に反するが、“名演あり”については日々発現している。従って、そのセリフの半分は妥当性を失っていない。いったい何処から何処までがジャズなのかという問いがあるとすれば、”演“が感じられるかどうかに尽きると言ってよさそうだ。裏を返してそれ以外はジャズあらずといえば言い過ぎか。トリオの話に戻どそう。肝心のこのトリオの聴きどころについてである。バンマスの鈴木については何度もレポートして来たので、何度も類似したことを述べてきたのだと思う。それは名盤は何度聴いても飽きないことと似ている。手短に言うと、彼の演奏は兎に角捉え方の大きさにある。これは実力者たちの共通域であるが、そこにおいて鈴木を決定づけているのは、圧倒的なニュアンスの多彩さである。街場の風景によれば、鈴木食堂に行列ができるのは、丹念に仕込まれた下味をベースに多種多様な具材が”瞬時に“出てきてしまうところにある。形容語は過去に使い果たしてしまったが、毎度々々凄いと言うより他ない。さて、オルガンの宮川だが、その演奏を耳にしたことのない人も多いかと思う。いきなり天才幅肌と言うのも興ざめだけれども、元々はアコースティックの演奏家がハモンドに執着しているのは、優れて本人望むところとこの楽器と相性の良さによるものだろう。その演奏に対するこちら側は絶対鈍感に陥らないよう気を付けておけば、それだけで彼のグルーブを満喫できるのである。そして御大の原、この人は例によってドラマーの役割意識とドラムスの音がそっくり連動しているので、気持ちの良いい音を叩き出す才において人後に落ちない。勿論、この気持ちの良さは、トリオのサウンド展開において隠れもしないのである。(ナイショ話だが、とても蓬莱の定食で胃もたれを引きずっていたとは思えない。)演奏が終わってから耳をそばだてていると、“You’d be so~”と“All of me”は、歌で取り上げられることも多く、私たちは割と構えないで聴いていることの多い曲だが、プロにとって難曲に位置づけられるのだそうである。素人としては聞かなかった振りをしておく。結局この鈴木央紹トリオ、ヴァリュアブルだ。
これから少々広報的なことを申し上げる。今年の追い込みラインナップは重鎮はもとより、中堅・若手のスゴ腕がライブ・スケジュールに掲げられている。ベースでは楠井、若井にまとまった日が用意されているようだ。また、ドラムも鮮度の西村匠平、札幌のプライド竹村一哲、そして筆者が隠れファンを自認している小松伸之も来る。おっと、鈴木の再登場もある、壷坂も来る。例年以上に冬支度が後手に回りそうだ。なお、標題は、ソニー・クラークのマスト盤から拝借。鈴木トリオのGrooveがStruttin’、少々誇らしげに歩いているぐらいのことだ。あのジャケットの足運びのように。
(M・Flanagan)
2021.9.14-15 LUNA女気の初秋夜曲
LUNAによると、9月は10本のLIVEが流れたのだという。本文に目を置く各位はご承知のことと思うが、恒例となっているこの月の北海道ツアー(本編)もその流れに飲み込まれたのである。従って番外編も行き場を失うはずであったが、尻尾だけは再生することとなった。これはLUNAの女気を結晶させた本編なき変異型LIVEのドキュメントである。
9.14 Unpluged Rock Again LUNA(Vo)町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
今年の4月、これまで積み重ねてきたRock-Loud路線がショパンの事情によりUnplugedに切り替わったが、予想に増して好評を博したことは記憶に新しい。そしてその第2弾がここに実現したのである。前回は初競演とは思えぬ調和のとれたパフォーマンスを残していったが、今回は夕暮れに霞む“Loud”を尻目に“Unpluged”は満を持して綿密に電子連絡を交換し合ったとのことである。演奏曲は、「Long train running」(ドゥービー・ブラザーズ)、「NewYork state of mind」(B・ジョエル)、「Sunshine of your love」(クリーム)、「Old love」(クラプトン)、「Little wing」(ジミヘン)、「Forever young」(ディラン)、「Redemption song」(B・マーリー)、「Knocking on heaven’s dooe」(ディラン)、「The waight」(ザ・バンド)、「Imagine」(レノン)、「Nowhere man」(ザ・ビートルズ)、「Natural woman」(A・フランクリン)、「You’ve gatta friend」(k・キング)。個人的には1970年代後半くらいまでしかRockを聴いていないが、本日の演目の多くをリアルタイムで聴いていた。ということは、それらの曲は風雪に耐えて来たということができる。ただオリジナルの大半がソリッドのギターであったのに対し、“Unpluged”はアコギなので、異なった趣へと導いてくれる。しかも腕前を徒に見せびらかせない大人の立ち振る舞いが三者のバランスを絶妙なものとしていて、ジックリと聞いていられるのだ。加えてハモりを大の好物とするLUNAの期待に応えて余りある野郎どもの喉が何とも味わい深い。“洗練”という言い方が似合うこのコラボはまた有りそうであり、そう有って欲しいものだ。
9.15 日本の歌ブラジルの歌
LUNA(Vo)(Vo)古館賢治(g、Vo)板橋夏美(tb,Vo)
標題は前宣伝のコピーだが、全体としては“ほぼブラジル”である。まずはそれらの曲目から見ておこう。「晩歌」、「folas secas」、「corcovado」、「samurai」、「時よ」、「felicidade」「beijo partido」、「intil pasagem」、「romaria」、「行かないで」、「equilibrista」、「四季」、「panta de areia」、「chega de saudade」。ブラジルもの精通している人は、ニンマリするのだろうが、筆者にはほとんど何のことか分からない。いくつかは聴いたことがあるような気がする。だが知っているか知らないかを基準にすると音楽は部分化されて広がりようがない。そもそも音楽が世界化するのは、何度も引用されるエリントンの「音楽には好ましいものとそうでないものの二種類しかない」のであって、これは普遍的認識といっていい。従って知らないことに臆することはない。エリントンの音楽観を持ち出したのには理由がある。9月3日の本編は幻となってしまったが、これが実現していたら、エリントン特集だったのである。このこと自体は残念と言うより他ないが、私たちは何であっても聴いている間はその曲その歌を楽しんでいるだけでよいと思うのだ。ただ今回楽しむことを可能にしたのは、知らないもの伝えきるLUNAの力量によるものと言い切っておくが、それをサポートした女殺しの古館Voiceと添い寝されているような板橋の心地よい音色がこの日を大いに盛り立てていたのを忘れるべきではない。
翌日、所有しているボサノバもののなかから3枚ほど立て続けに聴いた。持っていても曲名は殆ど知らないことに気付かされたが、LIVEで助走がついているのですぅっと入ってくるのを感じた。ところがである、期せずして次の1枚はコルトレーンのヴィレッジバンガード・ライブを選んでしまった。音楽はどこからも繋がってしまうといという真実の前では、一貫性のない選択など些細なことである。やはり私たちはエリントンの音楽観から逃れることは出来ない。
最後に複数の実行犯が絡んだらしいハプニングについて伝えておきたい。LUNAはこの10日ほど前に迎えた誕生日を一人三角座りしながら夜に涙をぬぐっていたそうである。二日目のセカンド1曲目の最中に、何処からか不規則にカチッカチッという音が聞こえてきた。この曲の目終了に合わせてそれは起こったのだ。バースデイ・ケーキの進呈だ。年の数を大きく下回るロウソクの本数ではあったが、点火に手こずったそのカチッカチッが今も耳に残っている。
(M・Flanagan)
2021.8.20 松島&山穰5 ウルトラQ
松島啓之(tp)山田穰(as)本山禎朗(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
ウルトラQとは、怪獣系の草分けと思って頂いても結構であるが、素朴にウルトラ“Q”uintetのことである。それはさておき、ご存知のとおり松島は定期的な出演枠を持つtpのトップ・ランナーである。そして今回は継続的に共演を続ける山穰入りという願ってもない贅沢な編成だ。LBでの山穰は7、8年ほど前のLiveを最後に少し遠ざかっている。従って、待ち望まれた再登場である。思い起こすと山穰と言えば若き‘90年代を駆け抜けた花形プレイヤーという印象が強過ぎて、個人的には演奏家としての全体像が明快にならない。職業評論家なら豊富な情報を背景に俯瞰的に論ずるのだが、素人のライヴ・レポートというものは、限られた聴音体験しか持ち駒がないので、そこは割り切るより他ない。そうではあるが地方都市にいて、“これは是非聴きたい”と気がはやるLiveに足を運び、それが僅かずつ積み重ねれられた位置で、Liveの素晴らしさを伝えたいと願うことに徒労感はない。少し勿体ぶった物言いになったが、これも行動抑制下のストレスによるものと容赦願いたい。まずはおおよその流れを紹介しようと思う。最初の数分でこの日の全貌が掴めた気がした。自明のことだが、演奏が終わるまで全貌が分かる筈ないのだが、時として“今日は行っちまうな”と確信することが、時おり起きるのだ。松島の「Back to Dream」で幕を開けたのだが、2管で立ち上げ、松島のソロへ突入した、彼は音一発でライブの醍醐味をぶっつけて来る。こっちに向かって突き抜けてくるのだ。そして山穰のソロ、彼はどのような局面でもロジカルに演奏を発展させるタイプと思っていたが、やや感情を前に出す展開に持って行っているような印象を受けた。そしてそれが何ともこっち(胸)にくるのだ。この様子は最後の最後まで継続して行ったのである。開演が導く快演の連鎖というべきか。最初の数分に予期したことが的中したのは、勘が冴えていたのではなく成るべくして成ったに過ぎない。2曲目はガレスピーの名曲「Con・Alma」、松島のワン・ホーンによる「Skylark」、N・アダレー「Tea met(と聞こえた)」、柳を大きくフィーチャーしたP・チェンバースの「Ease It」、松島作「Treasure」、山ジョーのワン・ホーンによる「My Foolish Heart」、音の深みを握りしめて離さない雰囲気が充満していて、説得力に溢れていた。バラードと言えば内省的味わいを噛みしめるのをイメージするが、その佇まいを保ちながら情感が注がれていく様に喉元から変な唸り音が出てしまった。制限時間一杯に選曲されたのはお馴染みの「Lotus Blossom」、ウルトラ“Q”uintetの百花繚乱サウンド、中でも山穰のソロは圧巻だ。鳴り止まぬ拍手が残業命令となって「I’ve never been in love before」に突入した。迫り来る閉店時間と忍び寄る国防婦人会の見回りに最高度の緊張感が走る。だが、事なきを得て無事終演した。いつまでも拍手は鳴り止まなかった。これは忘れられないLiveになりそうだ。記憶に納められた財産は減価しないからである。振り向けばドアの前に“立ち見”のお客さんがいて、ドアーズの“Touch Me”を思い出してしまった。
晴れないモヤモヤがまとわり付いて久しいが、それを吹っ飛ばすLiveが終了した。禁酒法の適用下でウーロンを含みながら、ふと思い出したことがある。Tpのクラーク・テリーがエリントンをこう評していた。『彼は人生も音楽も常に生成過程におきたいんだ』。
(M・Flanagan)
2021.8.6 本山禎朗4 ヒートでジャンプ
本山禎朗(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)+山田丈造(tp)
札幌は連続真夏日の観測記録を更新する熱波の只中にあった。しかも個人の話で恐縮だが、ワクチン摂取により少々熱っぽく頭がフワ~ットしている始末である。かかる事情下とはいえ、例年と異なり今回の米木さんが本年最初で最後ということなので、奮い立たねばならない。加えて丈造の参加で真夏の夜のジャズはあらゆる熱を好作用に導くだろうと期待が膨らんでいった。そしてスタート時間の繰り上げを余儀なくされているなか、リーダーの本山が時間の制約に配慮して簡潔に開演宣言を行ったのだった。
1曲目はガーシュウィンの「エンブレイサブル・ユー」、これは熱さ求めて前のめりになるのを戒めるような端正で落ち着いた演奏。2曲目は米木さんが今年リリースしたアルバム“SIRIUS”からハロルド・ランドの「ワールド・ピース」、終始ベースのビートに乗っかって各自が開放的なプレイを展開し、ややアクの強い曲を一般人の耳にスンナリ入ってくるように仕上げられていて、聴き応えがあった。次は数多くの名演・名唱がのこされている「アイ・フォーリン・ラブ・トゥー・イージリー」、丈造のバラード感性が格段に研ぎ澄まされていることを印象づけるものだ。4曲目はE・マルサリスの「スインギン・アット・ザ・ヘブン」、多くのライブがそうであるように、終盤の聴かせどころは渾然一体感を流し込む仕様である。そしてその通りとなったのである。締めくくりは「ストレイト・ノー・チェイサー」、ぜい肉なし。
ご存知だろうか、1960年代にフィフス・ディメンションという歌のグループがあった。彼らには“ビートでジャンプ”という割と知られたナンバーがある。“ビート”から煩わしい濁点を取っちまえばスッキリするだろうと他愛ないことを考えていたが、演奏者・客ともども熱さ満開の“ヒートでジャンプ”に行き着いてしまったと言える。
なお、冒頭に述べたとおり、今年の米木さんは聴き納めとなるので、あと2daysを覗かせて頂いた。鹿川暁弓3とNate Renner3である。両者とも高鳴る緊張感を露わにすることなく一身に演奏する素振りが見て取れ、持ち味が十分引き出されていたように思う。三夜を通じて攻めの姿勢を緩めることのない米木さんに改めて頷かさせられた。そこには生き続けるジャズとは何かという問いが漂っていた。
(M・Flanagan)
2021.7.1~2 三嶋大輝 SPECIAL GIFT
ここ数年来、東京を拠点にしている若手を招くことが、LBのひとつの柱となっている。この企画がなければ、彼らは見たことも聴いたこともない連中のままになっていた可能性が大いにある。三嶋の初演は2年半ほど前に過ぎないのだが、以降、彼はサイドマンとして抜かりなく出演機会をモノにして来ている。ただ今回は、三嶋の仕切りでライブを挙行することになっており、そこに課された条件は、現時点で想定される最高のメンバーを人選し、最高の演奏をすることだったという。そして我々は三嶋のギャンブルに巻き込まれていくことになったのである。
2021.7.1 PassioNate Renner 4
Nate Renner(g)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
この日は、当地でコンスタントに活躍するネイトのリーダー・カルテット。ネイトはJ・ホールがお好みらしいが、直接的な影響は感じられない。演奏家によっては先人の影響が割と露骨になっていることもあれば、表に出ることなく内的蓄えに留められていることもあるだろう。ネイトは後者に属しているので、彼独自のフィーリングから押し出されるフレーズがそれをよく物語っている。話しは飛ぶが、今はフュージョン絶頂期のようにギターでお客さんを呼ぶことが珍しくなった時代だと言える。それは逆に落ち着いてギターを聴くべき時代になっているのではないかとも思う。そうした時代だからこそネイトには一層のPassioNATEな活躍を期待する。演奏曲は「All Of You」、「Finding Our Feet」、「On A Misty Night」、「9th February~Mono Koko」、「The Way You Look Tonight」、「Moment’s Notice」。なお、柳沼は最近招聘されない匠平(西村)の後輩筋になるそうだ。明日も期待が膨らむ中々のプレイだ。
2021.7.2 三嶋大輝TRIO
加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
これが三嶋の真価が問われる注目のTRIOだ。聞けば月に一度のペースで演っているとのことである。言わば彼らは、気心の知れる域に入っているのだが、慣れによる予定調和は決して許されないことを覚悟した三嶋はリハに普段の倍ほど時間を費やしたらしい。それはこの日に賭ける三嶋の愚直なまでのメッセージであるが、それは実際のライブ・パフォーマンスの出来は全くは別のことである。筆者は三嶋が毎回ひと山越えてやって来るので、意識的にハードルを上げて聴いている。なおかつ今回は三嶋の統率力も注目して置かなければならない。ここで演奏曲を紹介する。「Time After Time」、「You Stepped Out Of Me」、「You’ve Changed」、「Martha’s’ Prize 」、「In The Still Of The Night」、「Nearness Of You」、「Cakewalk」、「Fly Me To The Moon」。“いる所にはいるものだ”、ピアノの加藤、まだ二十代半ばである。瑞々しさを湛えながらも臨機応変に攻勢をかけるところにはその才量を認めぬ訳にはいかない。そして前の日に肯定すべき片鱗を見せつけていた柳沼は、この日もケレン味のないタイトなプレイを披露しており、彼ら二人は三嶋の土台音に乗っかって清心な印象を刻んでいったのだった。唯一気がかりだったのは、気合の入りすぎによる勢い任せの大芝居だったが、そんな心配を見事に引っくり返してくれた。
店内にはもちろん川は流れていないが、三嶋はTRIOと客席の間にきっちり橋をかけていった。若きM・ヴィトウスに“限りなき探求“という作品がある。若き三嶋の奮闘に”限りなきThank You“を献上する。三嶋からSpecial Gift(大輝ん星)を貰ったのである。
(M・Flanagan)