ラジオでスピーチに関する特集をやっていた。リスナーからいろいろな体験談が届く。結婚式の来賓の乾杯の前の長いスピーチでグラスを持つ手がだるくなった経験は皆あるだろうと思う。20分、30分と長さだけコルトレーン並で中身はヤマハ音楽教室風書き譜丸暗記だったりする。これは一か所詰まると頭真っ白になるなるパターンだ。僕も一度だけ見かけたことがあるが途中でフレーズを忘れてしなったのだろう。しどろもどろで話がおわってしまった。ところが席に戻ったら思い出したのだろう、次の人が話をしているのにマイクを奪って「これだけはしべらせてください」と言ってサビの一番いいフレーズを話し出した。その方は宝石会社の社長で「君たちはまだ磨かれていない原石ですが二人で磨きあってダイヤのような家庭を作ってください」という内容であった。まばらな拍手が起きた。余りに唐突な行動であったので30年も前のことなのに覚えている。僕もパーティの司会やら結婚式の祝辞、葬儀の弔辞、宣戦布告、スーパーの呼び込み等一通りやらせてもらったが何となくコツらしきものが分かってきた。いい話にしようとしないことだ。先日lazyに来ていた池田篤がよく言っていたが「xxxxは上手く見せ様としています」これがなかなか難しい。禿のかつら、ブスの厚化粧のごとし。
話を戻す。この放送の中でボブ・ディランのノーベル賞受賞のスピーチに触れていた。ディランは自分の作品をシェークスピアにたとえて話していた。文豪とは正反対の人としてとらえている。シェークスピアは自分の作品を文学と考えたことはないだろう。舞台で上演されることを前提にそこに関わる人を意識していたに違いない。ディランも自分の作品も文学と考えたことはなく受賞の話を聞いたとき戸惑ってしまったという。長年の生活感からの積み上げが作品に投影されているに過ぎない。かっこいい!