お盆the お盆

ほとんど宗教心のない自分ではあるがお盆の時期は気持ちの収まりどころを作るために近しかったミュージシャンの在りし日の姿を思い出している。8月19日は臼庭潤の命日でもある。時々東京からいらっしゃるお客さんから初めてlazyを知ったのは臼庭の「live at lazy bird]のアルバムを聞いての事であると聞いた。臼庭は亡くなってからもlazy の役にたってくれてるわ・・・と壁に貼ってある写真に手を合わせる。先ほど高校生の時の演奏を見た。フュージョンタイプの演奏であるが才能の片鱗がわかる内容であった。時代はネイティブサン、カシオペア、スクエアなどのグループが輩出する時期であった。本田竹広さんから大学在学中に声がかかったらプロになろうと思っていた・・・と話してくれたことがあった。其れが実現する。不愛想な声で何月何日GH9に来い・・・ガチャと電話が切れた。それからが天にも上る気持でもあるが地獄でもある。臼庭は演奏がすべてであるので終わってからああでもない、こうでもないとはリスナーとは話しはしない。そういうことをする照れくささを隠すように僕や、牛さんと延々駄洒落を言い合う。一度「くだらない話しを抜きにしてダジャレを言い合おう」ということで駄洒落だけを言い合う打上があった。朝の五時まで続き引き分けに終わった。「東大モトクロス」「京大ザンギ」このフレーズから壮絶な戦いが始まった。さすがに青春の貴重な時間を無駄にしているのではと核拡散防止条約のようなコンセンサスがお互いの中で制定された。
臼庭、津村、セシル、米木、田中朋子が繰り広げた演奏は前日のトラブルを払拭する素晴らしい演奏で今でも語り継がれている。3人がすでに鬼籍に入り米木、朋子さんも半病人である。向こう側の世界があるとしたら良いミュージシャンがそろっている。あっちに行っても飽きないかもしれない。