オリンピックの功罪

報道内容の質の低下を苦々しく思っていたので値上げを期に新聞の購読をやめた。ニュースは独立系のネットメディアで視聴し気になる動きがあるときだけ新聞を買うようにしていた。しばらくぶりに新聞を買うと日本初のメダル・・とかいう記事が目に飛び込んできた。あれ・・・オリンピック始まっているんだ。はなから見る気はこれっぽちもないので見逃して悔しがることもないのだが日本が一個メダルを獲得する度に能登地震や裏金議員や神宮外苑再開発の記憶が抜け落ちていく事が気にかかる。東京オリンピックの談合の裁判はまだ終わっていない。この前終わったばかりなのに又オリンピックかと思うのであるが一年延期になったので3年しかたっていない事に起因している。東京オリンピックは汚職まみれの祭典であったがパリ五輪も本質的には同じはずである。だが東京が典型的箱ものイベントであったのに対しパリ五輪はセーヌ川を利用した開会式、上手く街並みを生かす。文化的深みが違う印象がある。五輪が経済的あるいは政治的十字架を背負わされるのは現代の原罪といってよい。1964年の東京五輪は戦後復興を遂げた日本を世界にアピール機会でもあった。その時期に合わせて自宅にもテレビが入り記録をつけながら見ていた記憶がある。ブルーインパルスが描いた五輪マークだけではなく瞬時に記録が発表されるセイコーの時計など世界に誇れるものが出てきた時代である。昨年二回目の札幌が東京五輪の招致を断念した時何を訴えたいのか全くわからずじまいであった。国際IOC委員会の体制にも色々疑問は残るが札幌には歯牙にもかけない態度で札幌市民としては結果的に本当に良かったと思う。スポーツが国威向上に使われることがある。典型的な例が1936年ナチス政権下で開催されたベルリンオリンピックである。リーフェンシュタールの映像がそれを見事に捉えている。聖火の制度が取り入れられたのもこの時である。こういう話をすると必ず選手には罪はない・・・という議論が出てくる。そうかもしれない。だがジャニーズ問題が出てきた時のタレントには罪はないというセリフと相似形である可能性もある。今後五輪ではジョン・レノンのイマジンが必ず歌われるらしい。
想像してごらん国なんてないんだと・・・宗教もない・・・所有もない。これが国民投票で決められたとしたら信用にたる。だが莫大な金が動くスポーツイベントを主催するIOCが決めたことであることを覚えておく必要がある。